(2)
アリュス国までの道程は、ホント遠かった。
馬車に乗ること自体はそれほど苦痛じゃないけれど、何しろ乗っている時間が長すぎる。
――やっぱ何度も休憩が入るから、時間かかるんだろうなぁ。
どうやら私の身体を気づかって、ゆっくりした移動日程を組んでくれたみたいだ。
ディルクの話によると、すべては王様の指示らしい。
「でも馬車に乗るのは嫌いじゃないよ? 昔、家族みんなで馬車旅行したことあったなぁ……」
それまで窓の景色を眺めていた私は同乗するディルクに振り返ると、つい懐かしい思い出話を口にしていた。
「馬車でゴトゴト、半日ゆられっぱなしでね。さすがに私も馬車酔いしちゃったよ。でも不思議と馬車を降りたとたん具合が良くなるんだよね」
「乗り物酔いは概してそのようですね。今回はこまめに休憩を取るつもりですが、少しでもご気分がすぐれないようでしたらすぐにおっしゃって下さい」
私の真向かいに座るディルクは真面目な口調でそう言った。
相変わらず無愛想な顔してるけど、さすがに最近では慣れてきたせいか、微妙な雰囲気とか表情の変化を読み取れるようになっている自分に気づく。
ディルクの閉じられた口元は微かにゆるみ、緑の瞳がふんわりと柔らかい……これはわりと機嫌がいいしるしだ。逆に機嫌が悪いと目つきがやったら鋭くなるし、口元もぎゅって引きしまるもん。
やがて休憩時間になり、いったん馬車をとめて外に出た。
冷たい風が吹きつけてブルリと身震いする。もうアリュスの国境近くだそうだから、きっと気候もアリュスのものに近いに違いない。
――うわぁ、息する空気も冷たいよ……。
昨日まで半そででも平気だったのに、さすが常冬の北国。
妙に感心しつつ寒さに首をすくめていると、後ろからフワリと柔らかいものが触れた。振り向くといつの間にかディルクが立っていて、大きなショールを手にしていた。
「これで首元を覆ってください」
「あ、ありがと」
白く光沢のある生地は、薄いのにとても暖かくて肌ざわりも良い。
手触りを確かめていたら、正面に回ってきたディルクの手によってさっさと巻きつけられた。頬に触れる生地がくすぐったくて、なんだか笑いがこみあげる。
「あったかいよ」
無口な騎士様は黙ったまま、しかし満足そうな様子で小さくうなずいた。
その日の夜は、アリュスの国境付近にある小さな町に滞在することになった。
仮にも『公務』ということで、馬車もそれなりに華美な上、護衛やお付きの人たちも結構いる。お城からやってきた一行ということは、やはりというか当然町の人たちにはバレバレだった。
「姫様、本日の宿泊先はこちらになります」
「はあー……」
馬車から降りると、目の前に大きなお屋敷がそびえ立っていた。
ディルクの説明によると、ここは王族関係者が利用している別荘のひとつらしい。
今回の私みたいに公務で国境越えする際、宿泊施設として利用する場所だそうで、こんな別荘が国境付近にはいくつもあるみたい。
「立派なお屋敷だなぁ……でも私が泊まっていいの?」
「? 当たり前でしょう」
なにを馬鹿なことを、と言った風にディルクは眉を寄せた。
つい三年前まで町で暮らしていたれっきとした町育ちの私は、いまだに自分が王族って実感がないから、時々思わずこんなことを口にしてしまうのだ。
それをうちの騎士様は大変嫌っている……王族の自覚がなくってホント申し訳ないけど、体にしみこんじゃってる庶民感覚はどうしようもない。
屋敷に一歩足を踏み入れると、掃除が行き届いている磨かれた室内に感嘆のため息がもれた。
すごいなぁ、こんな立派な宿屋さん泊まったことないよ。
しかも案内されたお風呂がやたら広い。
案内の女の人に「ゆっくりと旅の疲れを癒して下さい」なんて言われたけど、たった一人で使うには気の引ける規模。おまけに良い香りするお花まで浮いてるしさ……贅沢過ぎじゃないかなぁ、これ一人で入るのって。
でも使わないとせっかくのお湯がもったいない。
ただ、まだ日もあるし、今からお風呂入っちゃったら町へ出れない。お風呂入ったら最後、外へ出たくても「湯ざめするからいけません」って絶対ディルクに止められるにきまってる。
普段お城にいる時だって、お風呂上がりはバルコニーにすら出させてもらえないもん。「お風邪を召したらどうするんですか」って言うけれど、私そんなやわな身体じゃないんだけどなぁ。
それはともかくお風呂は夜のお楽しみということにして、今は町へ出かけたい。せっかくだもん、少しは一人で自由に探索してみたいよ。
――でもあのお堅いディルクが許してくれるかなぁ……ひとりで散歩なんて。
半分ダメ元でディルクに聞いてみたら、意外にも二つ返事でオーケーをくれた。
ごくごく小さな田舎町だし、お城からついてきた護衛の人たちが町中いたるところで警備してくれてるので、とりあえず安全と考えたのだろうか。「ほんの少しの間だけなら」というディルクの念押しの後、私は町での一人歩きを許された。
こうして出かけたのだけど……道を歩いていると、数メートルごとに護衛の人とすれちがう。その度に会釈されたり笑顔を向けられた。
――なるほど、一人なようで一人じゃないよなコレ。まぁ隣で監視されるよりマシか……。
それにしても、こんな風にひとりで町を歩くのはすっごく久しぶりだ。
しかも初めて来た町だから、あちこち目移りしてきょろきょろと挙動不審になってしまう。
迷いに迷って、ようやく一軒の雑貨屋さんに入ってみることにした。
短い時間しか許されてないから全部の店は見れないだろうし、せっかくお小遣いも少し持ってきたのだから旅の記念になるような何かを買いたかった。
「いらっしゃいませ」
ドアベルとともに聞こえてきた若い女の人の声に、私はドキドキしながら店内に足を踏み入れた。
――ホント久しぶりだ、こういうお買いもの……お城上がって以来じゃないかな。
小さな店内には商品が所せましと陳列しており、普段見ないような民芸品に目を奪われる。どれも手作り感いっぱいで温かみがあって、しかも私のお小遣いでも十分買えそうなかわいらしい物ばかりだ。
夢中になってあれこれ見てたら、お店のお姉さんがやってきていろいろ説明してくれた。
「これは最近入荷したばかりなのよ。西の都からだから、まだアリュスの王都にも入ってないわ」
「へえ、きれいですねー」
「もうすぐ雪の祭典だからね。それをイメージして作られたのよ」
雪の祭典なら、私も出席する予定になっている。
たしか今回の公務の中でも、一番大きなイベントになってたんじゃなかったかな? なんでもアリュスの初雪を祝う伝統的なお祭りらしいんだよね。
そういやアリュスの国には確か、今年十二になるお姫様がいるって言ってたっけ……これ、そのお姫様のお土産になるかも。
「じゃあ、これ下さい。あ、贈り物にするんでリボンかけてくれますか?」
「ええ、もちろんよ」
ちょっと待っててね、とカウンターの後ろにまわって包んでもらっている間、今度は自分へのお土産になりそうなものはないかと棚の上を物色していると、店の扉が開いて別の来客を告げた。
「げっ……」
扉の前にはごていねいに帯刀した、田舎の雑貨屋さんに不釣り合いな完璧な騎士姿のディルクが立っていた。あーあ、お店の人もきょとんとしちゃってるよ……。
「お迎えにあがりました」
「あー……そうなの」
――まだ買い物始めたばかりだったのに。
ガッカリする私に、怜悧なオーラを漂わせた騎士様は「日が暮れる前に戻りましょう」と有無を言わさず私の手をしっかり取った。
お店のお姉さんは「えっ、もしかしてうわさのお姫様……」とつぶやいた。そうなんです、そうは見えないんですが残念ながら……。
私は後ろ髪引かれる思いで店を出た。
だって、まだ私自身のお土産買ってなかったんだよ……とほほ。