(1)
夏。
夏がきた。
川遊び、キャンプ、虫取り、天体観測。
わくわくすることがいっぱい。
――のはずが。
「アリュスの国ぃ!?」
「出発は一週間後、移動と滞在を含め四週間の予定となっております。片道十日の道程ですから、あちらの国では正味八日間の滞在となります」
目の前で分厚い書類の束をめくるのは、三ヶ月ほど前に私の専属となった騎士ディルク。暑い季節もなんのその、長そでの騎士装束をきっちり着こみ、騎士の誉であろう最高ランクの証である黒いサッシュを腰に巻いたその立ち姿は、城内でも指折りの眉目秀麗な理想の騎士様……って噂なんだけど、その実体は堅物で口うるさくて無愛想で、怒るとブリザードのように怖い人だ。
「アリュスって北の国じゃん……」
「はい」
「すっごく寒いんじゃ……」
「常冬ですから」
私はガックリ、と座っていたイスの背もたれに身を沈め、部屋の隅に鎮座するクローゼットをうらめしそうに眺めた。あそこには夏の遊び着がたくさん入っている……昨日、女官のニナさんにお願いして衣替えをすませたばかりだっていうのに。
私の視線に気がついた騎士様は「ああ」と、実にさりげなーく(ここがにくたらしいところよ)とんでもない事を口にした。
「姫様の夏物のドレスはすべて処分しておきました」
「えっ!? な、なんでっ!?」
「布地もすり切れていたり穴があいていたりと、相当痛んでましたので。去年の夏どれだけ外で遊んだのですか、あなたは」
――毎日外で遊んでましたがなにか?
「大体、あの服は今の姫様にはサイズが合いませんよ」
「……私、太ってないもん」
「身長が伸びた、と申し上げているのです。姫様はまだ成長期ですから、手足の長さも去年と比べてだいぶ変られたはずです」
そう言われてしまうと反論のしようがないじゃないの。
私はしぶしぶ納得して、それから手渡された書類に視線を落とした。
――『公務』かぁ。
十五の春を迎えた王族は『公務』と呼ばれる仕事を始める。
今年の春前に誕生日を迎えた私ももれなく『公務』を始めることになった。一口に『公務』と言ってもいろいろあるのだけど、たとえば国内のあちこちで開かれるイベントに顔を出したり、外国のお客様にごあいさつしたり、今の私の『公務』はそんなところだ。
でも今回の『公務』は諸外国へ訪問するといった大掛かりなもの。
こういう『公務』って、フツー正室の姫や王子が行うレベルなのに、どうして私のような末端王族に振られたんだろう?
「ディルク様と一緒だから、でしょ」
ベッドの縁に腰かけてたリーザちゃんは、あっけらかんと言い放った。
隣に座る私は枕を抱えてうなだれる……なんでここでディルクが出てくるんだろう? ところでこの枕カバー、初めて見るな……。
「あ、それ新作なの。枕カバー」
「へえ、カワイイね」
「ハナちゃんにも同じの作ってあげよっか」
リーザちゃんの部屋には、彼女の趣味である刺繍が施されたクッションカバーや枕カバーがあふれかえってる。とっても上手なんだけど、自然素材にこだわるリーザちゃんの作品は大抵渋い色合いで、レースとお花模様のシーツに沙羅織のカーテンが幾重にも重なった豪華な天蓋付きベッドには完全にミスマッチだ。
「今夜は夜通しおしゃべりできるわね」
「そんなこと言ってリーザちゃん、明かり消すとすぐ寝ちゃうクセに」
今夜は久しぶりにリーザちゃんの部屋へお泊りにきていた。
リーザちゃんはたくさんのリボンをつけた茶色の巻き毛に、レース飾りのついたナイトキャップをかぶせようとしているところ。頭にいろいろくっつけて大変そうだなぁ、って感心してながめていたら、リーザちゃんが私の頭を見てため息をついた。
「いいなぁ、ハナちゃんは髪が短くて」
「リーザちゃんも切ってみる?」
「無理よ、クラウスがゆるしてくれっこないもの。一度ためそうとしたら鬼のように反対されちゃったわよ」
ぎゅっぎゅ、とリーザちゃんはわりと乱暴な手つきで無理やりナイトキャップにあふれるような巻き毛を押しこんだ……たしかにクラウスさんの気持ちは分からなくもない。こんな見事な巻き毛を切り落とすなんてもったいないもの。
クラウスさんはリーザちゃんの騎士で、いつも明るくって楽しい……平たく(悪く?)言えば、軽い感じの騎士だ。そんなクラウスさんが『鬼のように反対』なんて想像つかないなぁ。よっぽど髪を切る案がイヤだったのか。
「でもハナちゃん、これから寒い国に行くんだから、なにもこんなに短く切らなくてもよかったのに」
「だってコレ、不可抗力だもん……」
私は襟足までのすっかりショートになった黒髪をなで、やれやれとため息をついた。
実は先日お城の厨房へ行った時、かまどの火で髪のはしっこを焦がしちゃったのだ。
その日、新米メイドさんが初仕事で緊張のあまり、かまどの火加減をしくじったらしい。
そこにたまたま居合わせた(実はこっそりおやつを取りに来た)私は、暴走しかけてた火を止めるのを手伝ったのだ。
なんとかボヤさわぎになる前に食いとめたけど、料理番のコックさんはえらい剣幕で怒鳴りだすし、私が髪を焦がしちゃったもんだから新米メイドさんは泣いてあやまりだすし、さらにディルクに見つかって「やけどしたらどうするんですか!」ってお説教されるしで散々な目にあった。
でも私からもなんとか頼み込んで、今回の件は女中頭のマーニャさんには秘密にしとくってコックさんもディルクも約束をしてくれたんだ。厳しいって評判のマーニャさんに新米メイドさんが叱られなくてすんだことだし、とりあえずよかった。
「焦げて切り落とした長さにそろえたら、だいぶショートになっちゃったんだ」
「ハナちゃんショートヘア似合うよ。可愛いからいいじゃない」
「でもこの頭で雪国での公務は寒そうだなぁ……なんか行きたくなくなってきちゃった」
「もともと行きたくなかったんでしょ?」
クスクス笑うリーザちゃんと、大きな天蓋付きベッドに二人でもぐりこむ。
扉の方から「お休みなさいませ」と女官のリリアさんの声が聞こえ、次の瞬間パチンと電気が落とされた。暗闇の中から、リーザちゃんの小さなささやき声が聞こえてくる。
「ディルク様が専属騎士になったのが運のつき、とあきらめなさいな」
「ディルクが専属になったからって、どうして公務が増えちゃうんだろう……」
「だってディルク様は、これまで他国との外交の場で活躍してきたのよ。やっぱりよその国のお姫様にも人気あるんじゃないの? さしずめプリンセス・キラーってところかしら?」
「うっわー、そう言うとまるで、ディルクがめちゃめちゃ女たらしっぽく聞こえる」
私の軽口に、リーザちゃんは月明りの中でむっとする。
「ちがうわよ、ディルク様は硬派な騎士様なんだからね」
「はいはい……」
なぜかリーザちゃんを含め、ディルクのことを『様』とつけて呼ぶ姫が多い。
人気者の騎士様だから、あこがれている姫君らの間でそう呼ぶことが定着してるようだ。
――『ディルク様』って外国でも人気あるんだ……たいしたもんだなぁ。
つまり今回の『公務』は、姫である私を招待するのは建前、実際招きたいのはディルクってことか。
外交の職務を離れたディルクを、理由無しにそうそう招待できないから、ディルクが仕える姫である私の出番だってこと。要は私を呼べば、もれなくディルクがついてくる。
――ようするに私はオマケか……この際はっきり言っちゃうと。
それにしても四週間もだなんて長すぎる!
はたして今年の『夏』を満喫できるのだろうか? せっかくエポック先生が二ヶ月の夏休みをくれたのに……まぁ、宿題は出されたケド。
ちょっぴりブルーになった私を、隣のリーザちゃんが楽しそうに「ねえねえ」と肩でつついた。
「アリュスの国の王宮は、まるでおとぎばなしのように綺麗だって聞いたことがあるわ」
「……おとぎばなし?」
「雪と氷でできた、幻想的なお城だそうよ。いいなぁハナちゃん」
「……」
――できることならリーザちゃんに代わってもらいたいよ。
夏の太陽を心待ちにしていた私は、目を閉じながらこっそり心の中で嘆いたのだった。