エピローグ
人・人・人の波。
青空の下、選りすぐりの騎士達がトーナメント形式で戦う、春の闘技大会が繰り広げられていた。
メイン会場である城内の中庭には、二週間ほど前から準備された五十メートル四方の闘技台が設えてあり、先ほどから剣の交わる硬質な音が響いている。
「むうう、なんにも見えない……」
やっと会場に着いたのに、すでに人の垣根が何重にも連なっているせいで、全然前が見えない……こういう時、背が低いってホント不便。それでも押しあいへしあい、やっと人の波をかいくぐってきたのに。
「わ、わ、わ、ちょ、ちょっと待っ……はわわわ」
つ、つぶされる! イタイ、ちょっと押さないでよう!
ううう、めげそう……いやいやあきらめちゃダメだ。だって、だって。
「きゃあっ、ディルク様ーーー!」
「ディルク様、がんばってーーー!」
そう、私の騎士様の試合だもん。仮にも主人の私が見逃すわけにはいかないでしょう?
「お、お願い~、ここ通して下さいーーー……」
私の懇願もむなしく、相変わらず人の波に押されまくって、もはやどこへ向かっているのか不明と言ったところ。先に会場へ向かったリーザちゃんたちが、場所取りしてくれてるはずだけど、どこいるかなんて分かんないよう。
その時、再び歓声と共に声援が上がった。ああん、私だって見たいのに~~~!
これもみんなエポック先生が私の宿題を無くしたりするからだ。のんびり屋なおばあちゃんのエポック先生は、私がお城に上がった時から勉強を見てくれてる先生でとてもいい人なんだけど、うっかりしててよく物を落としたり無くしたりするんだよね。
今日も「昨日提出してもらった宿題のノート、どこへいったのかしら?」なんて言い始めたから、ただでさえ散らかっている先生の書斎を、さらに散らかしつつの大捜索になり、気がついたらすっかり遅くなってしまったのだ。
「イタッ!」
イタタ……壁に思いっきり押し付けられた……壁? 見上げると城壁を守るために設えられたレンガ造りの塀があり、その上には大勢の観客がよじ登って観戦している。
(よおし、コレだ!)
私はさっそく足場を探して塀の上によじ登ると、隣の人に習って立ち上がろうと試みた。けれど、ここもひっきりなしに人が登ってくるため混み合っていて、しかも塀の幅も狭いからなかなか体のバランスが取れない。
塀の上でうずくまったまま首をひねると、肩越しに闘技台が見え、金色の髪をなびかせて戦うディルクの勇姿が目の端に飛び込んできた。
(このまま後ろ向いてるのはキツいなぁ……両隣にはすでに人が立ってるし。でも背を向けたままじゃ、試合全然見えないし)
どうやって動けばいいか考えあぐねていたら、横から波のように押し寄せてきた衝撃で、私の足はズルッと塀の上から滑り落ちる。
「ひゃあ!」
かろうじて両手で塀にしがみついたけど、宙ぶらりんの状態……く、くるし。
ジャンプして飛び降りようかと下をのぞいたら、人がぎっちり詰まってて陸地が見えない。このまま飛び降りたら、誰かの頭を踏んづけちゃう。
(うわーん、どうしよう!?)
と、その時。
ひと際大きな歓声が会場内に響いた……な、何があったの!? え、え、試合どうなったの!? なんか変なざわめきが聞こえるけど……ま、まさかケガ人が出たとか!?
「姫様!」
聞きなれた声と共に、いきなり腕をグイッと上に引き上げられた。片手でしっかりと私を抱きかかえたその人は……。
「ディルク!?」
「何をやっているんですか、あなたは!」
少し乱れた金色の前髪が一筋、高い鼻梁にかかっている。ちょっと途切れがちの息に、私はハッとしてディルクのシャツの胸元をつかんだ。
「試合はどうなったの!?」
「どうもこうもないでしょう。あなたがこんな所から落ちそうになったんですから」
「え、え、え……?」
ふと首をひねって周囲を見渡すと……会場中の視線が私たちに向いている。そして闘技台の上には、剣を片手に、呆然とこちらを眺めている騎士の姿が見えた。
よく見るとディルクの手には、いまだ鞘におさめていない剣が握られていた。試合を中断させてしまったんだ……私のせいで。
「ぶら下がっているお姿が見えた時は、心臓が止まるかと思いましたよ」
「ご、ごめん……」
「本当に悪いと思っているのですか」
私はあわててコクコクとうなずいた。
「試合の邪魔してゴメン! 来るの遅れちゃったけど、後ろの方で大人しく見てるつもりだったんだよ? ホントだよ?」
必死にあやまりながら見上げたらディルクの瞳が、スウッと細くなっていく……ヤバイ相当怒ってる。
「え。ひゃああ!」
グラリと身体が宙に浮いた……と思ったら、ドサリと芝の上に落ちていた。いや、正確に言うと、ディルクに抱えられたまま芝の上に落ちていたんだ。どうやら背中から落ちたらしいんだけど、体は全然痛くなかった。もしかして私、ディルクをクッションにしちゃった!?
「ディルク! 大丈夫!?」
「受け身をしたので大丈夫です。内側は人が多いですからね」
そう言って私を芝に降ろすと、スラリと立ち上がった。え、え? もしかしてわざと落ちたの!?
「あの、試合は……」
「もう終わりました」
「え、でも途中だったんじゃないの?」
「闘技台から十秒以上離れると、その時点で失格と見なされますので」
え、えええええ~~~!?
「ゴメン、ごめんなさいディルク! 私のせいで!」
「まったく、あなたは本当に世話が焼ける」
大きくため息をつかれて、私はガックリとうなだれてしまう。あああ、こんな事なら試合を見に来るんじゃなかったよ。
愛想つかれちゃうなあ、こんなんじゃ……私はもう一度きちんと謝罪しようと頭をあげたら、思いがけずディルクの顔が間近にあった。
「試合なんか、どうでもいいのです」
「え……」
「私はあなたをお守りできれば、それで十分ですから」
そう言って、ディルクはいつの間にか鞘におさめた剣の柄に手をかけると、もう片方の手を私に差し伸べた。
「部屋へ戻ったら、お説教ですからね」
「ふ、ふあい……」
しっかり手を取られ、ふらふらとおぼつかない足取りで連行される。ヤバイこのままじゃ、しこたま怒られてしまう……。
「私にとって一番大事なことに気づけないなんて……困った人ですね」
そういって騎士様は苦笑を洩らすと、私の手をぐっと握りしめたのだった。
(第一話・完)