4章
「じゃぁ行ってきます」
僕はいつも通り家を出た。父に言葉をかけたのは久しぶりだ。
また今日もだるい一日が始まる。僕が通うのは県立の普通高校である。それほど偏差値が高いわけではなく、ごくごく平凡な高校生が集まる、どこにでもある高校だ。
しかし、こんな歯牙ない高校でも当然、昼夜の2部制を採用している。
この2部制というのは、
1部 8:45~12:20
13:00~16:30
2部18:45~22:20
23:00~ 2:30
このように、45分の授業のユニットを、昼2つ、夜間2つ行うカリキュラムである。
十分大変そうに見えるかもしれないが、周りに比べたらまだ楽な方で、これが毎年東京大学現役合格者を輩出する名門校になると、家にいる時間が1時間ぐらいしか取れないので、皆自主的に学校に合宿するようになるらしい。
僕の父は中小印刷会社の営業を行っているが普段は家で全く顔を合わせない。
父も僕のように―――いや、社会一般の常識の通り、24時間働いている。そのため2人の家での休憩時間が重なることは稀であり、最近では久々に家で会うと会話が噛み合わなかったりする。
本来1番強い絆で結ばれているはずの家族―――あたたかい幸せな家庭というものはすでに小説やお伽話の中でしか見ないものになってしまった。
そもそも結婚というものが単純に人口を維持するために為すという考えが支配的になっている。自由な時間の中で自由恋愛をし運命の人と結婚する、そんなことは現代では誰も行っていない。影がなくなる前は、社会の変化(今にして思えば小さな変化だ、フンッと鼻で笑えるほど)により、晩婚化が進み、出生率が低下し、人口が減るということがあったらしい。しかし、現在では自由な恋愛を人々がしなくなった。文字通り1日中働いているので、「出来ない」というほうが正しいのかもしれない。しかし、やはり根本の問題は精神的なものだろう。
そう、人々は言い知れぬ不安のせいで他人を愛するということをしなくなり、それが逆にドライな考え方を生み出し、人々が人口維持のためと割り切って結婚することが増え、逆に社会と人口が安定する、という皮肉な結果を生んでいた。
それゆえ、離婚する夫婦の数も膨大な数にのぼっていた。僕のうちもそうだ。
僕の母は僕の1歳の誕生日に家を出ていった。はじめからそういう約束だったらしい。普通自分がお腹を痛めたわが子の親権をほしいと考えるのが普通だと思うが、母はそうではなかった。むしろ清清しい顔で出て行ったそうだ。ここまで割り切っている人は現代でも珍しい。僕は母のことがずっと気になってはいたが、父もあまり語ろうとはしなかったし、写真が一枚しかなく、探しようがなかったのでずっとなぁなぁになっている。写真の中で僕を抱いている母は、きりっとした眼をカメラに向けている。強い意志を感じさせる眼だなぁ、そう思いながら僕はたまに写真を眺めては記憶にない母の思い出を探った。
あぁ、そうこうしているうちに学校についてしまった。また長い1日が始まる。
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