第7話「皇帝直属の書斎と古代の叡智」
ルシアンに与えられた部屋は、マルコの執務室に隣接する日当たりの良い大きな書斎だった。
磨き上げられたオーク材の床が、窓から差し込む朝の光を滑らかに反射している。壁一面を覆う巨大な本棚には、羊皮紙の巻物から皮張りの分厚い装丁本まで、あらゆる時代の書物が隙間なく収められていた。
重厚なマホガニー材の机の上には、最高級の羊皮紙がうずたかく積まれ、滑りの良いガラスペンと色とりどりのインクが美しく並べられている。
ルシアンはそっと机の縁を指先でなぞった。
『私のような者に、これほど立派な環境を与えてくださるとは……』
胸の奥底で、まだ信じきれないような戸惑いが波打っている。
だが、その戸惑いを打ち消すように、机の上に広げられた山のような資料がルシアンの目を惹きつけた。それらは、帝国が長年解読できずにいた古代ガルディナ文明の遺跡から発掘された石版の拓本や、東方の異民族から送られてきた難解な親書の束だった。
ルシアンが一番上にある分厚い羊皮紙の束を手に取ると、そこに記された複雑な模様のような文字群が視界に飛び込んできた。
ルシアンの目を通すと、文字の一つ一つが持つ固有のリズム、線の払いや曲がりに隠された文法の規則性が、瞬時に頭の中で明瞭な意味を形作っていくのだ。
ルシアンはガラスペンを手に取り、新しい羊皮紙に向かって淀みなく現代ガルディナ語で翻訳を書き連ね始めた。ペンの先が紙を擦る、さらさらという軽快な音が静かな部屋に響き渡る。
作業に没頭していると、時間の感覚が完全に消え失せる。
ふと、背後の扉が静かに開く音がした。深い森を思わせる静謐なアルファの香りが部屋の空気に混ざり込んできた。
ルシアンは慌ててペンを置き、椅子から立ち上がって深く頭を下げた。
「陛下」
足音もなく近づいてきたマルコが、ルシアンの肩を軽く叩いて制止した。
「そのまま座っていて構わない。仕事の邪魔をしたか」
「いえ、ちょうど一つの文書の翻訳が終わったところです」
マルコは机の上に置かれた翻訳済みの羊皮紙を手に取り、その文字を目で追った。ルシアンの書く文字は、流麗で読みやすく、一切の乱れがない。
「……これは、南部砂漠地帯の遺跡から見つかった石版の記録か。帝国の学士院が三年かけても一行しか読めなかったものを、お前はたった半日で……」
マルコの声には、抑えきれない感嘆の色が混じっていた。
「はい。ここには、乾燥地帯でも安定して水を確保するための地下水路の構造が記されていました。この技術を応用すれば、南部の農地の収穫量は大幅に改善されるはずです」
マルコは翻訳文から目を離し、まじまじとルシアンの顔を見つめた。
「ルシアン。お前の能力は、私が想像していたよりも遥かに恐ろしいものらしい。これほど有益な知識が、言葉の壁によって眠らされていたとはな。お前のおかげで、帝国の民の生活は劇的に向上するだろう」
皇帝という絶対的な権力者からの惜しみない賛辞。ルシアンの胸の奥で、小さく縮こまっていた心が、ゆっくりと解き放たれていくのを感じた。




