第6話「皇帝の提案と新たな居場所」
窓から差し込む光が、少しずつ角度を変えて部屋の壁をオレンジ色に染め始めていた。マルコの言葉の余韻が、ルシアンの胸の中で静かに響き続けている。
これまで、誰からも自分の努力や能力を正面から評価されたことなどなかった。
「ルシアンと言ったな」
マルコが静かにルシアンの名を呼んだ。
「はい、陛下」
「お前のその類まれな言語能力、我が帝国で生かしてみる気はないか」
突然の提案に、ルシアンは瞬きを繰り返した。頭が真っ白になり、言葉の意味を理解するのに数秒の時間を要した。
「……え?」
「我がガルディナ帝国は多民族国家だ。国内だけでも数十の言語が飛び交い、隣国との国境線では常に複雑な利権が絡み合っている。外交文書の翻訳や、少数民族との交渉において、言葉の壁は常に我々を悩ませる大きな課題なのだ」
マルコは腕を組み、真剣な眼差しでルシアンを見つめている。
「お前が古代文字を一瞬で解読したあの夜、私は直感した。お前の能力は、帝国の繁栄に不可欠なものになると」
「しかし、私は……ただの追放されたオメガです。そのような重要な役目を、私のような者が担うわけには……」
ルシアンは慌てて首を振った。エルメリアで染み付いた劣等感が、彼を強く縛り付けている。
「オメガであろうとアルファであろうと、関係ない」
マルコの声が、少しだけ厳しさを帯びた。
「帝国が求めているのは、血筋でも性別でもない。実力だ。私が見込んだのは、お前のその頭脳と、嵐の夜に倒れかけながらも他者を救おうとしたその精神の強さだ」
その言葉を聞いた瞬間、ルシアンの胸の奥で、ずっと凍りついていた何かが音を立てて崩れ落ちた。自分の存在を、能力を、そして人間としての価値を、これほどまでに真っ直ぐに認めてくれる人がいる。
目頭が熱くなり、視界が急速にぼやけていく。ルシアンは慌ててうつむき、手首で目元をごしごしとこすった。泣いてはいけないと自分に言い聞かせても、一度あふれ出した涙は止まらなかった。
マルコは何も言わず、ただ静かにルシアンの涙が止まるのを待っていた。
やがて、ルシアンがしゃくり上げながらも呼吸を整えると、マルコは懐から純白の絹のハンカチを取り出し、ルシアンの手にそっと握らせた。
「急ぐ必要はない。まずはその体を完全に治すことが先決だ。だが、もしお前が私の手を取る覚悟を決めたなら、このガルディナ帝国は、お前の能力を最大限に評価し、守り抜くことを約束しよう」
マルコの言葉は、静かだが揺るぎない確信に満ちていた。ルシアンはゆっくりと顔を上げた。
「……私に、できるでしょうか」
「できる。私がお前の力を保証する」
マルコは力強く断言した。その揺るぎない態度に、ルシアンの心に小さな光が灯ったような気がした。
「……謹んで、お受けいたします。私の力が少しでも帝国の役に立つのであれば、全力で尽くさせていただきます」
ルシアンがはっきりと答えると、マルコの顔に初めてかすかな笑みが浮かんだ。
「よく言った。今日からお前は、皇帝直属の特別翻訳官だ。ルシアン、これからの働きに期待しているぞ」
マルコが立ち上がり、部屋を出ていく足音が遠ざかっていっても、ルシアンの胸の鼓動はしばらくの間、静まることはなかった。




