幸せで、良かった(相川絵麻)
伊勢美灯子。私が中学2年生の時に同級生だった女の子だ。
彼女は、私が今まで関わってきた同級生とは、少し違った。いつも落ち着いていて、だから真面目なのかと思いきや、別にそういうわけでもない。自分が興味がないことは、そもそも話すら聞かない。いつもボーっとしていて、とても詰まらなそうで、自分と外界の間に、一枚薄い膜を張っているような子。まあ、少し変わった子だった。周囲からもそう言われていた。
私は学級委員長として、彼女に関わった。定期的に話しかけ、彼女のことを知ろうとした。一応その行動は功を奏したらしく、私はそれなりに彼女と仲良くなった。そして私は彼女が、少し不器用な子なのだと知った。
人と関わろうとしない。だから──いざ人と関わろうとしたらどうするべきか、分からないようだった。
一星ののか。クラスの不登校の少女と関わり、伊勢美さんは、彼女と仲良くなりたいと思ったようだった。私はそんな伊勢美さんの背中を押し、どうやら上手くいったらしい。たまに伊勢美さんから報告が聞けたから、良かったと思っていた。
そう……思っていた、のだ。
噂で聞いた。高校生になってすぐ、伊勢美さんは突如得た異能力で……人を殺したらしい。
しかもその相手は、あの一星さん。
まさか、そんなわけ。と思った。だって、あの伊勢美さんが。彼女は確かに変わった子だ。しかし、人のことを殺すような人ではない。
だけどその噂を裏付けるように……一星さんのお葬式に、伊勢美さんは姿を現さなかった。一星さんと一番仲が良かったのは、伊勢美さんだ。そんな彼女が来ないのは、どう考えてもおかしい。
伊勢美さんは、果たして本当に、一星さんを殺したのか──私には分からないまま、形式的なお葬式は、終わった。
もちろん、その後に新しいことが分かるはずもなく、私は高校生活を過ごした。友人も出来て、委員会も部活も楽しんで、普通の高校生活を送った。
……胸には微かなわだかまりがあったけれど、でも、多忙を前にそんなことは些細なことだった。……ううん、違う。きっと、見ないようにしていたんだ。
──もしその噂が本当なら、伊勢美さんが一星さんを殺した原因の一つに……私の存在がある。
私が、伊勢美さんの背中を押したから。彼女たちが関わらなければ、こんなことは起こっていなかったかもしれない。
そんな「かもしれない」という可能性に……私は苦しんだ。
だけどそんな日々は、不意に終わった。──ニュースを見たのだ。
『世界で唯一の異能力者のみが集まる高校、明け星学園にて、生徒会長である小鳥遊言葉が、生徒たちを人質に、立てこもりを行いました』
飛び込んできたニュース。それは世界を震撼させ、1週間、生きた心地がしない日々を過ごした。
彼女が相手にしたがっていたのは、異能力者だ。私たち無能力者には関係ない。……分かってる。でも、いつその牙が私たちに向いてくるか……分からなかったから。
それに……伊勢美さんは、大丈夫だろうか。そう考えた。
そして一週間後、その結末が報道された。
『──速報です。明け星学園で立てこもっていた小鳥遊言葉容疑者ですが、同じ明け星学園の生徒からの説得により、容疑者は投降したとのことです。繰り返します。明け星学園で──』
そんなアナウンサーの声と共に映るのは、現場の様子。
釈放された生徒たちの笑顔や、怪我人が運ばれていく様子が流れる。……だけど私はそれより、ある一点をジッと見つめていた。
居たのだ。──その映像の中に、伊勢美さんが。
どうやらその、小鳥遊言葉という人を説得したのが、伊勢美さんであるらしかった。公表されていないが、ネットに飛び交っていたコメントで知った。
伊勢美さんは異能力でその人と戦い、対話をし、そして、やめさせるに至った。
……流石にその後までは、分からなかったけど。
でも、あの時見た映像──伊勢美さんは、笑っていた。どこか苦しそうで、悲しそうで、でも──幸せそうに。笑っていた。笑っていたんだ。
私に、その表情の意味は分からない。でも……良かったってことで、いいのかな。
分からないまま私は、とある場所に足を向けてしまった。
──明け星学園。エリートの中のエリートしか通うことのできない、異能力者のための高校。
流石にあんなことがあったからだろう。学校は封鎖されており、中には人気が無くて、誰もいないようだった。当たり前、だよね。
私は肩を落とす。もちろん、ここに来たら絶対伊勢美さんに会える、なんて期待していたわけじゃないし、会ったとしても……何を言えばいいかなんて分からない。落胆が5割、安堵が5割、胸を占めていた。
ここに目的の人がいないなら、私がここにいる意味はない。そう思って踵を返そうとすると……。
──視界に映る、2人の人影。
私は目を見開いた。そして無意識に、その口が動いていた。
「──伊勢美さん?」
私のその声に、向こうが顔を上げる。そして……ばちっ、と、目が合った。それと同時、私は、あ、と無意識に声を上げていた。
伊勢美さんだった。伊勢美さんがいた。買い物から帰ったところなのか、その手にはビニール袋を持っていて、もう一方の手は、隣にいる人──確かあの人は、小鳥遊言葉──と、手を繋いでいた。そして私を見つめ、きょとんとしている。
……どうしよう、思わず呼んでしまったが、どうすれば。そう思って私が動けないでいると、伊勢美さんは隣にいる女性に何かを告げ、一緒にこちらに来た。
「……相川さん、お久しぶりです」
そして彼女は私の目の前に立つと……固く結ばれた紐が解かれたように、ふわりと、笑った。
──その様子を見て私は、どうしようもなく、分かってしまった。
ああ、そっか。伊勢美さんは今……幸せなんだ。
……良かった。
私も笑い返す。すると視界が、じわりと滲んで。……気づけば私の瞳からは、涙がポロポロと零れ落ちていた。それを見て伊勢美さんは驚いたように目を見開き、伊勢美さんの横にいる女性が、泣かせた、と小さく一言。ええっ、と伊勢美さんは慌てたように声を上げ、オロオロしている。
突然泣いてしまって申し訳ない。彼女を安心させるためには、と考えて。
私は手の甲で涙を拭うと、笑った。笑って見せた。
すると伊勢美さんは動きを止め、そして……小さく笑い返してくれる。
そうやって、少しの間笑い合ってから。
「相川さん、僕たち、これから学校で食事を摂ろうと思っていたんですけど……良ければ一緒にどうですか?」
「え、いいの? ……でも、邪魔になるんじゃ……」
「僕は大丈夫。……言葉は?」
「……私は別に、なんでもいい」
「……言葉もこう言っていますから、大丈夫ですよ」
「そっか。じゃあ……ご一緒しちゃおうかな。……話したいことも、沢山あるし」
「はい。……僕も、沢山あります」
そうしてまた、笑い合って。
私たちは一緒に、明け星学園の中へと入っていった。