祈る、幸せ(青柳泉&小鳥遊言葉)
何もしてやれなかったと、ずっと、そう思っている。
あの子のことを大切に思っているはずだった。異性として、ではなく、1人の肉親のように。後輩というより、妹のように。どうしても目を引かれる、心を惹かれる、放っておけないと感じる、少しでも目を離したらふらっとどこかへ行ってしまいそうな……そんな子だった。
だけど、俺じゃ駄目だとも思っていた。俺では、あの子の心を守り切ることが出来ない。あの子が何かに崩されそうになった時、心の底から安心出来るような安息地になることは出来ない。きっとこれは俺の努力どうこうの話ではなく、彼女の心の持ちようが理由だった。
一応、あの子は俺のことを慕ってくれている。それだけが救いだった。近くにいてくれれば、出来る範囲で守ることができるから。……俺なんかに守られる必要は、ないかもしれないけれど。
でも、俺に出来ることならなんだってしてやりたかった。だから教えられることは全部教えたし、過度な悪意から遠ざけるよう気を配った。卒業をする時にはパーカーをあげた。いつかこれがいらなくなるくらいの運命のような出会いが君にあることを、祈って。
祈って、いたんだ。あの子の幸せを、誰よりも。
祈っていた、はずだった。
あの子のことを俺は、誰よりも大切にしたいはずだった。
「お疲れ様です」
「うぉ……お疲れ……」
俺は思わず口角を引きつらせながら、言葉を返す。なんか失礼な態度になっていたと思うが、伊勢美は気分を害した様子もなくはは~、と苦笑いを浮かべた。
目の前に立つ伊勢美は明らかにボロボロになっていた。あまり眠っていないのか目の下にクマがあるし、髪質も少し悪くなっている気がする。何よりいつもクールな彼女がこうしてニコニコしてるのが怖い。たぶん三徹以上はしてるぞ、これ。俺も何度も経験してるから分かる。
「や、すみません。わざわざ来てもらったのにこんな調子で。これ例の定例報告書です。今週も特に目立ったことはありませんでした」
「いや目立つだろお前のその調子が。……何かあったのか?」
「何か~、何かはありましたね、はい。言葉には全然関係ないから書いてないんですけど、書いた方が良いですか?」
「……口頭で説明できる?」
なんか本当、大丈夫かなこの子。すっごい深夜テンションだけど。伊勢美のことは信用してるけど、心配だから後で報告書にはちゃんと目を通しておこう……とんでもない誤字とかしてるかもだし……。
「サイバー攻撃受けたのかシステムの挙動が色々おかしくなったのと……人的被害ですね、深夜にすごい無言電話が掛かってくるのと、敷地内及び学校備品の破壊・落書き・その他諸々、頼んでもない配達や広告チラシがいくつも届いたり……その対応とか後始末に日夜追われて……」
「……あの、伊勢美、俺のこと呼んでもいいんだよ? 俺一応警察だし……」
「ちょっとそういう余裕もなくて……」
なんか言われたことの9割、ただの犯罪行為だった気がする。後で部下を調査に回させておこう……と決心した。
「言葉が」
「小鳥遊が?」
「不穏な気配を悟って、情緒不安定になっちゃって、それも重なり」
「あー……」
余裕がない、というのはどちらかといえばそちらの方だったんだろうな、と悟った。今、小鳥遊が精神的に不安定状態になった時、どういう言動を取るのか……俺は知らない、というか伊勢美が悟らせないようにしてるな、というのは常々感じているが……想像なら出来る。結構大変なんだろうな。
「……次はどうにか隙見て呼んでね。なんかほんと、一文字送るだけでも良いから」
「えー、分かります?」
「いつも懇切丁寧な文送ってくれるお前が一文字だけしか送ってこなかったら、流石に分かるって」
そうですかねぇ、と伊勢美は気の抜けた声で答える。もう頭回ってないな、こいつ。
──するとそこで、突如どこからか爆発音が響き渡った。本当に唐突で、俺も伊勢美も思わず肩を震わす。
そこまで大きな爆発ではない。まあ異能力者同士の衝突とか、そういう規模だろうけど……次いで悲鳴も少し聞こえる。ただの爆発音じゃなさそうだ。
「──すみません、少し様子を見て来ます」
彼女もそこまで考えたのだろう。先程までの気の抜けた様子とは一変、伊勢美が真剣な声でそう断ってくる。そして俺が返事をする前に、伊勢美は地面を蹴って現場まで向かい始めてしまった。
……すっかり生徒会長が板についてきたな、あいつも。
初め生徒会長の仕事を手伝わせた時は、あんなに嫌そうにやっていたのになぁ、なんて思い出す。理事長がいなくなったしわ寄せが来た、その時。
あの時から俺は、次生徒会長になるとしたらこの子なんだろうな、となんとなく確信があった。
あの小鳥遊が、こんなに信頼を寄せている少女。無気力で、見た目の割に全然真面目ではない──まあそれは俺が言えることじゃないし、真面目であることが生徒会長の素質なわけじゃないし──けど、誰かのために立ち上がれる勇気を、優しさを持っている少女。小鳥遊が次に生徒会長を任せるとしたらこの子なんだろうな、となんとなく思っていた。
結果的にその予想は当たっていた。想定とは違った形ではあったけれど。
それでも間違いなく生徒全員に選ばれ、彼女は生徒会長になった。なんだかんだ言っていたけれど、ちゃんとやっているらしい。
あいつは……伊勢美は──。
そこまで考えていたところで、スマホが震える。伊勢美からメッセージが届いていて、「思ったより時間が掛かりそうなのと、用事は終えたわけですし、帰っても大丈夫ですよ」と書いてあった。
俺は少し迷ってから、「せっかく来たんだし、学校の中見て回るよ」と送り返す。特に返事には期待せず、スマホをポケットにしまって歩き出した。
「あ、青柳先輩だ!」
「こんにちは~!」
「あはは、こんにちは。皆元気そうで何より」
あれは1年生……じゃないな、今はもう3年生か。一応まだ俺のこと知ってる生徒が残ってるんだな。生徒会長時代の俺を知ってるのは、この学年が最後か。2年生は理事長である俺のことを知っていて……1年生は全く知らないと。
そういえば鷲牙さん、推薦して明け星学園の理事長になったはいいけど、ちゃんとやってんのかな~。後で顔出してみるか。
そんなことを考えながら俺は、何気なくとある空き教室の扉を開ける。そして──動きを止めた。
そこには、小鳥遊の姿があったから。
「っ、え……」
俺は思わず辺りを見回す。空き教室のはずだったそこは、まるで誰かの部屋のように私物に溢れていて。その奥で、小鳥遊は布に包まってすやすやと眠っていた。反射的に大きな声を出さなくて良かった。
そして悟る。誰かの部屋〝のよう〟ではなく……小鳥遊の部屋なんだ。ここは。
ここが小鳥遊の自室になったその理由も……よく分かる。だってこの教室は、小鳥遊がよく来ていた教室だったから。俺も現役の生徒会長だった時はよくここで2人で休んだりしてたな。生徒会室にいたら仕事振られること、よくあったし……。
まあそんなことより。寝てる女の子の部屋に侵入する男なんて外聞が悪すぎる。やましい気持ちなど本当に欠片もないけれど、誰かに見られる前に……何より、小鳥遊が起きる前に早く出よう。
そう思いながら踵を返そうとして……俺は、あることに気が付いた。
「泉さん」
耳元で名前を呼ばれる。思わず肩を震わせ、そして……そろ、と両手を上げる。何故なら背後から日本刀が突き付けられているのがよく分かったからだった。
「そのまま、歩いて出て行ってください」
「……はい」
大人しく返事をして、俺は教室から出ていく。するとすぐに日本刀は下ろされ、その持ち主──伊勢美は静かに扉を閉めた。
「……で、何してたんですか」
「いや、ほんとにすみません。あの、何もしてないので……」
「してたら問答無用で斬ってたので大丈夫です」
「わ~何も大丈夫じゃない~」
俺は拍手をしながら目を逸らす。伊勢美のジト目が痛い。
「えっと……用事、早く終わったんだね?」
「言葉の部屋に誰かが出入りしたら分かる設定にしてるので、急いで切り上げました」
「それは結構なことで……」
「僕の質問に答えてください」
「いや、ほんと小鳥遊がいるとか知らなくて。……現役時代、よく小鳥遊と2人でこの教室で休憩してたから……懐かしくなって覗いたらいた、って感じで……」
「……」
伊勢美は扉を無言で見つめる。無言怖いよ~~~~。
「……そっか、だからこの部屋を選んだのか……」
「……えっと?」
「いえ、こちらの話です。まあ初めから泉さんが何かをするとは思っていませんが、念のため聞きました。大人しく言うことを聞いてくれたこと、感謝します」
「いや~、ほんと怖かったです……」
そんな軽口を叩きながら、俺はあることを思い出す。浮かんだそのまま、伊勢美に尋ねた。
「なあ、伊勢美」
「なんですか?」
「小鳥遊がさ。……俺があげたパーカー、布団代わりにしてたんだけど」
あの時。小鳥遊はパーカーは捨てたと謝って来た。別にそれは全然良かったし、今も気にしてないんだけど。
でも捨てたと言われたのにああして布団代わりにされていれば、流石に気になる。
俺の問いかけに、ああ、と伊勢美は呟いて。
「探してたんです。あの日からずっと」
「え?」
「別にゴミ捨て場に捨てた記憶はないと言っていたので、どこかで脱ぎ捨ててそのままにしてたかもしれない、って思ったんです。そうしたら、見つかる可能性がないわけじゃないんじゃないかなって。……あの日から毎日、僕と言葉で探しに行きました。僕の仕事の合間を縫って、あの時言葉が行っていたところ、思い出せる限りで全部回って」
「……なんで」
なんで、そこまでして。
「なんでって、言葉の大切な人がくれた、言葉が大事にしてたものだから」
俺の疑問に、伊勢美はあっさりと答えた。
「夏でも着てたんですよ、あの人。大事だっただからでしょうね」
──ずっと、俺だけが大切に思っていると、思っていた。
小鳥遊にとって俺は通過点の1つで、そこに特別な思い入れなどはない。だから、なんて言うべきかな。伊勢美が羨ましかった。俺が1年掛けても解ききれなかった心の壁を、彼女はあっさりと壊してしまっていたから。
俺は何にもなれない。彼女に何もしてやれない。そう、思っていた。
──でも、そうじゃなかったとしたら?
「……そっか……」
「……泉さ、え、何泣いてるんですか?」
「いや、ごめん……ごめん、俺、俺ずっと……」
大切に思っていたんだ。祈っていたんだ。
彼女が幸せであるように、って。
何も出来ないから、思うしかなかった。そう、思っていた。
「……伊勢美、小鳥遊と出会ってくれてありがとう。お前が居て、本当に良かった」
「え、怖」
「人が真剣にお礼述べてるのにお前は……」
冷たい返事に、俺はジト目を向けてしまう。だけどその温度差が少しだけ面白くて、俺は思わず吹き出してしまった。するとそれを見て伊勢美も、小さく微笑んでくれる。
……何も出来ていないと思っていた。でも、そうじゃなかったんだ。もちろん、伊勢美にはやっぱり敵わないだろうけど。
改めて祈ろう。これから生きていく彼女が、幸せであれるように。




