欲望を語ろうと思う ――深夜の屋台で語られる、人類滅亡の話――
路地裏の風は、まるで腐った雑巾を顔に押し付けられたように、じめじめと重かった。
潰れかけの屋台に入ると、油で黒ずんだ値札がべたついて光っている。
蛍光灯の下では、何匹かの蠅が永遠に輪を描いて飛んでいて、まるで死んだ誰かを見張っているようだった。
魯肉飯と茹で野菜を頼んだ。
店主が料理を置いたとき、その荒れた手を見ながら、ふと話しかけた。
「ねえ、店長。人ってさ、なんで何かを欲しがるんだろう。
逆に、なんで何かを嫌うんだろう。」
店主は一瞬きょとんとして、眉をしかめた。
「……そりゃあ、欲望だろ。ほかにあるか?」
「そう、欲望だ。」
頷きながら、スプーンを茶碗のふちで小さく鳴らす。
「でもさ、考えたことない?
欲望って、心に空いた穴を外のもので埋めようとしてるだけなんだよ。
負けたくないから勝とうとするし、
貧しくなりたくないから金を追うし、
孤独が怖いから人を縛りつける。
でも、どれだけ血を流しても、
その穴は結局、外からは埋まらないんだ。」
一口食べる。
冷たく硬いご飯は、口の中で鉄の味がした。
「それに、嫌悪も同じだよ。
人が一番許せないものって、結局、自分が一番認めたくない影なんだ。
弱さを見下すのは、自分が弱いのを怖れてるからだし、
虚栄を憎むのは、自分には褒められる価値がないと思ってるからだ。
嫌いって感情は、都合のいい盾なんだ。」
店主は顔をしかめて反論した。
「でもよ、欲がなきゃ人間なんて生きていけねえだろ。
飯も食わねえで夢も追わねえなんて、人間じゃねえよ。」
ゆっくり店主を見返す。
「たしかに、生きるためには欲がいる。
だけどな、
その“もっともっと”って無限に喰らう欲望に飲まれるなら、
それは毒だ。
それこそが、人を食い物にするんだ。」
店主は納得しない顔で、雑巾をぎゅっと握りつぶした。
「でもよ、みんなが何もしなくなったら、この社会が崩れるだろ?
そっちのほうがよっぽど地獄だ。」
小さく笑った。
「店長、
今のこの街が、地獄じゃないって言えるか?
殺人も放火も自殺も、
偽りの愛も、
全部あふれてる。
それだって欲望の果てだ。」
店主は黙り込む。
「でも……ああいう狂ったやつは、欲すら無くしたんじゃねえのか?」
「違う。
欲が大きすぎて、
どうしても埋められなくて、
結局耐えきれずに爆発したんだ。」
息を深く吸って、言葉をつないだ。
「思い出してみろよ。
子どもは物心つく前からテストの点で価値を決められる。
点が低けりゃ負け犬扱いだ。
だから人を蹴落とす。
蹴落とせなきゃ、
自分の中で腐らせて飲み込むしかない。
そうして泥のようになったプライドは腹の底で発酵する。
大学に行っても、
資格だ就職だって一生終わらない。
社会に出れば、
奴隷みたいに会社に縛られて、
心も時間も奪われる。
安い給料にしがみついて、
明日を祈る。
上司は人の血で酒を飲むように奪うし、
同僚は犬みたいに骨を奪い合う。
会社の便所の便器の方が、人間よりきれいだ。
家に帰れば、
子どもに金をせびられ、
妻に金をせびられ、
親に金をせびられ、
銀行にまで骨まで抜かれる。
なのに“平気”と笑うしかない。
その抑え込んだ毒が黒い水になって、
心から脳へ、
脳から股間へと流れ落ちる。
あるやつは金で、
あるやつはセックスで、
あるやつは暴力で発散する。
あるやつは盗撮する。
あるやつは痴漢になる。
あるやつは強姦魔になる。
血の臭いに興奮して、
“生きてる”って確かめるやつもいる。
権力を手にして、人を這わせて喜ぶやつもいる。
家族に暴力をふるい、
自分の痛みをそのまま押し付けるやつもいる。
学校では、
弱い子をいじめれば人気者になれる。
SNSでは、
きらきらした写真ほど空虚だ。
愛だって値札がついてるし、
夢さえ値段で決められる。
刑務所では、
メシの順番で人をリンチする。
病院では、
管に繋がれて死ぬのすら怖がる。
街では、
深夜に人を引きずり込んで
声すら奪って、
朝には血の跡しか残らない。
誰も助けない。
この街はもう腐った死体だ。
ビルは骨で、
道路は血管で、
ネットはむき出しの神経で、
どこも飢えて、
どこも癒えない。
寄生虫みたいな欲望が
人を喰い、
人を咬み、
人を腐らせる。
俺だって……
ぶっちゃけると、
いつか誰かを殺したいと思ったことがある。
俺を見下すやつ、
俺を笑うやつの顔を
血まみれにしてやりたいって。
神様みたいに笑ってやりたいってさ。
――ただ、
まだその順番が来てないだけだ。」
店主は顔を青くして震えていた。
「だからさ、
もしこの街の全員が自分の空虚を認めて、
許して、
もう誰も他人で穴を埋めなくなったら、
もう夢も恐怖も持たなくなったら、
そのときだよ。
工場は止まって、
金は紙くずになって、
法律も信じられなくなって、
街の灯りも一つずつ消えて、
道には雑草が伸びて、
公園は森に戻って、
人は生きてはいるけど、
もう何も望まないし、
何も争わないし、
恐怖も夢もない。
そのとき、
人類が何千万年かけて築いた社会は、そこで終わる。
二度と戻れない。
神様だって、そのときは目を背けるしかない。
もう救う理由すらないから。」
箸を置いて、長く息を吐き、
席を立った。
背中に声が飛ぶ。
「おい!金、払ってけよ!」
はっとして振り向き、
気まずく笑った。
「はは……考えすぎてさ……へへへ。」