7葵翔の想い人検証
翌日登校して、華はいつもの如くクラスメイト全員に朝の挨拶をした後、隣の席に座る想い人・葵翔に笑いかけながら挨拶をした。すると、ちょうど中間くらいまで『こころ』を読めていた葵翔は顔をあげ、にっこりと笑い返してくれた。華はそれだけで気分が絶好調になる。漫画ならば音符やお花マークが浮かんでいただろう。華は葵翔の想い人が燈華なのではないかと思い始めてから、失恋後の苦しさなんて吹き飛んでいた。
(今日、葵翔くんの想い人が燈華かどうか、確かめてやるんだから!)
今日の実験のために、昨日、サラサラ黒髪ロング美少女と目つきの鋭い美少女に姿を変えられるようイメージを固めた。昨日は黒髪美少女のみ実験してみることを考えていたが、もしかすると蒼太の好みに刺さったのは顔かもしれない。そう思って二通りの美少女を実験することにした。この二人は燈華との特徴に似た部分を要している。燈華のように黒髪&目つき鋭い系美少女のイメージを思いつけば良かったが、雑な華は何度試しても最終的に燈華になってしまったのだ。とりあえずこの二人で実験してみることにした。長期間キープしたり、今後彼女らに変身できる自信はないが、今日だけの数分なら余裕だろう。
華が考えてきた二通りの方法を提示しよう。
一つ目は、少女漫画の王道展開である〝廊下の曲がり角でぶつかる作戦〟である。これは黒髪美少女の出番である。葵翔がお手洗いへ席を立った後、教室へ戻るために角を曲がる。そこで待ち伏せをして、廊下の窓に彼の姿が映ったタイミングで飛び出すのだ。できれば手を握って反応を確かめたいので、少年漫画のヒロインのように手を握って、「申し訳ございません! お怪我はありませんか?」と気づかれないレベルであざとく、かつ清楚系女子を装って尋ねるのだ。
二つ目。葵翔は今日の日直のため、昼休みに化学のノートを職員室へ取りに行かなければならない。日直は二人いるもので、華たちの学校もその例に漏れないのだが、もう一人は今日欠席なのだ。そして悲しいかな、葵翔には代わりを頼む友人はいない。華を頼ってくれたら嬉しい限りだったのだが、やはりそんな奇跡みたいなことは起こらなかった。華は〝煙硝〟の家系に生まれた人間なので正義感が強く、それは日常生活においても変わらないため、いつもならば、日直が一人欠席していて手が足りない場合などは積極的に手伝いに行く。しかし、今日はそこで目つき鋭い系美少女の出番なのである。〝ノート半分持ってあげる作戦〟だ。そこでさりげなく手に触れるのだ。知らない女子から急にノートを半分持つなんて言われても躊躇うだろうが、体育会系らしく、「私も社会科教室(華と葵翔の教室の隣)に用事あるからさ!」と爽やかに言い放つ。
やけに雑な作戦だ。だが、大雑把で思い立ったら即行動!精神の華はこれらの作戦に大変満足していた。上手くいくかどうかは神のみぞ知る、である。
二限目と三限目の十分休み。作戦一つ目の決行がやってきた。華たちの学校は基本休み時間は五分なので、昼休みの次の長い休み時間だ。
葵翔がお手洗いに席を立ったので、華はそれを見送ってから、教室を飛び出した。
ちなみに葵翔は、休み時間は基本的に席で読書をしているので、席から立つのはお手洗いくらいしかない。
華は教室を出て、人のいない柱の影に隠れる。そしてマグマ色で全身が覆われると、次の瞬間には艶やかな黒髪をたなびかせる、柔和な顔つきの美少女がそこに立っていた。華はその姿のまま廊下を歩き出す。すると、周りの目が一気に華に集中するのがわかった。
(そりゃ、こんな美少女いたら見るよね。うん、もし黒髪美少女が好きなら、葵翔くんへの効果も期待できそう!)
華はるんるんと軽い足取りで、目的の曲がり角へやってきた。華は作戦の全貌を思い浮かべて復習していると、窓にターゲットの姿が映った。華は葵翔が曲がり角のすぐそばまで来るのを今か今かと待って、一歩踏み出した。途端、
「きゃあ!」「うわ!」
と、二人の短い悲鳴が上がる。そして見事にヒットし、二人してその場に尻餅をついた。少し強く当たりすぎて反動が大きかったが、一応計画通りである。華は慌てて体勢を整えると、尻餅をついたままの葵翔の両手を握る。
「す、すみません! お怪我はありませんでしたかっ?」
自分でもなかなか上手く演技できている自信がある。いつも燈華を演じている成果がここで発揮された。ここで棒読みにでもなったら一大事だった。
「あ、はい…僕は大丈夫です。あなたこそ大丈夫ですか? 本当にごめんなさい。僕が不注意なばかりで…。」
すると、葵翔は顔を挙げ、必死にペコペコと頭を下げた。相変わらず何事も自分に責任を感じてしまうらしい。今回ばかりは完全に華のせいなので、罪悪感で胸がちくりとした。
「いえ、私こそ…!」
華も罪悪感から、何度も頭を下げる。はたから見れば、二人でしゃがみ込み、頭を下げ合っているという、極めておかしな状況が出来上がっているだろう。華はキリがないので、その場にスッと立ち上がり、そして葵翔の両手を握ったまま彼を立ち上がらせた。
「あ、ありがとうございます…。」
葵翔は自分から華の両手を外すと、慇懃丁寧にも、手を揃えて深くお辞儀をした。そしてぺこりと頭を下げると、華の横を抜けて教室へ帰って行った。
(うむ、黒髪美少女には反応なし。)
華は右手を顎に乗せ、今回の実験の結果について一人で頷いた。むしろ、手を握った華の方に反応が見られている。葵翔の手前我慢していたが、今にも顔からポッと音を立てて湯気が出そうである。
華はその後、先ほどの柱の影まで行くと、元の姿へ戻った。顔が熱っている自覚があるので、華は女子トイレへ行き、水を顔全体にパシャッとかけた。
(この実験、なかなか大変だ…。)
華は心の中でそう呟いて、今日の昼休み後を案じた。
三限、四限と授業が終わり、華は仲の良い友人たちとお弁当を食べ始める。葵翔がノートを回収しに行くのはお弁当を食べ終わってからだと思われるので、華もそれまでにお弁当を食べ終わり、先に職員室へ行かなければならない。
「は、華、どしたの? なんでそんなに急いでるの? 今日、これから用事でも?」
そう思って、お弁当を爆速で食べていると、隣のゆいっぺこと唯からドン引きされた。
「うん、用事! だから急いで食べていかなくちゃ!」
「そ、そっか。大変だね…。」
華がガッツポーズをすると、唯は華の勢いに押されて少々引き気味に頷いた。
その後、華は友人たちの輪からひと足先にお暇させてもらい、葵翔がまだお弁当を食べているのを見届けると、すぐに職員室へ飛んでいった。そして途中で女子トイレへ寄って、個室で目つき鋭い系美人に姿を変える。華たちの職員室は開放的で、生徒の行き来が自由に行われる。これは生徒が先生への質問がしやすいように考えられたものらしい。ソファも置いてあり、よくそこでくつろぐ生徒の姿も見られる。
化学のノートは、生徒が先生に質問をしやすいように設置されたテーブルの上に置いてあった。華は葵翔がやって来るのを、ソファに座りながら待つ。黒髪美少女の時と同様、周囲からの視線が熱い。これまた葵翔への反応が期待できそうだ。
先ほどと同じように作戦の内容を思い浮かべていると、葵翔が職員室へやってきた。葵翔がノートを持とうとして、やはり本来なら二人分なので苦戦している様子が見られる。彼も魔法少年なので、人の倍、力は強い。しかし重さの問題ではなく、単純にノートが嵩張っていて抱えるのに苦戦していた。華はすぐさま葵翔のそばへ飛んでいった。
「きみ! 一人で大変そうだね。そのノート、私が半分持とうか?」
はたから見れば、美少年を逆ナンする情けない先輩である。
「え…いや、大丈夫です…。これは僕の仕事なので…。」
予想通りの返事が返ってきた。常識人なら当たり前である。
「私、社会科教室に用があってね。近くだから手伝わせてよ。」
「お気持ちはありがたいですが…。」
葵翔が断る前に、華はノートの半分をひょいと持ち上げた。その際に、ノートを持っていた葵翔の手に触れる。しかし反応はない。いや、こんな変な状況で顔が赤くなる人はいないか。華は作戦の雑さを呪った。
「ほら、行こう。」
作戦が失敗しそうだからとはいえ、ここで帰るわけにはいかない。華はノートの半分を持ってそのまま歩き出してしまい、葵翔は申し訳なさそうにしながらも、残った半分を持って華の隣へ並んだ。
(どうしよう…このままじゃ作戦二つ目が失敗に終わっちゃうよ…。)
華は迷った末、思い切った行動に出た。
「それにしてもきみ、綺麗な顔立ちをしているね。」
華はそう言って、隣を歩く葵翔の顔を覗き込んだ。そう、至近距離で見つめて照れさせる作戦である。はたから見れば、完全に逆ナンした変態だ。
「あ、ありがとうございます…。」
葵翔は突然褒められて困惑しながらもお礼を言った。しかしこんなにも至近距離で見つめられているのに、葵翔は顔を綻ばせるだけで、一切顔を赤らめない。
(こっちも反応なしか…。)
華は密かに嘆息をつくと、そのまま葵翔の教室まで付き添ってノートを教卓の上に置いて、葵翔に何度もお礼を言われるのを避けるため、すぐさま教室を出て行った。
そして三度目の柱の影で変身を済ませると、
(黒髪美少女も目つき鋭い美少女も反応なしか…。)
と、壁に伝ってその場にずるずると体勢を崩していった。
(うーん、もしかして黒髪&目つき鋭いが合体した美少女じゃないとダメなのかな?)
華はそう思い、燈華に姿を変えながら立ち上がって、窓の前までやってくる。そして窓を鏡にして、少しずつ顔を変えてみようと試みる。しかし昨日と同様にうまくいかない。燈華がこの方向の美少女の最も上にいるため、どうやっても燈華に並ぶ美少女ができあがらないのだ。華ははぁ、と嘆息をつくと、
「えっ…燈華?」
と、驚きを隠せていない、聞き馴染みのありすぎる声が隣から聞こえた。
華はやばっ、と目を見開くと、すぐに柔らかい顔つきの黒髪美少女を再登場させた。
「ま、またお会いしましたね。」
そして冷や汗をかきながら葵翔の方を振り向く。葵翔が見たのは窓に映った燈華の姿だ。それなら、横から見ればほとんど相違のない、二、三時限の間の休み時間に出会った黒髪美少女ならば、誤魔化しがきくのではないか。華はどうか誤魔化せるように、と心の中で両手を合わせて祈った。
「あ…さっきぶつかった人…。す、すみません! 一瞬、あなたが〝煙硝〟の燈華に見えてしまって…。」
すると、葵翔は自分の失態に顔を真っ赤にして謝った。本来ならば謝らなければならないのは華の方だ。
「はは…何やってんだろ、こんなところに〝煙硝〟の燈華がいるはずないのに…。」
笑って誤魔化そうとする葵翔に、
「私が〝煙硝〟の燈華と間違えられるなんて光栄ですわ。それにしても、先ほど『燈華』って、まるで日頃からよく口にするかのように仰っていましたね。」
と、華は少々鎌をかけた。華はとっさに良い作戦を思いついたのだ。
「あ…それは、実は僕、〝煙硝〟の燈華のファ、ファンで…。」
葵翔は先ほど自分の失態によって顔を赤らめていたが、それが引いてきたのに、自分が燈華のファンだと搾り出すように口に出すと、再び顔が真っ赤になる。
「そうなんですね。私も大好きです。それにしても…顔が真っ赤ですよ。もし違ったらすみません。あの、もしかして…リア恋、なんですか?」
華は思い切ってその単語を口に出す。華がとっさに思いついた作戦とはこれである。思いもよらない、考えてきた以上の良いきっかけがやってきた。普段から相棒として共に背中を預けながら戦っているので、リア恋とは少々違うが、まさか直接尋ねる機会が訪れるなんて。華はドキドキしながら葵翔の返答を待った。
「…リア恋…そう、かもしれませんね…。」
そして、葵翔が顔を紅潮させながら返してきた返事を聞いて、華は思わずガッツポーズをしそうになった。
「そうなんですね。推しに恋しちゃう気持ち、わかります。」
華は綻びそうになる顔を必死に我慢して頷いた。そうかも、と葵翔が最後を弱めたのは、実際にはリア恋という到底届かない対象に対する恋なのではなく、燈華に近しい距離で接している存在としての、世間一般でそう呼ばれる、極めて普通の恋だからだろう。
「推し…か…。僕の場合はなんていうか、推しではないというか…。いや、こんなこと初対面のあなたに言っても仕方ないでしょうけど…。」
すると、葵翔はリア恋という、オタク以外では少々イタいように思われる恋愛に対して、たとえ知らない人相手でも誤解されたくなかったのか、そのようにしどろもどろに訂正した。まさか自分が〝聖剣〟の蒼太だなんて告白できないのだからそうなるのは当然だ。
「…よくわからないけれど、あなたは燈華さんのことが本当に好きなんですね。」
華はにやけそうになる口元をなんとか押さえつけながら、よくわからない、というように首を傾げながら、葵翔の返答を期待するような言葉を返した。
「…はい…。」
すると、葵翔は夕焼け空のように顔じゅうを真っ赤に染め、華の目をじっと見据えて、こくりと大きく首肯した。華はその態度に対し、これだけは何があっても変わらないという、確固たる明確な意志を感じた。
「じゃ、じゃあ…僕、帰りますね…。さようなら…。」
華は自分に向けられた強い愛情に対し、照れるのを通り越してその場に硬直していると、葵翔は恥ずかしそうに視線をずらして返っていった。葵翔がいなくなってから、華の顔はようやく熱を持ち始め、同時にこれ以上ないほど真っ赤に染まった。
(葵翔くんの好きな人は、燈華だった…!)
華は顔を両手で覆い、その場にヘナヘナと崩れていった。熱があるかのように全身が熱い。また、両足に力が入らない。
まさか想い人に気持ちが通じることが、こんなにも嬉しいなんて。いや、華の場合、葵翔に自分が燈華であると知られていないので、はっきりと両思いというわけではないが。
(葵翔くんに、実は燈華でした、って言う? そんで、私も葵翔くんが好きだって。)
華は葵翔と気持ちが通じ合い、晴れて恋人同士になる図を思い浮かべた。しかし、
(いや…でも、もし華が燈華だってわかって、幻滅しちゃう可能性、ない? 私、燈華の時と全然性格違うし…。華と葵翔くんって、別に特別仲が良いわけじゃないしな…。葵翔くんの友達が少ないせいで、私が一番話してるみたいになってるけど…。実際には、私が一方的に話しかけてるだけで、向こうから話しかけてくれることはないしな…。)
と、その考えを思いとどまった。そうしてう〜ん、としばらく頭を捻った後、
(よし、決めた! 華として、もっと葵翔くんと仲良くなってから言おう!)
華は新たな目標に向けて、天に向かって拳を突き上げた。
最後まで読んでくださってありがとうございます!