3大花葵翔の秘密
「はぁ〜…。」
「どしたの、華。さっきからため息ばっかだよ。」
その日の昼休み。華はいつものように五人ほどの仲の良い女子と固まってお弁当を食べていたのだが、突然、例の〝煙硝〟の燈華ファン・ゆいっぺこと結衣にそう指摘された。
「え、そう?」
「うん。あからさまに。何、嫌なことでもあったの?」
「特にないよ〜。」
「そう? ならいいけど。何かあったら言ってよね。」
結衣にそう尋ねられたが、華は手をひらひらと振って誤魔化した。結衣は華がこれ以上追求されたくないと思っていることを察したのか、すぐに話題転換してくれた。華は結衣のそんな気遣いがありがたかったが、逆にその親切さが申し訳なくて、食べかけのお弁当を片付けて席を立った。そしてお腹が痛いからトイレに行ってくる、と友人らに嘘をついて教室を出た。
(あ〜、なんか無性に一人になりたい気分〜。)
華は手ぶらで考えなしに教室を飛び出し、一人きりになれる行き先を考えた。だが、歩き回って人けのない場所を探すも、校舎内や校庭では、人がいない場所を見つけるのは難しかった。普段大勢と戯れている華には、一人でいられる場所とは無縁なので、隠れスポットも何も知らない。
(う〜ん、どうせなら屋上とか行ってみる?)
屋上へ繋がる階段は鍵がかかっていて生徒は出入りできない。故に人の存在は皆無だろう。それならば、華もまた屋上へ足を踏み入ることはできないのではないか、と思うだろうが、幸いにも華には特別な力があった。
華はいけないことをしている背徳感から昂揚を覚えつつ、最上階にある廊下の四角い窓の前にやってきて、人のいない瞬間を見計らって外へ飛び出した。そして〝具現化〟能力で飛翔のイメージを思い浮かべ、慣れたように宙を飛ぶ。空を飛ぶイメージは、もし訓練が足りずに落下でもしてしまったら大変なので、昔から徹底的に教え込まれていたのだ。それ故、もはや失敗することは考えられない。
華はそのまま屋上へ飛んで行くと、ガスタンク以外に特に何もない空間が現れた。柵もなく、普通の人からここから落ちたら大怪我だろう。
華はそんなことを考えながら、屋上の中央にやってきて、戦いの際に使う、救助のためのマットを作り出した。そして、自らそこに飛び乗って寝そべる。自分でマットの上に乗ったことはなかったが、ふわふわしていてとても寝心地が良かった。華は寝そべったまま、雲を眺めながらまたもやため息をつく。
先ほど結衣に心配された時は理由を答えなかったが、無論、ため息ばかり出てしまう心当たりはありすぎる。
言うまでもなく、葵翔に想い人がいたことである。
葵翔が好きだと自覚してからは、学校に行くのが面倒だな、と思うことは一切無くなった。無論、友達が多い華は小学生の頃から順風満帆な学校生活を送っており、葵翔に恋心を抱く前から学校が嫌いなわけではなかった。だがそれでも、今日は学校に行くのがだるいなー、などと思ってしまうことはあるだろう。
(そんな面倒な気持ちが全くなくなるって、恋ってほんとすごくない⁉︎)
華は恋をしたての頃、そんなふうに感心したものだ。
学校に行けば、先に登校している葵翔が、後から登校してきた華に気づいて自ら挨拶をしてくれるようになった。趣味の本の話を振れば、瞳を爛々と輝かせて語ってくれるようになった。質問される受け身だけでなく、華にも興味を持ってくれるようになった。葵翔のその輝かしい瞳に、華を映して欲しくて仕方がなかった。葵翔といる全ての時間が、華にとってキラキラと輝いていた。
(でも、そんな時間も、もう終わりか…。)
華が葵翔の特別になりたい意を伝える前に、彼には既に心の中に想っている相手がいた。それを知った今朝、目の前が真っ暗になったようだった。じわじわと華の心を蝕み、気づいたら心の中にぽっかりと大きな穴が空いているように思えた。授業中も、集中しなければと思うものの、気づいたらぼーっと窓の外を眺めてしまう。
(恋って良いことばっかじゃないな…。)
恋愛が楽しいことばかりじゃないことくらい、恋を経験したことのない華だって知っていた。けれど、実際にこの身で感じてみるとその倍辛くて苦しい。心が何者かに握りしめられて、ギュッと縮んでしまったよう。
暫くこんな苦しい思いを引きずりながら学校へ来なければならないのか。忘れようにも、葵翔の顔を見れば、どうやっても思い返されてしまう。どうしようもない絶望感や虚無感から、何度目かわからない嘆息を吐きそうになったその時、くぐもった放送のチャイムが屋上にまで鳴り響いてきた。
『裏庭で〝負〟の怪物が発生しました。生徒、教職員の皆さん、今すぐ校庭に避難してください。繰り返します…』
校舎内では、前代未聞の、これまでに聴いたことのない内容のアナウンスが流れていた。
(嘘、二日連続で遭遇するとか、私ついてない!)
華は思わず心の中で叫んでしまう。よりにもよって、こんな最悪なコンディションで。いや、むしろ〝負〟の怪物にストレスを発散できて気持ちが良いだろうか。そんな詮無いことを考えながら、華は屋上から裏庭を覗き込む。
確か、裏庭は人の通りが少ないため、格好のいじめ場所になっているという噂を聞いたことがある。おそらく今回の〝負〟の怪物はそれと関係している。しかし、この学校で〝負〟の怪物が出現したことがある、なんて噂はこれまでに一度も耳にしたことがない。おそらく、今日が初めてだ。ということは、学校が創立されてから今日までの、いじめられてきた学生たちの怨念が溜まりに溜まっていたに違いない。そして今日、おそらく〝負〟の怪物が形作られる最後のピースとして、何者かによるいじめがあったに違いない。そうして、溜まり続けたいじめられた怨恨がたった今日、〝具現化〟してしまったのだ。
裏庭には、普通の人と同じサイズの〝負〟怪物が数匹はこびっていた。昨日と同様にどろどろに溶けた真っ黒な身体をしている。〝負〟の怪物には10段階の強さがあり、下級の〝負〟の怪物はそのような形をしているが、上級になってくると、意思を持って人間に化けたり精神を蝕んできたりするので厄介である。しかし日常的に現れるのはほとんど1〜3ばかりだ。7〜10という大きな数字になってくると、悪意を持って人々の弱みにつけ込んでトラウマを与えてきたりする。運悪く二日連続〝負〟の怪物に遭遇した華だったが、今日も昨日に引き続き退治しやすそうで助かった。
(それに、ここからなら気付けずに銃撃てそう。さっさと片付けちゃおー。)
もしここで〝煙硝〟の燈華として姿を表したら、この学校の生徒ではないかと疑われてしまうかもしれない。年齢は公開されているので、それは大変困る。できれば人に姿を確認されずに片付けたい。華はそう考え、遠距離で使えるライフルをイメージしてマグマ色の銃を形作る。それを屋上の端に寝そべり、ライフルを構えて狙いを定めようとした時、
(えっ、誰かいる⁉︎)
裏庭の入り口に人影見えたのだ。もし銃弾が当たってしまったら大変だ。華は慌てて引っ込め、早く避難するように促そうと地面へ降り立った。そこでその人物を確認し、華は思わず立ち止まってしまう。なぜなら、
(あ、葵翔くん⁉︎)
そう、そこにいたのは紛れもない大花葵翔だったからだ。葵翔は臆病で自ら身の危険をおかしにいくような性格ではない。こんな、刺激を求めて〝負〟怪物を見物しにいくような人ではない。一瞬人違いか、と思うものの、やはり葵翔である。華が想い人を間違えるはずがない。
(なんで葵翔くんがここに…。)
華はなんとなく裏庭の手前にある柱に身を潜め、葵翔の行動を伺った。すると、信じられないことが起こったのである。
(え、え、えええええぇぇ⁉︎)
華はなんとか叫びそうになるのを堪え、心の中で思い切り声を上げる。だが、そうなるのも仕方がない光景が目の前にはあったのである。声を出さなかった自分を褒めて欲しい。
なぜなら、葵翔が見覚えのある銀色の光に全身が包まれたと思ったら、次の瞬間、そこには、もはや相棒とも言えるあの人が立っていたからである。
光の加減で青色や銀色に輝くマントに、銀色のスーツと銀色の髪。先ほど全身が包まれた銀色の光が右手に現れ、それが集まって立派な剣を形作る。彼はそれを握りしめると、〝負〟の怪物に向かって走っていった。
(え、え、どういうこと…⁉︎)
どういうことも何も、見たままである。頭では理解しているけれど、心が追いつかない。
(てか、人がいない中で変身する意味とかないと思うんですけど…? もし変身しなかったら、魔法少年なんだな、ってことはわかるけど、誰かどうかまでは知らずに済んだのに…。いや、むしろ知れてラッキー、なのかな?)
頭の中がぐちゃぐちゃになっている華は、葵翔に向かってそんな愚痴を呟く。華は裏庭の様子が見える位置に移動し、葵翔の様子を伺う。すると、さすが彼というべきか、数匹いた〝負〟の怪物はもうすでに片付けられていた。
校舎にもたれかかった身体が、壁を伝ってずるずると落ちていく。そして、
「…まさか、〝聖剣〟の蒼太の正体が、葵翔くんだったなんて…。」
と、呟くようにそう吐いた。
「七瀬さ…ごほん、あー、君、そこにいたら危険だ。早く避難するんだ。」
暫く呆然と立ち尽くしてしまった華だが、そんな声がぼんやりと耳に届き、ようやく正気に戻った。見ると、眼前には〝負〟の怪物を退治し終えた蒼太の姿があった。誤って七瀬さん、と名前を呼びそうになり、蒼太は慌てて咳払いをして誤魔化したようだ。
「あ、う、うん…。」
「あと、俺が怪物を退治したことは誰にも言わないで欲しい。」
華の視界では、蒼太のミスによって彼の姿が葵翔の姿と重なって映っていた。それ故再び二人が同一人物であったことを心が受け入れられず、頭が使用不能になってしまい、蒼太の注意に対して上の空で首肯した。蒼太が華に避難を促したにも関わらず、華が動く気配がないので、蒼太は華の手を掴んで校庭へと引っ張った。華は蒼太、もとい葵翔に手を握られたことにどきっとしてしまい、思わずその手を振り解いてしまった。
(違う、私が好きなのは葵翔くんであって蒼太じゃないのに…!)
華は心中で、誰に向けて言っているのかわからない言い訳をした。
「あ、えっと、私もういくから、蒼太さんは戻っていいよ。じゃあね!」
突然手を解かれて呆然とする蒼太に、華は言葉や表情を取り繕って、彼に強制的に別れを告げる。蒼太は唖然としながらも頷き、裏庭へと帰っていった。きっと、後始末をしにいくのだろう。蒼太には仕方がないが、このまま校庭のみんなが集まっているところへはいけない。手を握られてから胸が高鳴って仕方がないし、自分では見えないけれど、きっと顔は夕焼けのように真っ赤になっているはずだ。顔が熱くて仕方がない。こんな様子を友達らに見られたくない。校舎から聞こえてくる喧騒を聞くに、まだ避難は十分に終わっていない様子なので、華はもう暫く一人でいることにした。再び屋上へと飛んでいく。華はもう一度マットに寝転ぶ気にもなれず、ガスタンクに寄りかかって体育座りをした。暫くの間、華は空を見上げて胸の高鳴りや頬の火照りを冷ましていた。平常に戻ってきたところで、膝を身体に引き寄せて顔をそこに埋めながら、ぼそっと呟く。
「蒼太…。」
〝聖剣〟の蒼太は五年前からの親友であり、背中を預けられる相棒だった。太陽のように歯を見せてニカッと笑う笑顔や、よく口にする冗談は、燈華を安心させて勇気づけてくれる。互いの個人情報は一切知らなくても、日常の悩みなどを話し合える間柄。魔法少女、魔法少年という特殊な境遇を共有する蒼太とは、何でも心置きなく語り合えるのだ。
(それにしても、蒼太と葵翔くんって、全然性格違うよね…。ま、私が言えたことじゃないけどさ…。)
自分自身が憧れていた真逆の性格を演じているので、葵翔もなりたい自分を演じているのだと推測できる。それにしても、普段あんな弱気で意思が弱そうな葵翔が、あの溌剌とした蒼太になりきっていたのだと知っても、にわかには信じられない。
(ていうか…蒼太って、好きな子いたんだ…。)
葵翔に想い人がいること、それはつまり蒼太に想い人がいることを意味する。それなのに〝煙硝〟の燈華とカップリング認定されていているなんて、あまりにも可哀想だ。その理屈で考えるなら、蒼太の正体が葵翔だと知る前の華も、同じく可哀想といえるのかもしれないが。
華は今日起こった出来事をぼんやりと思い返す。まず、葵翔に想い人がいて失恋をしたこと。次に、葵翔が相棒・〝聖剣〟の蒼太だったこと。後者の衝撃が強すぎて、あんなに絶望感を覚えていたにも関わらず、前者のショックはほとんど消え去っていた。
こんがらがった糸のように、頭の整理が追いつかない華は、暫時雲の流れをぼーっと眺めていて、ハッと我に返った。
(私、避難しないといけないのにしてない! やばっ、早くみんなの所に行かないと!)
蒼太と出会してから再び屋上にやってきた時は、確かに生徒の喧騒が聞こえていた。しかし今はすっかり静まり返っている。きっと、避難していない生徒は華ただ一人だけだろう。これはまずい。
華はすぐさま屋上から地面に降り立つと、全校生徒が集合する校庭へ駆けて行った。華の姿が見えると、担任は心の底から安堵したように胸を撫で下ろした。華は心配をかけてしまったことに罪悪感を覚えるものの、お叱りを受けずに済んで内心ホッとしていた。その後、何処ぞの魔法少女か魔法少年の力によって〝負〟の怪物が退治されていたことが遅れて生徒や職員に伝わった。それでも警戒して、午後の授業は受けずに下校を許された。
下校する為に一旦教室へ戻った華たちは、各々の帰る支度をしていた。その際に、
「七瀬さん。さっきは到着が遅かったけど、何かあった…? 大丈夫…?」
と、隣にいた葵翔が物憂げな顔つきをして華を心配してくれた。葵翔としては、先ほど校庭に向かうと言っていた華が自分よりも遅く避難してきたのだから、何をしていたのか疑問で仕方がないだろう。華は絡まり合った糸のように複雑な気持ちになるも、精一杯いつも通りの笑顔を作り、
「ううん、大丈夫。お腹痛くなっちゃって、どうしてもトイレから動けなかったの。」
と、先生や友達へ話したものと同じ言い訳をしておいた。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
二言後書き:〝聖剣〟の蒼太と葵翔が同一人物だと判明した今回。隠していた正体がバレる瞬間っていいですよね。