2七瀬華の恋心
「みんな、おっはよ〜!」
華は教室のドアを勢いよく開けると、声を張り上げて教室内に響くように挨拶をした。
「お〜、華ちゃん! 今日も元気だねぇ!」
「華〜、おはよー!」
すると、教室のあちこちから華への挨拶が届いてくる。女子だけでなく、男子までもが当たり前のように答えていた。
華はセミロングの長さの、高い位置で結われたポニーテールを揺らしながら、自席へと向かう。その途中で、
「華、ちょっとカモン!」
「んー? ゆいっぺ、どしたー?」
華は数人で固まっている友達に手招きされ、その輪の中へ入っていく。
「ちょっと見てよ、この色紙!」
その輪の中心にいたゆいっぺと呼ばれた女子・結衣が、華に何やら分厚い色紙を見せてくる。
そこには、
〝煙硝〟の燈華
と走り書きされてあった。華に色紙を見せてきた結衣は色紙を大切そうに腕に抱え、
「すごいでしょ! 華、知ってる? 昨日、この近くで〝煙硝〟の燈華が現れたの! それを聞きつけて私、急いで色紙持ってサインしてもらいに行ったんだよ! これ、家宝にするよ!」
と、目を輝かせて早口で語った。彼女は〝煙硝〟の燈華の大ファンなのだ。
「もう、めっちゃ可愛かったよ〜!」
「いいなぁ! 私も燈華ちゃんに会ってみたい!」
「ほんと羨ましい!」
しかし、クラスには彼女以外にも国民的魔法少女・〝煙硝〟の燈華のファンは大勢いる。ここに集まっている十人以上の同級生は、きっと燈華ファンなのだろう。いや、女子の輪の中に入れないだけで、燈華の色紙に対して指を咥えて見ているだけの、燈華ファンの男子もこの教室内にいるはずだ。
「そうなんだ。よかったじゃん!」
華はいつもの調子で、色紙を抱きしめてニヤついている結衣の背中を叩いて笑う。
「でしょでしょ! 華も会いたいよね?」
「うん、そうだねっ。」
彼女に同意を求められ、華は首肯する。しかし内心では、
(会うも何も、それ、私なんだけどね。)
と、心の中のミニ華がてへぺろしていた。
そう、クラスのムードメーカー・七瀬華は、国民的魔法少女・〝煙硝〟の燈華であった。しかしそれを打ち明けたところで、彼女らに信じてもらえることはないだろう。それは華が普段から嘘をついているから、というわけではなく、性格が真逆だからだ。華は溌剌としていていつ何時でも元気いっぱい、といったイメージだが、〝煙硝〟の燈華は落ち着き払って何事にも冷静、といったイメージを人々は持っている。
どうしてこんなにも違うかというと。実は華は幼少期からクールで落ち着いた人に憧憬の念を抱いていたのだ。しかし境遇がガラッと変わりでもしない限り、日常で性格を変えることは難しい。そこで、大和撫子のような見目をした〝煙硝〟の燈華を作り出し、実行に移したのだ。華は〝煙硝〟の燈華でいる時は、なりたい自分を演じられて楽しかった。もちろん、普段の自分の在り方に不満があるわけではないが。
(そのおかげで、特定される心配もないしね。)
そう、魔法少女・少年はいくら姿を変えているからとはいえ、中身は変わらない。声や字体、立ち振る舞いなどでバレてしまう魔法少女・少年は大勢いるのだ。
「しかもさ、昨日は〝聖剣〟の蒼太もいたらしいじゃん!」
「ああ、いたよ! バチくそイケメンだった!」
「い〜な〜!」
結衣と女子らは会話を再開したので、華はここら辺でお暇することにした。華は窓から二番目の列の最後尾にある、自席に着く。最近梅雨入りしたばかりで、今日は朝からどんよりした曇り空。今にも雨が降り出しそうである。華は茶色がかかったポニテを揺らし、腰掛けずにそのまま荷物を机のフックにかけた後、
「葵翔くーん、おはよー。今日は何読んでるのー?」
と、華は隣席に腰掛ける、読書中の男子に声をかけた。しかし彼は大変集中しているのか、華が声をかけても気づかない。そこで華は彼の席の前に回り込み、机の角に指をかけてちょこんと覗き込む。眼鏡の奥でキラキラと輝く、少し色素の薄い大きな双眸。華はその瞳が大好きだった。
(はぁ、今日も可愛いな〜…!)
大花葵翔はいわゆる可愛い系男子であった。背が低く童顔で、夏でも季節を感じさせない透明感のある白皙の肌を持つ。女子の華が羨むほどまつ毛が長く、華はそのぱっちりとした双眸で見つめられると数秒と持たない。しかし彼が大好物の読書に没頭すると、大きな双眸はまるで太陽のように燦々と、はたまたガラス瓶の中のビー玉のようにキラキラと輝き、いくら見ても見飽きないのだ。
「ふ〜…って、うわぁぁぁ!」
キリの良いところまで読み終わったのか、葵翔はふっと視線をあげる。すると、彼を覗き込むようにして机に手をかけていた華とぱっちりと目が合う。途端、葵翔は盛大な声あげて後ろにのけぞった。十五歳なのでさすがに声変わりは済んでいるものの、その声は男性にしては高くて、やはり可愛らしい。
「ちょっ。葵翔くんっ、大丈夫っ?」
華は慌てて立ち上がり、後ろへ反り返った葵翔が怪我をしないように椅子ごと背中を支える。さすが〝煙硝〟の燈華、凄まじい身体能力である。魔法少女、魔法少年は姿や戦闘具などは具現化能力で作り出しているものの、その人間離れした身体能力は生まれつきのものだ。それ故、体育の時間は手加減して受けなければ、大変なことになってしまう。
「ごめん、葵翔くん。そんな驚かせるつもりはなくて…。」
華が両手を合わせて精一杯謝ると、葵翔はぶんぶんと首を振った。彼の行動一つひとつがこんなにも可愛く映るのは、一体全体どうしてなのだろう。
「いや、こっちこそ、オーバーな反応しちゃってごめん…。びっくりしたよね…。」
そう、ここで責めないのが葵翔である。普通なら文句の一つでもつけたくなる場面で、彼は相手に注意するどころか、どう考えても自分のせいではないのに謝罪をするのだ。謝りすぎるとそれはそれでうざがられそうだが、葵翔はその見た目のせいか、なぜか受け入れられてしまう。
「ううん、私は大丈夫。それはそうと、葵翔くん、今日は何読んでるの?」
華は机に身体ごとくっつけて、葵翔を下から覗き込むようにして再び尋ねる。
「あ、えっと、夏目漱石の『こころ』を…。」
葵翔はいつも通り尻窄まりな口調で、おずおずと華に持っていた本を見せてくれる。そこには実にシンプルにも、白い背景に、銀色の自体で『こころ』と書かれてあった。
「へー! すごいね。聞いたことはあるけど読んだことはないや! 葵翔くんはいつも難しそうな本ばっか読んでるね!」
「いや、そんなことないよ…。『こころ』は全然難しくないし、恋模様も描かれているから、頁が進むんだよ。でも、ただの恋愛小説で収めておくのは感心できなくて、人間の複雑な感情が描かれているんだよ。」
華がそう言って褒めると、葵翔はむず痒そうに頬を掻いた後、『こころ』の感想を語ってくれる。趣味のことを話す葵翔の瞳はやはりキラキラと輝いていて、眩しい。
「そうなんだ。ページが進むってことは、葵翔くんも恋愛もの好きなの? 私も好き。」
「え、ま、まぁ、人並みには好きかな…。」
華はそう話題を振ると、葵翔は頬を赤らめて恥ずかしそうに視線を逸らした。恋バナをしているわけでもないのに、恋愛の話を振っただけで恥ずかしがるなんて、なんて初心で可愛らしいのだろう。華はにんまりとした。
「そっか! じゃあ、恋愛自体にも興味ある感じ?」
「え……う、うん…、人並みには…。」
華は葵翔の反応が可愛すぎて、ついからかいたくなってしまった。口元をにやつかせながらそう尋ねると、葵翔は顔を紅潮させ、手で口元を隠す。
「へー、なんか意外! じゃあ、好きな子いる?」
華は葵翔の愛おしい反応を見たい欲求が止まらず、そんな突き詰めた質問をする。しかし、これは失敗だった。尋ねた華自身が心に傷を負った。
「…いる…。」
葵翔がりんごのように顔を真っ赤にさせて絞り出すように呟き、顔を両手で覆った。華はその反応を目にして、葵翔の照れ顔を脳内ファイルに保存させながらも、ぐさっと心臓を突き抜かれたような錯覚を覚えた。
その刹那、ザーザーと大きな音が耳に届き、窓の外の景色を眺めると、車軸を転がすような雨が降り出した。それは心に衝撃を受けた華そのものだった。
「そ、そうなんだ…。」
あまりに恋愛に対してウブな反応をするので、想いを寄せている相手はまだいないかと思ったのだ。だからそんな失言をした。
(そっか、葵翔くん、好きな子いるんだ…。)
華は葵翔のことが好きだった。
中高一貫の学校で、中学三年生になった華は、今年になって初めて葵翔と同じクラスになった。彼はその、小動物のように可愛らしい顔立ちや仕草から学年でも有名で、名前くらいは知っていた。実際に同じクラス、それも隣の席になって見てみると、確かに可愛らしい。別に見目が整っていなくても、同じクラスになった人とは全員と友達になりたい精神の華なので、当然、隣席になった葵翔に話しかけた。しかしその尻窄まりな喋り方に、初めの頃、華はあまり好感を持てなかった。頭は良いが意思も弱そうに見えて、他の同級生にターゲットを移そうかな、と考えていた頃、華は見てしまったのだ。
大好きな読書に夢中になっている時の、葵翔の煌々と輝く瞳を。
いや、瞳だけでない。その豊かな表情といったら。華は葵翔に目を奪われ、その時から、華は葵翔のことをもっと知りたいと思った。彼のことをより深く知りたいと思って話してみると、思いの外話が弾んで、特に趣味の話になると喋り方すら変わって面白かった。華が葵翔へ一方的に話しかけるだけなのだが、その返事がだんだん饒舌になっていった。とはいえども、毎日話しかけているからこそわかる、本当に些細な変化なのだが。華はそれが嬉しくてたまらなくて、葵翔と話している時間が終わって欲しくないと心から思った。こんな気持ちは生まれて初めてだった。
それが〝恋〟だと気づいた瞬間は嬉しくて、少々むず痒くもあった。
先ほど初めて恋愛について葵翔と話し、彼の特別に近づくかな、なんて期待したが、実際はその逆だった。華の初恋は初めから叶うことはなかったのだ。
また、華は気づいてしまった。
おそらく葵翔が今、心の中に思い描いているであろう好きな人を想う瞳は、趣味について話す時よりも、より一層キラキラと輝いていた。
最後まで読んでくださってありがとうございます!! 続きも頑張りますので、ぜひよろしくお願いします!
二言後書き:可愛い系男子っていいですよね。私、大好物です。