1魔法少女、魔法少年とは
キャーー うわぁーー
甲高い、あるいは野太い叫び声や悲鳴があちこちで聞こえてくる。彼らの視線の先には共通して、三十メートルほどの巨大な蠢くものへと向けられていた。それは闇に溶け込むほどの真っ黒な身体を持ち、どこまでが顔かもわからない頭には大きく引き伸ばされて溶かされたような、長細くドロドロした目や口がくっついていた。巨大な生き物は大きな唸り声を上げると、真下にいた人間たちを形のはっきりしない黒い手で掴んで、口元へと持っていく。
「うわぁぁ!」
「やめろぉぉ!」
「助けてー!」
泣き叫ぶ人々は巨大な黒い手の中で、助けを求めながらジタバタと暴れ、なんとか抜け出そうとするも、そこから抜け出せることはない。しかし、たとえここで掴んでいる手をぱっと離されたとしても、この高さから落ちたら即死だろう。絶望的な状況に、戦意を喪失した彼らだが、
「助けてー!! 魔法少女、魔法少年!!」
と、たった一人、まだ生きることを諦めていない少女が叫んだ。
「ごめんなさい、遅くなって!」
すると、どこからともなく、その言葉に応えるように、鈴が鳴るような可愛らしい声が風に乗って響いてきた。
巨大生物の手の中にいる人々が上を見上げると、太陽に重なるようにして、逆光によって映し出される黒い人影が瞳に映った。光の加減で、次の瞬間にはその姿が顕になる。
そこには風に靡く腰まである長い黒髪に、目を引く綺麗な黄色をしたミニ丈のドレスに身に包んだ少女の姿があった。ショートドレスはふわりと膨らみ、気持ちを明るくする鮮やかな黄色と橙色のフリルが揺れていた。その上から散りばめられた、赤色のスパンコールがキラキラと輝いている。それはひまわりのような、はたまた太陽のような。
いや、それは燃え盛るような〝炎〟にも見えた。
その少女は右手を天に向けたかと思うと、そこにマグマのような色をした手のひらを余裕で超えるサイズの球体を作り出した。そしてその球体を巨大生物の頭に向かって投げた。
少女の存在に気づかない巨大生物は、手にしている人間たちを一気に口に放り込もうとしたその時、巨大な生き物の頭の上でピカッと何かが爆発したように火花を散らして光った。直後、一瞬の目がチカチカするような輝きの後、耳をつんざくような爆発音が轟いた。巨大生物は頭が爆発して欠け、マグマのようにドロドロした液体を流しながら、体勢を崩した。そのまま巨体が傾き、握りしめていた手はパッと離された。人々は悲鳴を上げながら落下していく。
そこへ、さきほど巨大生物に攻撃を仕掛けた少女は、文字通り空を飛んで落下していく人々の元へ行く。そして例のようにマグマ色のものを手のひらから生み出すと、今度はそれを徐々に大きくして、地面に大きな何かを敷いた。人々はその上に落下すると、その身体たちはポヨンと大きく跳ねた。地面に広く敷かれたマグマ色の物体はマットの役割を果たしていた。
命の危険が去った彼らは同時にこう叫ぶ。
「ありがとう、〝煙硝〟の燈華!」
そう呼ばれた黒髪の少女はマットの上に着地し、ドレスの裾を掴んでお辞儀をする。少女は大変端正な顔立ちをしていた。高い鼻筋に、シュッとした輪郭、ぱっちりとした瞳には長いまつ毛が。その優雅な仕草に拍手が湧き起こるも、少女は次の瞬間には巨大生物へと向かって地面を蹴っていた。
少女は、すぐさま倒れた巨大生物の真上へ飛んでいったが、そこにはすでに先客があった。
光の加減によって青色にも銀色にも見えるマントをたなびかせ、身体に密着する銀色のスーツに身を包んだ、これまた銀髪の少年。その少年もまた、凛とした佇まいで、とても整った顔立ちをしていた。彼は先ほどの少女のように右手に銀色の光を集め、その光は縦長く伸びてやがて大きなサイズの剣を形作った。彼は作り出した剣を力強く握ると、巨大生物の心臓に向かって飛んでいく。
そして身動きをしなくなった巨大生物の身体の上に乗ると、人と同じ位置にある心臓に向けて思い切り剣を突き刺した。すると、巨大生物はうおぉぉと鼓膜を破るような唸り声をあげて、シュワシュワと空に溶けていくようにその姿を消した。
巨大生物の倒れた位置は幸いにも伽藍堂とした広場だったため、植えられていた木が一本倒れたくらいで、その他に被害は無かった。少女はほっと息をつく。そして大仕事を終えたぞ、とでもいうように、隣で腰に両手を添えて胸を張る少年の脇腹をこづいた。
「ちょっと、蒼太! あの怪物倒したのほとんど私なのに、なんで俺がやった!みたいな雰囲気出してんのよ! 人の見せ場とるんじゃないわよ!」
蒼太と呼ばれた少年は大袈裟に被害を受けた脇腹を抑えて痛がり、
「そんな怒るなよ、燈華〜。俺だって怪物現れたって知ってすぐ飛んできたのにさ〜」
と、違う意味で腰に手を当てる燈華に主張する。
「ま、いいけどね。私だって蒼太が弱めた怪物のトドメ刺したことあるし。それに、今日の怪物、大きいくせにめっちゃ弱かったからね。それよりさっきの人たちが無事かどうか見に行くわよ」
「ああ」
そうして彼らは各々黒髪とマントをたなびかせ、救助した人々の元へ飛んでいく。すると、
「わぁ! 〝煙硝〟の燈華様だけじゃなくて、〝聖剣〟の蒼太様もいる!」
「俺、生の〝煙硝〟の燈華も初めてだったのに、まさか〝聖剣〟の蒼太まで揃うとは!」
「うわぁ、まじ最高! 一時は死ぬかと思ったけど、このカップリング生で見れるとか神でしかない!」
等々、人々は先ほどまで命の危機に晒されていたというのに、燈華と蒼太との邂逅に歓喜していた。だが、それもそのはず。
〝煙硝〟の燈華、〝聖剣〟の蒼太と呼ばれる彼らは、国民的人気を誇る魔法少女、魔法少年であった。
この世界では古くから、怒り、憎しみ、恨み、妬み、悲しみ、苦しみ、嫉妬、恥、孤独…などの負の感情が〝具現化〟してしまうことがある。それを〝負の怪物〟と呼ぶ。
私たちは負の感情に、まるで鎖のように絡まって繋がって生きている。成長につながるケースももちろんあるけれど、たいていの場合、私たちは心に闇が溜まっていく。そんな溜まっていった負の感情が、形になって現れるのである。昔は年に数回だった具現化現象だが、ここ最近では月に十数回もの頻度で現れるようになっていた。具現化した負の感情はさまざまな形で人々の生活を脅かす。
それを退治するのが魔法少女、魔法少年と呼ばれる家柄のものだった。彼らは生まれつき特殊な能力を持っており、詳細にイメージしたものを〝具現化〟できるのだ。この能力は負の感情の〝具現化〟と似ている部分があるため、あまり〝具現化〟現象が少なかったかつては、彼らは人々のために〝負の怪物〟を退治しながら収入を得ながらも、人々から恐れられていた。次第に姿を隠すようになった彼らは、〝具現化〟の能力で自身の姿をも変えた。見目美しく、力のある魔法少女・少年は徐々に存在を認められ始め、そして活躍の頻度も増えた現在ではまるで芸能人のような扱いを受けるようになった。いや、もはやそれ以上かもしれない。
魔法少女、魔法少年の中でもトップレベルの人気を放つのが、この〝煙硝〟の燈華、そして〝聖剣〟の蒼太であった。〝煙硝〟〝聖剣〟などの通り名は代々受け継がれ、苗字のような役割を果たし、家系の認識をさせる。燈華、蒼太も勿論、魔法少女、魔法少年として活動する際の偽名である。二人が国民的人気を放つ理由、それはズバリ〝強いから〟であった。魔法少女・少年は生まれつき〝具現化〟能力を持つものの、その力は家柄によって大きく左右する。アニメや漫画でもなんでも、強いキャラというのは一定数の人気がある。それと同じだ。〝煙硝〟〝聖剣〟という名を持つだけで、世代交代してすぐの魔法少女・少年でも期待される。燈華、蒼太は期待通りだったというわけだ。彼らはイメージ通りに〝具現化〟できるものの、代々同じ道具を使って戦う。〝具現化〟は万能というわけではなく、とても詳細にイメージしなければならないので、そんなにすぐには習得できない。
〝煙硝〟の家系の場合、火薬などを使った手榴弾や銃などを扱うのだが、代々同じ道具を使って戦うことで、子は親からその手触りや匂い、見た目を詳細に教えられ、受け継ぐことができる。とても効率が良く、また、俗的な話をすると、代によってコロコロ変わるより、人々のウケも良かった。だが人々の人気で国からの収入も左右されるので、人の心を掴むのは大切だ。
後ほどその収入の仕組みについても説明するが、〝煙硝〟の家系は正義感が大変強いことで有名で、生活に最低限のお金のみしか、つまりその半額以上を受け取らない。彼らはお金儲けのために魔法少女・少年として活動しておらず、正義と人々のために戦うことをモットーとしていた。そういう点でも、〝煙硝〟の人気は高かった。
話を戻すと、〝煙硝〟の家系に生まれながらも、〝聖剣〟のような剣を習得したいなどと主張する変わり者も時々存在するため、そういう人が魔法少女・少年になる場合、〝聖剣〟の家系に弟子入りするか、精度は弱くなるが、独学で学んでいくかの選択に迫られる。まぁ、そもそもそんな大変な思いまでして道具を変える変わり者は少ないが。
「燈華様! 大好きです! めっちゃ推してます! 握手してください!」
「蒼太くん、ビジュ良すぎ!! 大ファンです。サインください!」
魔法少女・少年の説明はこれくらいにして、現実に戻ろう。
燈華と蒼太は救助された人々だけでなく、いつの間にか二人の噂を聞きつけてやってきた人々の握手やサインに答えていた。魔法少女・少年はもはやただ〝負の怪物〟を退治するだけではない。芸能人よりも芸能人である。だがこういったファンサービスを楽しむのも、魔法少女・少年という職業の醍醐味だ。勿論、〝負の怪物〟と戦うにあたって、危険はつきものである。時には命を落としてしまう魔法少女・少年だっている。そんな危険性も考慮した上で、魔法少女・少年は家系を継ぐ。
「燈華ちゃん、蒼太くん、二人の写真撮っていいですか?」
時折、欲張りにも二人同時の写真を求めてくる人も現れる。それもそのはず。燈華、蒼太は各々有名な魔法少女、魔法少年であるのに加えて、二人の仲の良い掛け合いが人気で、有名なカップリングなのだ。無論、本人らは付き合っているわけではないが。
「いいですよ」
「いいぜ」
燈華、蒼太は快く答える。しかしその後、写真を求めてきた彼女は二人に恋人繋ぎを求めてきた。一瞬戸惑ったが、別にそれくらいなら構わないか、と二人は手を繋ぐ。指を絡めて手を繋ぎ、燈華はちらと蒼太の横顔を伺うと、心なしか、彼の頬は少々あからんでいた。
「ふふ、蒼太ったら照れてる」
燈華は無性に揶揄いたくなって、蒼太の耳元で小さく囁く。すると、蒼太は大袈裟にビクッと身体を震わせ、
「し、仕方ないだろ……」
と、繋いでいない手で頬を掻いた。蒼太とは長い付き合いだが、燈華は蒼太の新たな一面を見て、今後の揶揄いのネタにしようと企んだ。
燈華、蒼太は各々ざっと五十人ほどのファンサービスをしたが、人数は減るばかりか増える一方なので、合図を送り合ってそろそろお暇することにした。
「そろそろお暇するわね。ごめん遊ばせ」
「みんな、じゃあな。また会う日まで!」
物欲しそうにする人々に対し、強制的にファンサを終了した二人は、揃って手をあげて空へと飛んでいく。
言い忘れていたが、この空を飛ぶ能力も飛ぶイメージを具現化している。まとめると魔法少女・少年は各々の家系の戦闘具と飛行の能力、そして自身の魔法少女として変身した姿を幼少期にマスターして、〝負の怪物〟との戦いに挑んでいるのだ。
「ふ〜、今日も一仕事終えたな! 燈華、お疲れさん」
「蒼太もお疲れ様。いやぁ、今日は退治よりもファンサの方が疲れたわね。やっぱり都会は人が多いから良くないわね」
二人は人けのない高台のベンチに腰掛け、密かなお疲れ様会を開いていた。
蒼太が伸びをして燈華を労い、燈華も蒼太にいたわって愚痴を言った。
「それに加えて、今日は俺らが揃ったからな」
「ええ、それは確実に大きい。でも私たち、結構一緒に戦ってるわよね。五回に一回くらい。なんだかわかんないけど、私たち遭遇率高いわよね」
「そうだな」
そんなことを言い合った後、会話の流れはいつの間にか日常の他愛もない話になっていた。燈華と蒼太が出会ったのはおよそ五年前、魔法少女・少年として活動を始めた初日、十歳の頃だった。お互い不慣れな戦場で緊張していた中、共に助け合いながら戦った。初めての戦いは無事成功に終わり、〝煙硝〟〝聖剣〟の家系の新入りというだけでも世間を騒がせたのに、偶然だが、さらにその男女二人のバディで戦ったことにより、初戦闘から二人は有名となった。それからというもの、家が近いのかよく遭遇する二人は、会うたびに共に背中を合わせて戦い、友情を重ねていった。もう相棒といってもよい二人だが、お互いの正体を知らない。本名すら。個人情報で知っていることは、お互いの年齢くらいだ。出会ったばかりなら正体を明かすことはできたかもしれないが、五年も経ってしまっては、個人情報を話さないことが不文律となっていた。
「じゃあ、また今度! お互い頑張りましょうね」
「ああ、じゃあな!」
そうして今日も互いの何も知らないまま、二人は別れるのであった。