4話 こうして、私は今日も"丁寧"に生きている
その日、新宿は思い出した――あの人に護られる安心感を。そしてあの人が君臨していた恐怖を……。
数週間前からハンター協会より出されていたオークキングの討伐依頼。
放置しておけば下層から這い上ってきたオークの軍勢が東京はおろか、関東一円を滅ぼしてしまうに違いない。
数年ぶりのスタンピードの危機にハンター協会は恐怖を禁じえなかった。
しかしオークキングの脅威度ランクはSに限りなく近いAAAランク。
こんなレベルの依頼に対応できるギルドは国内にはほとんど存在しない。
ハンター協会新宿コクーンダンジョン支部の職員はここ数日不眠不休で駆けずり回っていた。
尻込みするハンターたちに対する粘り強い交渉。
付近住民や企業に対する避難勧告。
東京都や霞が関と協力してのあらゆる措置。
しかし、肝心の戦力が足りていない状況ではどんな対策も、むなしくから回るばかりだった。
そんな中、ずっと沈黙を保っていた国内最強ギルド"魑魅魍魎"がついに動き出したのである。
聞いた話では「ギルドマスターが休暇中のため」動くに動けない状況だったとのことだが、つい先程帰還した報告があったとのことだ。
その報告を聞いたギルド職員たちの内、半分が安堵の涙を流した。
「帰ってきた……あの相楽総長が帰ってきた……!」
「勝てる……これで東京は救われる……!」
「十四連勤もこれで終わり……万歳……ッ! 万歳……ッ!」
そして残り半分は恐怖した。
「帰ってきた……あの相楽総長が帰ってきた……!」
「イヤだああああッ、東京はもう終わりだああああああ!」
「始まるぞ……ッ! あの人の後処理のための地獄の連勤が……ッ! うっ目眩と心臓の動悸が……」
ともあれ依頼受理申請はただちに承認され、ハンター協会、新宿コクーンダンジョン支部は"魑魅魍魎"の出動に備え緊急事態措置体制に移行した。
かねてより"魑魅魍魎"がダンジョンに入るときには緊急事態措置体制を取ることがハンター協会と所管警察の通例である。
「下がってくださーい! 黄色いテープの内側まで下がってくださーい!」
「ここから先は通れませーん! 黄色いテープからハミ出ないでくださーい! ハミ出ないで――コラそこハミ出るなあ! スマホ撮ってる場合じゃねえぞ、"魑魅魍魎"のやつらに踏み殺されてえのかあんたぁ!」
新宿西口前のコクーンタワー。
特徴的な高層ビルの前の大通りは海を割ったかのようである。
車も人も止められた道路の脇には危険を省みない野次馬が一部群がっているが、大多数の一般良識ある人々は目を背け足早にその場を立ち去っている。
強面のヤクザですら道を譲る中、ついにその集団は来た。
最初はカタカタと小石が鳴った。
次に大きな石ころがコロコロ転がっていく。
次第に地鳴りは大きくなり、それとともに……これは雄叫びか、シュプレヒコールか。何か声が聞こえてくる。
「ソイヤッ、ソイヤ!」
「「「ソイヤッ、ソイヤ!」」」
「総長、総長!」
「「「総長、総長!」」」
「オラァ、貴様らもっと声張り上げんかいッ! 三ヶ月ぶりやぞ、三ヶ月ぶりの相楽総長のご出陣やぞッッッ!」
「「「うっす、五木田さん!!!」」」
最初にやってきたのは先陣を切る一人の男の姿である。
特攻服というのだろうか。前時代的白装束に全身を包んだ五十がらみの中年である。一見肥満体のようにも見えるが近づくにつれて、その突き出た腹は相撲取りのような固い脂肪に覆われていることが見て取れた。
禿頭にハチマキを巻いた先頭の五木田が煽るたびに後ろの集団は声を張り上げる。
「ソイヤッ、ソイヤ!」
「「「ソイヤッ、ソイヤ!」」」
前時代的ブッコミ戦闘服も異様であったが、後ろの集団はそれにもまして怪奇である。
一見したところ、それは祭りの光景に見えた。
ふんどし一丁のみを身につけたイカツイ男たちが額に汗を浮かべながら神輿をかついでいる。
いずれの男たちも全身くまなく鍛えられ、背中にはそれは見事なお絵描きがされていた。
が、異様だったのはその神輿である。
おそらく"魑魅魍魎"の出発を初めて見る者は驚愕するに違いない。
組体操のごとく人間が重なり合ってできたそれは、"魑魅魍魎"名物"・人間神輿"である。
「そこのけそこのけ、"鬼"が通るぞ、相楽が通るぞ! "魑魅魍魎"の相楽総長様のお通りじゃぁーいッッッ!」
――神輿というのは読んで字のごとく神が駕るものである。
何人もの人間が折り重なってできた神輿の上に鎮座するのは、鬼神のごとくゆらゆらと全身から殺気をたちのぼらせている相楽であった。
人間神輿が通り過ぎる。
コンクリートはひび割れ、人間の足形が残される。
相楽の殺気が残り漂う。
路傍の草花は途端に萎れ、新宿のネズミやカラスはポトポトと息絶える。
無人の野をゆくがごとく突き進む人間神輿であったが、そのときだった。
ユーチューバーだろうか、調子に乗った若者が黄色いテープを飛び出してスマホを向けてきたのである。
「相楽さーん、ちょっと何かしゃべってみて――」
無論、無礼極まる羽虫の言動ごとき、鬼神は一顧だにしない。
相楽はただわずかに息をついたのみである。
それだけで、ハイエンドスマホは爆散し、若者は昏倒した。
神輿の担ぎ手の中の一人が即座に抜けて若者を道の脇によける。
再び天が割れたように開けた道を、"魑魅魍魎"はひたすらに突き進んだ。
◆◆◆◆◆◆
「おめぇら"神輿"を解けぇッ! "神輿"の次は"大砲"と"戦車"じゃぁーいッッッ!」
「「「へえ、五木田副長ッ!!!」」」
新宿コクーンダンジョン下層――"屍山の荒野"。
五木田の号令によって打ち出された"人間砲弾"は着弾と同時に爆散しオークの軍勢を破壊する。
隊列を乱したあとを蹂躙するのはスクラムを組んで突撃する"人間戦車"である。
肉と肉がぶつかる。
鉄と骨がしのぎを削り、吹き出す鮮血は世界を真っ赤に染める。
オークの軍勢と"魑魅魍魎"が血みどろの死闘を繰り広げる中、相楽はただひとり、戦場を悠然と歩いていた。
血飛沫を避けるでもなく、叫び声に耳を傾けるでもなく。
そして――対峙するのは、オークキング。
その巨躯は、並のオークの五倍はあろうかというほどに異様に肥大化していた。全身を覆う濃緑の皮膚は分厚く、まるで岩のようにひび割れている。
立つだけで、空気が濁り、大地が震え、周囲のオークすら沈黙する──まさに“王”と呼ぶに相応しい、異形の暴君である。
オークの頂点に立つ王はまるで己の正当性を主張するかのように口を開いた。
「……クク、クハハ……来たか、卑小な人間よ……我が名はガルザ=ヴォグ。千の屍を踏み越えし虐殺の王。お前たちの土地を焼き、子を串刺しにし、女を犯す呪われし名だ。震えて、壊れて、絶望しながら──死んでいけ」
「ふむ……人語は養豚場で覚えたのでしょうか。謎ですね」
オークキングの名乗り上げに耳を傾けることもなく、相楽は脇から襲いかかってきたオークをひょいとかわしと手刀でその身体を真っ二つにした。
「グギャアアアアア、き、きんぐ、た、たすけて……」
「はっはっはっ、面白い。ねえノアさん! オークってやっぱりすごいですねえ、身体を両断されてもまだしゃべれるんですねえ! 身体を張ったナイスギャグ!」
ノアは自分に振るなといわんばかりに顔を背けていた。
オークキングは怒りに打ち震えていた。
「き、貴様ァ……それでも人間か! 名乗り合いの礼儀も戦場の作法も知らぬ下等生物が我が同胞をォ…ッ! 許さん……ッ!」
「一理ある。どっちがモンスターかわかんないですよねえ……」
心なしかノアの立ち位置はオークキングの側に寄っていた。
相楽から一歩引いた形でノアが見守る中、オークキングと相楽の激突は始まった。
巨大な斧を振り上げるオークキング。対する相楽は徒手格闘。
先に動いたのはオークキングだった。
「オオオオオオォォォォ!!!」
怒号とともに、巨腕が振り下ろされる。大地が抉れ、衝撃波が半径十メートルを吹き飛ばした。残っていたオーク兵すら巻き込まれ、肉塊となって宙を舞う。
だがそこに相楽の姿はない。
いつの間にか、ガルザの背後に回り込んでいた相楽が独り言のようにボソリとつぶやく。
「あなたはどんな瞬間に"幸せ"を感じますか――?」
相楽の掌がまるでガラス細工でも扱うような繊細さでガルザの肘を逆方向に折った。
「ギッ……!? が、がああああああッ!!」
オークキングの絶叫が荒野に轟く。
「窓の外では小鳥が鳴いていて、室内には挽きたてのコーヒーの香り」
ボキ、メキ、パキィ……ッ!
音が止まらない。
肩。膝。肋骨。大腿部。
人間の技とは思えない素早さで、正確無比に壊していく。
「ぎ、ギギ……グアアアアアアアアアア……ッ!!!」
全身の骨を破壊されたガルザ=ヴォグが地面に崩れ落ちた。
「朝焼けを眺めながらゆっくりとコーヒーを楽しみつつ、今日一日何をして過ごすかを考える」
倒れ伏すオークキングに跨がりその顔面を拳で何度も何度も殴打する。
「次はどうしようか……今日は天気がいいから散歩にでも行こうかな」
うめき声を上げるしかできなくなったオークキングの顔面を片手で掴み上げ、ずるずるとその巨体を引きずり回す。
「そうだ、洗濯もしよう。丁寧に一枚ずつシワを広げる。決して急がずゆっくりと」
おそらくは五百キロを軽々超えるだろう巨体を片手で持ち上げると、バサバサッとタオルのように振り回して地面に打ち付ける。
オークキングの肉がひしゃげて骨がつぶれた。
「そうしてひと仕事終えたら次は食事の準備。あらかじめ丁寧に下ごしらえした肉は焼いても美味しいけれど、そのまま食べても結構イケます」
ピクリとも動かなくなったオークキングの首元にかぶりつきその肉を噛みちぎる。
「食後は豆から丁寧に挽いたコーヒーで一服」
オークキングの首をねじり切った。舌を突き出し、喉を鳴らして鮮血を飲み下す。
「――こうして、私は今日も"丁寧"に生きている」
「うわ出たよ……"鬼"の相楽のスプラッタサイコ劇場が……こんなんだから攻略動画の一般公開は差し止められるんですよねえ」
ノアが目元を覆ってため息をつく。
相楽がオークキングを一方的に嬲り殺し、ノアは呆れたようにそれを眺めていたが、その一方で、いつしか全体の戦況もピークを超え今は掃討戦のフェーズに移行していた。
"魑魅魍魎"のギルメンが跪いて命乞いをするオークたちを虐殺している。
「一匹たりとも逃がすなァッ! くせえ豚どもの血を根絶やしにしろォ! 死んだオークだけがいいオークだァ!!」
「いいよォ~ッ! やっぱ総長との"狩り"は最高だよォ~ッ! あー、"生きてる"って感じがするぜェ~~~ッ!」
「幸せならオーク殺そッ♪ 幸せならオークを殺そうよッ♪ ほらみんなでオーク殺そッ♪」
ハイになったギルメンを見ながら相楽が肩をすくめる。
「うちのメンバーは相変わらずですねえ……久しぶりの運動で少しスッキリしましたが、やはり私には少しこの環境は騒がしすぎるようです。ノアさん。私はちょっと成城石井と無印良品に寄りたいので先に帰ります」
そそくさと一人出口に向かう相楽を見送りながら、その背中に向かってノアがつぶやく。
「"丁寧な暮らし"がしたいって……相楽さんってば、またしょうもないことを……」
チルライフを送っていたこの三ヶ月間と、たった今あるべき場所に舞い戻っていたときの相楽。
その二つを比較しながらノアは決定的なことに気づいていた。
「モンスターを嬲り殺すときだけとびっきりの笑顔を見せるとか……相楽さんはやっぱり天性の捕食者ですよ」
この三ヶ月間、まったくの無表情だった相楽を思い出し、ノアはため息をつく。
"丁寧な暮らし"とか"自分らしい人生"とか。そんな世間が作り出した価値観に影響されず、自分が笑える瞬間を追求したほうが本人のためだと思うのだが……。
まあいいだろう。野生の本性には抗えない。きっと相楽はまたダンジョンに舞い戻ってくるはずだ。
なぜならば"鬼"にとって本当にくつろぎ、幸せを感じられる場所はその棲家以外にはないのだから。
ネット上におびただしく氾濫する価値観の押し付け記事と、世間一般の価値観から甚だしく乖離した相楽の生態を比較しながら、ノアは最後にもう一度達観したようなため息をつくのだった。
……ちなみにノア本人は今回の虐殺を引き起こしたきっかけが、ギルドには秘密で活動している自身のYouTubeとnoteであったにはまだ気づいていない。
過去作品もどうぞ
・ソウルカードプレイヤーズ(https://ncode.syosetu.com/n5335km/)
・異世界で冒険者ギルドに入ったら、そこはマフィアだった(https://novel18.syosetu.com/n8839fo/)