3話 少しでもこんな自分のことを知ってもらえたら……そんな想いで始めました
「まったく、ノアさんには困ったものです……」
かつての部下は意味不明な言葉を残して去っていった。
本当の私は天性の捕食者? こんな薄っぺらい生活では満たされない?
「また適当なことを……」
相楽はノアが残していった痕跡を消し去ろうとするかのようにクロスでテーブルを拭き、皿を洗い、部屋の空気を入れ替えた。
窓の外を見れば日が傾きかけている。ランチのつもりで食事をしていたのだが、気づけばずいぶん話し込んでしまっていたらしい。
オレンジ色の西日が部屋の中に優しい光を投げかけていた。
観葉植物はお疲れ様というように頭を垂れ一日の終わりを告げている。
時折吹き込んでくる風は白いカーテンを揺らして外で遊ぶ子どもたちの笑い声を届けてくる。
チルい。これはチルすぎる。
相楽はじーんと感動した。これも年のせいか。目の端には涙が浮かんでいる。
これだ。これが私が本当に求めていたものだ。
ハンター協会からの無茶無謀な要求。
荒くれ者の部下を束ねてダンジョンに突貫突撃を繰り返す荒んだ毎日。
相楽の半生は血で血を洗う日々で構成されていたのである。
今の穏やかで静かな生活はそれらの凄惨なライフスタイルとはまったく違う。
モンスターや部下の阿鼻叫喚、すり潰された肉片と臓物がもたらす悪臭。
そんな殺伐とした日々とは永遠におさらばしたのだ。
相楽はベランダから近所の児童公園を見下ろした。子どもたちがブランコで遊ぶ姿を見て目を細める。
そうだ、肉片と臓物のことを思い出したら急に腹が減ってきた。今日は久しぶりにカレーでも作ろう。
「材料もひと通り揃っていますしね。オークのモツでもあればよかったのですが……豚肉で我慢しましょう」
どうせ味もたいして変わらないし。人語を話すか話さないかの違いだけだ。
冷蔵庫から買い置きのカレールーや玉ねぎを取り出そうとした相楽だったが、そこでふと思い出してPCの前に戻った。
ノアが来たせいで中断されてしまったが、ブログサービスに投稿した記事にどれくらい評価がついているか見ようとしたのである。
「……おかしい」
PCの前に座った相楽は訝しく思った。
投稿したのは数時間前のことである。投稿してしばらくはサービスのおすすめ記事としてピックアップなどされる。
相楽の読みではそこで読んだ人がスキ♡の評価をしてくれるはずで、すでに五十個くらいは♡をもらっていてもおかしくはないはずだったのだが……。
「一個もついてない……? なぜだ……?」
顎に手を当ててふーむと考えてみるも答えは見つからない。
タイトルも見出し写真も記事の内容もすべてがパーフェクトである。
と、そこで相楽はあることに気づいた。
トップ画面では相楽の記事と並ぶ形で地雷系メンヘラギャル女の自己紹介記事が表示されていた。そちらには♡が三十個もついている。
「ああ、なるほど……サービスの不具合ですか」
おそらくサーバーか何かが落ちて相楽の記事にアクセスするときだけタイムアウトエラーにでもなるのだろう。
そうでないと、構ってビッチの低俗な自己承認欲求記事が評価されている一方で、「幸せとは何か?」を追求する相楽の高尚な記事が放置されている現象が説明できない。
自分で立てた推論に納得した相楽はカレーを作るべくキッチンに戻った。
明日以降になれば不具合も解消されているはずだ。数日後にまた評価欄をチェックしてみることにしよう。
――そして数日後。
「……」
相楽が握りしめたマウスにはヒビが入っていた。
メンヘラ女の記事は♡が百個にまで伸びていた。
相楽の記事は相変わらずゼロのままである。
「……」
相楽は無言でオフィスチェアから立ち上がると、伸びをしてポキポキと首を鳴らし、ストレッチマットの上でヨガを始めた。
チルライフには心と身体の平穏が絶対条件。その両方を維持するには毎日のメンテナンスが必須。
ヨガで全身の緊張と弛緩を繰り返すことでリラックス状態を促すことはハッピーリタイアメントで欠かすべからざる必須スキルといえた。
深く息を吸って、吐く。
ヨガの要諦は呼吸。
呼吸に意識を向けることで、心を落ち着かせ、集中力を高めることができるのだ。
「……ふッ、ふッ、ふーッ! ……ふッ、ふッ、ふーッ!」
――相楽のこめかみには青筋が浮かんでいた。繰り出す吐息は燃え盛るドラゴンの息吹に似ている。
髪を逆立て、ボキボキと全身の骨を鳴らしながら、己の内で燃え上がる激情を必死になだめつつ、相楽は思考を巡らせていた。
「ネットのやつらの目は節穴ですか……なぜ私の記事でなくメンヘラクソビッチのほうを評価するのですか……初めてですよ…わたしをここまでコケにしたおバカさん達は……ッ!」
気合一閃。
はッ……! と口から呼吸を吐き出す。
その瞬間、ベランダの外から人々の悲鳴が漏れ聞こえた。
「うおッ、突風……ッ!? いや地震か!?」
「ママ―ッ!」
「だ、大丈夫よケンちゃん! た、ただの地震よ! 最近このあたりではよくあることなの……」
――ヨガを終えた相楽はゆっくりとストレッチマットから立ちあがった。
全身はリラックス状態にあり、頭脳は明鏡止水のごとく冴え渡っている。
「わかりましたよ……私と彼女の差異がどこにあるのか」
再びPCに向き直り、メンヘラクソビッチの名前――読み方がよくわからないが、希空という漢字といくつかのキーワードで検索をかける。
すると、すぐに見つかった。
「やはりそうでしたか……! この尻軽女、YouTubeもやっていたんですね!」
どうやら地雷系メンヘラギャルはもともと登録者数数十万人を誇る人気ダンジョンユーチューバーとして活動していたらしい。
収益化の一環なのだろう、チャンネルのプロフィール欄には「YouTubeでは話せないnote限定コンテンツ」「YouTubeでは語れなかった“希空の裏側”はこちら」というコメントとともにブログサービスのほうのリンクが張ってあった。
そっちのほうから流れてきたフォロワーがnoteのほうでも大量の評価をつけたに違いなかった。
「誰にでも股を開くゆるふわビッチめ……しかしこれで謎が解けましたよ。ふふッ、なるほどなるほど……つまりは大事なのは導線ということですね」
口元を歪めて相楽は笑った。
敵ながら股ゆるビッチにも認めるべきところはある。ダンジョン攻略動画の最初と最後に10秒ほどのブログ宣伝を入れているところや、YouTubeでは観られない限定コンテンツを強調していることは評価すべき項目だろう。
「しかし、YouTubeのダンジョン攻略チャンネルとは……まさか同業者だとは思いませんでしたよ。どうやらこのおバカさんは私が何者だかご存知ないようですね……」
元、という言葉が頭につくが、これでも相楽はS級ハンター。
ギルドの世界ランキングはトップテン。
個人としては五指の指に入ると言われた業界トップレベルのハンターである。
東京壊滅の危機を食い止めた回数なんて両手の指じゃ足りない。
日本が崩壊するようなスタンピードを止めたこともある。
日本の内閣総理大臣が就任すると相楽個人に安全保障条約の宣誓を行うことは裏の世界では知れた話である。
もちろん裏の世界だけではない。
動画配信、インタビュー、コラボ、CM出演――
なぜか「すいません、やはりあのスプラッタサイコパス動画はスポンサーの許可が降りなくて……」と、お蔵入りになった企画やコンテンツも多いが、世界レベルのギルマスとしていずれのコンテンツビジネスも経験済であり、世界でも日本国内でも顔と名前が売れているのだ。
つはりはこれを利用すればいい。
にやりと唇を歪めた相楽はキーボードをタイプして"仕込み"を始めた。パチパチと楽しげに音が跳ねる。
……これが日本に"鬼"ありと謳われた"魑魅魍魎"の総長の帰還の序曲となろうとは、この時点ではまったく予想だにしていなかったのである。
――その数日後。
「……」
相楽は無表情でPCを眺めていた。無機質なガラスの瞳にはディスプレイの光が反射している。
開かれている画面はいまだ評価がゼロのままの記事と……人の人生をおもちゃにすることで悪名高い5chのスレッドであった。
◇◇◇◇◇◇
【悲報】元・最強ギルマスの相楽さん、引退してポエマーになる
1 :名無しの冒険者:2025/05/16(金) 18:44:21.35 ID:VgUgHkOP
ずっと更新止まってたXにnoteのリンクが貼られてる
伝説の“鬼相楽”が引退後に書き始めた記事が「暮らしを丁寧に」ってどういうことやねん
2 :名無しの冒険者:2025/05/16(金) 18:45:33.61 ID:xGhK7Z13
「気がついたら泣いていました」←こいつベヒモスの頭素手でカチ割ってたやつだよな??? こいつが仕事辞めたことで感涙するのはモンスターの側では???
3 :名無しの冒険者:2025/05/16(金) 18:46:02.07 ID:PluLkZT7
読んでみたけど中身スッカスカで草。「あなたはどんな瞬間に幸せを感じますか?」←うるせぇわ
4 :名無しの冒険者:2025/05/16(金) 18:48:18.79 ID:QtwkH9dz
伝説級の腕があって引退したらポエムおじさんって、落差ヤバすぎだろ
まじでギルメンどう思ってんだよこれw
5 :名無しの冒険者:2025/05/16(金) 18:49:55.82 ID:YsK2n8Fr
おれ見たことあるけど、相楽って昔殺したマンドラゴラの女王にションベンしてたぞ
それが今観葉植物に水あげてるとかマジ草
6 :名無しの冒険者:2025/05/16(金) 18:52:10.42 ID:LsafGYm1
>>5
しかも最後に「生きててよかったと今日もまた思いました」って締めてて鼻水出たわwww
Sランクダンジョンの単独踏破の記録持ちなんて殺しても死なねえだろ
7 :名無しの冒険者:2025/05/16(金) 18:53:37.91 ID:RbBt0yHg
むしろこの路線で突き抜けてほしい
「世界は優しさでできてる」とか言い出したら過去ログ添えて冷笑コメント飛ばしてやるから、早く次の記事書け相楽wwww
8 :名無しの冒険者:2025/05/16(金) 18:55:41.86 ID:HgaKDQ25
マジで誰か相楽のXに“昔のお前の発言まとめBot”貼っとけ
自分がどれだけ致死量のブーメラン投げてるか教えてやれよwww
◇◇◇◇◇◇
……獣と真正面から相対したとき、人間は恐怖する。
なぜなら獣の顔つきは人間のそれとはかけ離れているからだ。
そのために人は獣の心情を推し量れない。
何を考えているかわからない。
その牙や爪が次の瞬間どう動くかまったく予想がつかない。
――能面のごとき相楽の今の顔は獣のそれによく似ていた。
バキバキに血管の浮き出た骨ばった手がスマホを取った。LINEからかつての部下を呼び出した。
「はーい、ノアでーす。相楽さん? 何か御用ですかね? あ、もしかして飲みのお誘い? ごっめーん、ノアぁ、今夜はYouTubeのファンサイベで予定があってぇ」
キャピキャピと跳ねるような部下の声を電話越しに黙らせる。
「ノアさん」
「ひゃ……ッ! は、はいッ!」
「最近どうもチルライフにこだわったり、ネットの世界に囚われるあまり……少し運動不足になっていたようです。ノーストレスで健康な生活を送るためには多少の運動も必要だと思いませんか?」
「え……それってどういう……」
「確かオークキングの軍勢が新宿コクーンで発生しているのでしたっけ……ああ、こう言えばわかりますか? ――ノアさん。"狩り"に行きましょう」
◆◆◆◆◆◆
相楽からの電話を切ったノアはこめかみに汗をかいていた。
胸の動悸がおさえられない。
かつての日々が脳裏にフラッシュバックする。
「帰って来る……"鬼"の相楽が帰って来る……ッ!」
それはすなわち、虐殺の始まりだった。
過去作品もどうぞ
・ソウルカードプレイヤーズ(https://ncode.syosetu.com/n5335km/)
・異世界で冒険者ギルドに入ったら、そこはマフィアだった(https://novel18.syosetu.com/n8839fo/)