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2話 自分らしい人生ってなんだろう?

 相楽の冗談に号泣して、鼻水を垂らしながら土下座してくるクソザコノアさんであった。


 それでも足りないと思ったのか、挙句の果てには革のショートパンツをおろして尻の穴を見せて謝罪しようとしてくるので、相楽は面倒になってノアを許した。


「というか、お尻の穴を見せるのは謝罪になるのでしょうか」


「全裸土下座ってあるじゃないすか? その発展型ですよ」


 いや、そもそも全裸土下座を知らないのだが。絶対一般ワードではないだろう。


 はあ、とため息をついて相楽はノアを見下ろす。


 相楽はもう一度ため息をついてから、妙に生暖かい革パンをノアに向かって放り投げてキッチンに向かった。


「風邪ひきますよ。どうせ今日もご飯を食べていくのでしょう。すぐ作りますからソファでテレビでも観て待っててください」


 あらかじめ冷凍していたオリーブ漬けのニンニクをフライパンでそのまま解凍しながら、そのあいだにパスタを茹でる。

 これまた事前に切り分けておいた、かぼちゃ、玉ねぎ、人参。

 それとじっくりと時間をかけて低温調理したサラダチキンを使い、蒸し野菜とチキンのサラダを作る。

 ドレッシングは成城石井で買った少しお高めのものだが、その分味が良く満足度も高い。


 茹で上がったパスタにガーリックオイルを絡めてペペロンチーノを手早く作る。

 手軽ではあるが、栄養のバランスと身体のことを考えた丁寧なランチである。


 いただきます、ときちんと手を合わせてノアは意外にも上品な手つきでフォークを手繰り始める。


「……てかなんすか、この意識高いメシ。ランチョンマットとか敷いちゃって。相楽さんらしくもない」


「それはまあ確かに以前の私は荒れた食生活をしてたかもしれませんが……」


「生きたオークの丸かじりは荒れてるなんてレベルじゃないんですよねえ」


 闇色の化粧に彩られた目でジッとこちらを見つめるノアだった。


「っていうか、マジでなんすかあのブログ? 嘘と虚飾しかないじゃないですか」


「そんなことはないでしょう」


「"かつての私は何十人ものメンバーを抱えるチームリーダーとして現場の最前線に立っていました"――そりゃこう書けば普通の会社員か何かに見えますけど、相楽総長、あなた会社員なんかじゃなくてギルドマスターでしょ」


「嘘は書いてないです」


 この世界に突如ダンジョンとモンスターが出現して二十年以上。


 ときに大災害をもたらすダンジョンだったが、そこで獲得できる資源は現代社会になくてはならぬものとなっており、ダンジョンを攻略し資源を回収するハンターは今や花形の職業である。

 その人気たるや、YouTubeの動画配信ランキングの上位はすべてダンジョン攻略で占められているほどである。


 そんな中で相楽は三ヶ月前まで、何十人ものメンバーを抱えるとあるハンターズギルドのマスターを務めていた。


 ノアは批判的に言うが、相楽が書いたのはその事実を婉曲に表現しただけの文章である。決して嘘はついていない。


「じゃあこれは? "スケジュールは常に逼迫し、少しミスをしただけで誰かのクビが飛ぶ"」


「それも嘘はついていないですよ。ミスをすれば命を落とす。その事実を端的に表現したつもりです」


「そりゃ確かに物理的にクビが飛ぶ業界ですけど! 普通は誰もそう受け取らないですよ! てか「スケジュールは常に逼迫」ってノアたちを追い詰めてたのは相楽総長のほうでしょ!」


「いえいえ、ノアさんたちには苦労をかけて申し訳なかったですが、これで私もハンター協会の方たちからのプレッシャーのせいでだいぶメンタルがやられていたのですよ」


「協会の使いっ走りをコンクリに詰めて送り返した人の言うセリフじゃないんですよねえ……」


 会話しつつ食事を終えたノアはごちそうさま、とまたもしっかり手を合わせてから、自分と相楽の食器をキッチンに持って行く。


 戻ってきたノアの手には麦茶のグラスが二人分。

 グラスをテーブルに置くと、ノアは画面がバキバキに割れたスマホの画面をこちらに向けてきた。


「ところで最後のこれは何なんですか? "私は重大なミスをやらかしてしまいました。体調が万全なら決してしないようなミスです。幸い部下の一人がフォローに入ってくれたため大事には至りませんでしたが"って。ノア、まったく心当たりないんですけど」


「え、私を助けてくれたのはノアさんですよ。ほら三ヶ月前、新宿コクーンで私が何もない通路でつまづいたことあったじゃないですか。あのときノアさんが支えてくれたの覚えていませんか?」


「あ、なんとなく覚えてるような……って、え、ウソ、ま、まさか相楽さん、そんなしょうもないことで引退を決めたわけじゃないですよ!?」


「いえ、これがきっかけでもあり決め手でもありました。私もアラフォー。中年のおじさんです。まだまだ頑張れるつもりでしたが、身体は相応に年をとっていたようです。まさか何もないところでつまづくとは……もしつまづいた先にトラップでもあったら大変なことでした。ノアさんが咄嗟に支えてくれなければどうなっていたことやら……」


「そんなことないでしょ!? 相楽さんなら、毒矢がきても岩が転がってきても蚊に刺されたようなもんでしょ! こんなことで世界ランキングベストテンに入ってるギルドのマスターを辞めるなんて……頭どうかしてるんじゃないですか!?」


 失敬な。人を化け物や頭のおかしい人のように言うなんて。

 これはやはり折りたたんでやる必要があるだろうか。


 こほんと咳払いして気を取り直した相楽は麦茶を一口飲んでノアに向き直った。


「そう責めないでください。もう終わったことです。引き継ぎも普段からしっかり行ってましたし、私がいなくても五木田さんが問題なくあとを務めてくれているでしょう?」


「いえ全然まったく。業務は回ってますけど、相楽さんがいなくなったあとの五木田さんたちは抜け殻のようです。毎日相楽総長の写真を抱きしめてますよ。筋肉達磨たちが乙女のため息をついてて気持ち悪いんで早く帰ってきてください」


「ますます戻る気が失せました」


「ねえ、相楽さん」


「はい、ノアさん」


「本当にギルドに戻って来ないんですか?」


 濃いアイシャドウの奥の瞳からこちらを射抜くような視線だった。


 相楽は黙り込んだ。目を閉じてじっと考え込んでからゆっくりと口を開く。


「……ノアさん、あなたには何度か話したことがあるかもしれませんが、私はもう二十年以上もハンターとして最前線を張ってきました。あの恐怖の災害――第一次スタンピードのときからです。私のように両親を失うものをこれ以上見たくない。その一心で、私は文字通り身命を賭して最前線で身体を張り続けてきたのです」


「はあ……また始まったよ」


 何かノアが呟いたようだが、これも中年の悲しさか、最近は少し耳が遠くなったような気がする。うまく聞き取れなかった。


「でもこんな私ももうアラフォーです。私の二十代、三十代はダンジョン攻略に捧げられました。多くの人のご協力によって昨今ではスタンピードの危機も昔よりは遠ざかっていますし、可能であれば私は今からでも失われた自分の生活を取り戻したい。両親はもう帰ってきませんが、母と父が生きていたあの頃のような穏やかな生活をもう一度送りたいのです」


 二十年以上にわたる貢献と責任。義理としがらみ。そして喪われてしまった自分らしい人生。

 相楽は本当の自分を取り戻したいだけだった。


 正直に胸中を打ち明けたつもりだが、わかってもらえただろうか。


 ノアがいったいどんな顔をしているのか。相楽はゆっくりと目を開いて対面に座る彼女を見た。


「はあ~~~~~~~……」


 ノアは白けきった顔でクソデカため息をつきながら、頬杖をついてスマホをイジイジしていた。


「あ、話終わりました? ノア、相楽さんのその話聞くの百回目くらいなんですけど?」


 そうだろうか。確かにノアとはよく飲んだり食事をしているのでこの話は何度かした気はするが、百回はさすがに言いすぎだろう。


「ってか、相楽さん、今度は何に影響されたんですか? どうせnoteとかXのクッソ寒い自分語りとか、頭空っぽの情弱しか引っかからないようなアフィカスブログに影響されたんでしょ?」


 顔も上げずに鼻で笑うノアに相楽はむっと反論した。


「いや、そういうのとは違って私は自分らしい人生を送りたいと本当に以前からそう思っててウェルビーイングな価値観を大切にしたライフスタイルをですね」


 ところがノアはますます白けるばかりか、流行り物のおもちゃに夢中になる子どもを見るかのような冷めた視線を向けてきた。


「ダイバーシティ」


「むっ」


「SDGs」


「くっ」


「DX」


「うっ」


「あとワーケーションとかマインドフルネスもありましたっけ。ここ数年で流行ってはいつの間にか消えていった考え方……相楽総長。すべてあなたが影響されて無理くりギルドに導入しようとした概念ですよ」


「……ノアさん、あなたにはわからないかもしれませんが、ギルド運営というのは会社経営の仕事に似ているのです」


 ダンジョン資源の取引も現代社会の需要と供給で成り立っている以上、ダンジョン攻略はスタンピードを食い止めるという安全保障だけでなくビジネスの側面も持っている。


 であるならば、経営者であるギルドマスターが世の中の流れに敏感に反応してフッ軽に行動するのはむしろ褒められるべきことなのではないだろうか。


「いえ、それは別にいいんですけど、導入の仕方が無理筋なんですよ。五木田さんに女装させてコワーキングスペースでヨガをさせる姿にはさすがのノアもドン引きでした」


 五木田さんはよいのだ。副長である彼は総長相楽の犬だから絶対服従なのだ。本人も泣いて喜んでいたではないか。


「ノアさん、確かに私は流行り物に影響されやすい性質かもしれませんが、今度の今度ばかりは本気で小さな幸せを大切にするこのライフスタイルを追求しようと思っているのです。できればあなたにもそれを応援してほしかったのですが……」


「はあ、まだそんな世迷言を……そんなのどうでもいいですから、本当の自分とかいうありもしないものを追いかけるのに飽きたらさっさとギルドに戻ってきてください。新宿コクーンの下層でオークキングの軍勢が発生してて大変なんですよ。五木田さんたちは総長ロスでメンタルクリニックに通ってて役に立たないし。相楽さんが戻ってこないことにはにっちもさっちも行かない状態なんですから」


「ノアさん、私はですね――」


 なおも言い募ろうとすると、ノアは紫色のネイルに彩られた指をこちらの口元にすっと当ててきた。


「誓ってもいいですけど――」


 ノアは真っ赤な舌で自分の唇をちらりと舐めた。銀色のピアスがぎらりとナイフのように光る。


「相楽さん、あなたは近い内に"魑魅魍魎"の総長としてきっと戻られますよ。だって本当のあなたは生まれながらの鬼にして天性の捕食者。生態系の頂点に立つSランクハンターのあなたの本性は、世の中の流行りが作り出したこんな薄っぺらい生活の中じゃ絶対に満たされないんですから――」

過去作品もどうぞ

・ソウルカードプレイヤーズ(https://ncode.syosetu.com/n5335km/)

・異世界で冒険者ギルドに入ったら、そこはマフィアだった(https://novel18.syosetu.com/n8839fo/)

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