第七話:覆面
「着いたぞ」
「「…」」
あれから十分ほど歩いただろうか。関心の先導の下、三人は目的の場所「マグノリア=ロックス商会」に訪れていた。
こちらの商会もまた全世界屈指の規模…どころか最大級の規模を誇る「マグノリア商会」のロックス支部に該当し、此方も同様に多くの客で賑わいを見せていた。
しかしイヴと青年の二人は何処か訝しげである。先の件があった中で、次に俺が連れて来た商会とあれば、警戒するのも無理はないか。
但し此方に関しては心配無用だ。何を隠そう、この商会は完全に身内だからな…でもこれ、二人の安心材料にはならないよね。
「早速、中に入りますか」
そう言って俺は商会の裏口に回り、そちらから建物の中に入れて貰う。
途中裏口を警護していた門番に会員証を提示し、これを見て一瞬驚く門番ではあったが、最終的に無言で中に入れて貰う事が出来た。その直後に女性店員の一人が駆け足で馳せ参じた後、彼女にお願いして馴染みのあるあの部署に案内してもらう。
実を言うと、ここロックス支部には直接足を運んだ事が無く、途中すれ違う数々の手人から好奇の視線を浴びせられた。しかし俺はそんなのお構いなしと言う態度を崩さず、建物の最奥に存在する「マグノリア商会諜報工作部基地」と書かれた部屋に辿り着いた。
流石に部屋の中は企業秘密なので、中に居れる事は出来ない。そこで二人には同じ階に用意された客間にて待機するように促し、俺はその重い扉を押し開けたのである。
~~~~~
あれから十五分程経過したのち、イヴと青年の二人が待つ客間に関心が姿を現した。その片手には何らかのデータが入っているであろう記録媒体が人数分握られている。
「お待たせ、何とか引きだして来れたぜ」
「関心、それはもしや?」
「これが実際に使う事になる戸籍だ、お誂え向きのがあったから丁度良かったな」
そう言って関心は記録媒体を電子端末に挿入し、内部情報が確認できる状態でそれぞれ二人に手渡した。
それと同時に、何らかの魔法道具と思わしき指輪も用意されているようだ。
これを受けて二人の警戒心はLv.MAXに到達した。しかし仮に罠が張られていたとして、回避出来るかどうかは未知数であった。関心のやり口は、隙があるように見えてどうにも狡猾なのである。その隙ですら、関心の自由意思によってどうにでもなってしまうのだから。二人は先の一件で着実に学習するに至っていたのである。
そんな二人を見やって苦笑する関心。しかし関係無いとばかりに持って来たそれを二人に差し出すのであった。
「これからはその名前、その姿で過ごしてもらう事になる。内容を確認してみてくれ」
関心の勧めに従い、二人は恐る恐るではあったが、記録媒体内に記載されたパーソナルデータに目を通す。
イヴに手渡された方は「フラウメル=ベルンシュターク」と言う十五歳の少女。
身長体重は実際のイヴの物に酷似…どころか全く一緒で、外見だけは全くの別人となっている。しかも丁寧に容姿が3D画像で設定されており、藍色の髪をショートボブで切り揃えており、群青色の瞳をした地味な外見をしていた。
顔立ちは悪くないのだが、特別いいと言う訳では無い微妙な感じで、間違いなくイヴの元の外見からはグレードダウンしている感は否めない。しかしそれは今の状況を鑑みると、却って好都合とも解釈出来た。
対して青年に手渡されたのは「キアン=ミッドレイ」と言う十九歳の青年。
こちらも身長体重が青年と全く一緒で、外見は全く異なる物になっている。髪は深緑で気持ち長めに切り揃えられており、瞳は濃赤色。そしてこちらも同様、顔立ちは良くも悪くもなく微妙な感じ。
ただ此方は地味と言うよりかはパッとしないと言う印象を受ける。
これらを見て、更に疑い深くなる二人。しかし聞いてみない事には始まらないと、イヴが重い口を開く。
「…これ、何処で手に入れたんですか?」
「何処で、って聞かれると難しいな。これは事前に諜報工作部が管理していた架空の戸籍だからなぁ」
「架空の戸籍?そんなもの、どうやって使えと?」
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
若干殺気立って関心に迫るイヴと青年を必死に諫める関心。その流れで説明が恙なく始められる。
そもそも今回お邪魔した「諜報工作部」はその名の通り、情報収集と隠密行動に特化した部署である。
その仕事柄、他勢力にスパイや密偵を多数送り込むのは辺り前の事。しかしどんなにうまく立ち回れていたとしても、ばれるときにはばれてしまうのが両者の常。
そこはどうしようもないと割り切るとして、それとは別にばれた時の対策や、ばれないようにする為の偽装工作等にも余念がない管理体制を敷いているのである。
今回引っ張り出して来た「架空の戸籍」もその一環である。
「この戸籍は、該当の人物に設定された生誕日時から厳格に管理されているものだ。マグノリア商会の息がかかった間者達は、基本的にこの架空の戸籍を用いて活動している」
「その言い方だと、このフラウって人物とキアンって人物は実在しないんですか?」
「ああ。でも厳正に管理された正式な戸籍だから、ボロは出ないようになってるぞ」
関心は「だからこれらは曰く付きの戸籍って訳じゃない、安心したまえ」なんて続けていたが、明らかに存在自体が歪で特異な戸籍であることに変わりない。結局、「曰く付きの種類が変わっただけじゃん」と二人は同意見の心情を吐露する事となる。
そしてよくよく戸籍を確認してみると、経歴から職業、加入している保険や資格、個人番号まで事細かに記載されている。
設定上では、二人はマグノリア商会が運営する孤児院出身となっており、就業経験は無し。保険はマグノリア商会の配下が運営する保険会社のものとなっており、資格はキアンの方が自動車運転免許を所有していた。
他にも詳細情報が事細かに書かれているが、明らかに架空の戸籍にしてはクオリティがそぐわないように感じられた。相当凝っている、何がそこまで駆り立てるのやら…
そんな中、若干空気を読まない発言をするのは青年である。
「何で自動車免許なんて持ってる事に…?僕、自動車なんて運転した事無いよ」
「一応諜報工作部の中に戸籍管理の部署があってな、そこの人員が変装して裏で色々暗躍していたのさ」
「芸が細かいですね…職人の矜持と拘りを感じます」
まぁ、ここまでやってるのはマグノリア商会だけだと思うぞ…なんて余計な事は口にしない関心。
ただここまで徹底したお陰か、意外と他勢力の捜査を潜り抜けられるケースは多いと報告は受けているので、関心は「多分間違った事はしていない」と思っていた。
「でもこれ、企業秘密と言って差し障りない際物では…勝手に使っていいんでしょうか」
「関心、どんな汚い手を使って手に入れたんだろうね?」
「人聞きが悪くてテンション下がるぜ。単純にストックから引っ張り出して来ただけだって、一応数百名分は保管してあるからな」
関心のこの発言は、もう確定的と言って良いくらいに「関心がマグノリア商会の関係者」である事を示唆していた。しかもこれらを引っ張り出して来れる辺り、少なくとも下っ端でない事は明らかと言って良さそうだ。下手したら上役、それもかなりの大物である可能性だって考えられる。
しかも事と次第によっては、関心のやっている事は職権乱用に該当する可能性さえある。二人は唾と一緒に、浮上してくる最悪の可能性を飲み込んだ。
ただそれは、二人の心情を察知した関心によって制止された…かと思いきや。
「あ、心配しなくていいぞ。これは俺が個人で制作した代物でな、俺の裁量で自由に使える中から持って来てる」
「ど、読心術…」
「これ、関心が作成したんですね…名前が無いって言うの、嘘だったんでしょう?」
ここで三人全員が狼狽える羽目となる。
その理由は全員異なっていたが、反応速度と条件反射は完全にシンクロしていた。
「いや、名前を失ったのは本当だぞ。ただ戸籍は別に用意してたから、そっちでは困らないだけで」
「それなら街に入る時、あんな妙な真似しなくても」
「いや、あの時はほら。使える戸籍を一つしか持ってなくて、その一つって言うのが、ちょっと、ね」
今までにない動揺を見せる関心。
恐らく正規の手段で入る事は出来たが、それをしたくなかったんだろうな、と二人は解釈する事にした。なぜそこまで嫌うのかは未だ明らかになっていないが。
そんな微妙な空気間の中、誤魔化さんとばかりに関心が一喝する。
「兎も角!二人は当分その名前を名乗りながら、その姿になって生活して貰おうと思う。体や声に違和感はあると思うが、体格は殆ど同じだから馴染ませる事は難しくないだろうよ。ささ、データ一式は指輪に入れておいたからとっとと填めちゃって!」
有無を言わせないとばかりに、二人を急か…促したのである。
しかし、幸か不幸かこの状況下で有無を言える強者も居る訳で…他でも無い青年であった。
「これ、爆発とかしたりしない…」
「しない!俺を何だと思ってるんだ」
危うい人、言うまでも無く二人の意見は一致していた。
それはそうと、気になるのは今後の事であろう。結局イヴと青年はこれを使う事になるとして…イヴは何かに思い当たったのか、心配そうな面持ちで関心に尋ねる。
「それで、関心はどうするんですか?」
「俺も俺で引っ張り出して来た。これからは別人となって心機一転頑張るぞ!」
そう言ってもう一つのデータを開示する関心。そこには同様に、架空の戸籍と思われるパーソナルデータが記載されていた。
しかしよく見てみれば、二人に渡された戸籍とは若干の差異が生じているように思われる。その人物はやけに実績が多く設定されており、これからの目的を考えると分不相応とも思わしき際物であったからである。
…結局ひと悶着あった末に、二人は関心の勧めに従い指輪を填めた。
すると填めた瞬間指輪が消失すると同時に外見が変化し、瞬く間に端末で確認したあの姿へと変貌を遂げていた。また関心の指示に従い、記録媒体を端末から抜いて右手で握りしめると、此方も右手の中で消滅した。どういうトリックかは分からないが、今の三人はこれまでの三人とは全く別の三人組になっている事だけは明らかだった。
これは変装用の魔法道具「チェンジリング」と呼ばれる物で、その中でもインストール式と呼ばれる型式に該当する。事前に外見情報を登録しておく事で、着用者を感知している間に限り、自動的に外見情報を登録されたものに変化させる事が出来る。尚エネルギー源となる魔力は着用者の周囲の環境から吸収する方式を採用しており、着用者自身には負担が少ないのも特徴である。
後で関心に聞けば、あの記録媒体は指輪型の魔法道具内に収納されたようだ。しかもその気になれば取り出す事も出来るらしい。
「因みにこの変身は通常の方法では解除出来ない。もし解除したければ、両手で合掌した後に掌同士をこすり合わせ、両手首を合わせたまま両手を握ると、左手に先の記録媒体が現れる。これを何らかの電子端末に接続する事で、そこから解除が可能だ」
「工程が多いね。そんな一遍に覚えられないよ」
「偶然記録媒体が取り出されないようにする為だな、ま、忘れたらその都度聞いてくれ」
関心は当たり前と言わんがばかりの言い草であったが、二人にとってはハッキリ言って「規格外」としか言いようのない画期的な代物であった事は言うまでもない。
返信するや否や、先の不安を吹き飛ばして何処か興奮気味の二人である。
「でもこれ、凄いですね。体格は殆ど変わってないですけど、見た目は愚か地声まで別人です」
「違和感が凄い…こんな簡単に別人になれるんだね」
「色んな意味で凄いだろ?強いて言うなら口調まで変えられたら完璧だな、もう誰も二人との関連を紐づけ出来ないぜ」
そう言う関心もまた、薄茶色の巻き毛の髪をマッシュに整えた、翡翠色の華奢な青年の姿に姿を変えている。こちらは体格面にも変化が生じており、確実に十数センチ程身長は伸びていた。また何故か縁の細い丸眼鏡をかけていたが、違和感がない程に似合っている。
「因みに、この姿の時は「ルディウス=クォーラ」って偽名を名乗るからから宜しく。それと本名は別に「マスティファ=ピリカ」って言う、ちょっと知られた名前を設定してるから」
何故か関心は二重の変装を施しているらしかった。そして関心が後に述べた名前は、先のデータで参照した名前と同様であった。
聞けば「マスティファ」と言う人物はマグノリア商会の関係者だそうで、とある界隈でも名の通った人物らしい。と言うかこの時点で、関心がマスティファの戸籍を用いて何かを行っていた事は明白と言って良さそうである。
聞けば関心、この戸籍と合わせて二名分の戸籍を保有しているそうではないか。一体何が彼をそこまで突き動かすのだろう。
尚関心曰く、『天啓』の事を考えるとある程度権力や上層階級に関与できるカードも保有しておきたいとの事だ。奇しくも二人はその名前を知らなかったので、関心の言う意味を正しく想像出来なかったのだが…
そんな二人を差し置き、関心は新たな小道具を取り出して見せる。
「さてと、これともう一つ」
そう言って関心が用意したのはタブレット型の端末と、付属のペン。そこに表示されていたのは俗に言う「契約書」のようであった。
心当たりのない二人は、寝耳に水と言わんがばかりにきょとんとしている。
「今回、二人がマスティファに同行する名目として「マスティファが個人的に雇った従僕」と言う拍付けをしておこうと思う」
「拍付け…潔い言い口だよね」
「実際建前みたいなもんだろ。それはそうとして、念の為に契約書を作成しておこうと思う。内容を確認の上、今回貰った名前をサインとして記入してくれ」
もう半ば強制と言った形だが、特に不利益を被る…かどうかは判らないので、二人は一度契約書に目を通す事にした。
内容を確認するが、終始当たり障りのない内容で特筆するものは無い。強いていうなら、これらは全て建前でしかなく、給与はマスティファが直接支給すると言う例外措置が取られている事くらいか。
これに驚いた青年が思わず口に出してしまう。
「え、給料が出るの?」
「ああ。俺のなけなしのポケットマネーを切り崩して、多少の小遣いはくれてやるぜ」
「今の姿とその口調、本当に似合わないですね…」
イヴの当たり障りのない感想も無理は無い。何せ今の関心は所謂「がり勉」と言って差し支えないビジュアルに変身してるのだから…勿論、ここを出たら口調はガラッと変える想定であった。
それはそうと、二人は特に異議を挟むでもなく素直にサインをしていた。
正直、今の二人の現状を鑑みるなら破格の対応と言って差し支えない。必然的にマグノリア商会の息がかかった人間されてしまったが、特に強制を強いるつもりも無いようだし、給料が少なくない額出る上に、万が一の隠れ蓑に利用できると言う事もあり不満は出なかった。
強いて上げるならこれが全て関心の主導によって行われた為、何かしらの意図や企みが隠されていそうな事くらいか。先の件で信用がイマイチな為、二人は関心に対して「してやられた」と言わんがばかりに悔しそうな表情を見せる。
かと言って、今の二人に何か出来たか?と言われれば微妙なので、実力不足と断言されれば否定する事も適わなかっただろうけど。
そして関心が契約書の一部始終を再度確認するや否や、サイン付きの契約書は、関心を通じて無事商会に引き渡された。
これで名実共に嘘偽りはない、されど架空の雇用関係が実現する事となったのである。これを受けて、関心が何時にない満面の笑みで二人に宣言する。
「さぁ、これで契約成立だ!フラウ、キアン、これから宜しく」
「「よ、宜しく…」」
こんな非常識な事を易々としでかしておきながら、無頓着な関心…もといマスティファ…もといルディに呆れる二人。
そして早くも口調や喋る方のニュアンスを変え、その演技が絶妙に板に着いている事もまた、二人の呆れ具合を加速させるのであった。
~~~~~
その後三人は、商会の建物内を散策した。必要な衣類一式や武具、食料を含む物資をついでに買い溜めたのである。
しかし流石は世界屈指の商会である。その品揃えは非常に充実しており、品質で特筆した物はないものの、ここだけで市場全体における平均より少し上位の生活必需品一式を買い揃える事が出来た。三人は早速新たに購入した動きやすさ重視の服に着替え、買った商品一式はこの時に購入した「魔力式容量拡張鞄」と言う高価な魔法道具に全て詰め込んだ。
その結果、以外にも容量は嵩張らずに済んでいる。無駄遣いは禁物だが、堅実に生活すれば当面の間は問題無いであろう。
そんな感じで買い物が終わると、三人は商会の正面出口から再び街中に乗り出した。気が付けば空が朱色に染まり始めている。割と長い時間動き回っていたようである。
しかしこの時…特にフラウとキアンの二人が、別人としか形容出来ない変装を施したことで心成しか安心感を抱いていたようで、先に比べ随分と街の景色に目が行くようになっていた。主に関心…いや、ルディのせいではあったが、二人とも緊張しきりだったようである。
そんなルディだけは唯一、何時に増して元気と言った様子であった。それを見た二人は、ほんの少しだけ精神年齢が老けたような実感を抱く事となったのである。
それはそうと、改めて見たロックスの街は一言で言えば「都会」。国内で最大級の都市では無いようだが、それでも街の発展は著しく、道は多くの通行人で溢れ返っている。
街中には東西南北に延びるメインストリートが存在し、その脇に蜘蛛の巣状の側道が張り巡らされている。今居る場所は街の西部近辺で、丁度メインストリートに接地した場所だ。メインストリートの脇には数々の露店が立ち並んでおり、そこには世界各地から集められた数々の魅力的な商品が並べられていた。
そもそもロックスの街は東部が海に接した、国内を代表する港町である。故に海外との貿易も盛んで、見れば数々の船舶が行き交っている事が確認出来る。
街中は異邦人も多く、故に国際色豊かな街となっていた。観光業も盛んなようであり、異邦人向けのお土産屋が立ち並んでいる他、街の住民に聞けば有名な観光名所も幾つか存在すると言う。
成程、道理で発展著しい訳である。
但し、フラウとキアンの二人は先に街の裏側に片足を突っ込んでしまった事もあり、この光景に何とも言えない複雑な感想を抱いていた。
別にこの街だけが例外と言う訳では無いのだが、流石に順番が宜しく無かったのだろう。
故にルディはお思う。仕方ないとも思うけど、やっぱりちょっと悪い事をしたかもなぁ、と。
それはそうとして、まだまだやること自体は山積みである。
雇用契約書自体は結んだが、これは大々的に公にするつもりのない情報だ。最も、ルディには別に本業があるので全くの無収入と言う訳では無いけれど、今後二人に給料を支給する事を前提とするならば、これとは別に副業を探しておきたいところ。
出来れば、旅の途中で小刻みに稼げるような自由の効く職業が好ましいだろうか。
それと忘れてはいけないのが『天啓』の諸々。こちらも進めておかねばなるまい。
ただ魔王の方は何とかなるとして、王女との面談は本気でどうしようか悩むルディ。王女直々に命が下ったとは言え、現状ではとてもじゃないが厳しいだろう。それと魔王の方も、此方から迷宮に赴く必要がある、と前途多難なのである。
ここでルディは思い至る。こうやってくよくよ考えていても仕方がない、と。
「考えても仕方ないか。宿を取ってから一旦夕食にしよう」
「そうだね、気が付けばもう良い時間だもんね」
「気が付けばもう日が暮れ始めてます。そう言えば私達、朝から何も食べてないんですね」
今日と言う一日は、非常に情報量の多い疲れる一日であった。
それはもう、三大欲求の一つ「食欲」の存在を忘れ去る程に。
これは最前線に立ったルディに留まらず、これに付き合わされたフラウとキアンにも言える事。
しかし思い出してからは抗えないのもまた同様、三人は速足で何処かしらの宿屋に向かうのであった。
…
そんな時、絶妙なタイミングで三人に声をかける者が居た。ルディとフラウの二人は同時に身構えるが…
そこに居たのは想像とは異なり、何処にでもいる町娘のようであった。ただ、外見からして気が強そうな娘であった。
「お兄さん達、もしかして路頭に迷ってたりしない?」
「あの…その言い方は、少々悪意が感じられますが…」
「いやね、言い方が悪かったかな?良かったら、ウチに泊って行かない?」
フラウの指摘は最もだが、娘は気にする素振りを見せない。これに何処か不安を覚える三人である。
恐らく宿屋の客引き目的であったようだが、あまりにも言葉選びが似つかわしくない為、情緒が不安定ならば別の意味にとってしまいそうであった。この娘、客引きとしてはどうなのか…
そんな共通する三人の疑問はさて置き、代表してルディが返答する事にする。
何であれ三人とも今夜泊る宿を丁度探していたのも事実。
なのでここは…
「断ろう。悪いけど俺達、これから宿屋を探さないといけなくてさ」
「ちょっ、それなら何でウチに泊って行かないのさ!」
ルディが娘をからかうように吐き捨てると、娘の方が突っかかって来た。
しかしここで怯むルディではない。
「いや、いくら勧められたからって、一般家庭に上がり込むのはちょっと…」
「察し悪いにも程があるよっ!ウチはその宿屋をやってんの!だから問題ないって事で」
「「「!」」」
そう言って俺達三人の首根っこを掴み、引っ張っていく町娘。
思いの外怪力だった、びっくりするくらい抵抗出来なかった、と言うより抵抗させてもらえなかった三人である。
立ち振る舞いや動作から武術に心得があるようにも思えないのだが、世の中不思議な事もあるものである。そう関心は一人関心していたのであった。
しかし、抵抗を諦めた訳では無い。
「ちょっと、待って、何を」
「お母さん!お客さん連れて来たよー」
何事も無かったように、良心が経営しているのであろう宿屋の扉を叩く娘。
嗚呼、ルディのささやかな抵抗も空しく…結局、三人は揃って娘の両親が経営する宿屋に押し込まれる事になる。
三人の感想は一致する、何だこれ。
「(この娘、絶対に客引き向いてないよね…)」
「(…でも、あんま大きい声で言うなよそれ)」
「うん?何か言った?」
「「何も!」」
「二人とも…」
そしてこの町娘、いつの間にかルディ達三人を手玉に取っていたようである。
と言うより、知らない内に三人はこの娘に気圧されていたようだ。相手の事を知ってか知らずか、末恐ろしい娘であると、引き続き三人は同じ感想を抱くのであった。
もう一度言う、何だこれ。
~旅屋、噴水の館 ルディ視点に移る~
その晩は街の西側に佇む宿屋「噴水の館」にお世話になる事になった。
と言うのもその宿屋の娘が店先で呼び込みをしており、特に宛も無かった俺達三人が大人しく捕まったからである。
「お母さん、お客さんが入るよー!」
「いらっしゃいませ…ちょっとメル、あまり大声で叫ばなくていいから」
そう言って三人を出迎えたのはこの宿屋の女将、メルと言う少女の母親に当たる人物であった。メ
ルが活発で気や腕っぷしが強かったのに対し、母親の方は気弱なのか落ち着いた雰囲気を纏っている。見た目は兎も角、親子とは思えない位に性格が似ていなかった。
そして何やら泥まみれの俺達を見やり、女将さんが俺達に謝罪の意を示す。俺達が泥まみれになったのは言うまでもない、メルと言う娘に引き摺られてきたからである。
「ごめんなさいね、うちの娘が余計な事はしませんでしたでしょうか?」
「いえ、特には(これ、言った方がいいのか?)」
俺は一度否と回答したのだが、女将は目を見開くと同時に考え込んでしまう。
「珍しい…もし何か失礼な事がありましたら、その時は遠慮なくお申し付けくださいね」
「ちょっと母さん、その言い方は私が失礼な事してるみたいになっちゃうじゃん!」
「静かになさい。貴女、常習犯じゃないの…おっとすみません、それではお部屋に案内します」
この娘、過去にも何かしらやらかしていたらしい。
正直言って得心がいった。フラウとキアンの二人も妙に納得した表情を浮かべている。
それはそうと、もう今夜はここにお世話になる事にしよう。こうなった以上、それが運命だったと割り切るのだ。そんな大層な事でもないけど…
一応男女混成の一行と言う事もあって、念の為に二人部屋一つと一人部屋一つにチェックインを済ませる事にした。お値段は二部屋合わせて大銅貨六枚、日本円に換算すると六百円相当である。
世間の相場からすれば決して安い部類では無かったが、朝と夜の食事が付いて、この宿屋自慢の温泉に入れる事を考えるとコスパが悪いとは思わない。物はまだ見てないけどね。
そうして案内された部屋は二人部屋の203号室、一人部屋の306号室。部屋は特別広くも無く狭くも無くと言った感じ、ただベッドの他にシャワーやトイレが個室毎に備えられているのは嬉しかった。
余談だが一つだけ。…ほんの些細な事だが、階層が分かれるのは少しだけ残念に感じる。まぁ、寝るとき以外は二人部屋で過ごせば良いか。そう割り切る事にする。
「さてと。俺は備え付けのシャワーで済ますつもりだけど、二人は大浴場の方に行きたい?」
「そうだね。この街は有名な温泉地らしいし、僕は大浴場の方に行こうかな」
「私は…いや、別に問題ないんでしたね」
フラウ、或いはイヴ。恐らく自分が変装している事を忘れていたな?
因みにこのロックスと言う街、近郊に活火山があるらしく、その恩恵を受けて街からは良質の温泉が湧いているらしい。
俺も叶うならばそちらに行ってみたかったが、色々とやる事が出来た為入浴に長い時間をかけたくない。折角変装して、堂々と男湯に入る事が出来るようになったのに残念である。また何時か機会があれば堪能させてもらう事にしよう。
結局二人は大浴場の方に行きたいみたいで、俺は二人を送り出して一人部屋に残るのであった。
さてと、まずは一人寂しく夕食の準備でもしましょうかね。
~~~~~
あの後、キアンとフラウの二人はこの宿自慢の温泉にて疲れを癒していた。言うまでも無いが、二人は性別が判れているので、それに従って男湯と女湯に別れる事になる。
しかし入ってみて分かったのだが、男湯と女湯は敷居で仕切られているだけなので会話自体は可能だ。二人は汗を流した後温泉に浸かり、敷居の傍に移動して来ていた。今のところ他に先客もおらず、偶に二人で会話を行っている。
「(ふぅ…気持ちいい。まさか今の私の身分でここまで気を抜けるとは)」
「それ、間違っても公の場で言わない方がいいよね」
「(確かに、聞き耳建てられてたら目も当てられないですもんね)」
実はこの二人、関心の居ない所で密かに打ち解けていた。意図せずとも関心の後塵を拝する形となった二人だ、こうなるのも必然だったのかもしれない。
「でもまさか、こんな方法で新しい名前を手に入れる事になるとはね」
「(関心…本名の件含め、謎が多いですよね)」
今回の件で判ったが、関心は裏社会と何かしらの関係がある人物らしい。それも関わってからそれなりの時間が経っているものと推測出来る。
関心の年齢から換算して、幼少期の次点では少なからず関連があった可能性が高い。それに追い打ちをかける「自然勢力メンバー」の事実。間違えても完全な味方では無さそうだし、今後も信用し過ぎない方がいいと二人は考えている。
しかしそれだけでは無さそうなのも同様だ。と言うのも、関心は常人が知らないような知識を十全に保有しているようなのである。羅神器の件然り、『天啓』の件然り。これらを裏社会の人間から教えられたとは考えづらく、何か他にも隠している事があるのは間違いなさそうである。
そして戸籍のやり口を見ても、相当巧く隠し通している可能性が高い。現状変な邪推をしても、結局見当違いの結果になるのが順当だと思われる。
故に終始、慎重な対応が要される事を二人は感じ取っていた。
「あの人、ぶっちゃけ信用していいのかな?」
「(判らないけど、少なくとも私達と敵対する意思は無いように感じます。ただ完全に味方に回る、でもない気はしますね)」
「確かに、結局今回の件で僕達は逃げ道を塞がれたようなものだしね。一応あの人に恭順するのが得策だとは思うけど、この一連の流れ含め何かしらの思惑は働いてそうだよね」
「(それが少しでも解ればやり様もありますけど、肝心の本性が見えないのが…)」
この二人、現時点で「関心は完全な味方では無い」と結論を出していた。
しかし関心を見ていると、二人それぞれに対する対応に若干の差異が生じているようで、関心目線二人に対する印象は全くの別物である可能性が高かった。
故に理解していた、敷居の向こう側に居る相手も同様に完全な見方にはなり得ない事を。
今のように打ち解けてはいるように見えても、関心程では無いが信頼し過ぎる事は禁物であると。
皮肉な事に、二人とも頭が回る挙句察しが良過ぎた。その上過酷な環境下を生き抜いてきただけあって、些細な違和感を見逃さず、何事も疑ってかかる癖が着いているのも災いした。
記憶のないキアンも絶賛追われている最中のフラウも同様である。哀しい事に、二人とも人を見る目に恵まれてしまっていたのだ。
そんな二人の共通認識がもう一つ。何れにせよ、関心の働きかけによって関心に追随するのが安牌な流れが出来てしまっている。
関心の庇護下に入っている為従順に振舞えば暫くは安全が確保されるだろうが、期限は未定だし、何よりこの三人の中で一番優位性を獲得しているのは他でも無い、関心なのであった。
関心の心の移り具合によってはこれが無碍にされる事は容易に想像が着くし、その場合関心におんぶ抱っこの二人では到底対処しきれるビジョンが湧かなかった。関心も一定の距離を保っておきたいようであるし、今の状況が必ずしも安全とは言えなかったのである。
この場合、優位性に劣る両者はなるだけ協力関係を築いた方が得策であると言える。そうして基本路線は関心に対する警戒を強めながら、同時に協力者の様子も伺いつつ適度なバランスを保つ。
これに加え、必要に応じて関心に対する奇襲を行って優位性を奪ったり、もしくは相手の隙を突いて関心側についたり等、臨機応変且つ適切な対応が常時求められる、見た目以上に緊迫した関係が成り立っていたのである。
勿論、そんな高度な打算と駆け引きの中に絶妙な関係が成り立っている事など、当の関心は知る由もない…のだろうか?真相は未だ闇の中である。
「(私の方でも探れる範囲で探ってみましょう。関心の目が行き届かない所で共有もしますから)」
「解った。僕も派手には動けないけど、出来る範囲で探りを入れるよ。対策は進捗次第だね」
「(無理はしちゃダメですよ、気付かれたら元も子もないんですから)」
「勿論、焦らずにじっくりやるよ」
そんな話をしていると、丁度他の客と思われる数名の人が温泉に入って来た。
二人はそろそろのぼせそうだと感じ始めていた。先日ものぼせてしまい、コーヒー牛乳のお世話になった身の上である。
しかしここにはコーヒー牛乳は存在しない。故に切り上げ時かもしれない、と二人は判断したのであった。




