第二十話:怪物
戦況が激化の一途を辿る、盗賊団「三頭狼」のアジト近辺に到着したキアンとフラウだったが、二人は内心日和りつつあった。
それもその筈、先の打ち合わせの際「王種」に相当する存在は一人と聞かされていたにも拘らず、その数が知らない内に増殖していたのだから。先に確認した反応にはやや劣るとは言え、それに匹敵する反応が六体も増殖していたのだから。
「「(聞いていた話と違う!)」」
二人は、今ここには居ないルディに向かって愚痴を零す。
ハッキリ言って、ルディが最たる元凶か…と言われれば、それも違うと二人も頭では理解している。しかし同時に、真の元凶たる魔族らに当たったとて相手を喜ばせて終わるだけだであった。
他にこのやり場のない不満を向ける相手も居なかったので、本人が居ない事を良い事に絶賛八つ当たりを行っていたのである。
とばっちりも良い所だが、これはルディの普段の行いの幾らかが悪い事も影響していた。今回も、一番危険な場所に二人を送り付けておいて、一人だけ楽な方に逃げた?事もその裏付けになっていたと言えよう。
しかしこんな事を考えていられる当たり、二人はまだまだ余裕があると言えた。
それもその筈、どうせこの後何処かで魔族の親玉と会談する予定を控えていたのだから。
そんな裏事情を知らないボルグやキョンシーは、二人の何処か舐め腐ったようにも見える態度に、若干の不満と苛立ちを抱きつつあった。
「ふむ、この期に及んで余裕綽々と言うのは頷けませんな。どうですかな?手始めにこの愚か者共を血祭りにあげてみても宜しいのでは?」
「愚問だな。言われるまでも無くそのつもりであったとも」
そう言いながら、キョンシーが高らかにその右腕を振り上げる。これを合図に六体の虫型魔族が一斉に二人を襲う。
「あれ?聖鳥衆の四人は無視?何で僕らだけ⁉」
ここに居る冒険者は総勢六人。全員に襲い掛かってくれたら一人頭一体づつでキリが良いのに、とキアンは空気の読めない愚痴を零す。
「はぁ…別に一人頭一体づつでも、三体づつでも大差はないでしょう?特に貴方は」
そんなキアンに見当違いなツッコミを入れつつ、フラウは冷静にその場の分析に努めていた。
キアンは…前にもその一端を見せて居たが、意外と無茶苦茶な一面がある。
この時、フラウは温泉での一件を思い出していた。あの時の実力を発揮できるなら、恐らく虫型魔族相手でもそんなに苦労はしないだろう。最悪、勝てなくても生き残る事だけならばそう難しくもないかもしれない。
問題は他でも無い自分自身であった。流石に今のフラウでは、この虫型魔族の相手は少々荷が重い。普段のフラウは何処まで行っても人間の延長線上に留まる存在で、ルディやキアンのような規格外とは訳が違うのである。
それでも…仮に奥の手を使うとすれば、一時的には対処する事も可能かもしれない。しかしあれは使用後の反動が大きいので、時と場所を選ばずに使用出来るような代物でも無かった。
そうなるとジリ貧も良い所、精々時間稼ぎが精一杯と言った所か。
幸運にも自立起動式聖域と言う防御手段があるので、ワンチャン生き残るだけなら何とか…しかしそれも確実では無く、奇しくもルディとか言う役立たずがこの場に居ない中、キアンには想定以上の頑張りを見せてもらうしかなかった。
「何なら一人で六体全部を相手して、私を楽にさせてくれても構いませんよ?」
「…フラウさ、最近ルディの悪影響受けてるんじゃない?」
「そ、そうでしょうか?」
そう軽口を叩き合いながらも、二人はそれぞれ三体の虫型魔族に応戦するのであった。キアンは自身の最大の武器と謳う素手で。フラウは魔術効果を付与したナイフを片手に、もう一方は間に合わせで購入した市販の短剣を逆手に持ってこれに立ち向かう。
両者の衝突と同時に、金属同士が衝突したかの如く甲高い音が響き渡る。その際に生じた衝撃波は軽いソニックブームを生み出し、周囲の環境を部分的に破壊して行く。そんな中、三体の虫型魔族を相手に、互角にも見える戦いを披露するキアンとフラウの姿があった。
フラウとキアンは、実際に戦ってみて理解した。
この虫型魔族だが、六対の手足にその先には鋭い爪と牙を携えている。その爪と牙には魔術効果が付与されているだけでなく、出血毒に区分される猛毒が分泌されており、仮に引っ掛かれでもしたら大怪我どころか致命傷は免れない。
そして全身を魔術効果が付与された硬い大骨格で覆っており、その硬度は鋼鉄をも軽く凌駕する。
また背中に二対の羽も携えており、空中移動もお手の物と言った所。
…確かに防御力は立派なもので、硬い骨格は生半可な物理攻撃をシャットアウトしてくる。この外骨格を生かした殴打の一撃も、油断ならない威力を秘めていた。
また意図してかどうかは判らないが、虫型魔族は自身の身体能力や近接格闘能力を強化する魔術を行使している。そのせいで、ただでさえ硬い身体は更に頑丈になり、ただでさえ鋭い攻撃はその威力を更に増大させている。
しかし、それだけだ。
まずこの虫型魔族、自我と呼べるものが存在せず、身体能力の反面知性はあまり高くないようである。武術の心得があると言う訳でもないようで、身体能力に依存した極めて単調な攻撃しか繰り出さないのである。
身体構成が人とは異なるので最初は苦労したものの、その特質さえ理解してしまえば案外動きを読めてしまうのだ。
また攻撃力と防御力は確かに脅威だが、素早さに特筆すべき点は無かった。魔術のお陰で多少強化されていたものの、その速度は並みの人間にぎりぎり対応出来るかどうか…位でしかない。
キアンは愚か、フラウも速度には自信があり、動きを読み切った上で割と余裕を持って対処出来ていた。
そして最後が致命的だろう。
攻撃力が高いとは言ったが、仮に当たっても二人の防御手段を突破する事が出来なかったのである。
たった今、虫型魔獣の攻撃がフラウの体表を霞めた。しかしフラウ自慢の防御手段自立起動式聖域を前にあっさりと弾かれて終わってしまう。
そしてその直後、キアンの体表を虫型魔獣の鋭い爪が襲う。これによりキアンの体表には一度深い切り傷が付けられてしまったのだが、この時キアンは虫型魔獣に向かって行っていた為、すぐさま傷が回復してしまった。出血毒も、キアンの再生力の前には効力を為さなかったようである。
「何故だ⁉何故あのような有象無象に手こずっているのだ?」
ボルグが一人騒いでいたが、逆にキョンシーは堂々としたものである。その様子を見て薄ら笑いを浮かべているのであった。
そして完全に蚊帳の外となった聖鳥衆の四人は、唯々黙ってこの戦いを眺める他ない。残念ながら、ルーナなら何とかなるかもしれないが、他三人に関しては関与出来ないレベルの攻防だったからである。
それとは別に、内心危機感を感じつつあったのが他でも無い、キアンとフラウの両名である。
「拙いですよね、これ」
「僕も気付いたよ。何の解決にもなって無いね」
二人は戦いながら、この戦いの裏に存在するものを確かに感じ取りつつあった。その上で、ある意味最悪ともとれる可能性が浮上して来ていたのである。
その証拠に、敵将キョンシーが依然その動きを見せていない。この不気味さは元より、虫型魔獣の動きにも緩やかな変化が見て取れたのである。戦うにつれて動きが洗練されて行っていると言うか、以前に増してその速度が増してきていると言うか。二人は微かとは言え消耗から、若干動きが鈍りつつあると言うのに、である。
まず間違いなく何かカラクリがある。しかし、虫型魔獣の攻勢が強まるせいで、二人は其方に段々と気を配る事が出来なくなってきていた。
そんな中、静かにキョンシーが呟いた。
「そろそろか?」
それが全ての答えであった。
そしてキアンとフラウは、その場で何が起きているのかを適切に理解してしまう。
虫型魔族に自我が無い?知性が高くない?それは単純に、虫型魔族が生まれたばかりだったからに過ぎない。
気が付けば虫型魔族は、それぞれが確かな自我と明確な知性を目覚めさせていた。先のように単調な攻撃だけでなく、フェイントや駆け引きと言った搦手を用いて戦うようになっていったのである。
「ちょっと!これは一体どう言う事ですか?」
「全く、愚かな人間よ。我が虫型魔族達は、供物となった材料が生前に所有していた知識や経験を全て我が物に出来るのだよ」
フラウの独り言に、無情にもキョンシーが答える。
二人の抱いていた違和感の正体は、虫型魔族の供物となった盗賊達の知識や経験を自身に馴染ませる事によって生み出されていた。この中に達人級の腕前を持つ者は居なかったが、供物となった盗賊も最低限の戦闘方法は身に着けていた。
その技量自体は大した事は無い、しかし虫型魔族の身体スペックを駆使すれば想像を絶する脅威となり得るのだ。
未だに二人は三体の虫型魔族を相手に応戦していたが、次第に被弾するケースが増えていく。明らかに動きが良くなったことで、その攻撃の全てを捌き切れなくなってきていたのである。
言うまでも無く、二人の技量は達人級である。しかし数の面で不利であり、スペックにおいても虫型魔族単体に劣っていた。その為致命傷だけは避けつつも、終始押され気味になってしまっていたのである。
最も、動きが良くなったからと言って、二人の防御手段を突破できるようになったわけでは無いのだが。
「自立起動式聖域は健在ですけど…」
「消耗が激しい!フラウは兎も角、僕にとっては死活問題だっての!」
目に見えるダメージは受けていなかったものの、二人は確かに消耗させられていたのである。
その上、二人の攻撃も同様に虫型魔族の装甲を貫く事が出来ない。
フラウの魔術効果を付与した特注のナイフも、同じく魔術効果が付与されたナイフよりも硬い装甲の前には無意味。
キアンに至っては素手である、寧ろここまで生き延びただけでも称賛に価すると言えよう。
そんな中、戦況を見守るキョンシーが悦に浸る。
「素晴らしい!特に虫型魔族達の相手をしている二人の技量は素晴らしいな」
「ごもっともです。あれを喰って取り込めば、更に強化されてしまいますな」
「うむ、全員で山分けさせるとしよう。これで我が偉大なる御方もお喜びになる事だろう」
これを聞いて、キアンとフラウの背筋には無数の鳥肌が立った。どうやらこの虫型魔族、食らった相手の技量も取り込む事が出来るようである。
今の所二人の防御手段が存分に仕事をしているので何とかなっているが、仮にこれが破られるようなことがあれば忽ち戦線が崩壊する。そしてそのまま骨の髄まで貪られ、敵方に血肉と利益を与えるだけ与えて終わってしまう事だろう。
こうなれば何としても、ルディが戻るまで繋がなければならない。ルディがこの場において役に立つかどうかは未知数だが、キアンと同様に無茶苦茶な存在である事は疑う余地も無い。簡単には勝てずとも、恐らく簡単にその血肉を明け渡すような事は無いだろう、と二人は考えていた。
…
この時、二人は気付いていなかった。
とある重大な見落としに。
そしてそれは、この上ない最悪なタイミングで露見してしまう。
…
それはほんのちょっとした隙でしかなかった。何とキアンが敵の攻撃を被弾する際、僅かに敵方から引き下がってしまったのである。
そしてその爪による躊躇ない攻撃は、よりにもよってキアンの首元を深く抉り、引き裂いていく。
この時、キアンは立ち向かわなかった為に、自慢の再生能力を発動させる事が出来なかった。
結果的に首が半分程裂ける大けがを負ってしまい、キアンは大量の血飛沫をあげながら地に倒れ伏してしまう。
「キアン!!」
フラウは思わずありったけの声量で叫んだ。
が、それは見るまでも無く致命傷だった。傷は深く、しかも当たり所が最悪で急所も良い所。
その上この傷を付けた虫型魔族の爪には強力な出血毒が分泌されており、この毒が効いているせいか何時に増して出血量が増加していた。
ここで応急処置でも出来れば、最悪は一命を取り留める事も出来るかもしれない。しかしキアンは「英種」である。回復魔法は愚か、回復薬も効力を発揮しない。このように一度でも致命傷を負いでもしたら、それ即ち死を意味するのであった。
これを前に、ボルグとキョンシーが高笑いを浮かべる。
「素晴らしい!流石はキョンシー様です」
「カハハハ!実に良いぞ!…さぁ虫型魔族達、良質なエサを用意してやったぞ。存分に堪能するが良い」
このキョンシーの合図を皮切りに、フラウの相手をしていた三体を含む、虫型魔族六体全員が一斉にキアンに群がる。もうこうなればキアンに為す術は無い。
フラウもこの恐ろしい光景を前に、何とかキアンの下に駆け寄ろうとするが…動けない。あまりの恐怖に、手足の感覚が限りなく微弱になってしまったようである。
その場に力なく膝をつき、絶望の中で地面に両手を着く。その顔面は蒼白で、焦点が何処にも合っていないようだった。
ーここで、その場に居た全員の想像を絶する悪夢が呼び起こされる。
それは一瞬の出来事だった。キアンに群がっていた虫型魔族達が、一瞬にして周囲に吹き飛ばされた。
これを皮切りに辺り一帯に強烈な暴風が吹き荒れ、地面の塵が舞いあげられる事によって視界が妨げられた。その暴風の威力たるや凄まじく、フラウは愚か、魔族達や聖鳥衆の四人も吹き飛ばされかねない程であった。
フラウは地面にナイフを突き立て、地に伏せながら何とかその場をやり過ごそうとする。他の面々も同様に地に伏しながら嵐が過ぎ去るのを待ち続けた。
…
やがて一分程経って、風が止み視界が晴れ渡る。
そして全員が目の当たりにしたのは、先の暴風の丁度中心部と思われる位置に無傷で立ち尽くすキアンの姿だった。
「嘘…」
フラウは思わず心の声を漏らしてしまうが、よく見れば様子がおかしい。
先ずその周囲を取り巻くエネルギー、濃密な魔力の渦である。この魔力はキアンが発生させているもので、自身の主属性である「負属性」の属性が付与されていた。
そしてキアンの全身を覆う闘気のようなもの。何らかの指向性を持って揺らめいており、その濃密なエネルギーに触れるだけで自分の存在が消し飛んでしまうのではないか、と思われる程の濃密な闘気の塊である。
そしてこの闘気を纏うキアン本人もまた、その姿形に変化が現れている。その皮膚が半透明になって透き通っており、内部の欠陥や筋肉が外からでも透けて確認出来るようになっている。その胸の付近には謎の丸い物体が埋め込まれており、毛の色も抜け落ちて白銀となりながら闘気に煽られ揺らめいている。
ここでフラウは再度思い出した。
フラウは以前意識を失った際に別人のように豹変し、忽ち辺り一面に破壊の渦を巻き起こした事を。
今回の物は前回に見た時よりも一層顕著で、寧ろこれがキアンの真骨頂なのでは無いかと思われる程に圧巻であった。
前回は闘気を視認出来る程では無かったのだが、今回は違う。前回の段階でも桁違いの力を発揮したのに、今回はその比にならない位…この時点で、フラウの恐怖の矛先はキアン一点に向けられていた。
そう、キアンもまた無茶苦茶な人?なのだ。
…
これを受けて、狼狽えているのがボルグとキョンシーの両名である。
実はこの時、強風に中てられた同行者の一人が吹き飛ばされてしまい、背後の岸壁に衝突するや否やその命を刈り取られてしまっていたのだ。どうやら当たり所が悪かったようである。
それはそうと、両名は気が気でなかった。
「何だこれは?こんなの聞いていない」
「…とんだ隠し玉が居たものよ。これは我の手にも負えんな…」
そう言ってキョンシーは速やかに「瞬間移動」を発動させ、その場から退避しようとしたのだが…
「な⁉瞬間移動が、使えない、だと⁉」
結局発動する事は無かった。
知っている人からすればなんて事は無い。キアンの魔力…それも「負属性」の魔力が充満していたお陰で、瞬間移動の発動が打ち消されてしまっただけの事なのである。
実はキョンシーの瞬間移動、実は技能に関連する代物であり、魔法の類とは全く発動プロセスが異なる。しかしその発動に使うエネルギーは魔力であり、キアンの「負属性」の影響下から逃れる事が出来なかったのだ。
キョンシーは予想外の事態に唯々動揺するしかなかった。それでも何とか頭をフル回転させ、現状の把握に努めようとする。
しかし今のキアンは正に暴力の化身、そのような猶予を与える程生易しくはない。
…
この瞬間から、キアン…いや、「十大天魔、第二席」による蹂躙劇が始まる。
…
一瞬キアンの姿が揺らめいたと思ったら、間も無く周囲に無数のソニックブームが発生し、直後にキアンの姿が消えてしまう。
そして全方位から上がる悲鳴の数々、どうやら先に虫型魔族が葬られているようである。そして一秒も経たないまま、その虫型魔族六体はその身体を構成する細胞一つさえ残されないまま消滅させられてしまう。
序とばかりに、同行者の魔族の死体も同様に消し去られているようだった。
残念ながら、フラウはその動きを追う事が出来なかった。
なので何があったのかは分からないのだが、少なくともキアンが常識外れの芸当を繰り広げている事だけは理解していた。そして同時に、自分自身の身の危険を先以上に強く感じ始めていたのである。
聖鳥衆の四人は辛うじて一命を取り留めていたが、同時に後悔の念に否まされていた。先の暴風に便乗して距離を取っておくべきだったと。
今のキアンは、敵味方の判別が出来ているかどうかすら怪しい。下手したら魔族では無く、キアンに殺されてしまいそうであった。
勿論、言うまでも無く四人ではキアンに為す術は無い。四人もまた、キアンの動きを追えなかったのだ。
…それと同時に、魔族なんかよりキアンが怖い、と認識を無理矢理改めさせられていたのである。
そんな四人と同様、キアンに対する恐怖が拭えないキョンシーとボルグは猶更動揺していた。
奇しくも、今の両名にキアンを何とか出来る手段など持ち合わせて居ない。所詮は「王種」、今や「星種」に匹敵する今のキアンに為す術など存在しない。
故に何も出来ないまま、我が身の不幸を嘆く他無かったのである。
「キョンシー様!ど、ど、どうしましょう」
「煩い!我でもあんなの、どうにもならん…ッ⁉」
気が付けば、いつの間にかキアンがキョンシーの目前に現れており、その首を左手でがっちりと掴んでいた。
この時点でキョンシーは自身の死を悟った。
その左手の感触は言うまでも無い。加えてその左手から発せられる「負属性」の魔力が自身の体内に流入してきており、魔法や技能の発動なんて以ての外、魔力に酔ったような症状が現れて意識が朦朧とし始めていたのである。
キョンシーは自分の愚かさを嘆く。絶対に手を出してはいけない存在に手を出してしまったのだな…と。
「クッ…待てと言ったら」
結局、キョンシーの言葉は聞き入れられないまま、意図も簡単に消滅させられてしまう。
この時フラウは、消滅のメカニズムを刮目してしまった。
どうやらキアンの「負属性」の魔力を大量に注ぎ込むことで、敵生体が有する魔力に対し強烈な拒絶反応を引き起こしているらしい。この拒絶反応は「白血病」に似たような症状を引き起こし、自身の身体を蝕んでいく。これを受けた敵生体は次第に拒絶反応に抵抗出来なくなり、その身体を自壊させてしまうようである。
これに加えて、キアンの「負属性」の魔力自体もまた、敵生体にとって猛毒と言って差し支えない際物であるらしい。魔力だけに留まらず、魔力と順応した身体そのものにも強く作用し、これにも同様に拒絶反応を引き起こすのである。つまりこの魔力を注ぎ込む行為そのものですら、敵生体の身体の崩壊を促進させるのだ。
どうやらキアンは二重の反応を用いて、敵生体を消滅させているようである。
フラウは内心でごちった。こんなの、どうやって抵抗すればよいのか?
そんなフラウとは別に、自身の感情全てを恐怖で塗りつぶされていたのがボルグその人である。
「ひぃぃっっっ!や、やめ」
しかしその悲痛な叫びも空しく、ボルグも同様にその身体を意図も簡単に消滅させられてしまった。
もうその様は、はた目から見ても流れ作業にしか見えない、あっさりとしたものだった。
「確か今回の依頼、敵将ボルグの首を持ち帰る必要があったと思うんですが…」
「そ、そんな事言ってる場合かよ⁉正気かお前⁉」
この際のフラウの呑気な発言に、思わず噛み付いてしまうグラッド。
しかしこれが宜しくなかった。
「嘘だろ⁉」
「え?え?」
「ちょっ、アイツ、こっちを見て」
「こんなの…」
グラッド、アロン、ルーナ、ソールが各々で戦慄していたが、キアンの視線はそんな四人に向けられていた。
言うまでも無いが、四人に今のキアンから逃げる手立てはない。仮にその刃が突き付けられようものなら…
「「「「ひぃぃぃぃぃ!!」」」」
四人の悲鳴を皮切りに、キアンの身体が揺らめいた。
これは終わった、フラウはそう覚悟を決めたのだが…悲劇は未然に防がれる事となる。
カキンと言う甲高い音を挟んで、その場に居た全員に現実の光景が突き付けられる。
迫るキアンと 聖鳥衆の四人の間に割って入り、キアンの途轍もない攻撃を受け止めたのは漆黒の天使。
一切の光を反射しない黒尽くめの鎧を纏いし謎の人物は、自身の二丁拳銃を逆手に持ち、受け止める事でこの攻撃を防いだのである。
最も、直後に二丁の拳銃は粉々に粉砕されてしまったのだが。
言うまでも無く、フラウはこんな黒尽くめの人物など知らない。
ところがこれを見て、フラウが意図しないまま声を絞り出す。
「もしかして、ルディ?」
そう問いかけた…つもりはなかったのだが、実に飄々としつつ、何故か重低音で響く声色で答えが返ってくる。
『せやで!こっから先はワシに任せーや!…ってもう口調変える必要ないか』
「…ッ!」
フラウが声にならない感嘆の声を挙げるのも無理はない。
何せその人は、紛れもなく遅れてやって来た漆黒の救世主。
「権天使徒」の装甲に身を包むルディウス=クォーラ…いや、「十大天魔、第一席」その人であった。
~~~~~
慌てて戦場に駆け付けた俺だが、平静を装いつつ内心動揺しまくっていた。
「(よりにもよってお前が、お前が敵に回ってどうする!)」
つい先程までメールの内容を確認して頭を抱えていた俺だが、突如歴代最大レベルの凶悪な反応を感知し、その出所が丁度キアンとフラウの戦っていた場所であったため「急がないとヤバい!」と慌ててすっ飛んで来たのである。
その反応は正に驚異の一言に尽きる。「王種」を超えて「帝王種」…いや、俺と同じく「星種」に匹敵、下手したらこれさえも凌駕する大き過ぎる反応。これを前にして生き延びられる者など…キアンはワンチャンあるかもしれないけど、他の面々に関しては絶望的であると断言出来た。
一応、俺なら勝つ事は出来なくとも、番外戦術のレパートリーだけは豊富なので、上手く行けばこれで何とか出来るかもしれないと思っていた。
勿論確証はない、だが実際に見てみないと何も判断が着かない。
案ずるより産むが易し。
そう自分に言い聞かせて出来るだけ速やかにやって来たは良いのだが…その戦況は俺の想像とは全く異なる様相を呈していたのである。
何か、見てみたら敵と思われる生命体が一体も感知できず、代わりに人が変わったように暴れ狂うキアンの姿だけが存在していたのだから。
…一体何があったらこんな事に⁉
そしてどうやら、あの凶悪な反応の正体もこのキアンみたいだな…って、何してるんだアイツ⁉
今度は味方サイドの聖鳥衆の先輩方を標的に見据えやがった。
残念ながら、あの四人に今のキアンから身を守る術なんてない。そして見た感じ、キアンには理性が残っていない。このままでは不必要に四人以上の犠牲者を生み出してしまう。
ええい、こうなったら俺も玉砕覚悟で突撃じゃあ!
そう決意した俺は黒い稲妻と化して、両者の間に割って入ったのである。
…ッ、痛ッ!
コイツ、馬鹿力だとは思っていたけど、ここまでとは…
あの風呂場での事件、良く犠牲者が出なかったよなぁ…と今更ながらに関心する俺である。
…
何はともあれ、瞬間移動よりも高速で動くキアンの攻撃を受け止められたのは僥倖だった。
そのせいで俺の副武装たる二丁拳銃がお釈迦になってしまったが、この攻撃を受けた割には軽微な被害で済んだと言える。
でもね、俺は声を大にして言いたい。
…
何で素手で俺の副武装を粉々に出来るんだよ⁉
これ、羅神器の権能を用いて生成した「障壁」で形成して、俺の特注品の羅神器が有する世界屈指の強度を誇る「結界」でコーティングした、超、チョーウ頑丈な武器なんだぜ?
これに傷を付けられる羅神器ですら数える程すら…
いや、よくよく考えれば、こんな頑丈な武器を壊し得る方法は幾つか存在したわ。
そもそも俺、「結界」は兎も角「障壁」の生成も得意とはしてなかったわ。それだけでなく、俺の「障壁」は他の「障壁」と比べても耐久性に優れているとは言い難いし…
とは言え、生半可な手法で敗れる程軟な代物では無いのも事実。と言う事は恐らくキアンも、その内の何かを用いて俺の…マジか!パネェな!
そんな事より、今集中すべきは目の前の相手に不用意な手出しをさせない事。俺は再度拳銃を造り出し…いや、それだとさっきの二の舞だ。どうせこの装甲も破られるに違いない。
俺は「全身換装」そのものを解除し、無手の状態で一度距離を置いたらしいキアンと相対する。
それとは別に、後ろでくよくよしていた五人に対し命令を突き付ける。
「フラウ、それとあんたら!今すぐこの場から離れろ!」
「…っておい、そんな事言ったって」
「命令だ!急げ!」
有無は言わせない。残念ながら俺以外の面々は戦力外である…って、キアンが早速殴りかかって来たよ。
勝手知ったる俺相手でも容赦するつもりは無さそうだ。
何はともあれ、彼らを庇いながら戦うのは、幾ら戦闘が苦手な俺であってもしんどい。
他の面々が速やかにここから逃げてくれないと、俺としても困るのであった。
とは言え、現状は庇いながらの戦闘をやらなければいけないのも事実。キアンの注意をひきつけながら、何とかその凄まじい猛攻に対処して見せる。やはり、生身なら何とか受けられるけども…
そんな俺の意図が通じたのか、聖鳥衆は文句の一つも言わず速やかに離脱し始めてくれた。
俺の剣幕が何時に増して凄まじかったってのもあるのだろうけど、流石は先輩冒険者。引き際はしっかりと押さえていらっしゃる。
ところがどっこい、こんな状況下で俺に突っかかって来る命知らずが一人居た。
「ルディ、私なら自立起動式聖域がありますし…」
「アホんだら!それ、魔術の術式だろうが!「負属性」を駆使するキアン相手には通用しねーよ!」
こう吐き捨てると、フラウも「ハッ」とした様子で思い至ったようだ。そそくさと撤退を始める。
キアンの「負属性」の魔力は魔術法術は元より、属性を有する全ての魔力を打ち消してしまう。絶対防御と名高い自立起動式聖域であっても、一瞬で無用の長物に変えてしまう、まさに理不尽の権化なのだから。
「…絶対に生き残って下さいよ?」
「任せろ」
撤退間際、フラウがらしくない心配の言葉を投げかけてくる。
俺は内心驚きつつも、敢えて自信満々に宣言し、改めてキアンの相手に集中する。
…ふぅ。
さて、と…
この前の「王種」のお陰で、キアンが「十大天魔、第二席」とやらである事が判明しており、この甲斐あって俺は油断する事無くこの戦闘に興じる事が出来ていると思う。
同時に俺が「十大天魔、第一席」であるらしい事もバラされてしまい、当時は言いたい事も尽きなかったが、今となっては只々感謝である。
席次に何の意味があるかは知らないが、俺とキアンは同じ「十大天魔」にして近い席次の間柄であるらしい。これは俺の油断を許さないと同時に、頑張れば何とかなりそうと言う根拠ありき?の自信を与えてくれる。このお陰で、俺は自分でもびっくりするくらいに冷静にこの戦闘に臨む事が出来ているのだ。
少なくとも、俺のコンディションに問題は無い。
同時にキアンの攻撃を受け続けながら、そのからくりを読み解いていく。
先ずその保有エネルギー量、これは恐らく「天種」の一つ下の種族階級「星種」に相当する。その中でも上位、こんな化け物に暴れられたら国の一つや二つ簡単に滅んでしまうだろう。
故にこの大地や周囲の環境にも気を配りながら戦う必要がある訳だが、幸運な事にキアンは近接戦闘のみを選択している。魔法等の放出系の攻撃をしてこないのはせめてもの救いであった。
しかしその行動の余波は尋常ではない。余波だけで周囲に破壊の嵐を巻き起こしていた。
先ず単純に攻撃力が凶悪だ。明らかに俺よりも身体能力は上、最大限反応速度を上昇させる事で何とか対応できているが、これも何時まで持つか…
余談だが、俺の身体は「ダメージ生成能力の欠如」と言う呪いに蝕まれており、この呪いが魔力とは無縁の物であった事から、何とか無傷で受けきる事が出来ている。普通に衝撃は食らうし、滅茶苦茶痛いけど、それでも受け続けてさえいればそのダメージを無効化する事は可能であった。
逆に言えば、この呪いのせいで俺は近接戦闘が出来ないんだけどね…
次に防御力も中々のもの。攻撃力程際立ってはいないが、全身を闘気で覆った事で常軌を逸する耐久性も生み出しているようだ。
最も詳しい耐久力に関しては、俺が攻撃出来ないから確かめようが無いんだけども。
それだけではない、その速度も驚異的である。その動きは物理法則を完全に無視しており、初速は光速さえをも大幅に上回り、そこから更に加速する。
その速度ったら、瞬間移動さえも凌駕してみせるのだ。
と言うのも「瞬間移動」は一定区間内を、認識できる範囲内で、タイムラグを発生させず移動できる権能を意味する。この移動距離には限界があり、各能力や特性などでその制限が定められているのだが、キアンの叩き出す最高速は、並みの瞬間移動の能力者以上の移動速度を叩き出すのである。
本当、ふざけるのも大概にしろと言いたい。偶然、俺にも似たような移動手段があったから何とかなったけど、そんな大層な物をこんなどうでもいいような場面で使わないで頂きたいものである。
ここまでで既にお腹いっぱいなのだが、これらの高い身体性能を実現するにあたって使用している能力が、何と言っても厄介であった。
恐らく今のキアンの根幹を担う権能であり、今のキアンをキアン足らしめている元凶たる能力。
そしてこれが使える事は、あの能力群を極めた事を意味する。
俺が普段、魔術の代わりに用いている力の集大成。
この世に存在する全ての能力の根源に該当する、全ての存在が等しく習得できる可能性を有する、秘術の中の秘術。
全ての能力に対し、絶対的な優位性を発揮する事が出来る究極の力。
…
「お前、『天威』が使えたんだな」
俺は内心嬉しく思いつつも、同時に本気を出さねば対処できない相手である事を悟った。
しかもそれに留まらず、キアンは『天威』の応用技法を複数同時に活用しているようで、その時点で並大抵ではない技量の持ち主である事は明らかである。
『天威』の形状をコントロールし、自身に攻守の加護を与える鎧として定着させる『天衣』。
『天威』に対し、親和性が高くなるように自身の身体構成を変質させる技術『天異』。
『天威』を用いた攻撃手段として、攻撃時に特定の指向性を持たせる事を前提とする『天為』。
『天威』を用いた防御手段として、敵の心理や行動を看破し、その特性も完全に見抜く『天意』。
『天威』を用いた移動手段として、先にも愚痴った瞬間移動をも超える高速移動法『天移』。
キアンは見事なまでの手腕で、これらを十全に使い分けているようであった。
実を言うと、この使い方は本当の意味での「正しい使い方」とは言えないのだが、それでもここまでの精度で使いこなせるのは最早圧巻の一言では済まされない。
文句のつけようのない、確かな技量の数々である事に変わりは無い。
それとは別に、俺の中で溢れ出るフラストレーションは留まるところを知らなかった。ハッキリ言って、こんなどうでも良い…ような場面で出没して良い敵ではないと思う。
最も、今のキアンは敵に回るつもりはなく、どちらかと言えば理性を失って暴走してるだけっぽいけどね。それでも迷惑千万、本当に勘弁してもらいたいものである。
しかし勘違いしないで欲しいものだ。『天威』を習得した猛者はお前だけでは無い。
確かに唯一無二の絶対的な力だとは思うが、お前だけの専売特許では無いのだから。
…
でもね、一見完璧に見えるものでも穴はある訳で。
実を言えば俺、『天威』の対策法は既に幾つか見つけてあったのだ。しかし哀しきかな、『天威』を使いこなせる相手って思いの外少なくて…
そんなこんなで使う機会が無くて、お蔵入りも良い所だった秘蔵っ子。でもそれも今日で終わり。まさに今、この時こそがベールを脱ぐ時なんじゃないか?
俺はそう思い立ち、理性が残っていないであろうキアンに向かって盛大に豪語する。
「今からお前に、敗北の二文字を叩き込んでやる!」
そう言って俺は、今こその秘策を披露すべく、自身の身体に意識を集中させるのであった。




