9.隔壁の向こう側。
「ああ。アシか。ちょっと待ってろ。」
言葉通りに十秒ほどで鋼鉄のドアは開いた。厚さ三十センチメートルほどのとても分厚いドアだ。この地底都市――通称、地下街――にある五つの隔壁の最初の一つが開いたのだ。
隔壁は八十階と七十九階の間、六十階の後、三十階の後、十階の後、そして、地上に降りる前にある。パスコードと生体認証がドアのキーになっている。通常、一般市民は生まれた階層より下がる事は出来ない。よそ者のアシが下の階層に移動できるのは、兎狩の九十九番隊の隊長であるアシが五十九番隊隊長に呼ばれたからだ。
兎狩はいつも特別扱いだ。
隔壁の向こうは異世界だった。酒とタバコと油と香水と汗。むせかえるような歓喜の香りが充満していた。その強烈な香りに気持ち悪さを感じながらもアシは、何処か本能的な部分で興奮するのを感じた。
血の香り。
理解しがたいリズムだけの音楽が爆音で流れている巨大なホールにアシは通された。暗いライトが意味も無く明滅している。そこは広いダンスホールで卑猥な男女が気狂いのリズムに乗って身体を揺らしている。
ガラス張りの二階席にはこの階層の王が君臨していた。五十九番隊隊長のウラルだ。彼はアシを見下ろしている。極端に大きいその瞳で遠くからでも彼と認識できた。ウラルはアシを手招きする。
「急げよ、アシ。ウラルさんの機嫌損ねたら俺まで処分されるからな?真面目に対応してくれよ。」
アシは軽くため息をついて案内役の男の不評を買いながら、ダンスホールを抜ける。途中、捕獲された蛸女の異形がアンカーガンに固定され、檻に封じられた状態で嬲り殺しに合っていた。アシは観客が持っていた槍を奪い全力でその異形の頭部に突き刺し、殺した。
「おおぃ。勝手に殺すなよなぁ。連れてくるの大変なんだからよお。」
「異形は直ぐに殺すべきですよ。」
「いや、皆、異形を苦しめたい訳。わかるよねぇ?なに?お前、異形の味方すんの?」
案内役の――彼も兎狩だろう。ウラルに近い所に居るんであればそれなりの実力者だ――彼が剣呑な気配を放つ。
「俺は一匹の異形も見逃せないんで。全部、殺しますよ。」
案内役の男はその様子を見ていたウラルが二階席で爆笑しているのを確認してから興味なさそうに返した。アシの方は見ない。
「ふーん。ま、いこうや。あ。俺はダダ。六十九番隊隊長だ。よろしくな。」
「いや、俺、九十九番隊なんで、よろしくできないっすよ。」
ダダは爆笑する。アシに振り返り、微笑む。
「いや、おまえおもしれぇな。」
言いながら、ダダは思った。
(まぁ……面白い奴は皆直ぐ死ぬけどな。)