5.この世界の有様。
――異形。
それは、ねじれた生命の形。それは、まだ定義されていない新しい種族。それは肉の寄せ集めで、ヒトと何かの掛け合わせの姿をしていた。それは取って付けたような唐突さを持つ、キメラだった。
まだ、この時は。
いずれ異形は、|世界の全てが熱狂に包まれた一年を経て、人々の生活の隙間に落ちていく運命にある。しかし、今は未だ彼らは区別され、互いを遠ざけていた。
「どうした!?もう諦めたのか!」
兎狩のアシは、異形に向かい叫んだ。地下街の第九十八棟の屋上で兎狩――異形を狩る事を生業にしている人々――が地下街に迷い込んだ異形を取り囲んでいる。アシに威嚇された異形――鳥の嘴が付いた人の頭部を持つダチョウ――が吠える。
相対する兎狩は五名でその異形を取り囲んでいる。ネオンLEDのお気楽な光に彩られた地下街とは対照的に、殺風景な巨大アパートの屋上には生死を賭けたゲームの緊張感が漂っていた。
「カク!シャッターを閉じろ!後続の確認もだ!残りでこいつを仕留める!逃がすなよ!取り囲め!!」
稚拙な作戦だがそれで充分だった。作戦は善し悪しではなく有るか無いかが重要だ。作戦の存在がチームを纏めるからだ。だから、第九十八棟第九十九番隊の隊長であるアシは精一杯を叫び、部下を配置した。
アシにカクと呼ばれた長身の兎狩は素早く異形の脇をすり抜けて螺旋階段をのぼる。螺旋階段の先で、引き裂かれたシャッターが靡いていた。シャッターの外はすっかり日が落ちていて、空に輝く星々が廃虚の輪郭を浮かび上がらせていた。
シャッターの周囲に異形の気配は無い。カクは予備のシャッター下ろすスイッチを入れた。地味なモーター音が唸り、予備シャッターが閉ざされていく。アシはカクが起動させたシャッターの音を聞いて勝利を確信した。
異形は高い知能と強靱な肉体や毒などの特殊能力を有していて、非常に戦闘能力が高い。本来、五人程度のチームで何とかできる相手ではなかった。但し、日没後は違う。異形は夜になると途端に活動能力が低下し、まともに戦うことが出来なくなる。
日没以降に異形の活動が低下する理由は判明していなかった。異形がどうやって発生したのかが判らないのと同じように、ただ、その事実があるだけだった。異形は存在し、日中に人を襲う。異形は夜に力を失い人に襲われる。異形は地上で暮らし、人は地下で暮らす。
異形が現れ始めたのはもう二十年以上前だ。警察や軍隊ではゲリラ的に現れる異形から人々を守り切れず、ニホン――他の国も似た様なものだ――は荒廃した。都市は武装し様々な方法で自分たちの生活を守ろうとしたが、異形の被害は拡大の一途を辿った。
街を覆う防御壁も強力な火器も、結局は異形を追い払うことが出来ず、人々は異形に追われ地上での暮らしを諦めて、巨大地下都市に潜り込んだ。それは赤の大陸のウ国から流れてくる汚染物質から逃れる為に建設した巨大都市だった。避難する理由は変わったが、地下都市は役割を果たした。ニホン各地に建設されていた地下都市が人々の命を守ったのだ。
そうして、人々は地下都市で昼夜逆転の生活を始めた。人々は陽光に包まれる地上を捨て、真っ暗で生ぬるい地下に住むようになった。地上と日中は異形に奪われたのだ。沢山の人が犠牲になり、人々は異形を恨んでいた。アシの兎狩のチームメンバーは全員が家族を異形に殺されて、独り身だった。彼らは異形を憎悪していた。
アシは掌底を突き出して、義手に埋め込まれている《アンカーガン》からワイヤー付きの鋭い槍穂を打ち出した。槍穂は異形の左目に突き刺さり突き抜けて返しが開き、異形の頭部はワイヤーでアンカーガンと固定される。アシは素早く肘――普通は銃床――からもアンカーを打ち出し、足下のコンクリに固定した。後はアンカーガンからワイヤーカートリッジを外せば、コンクリートの屋上と異形がワイヤーで連結された状態になる。小さな作動音を発してワイヤーカートリッジがアシの腕から外れる。すぐに彼は指示を出す。
「やれ!」
メンバーはアンカーガン――アンカーの射出機能を持つため、普通の銃と上下逆の形をしている――を使って異形を固定していく。一瞬で異形は身動きが取れない状況に追い込まれる。激しい痛みと恐怖の中、それは弱々しい悲鳴を上げながら、抗議するかのように早口で何かを主張していた。勝利を確信した兎狩達は、にやにや笑って聞き入れない。
「アシさん、アタシにやらせてください。」
一番の新入りであるトリスが、震えながら手を上げた。元々若いメンバーで構成されているこのチームの中でも、トリスは一番若い十二歳で、先月入隊したばかりだ。僅か半年前に両親と幼い妹を異形に食べられて復讐を誓い、ここに来たのだ。
彼女の中には殺意と狂気が渦を巻いている。アシが頷くとトリスは前に踏み出しながら、背負っていた野弧刀を抜き放った。野弧刀は兎狩が好んで使ういわゆる日本刀だが、その棟に特徴があった。のこぎりのような薄く脆い刃――逆毛と呼ばれる――が無数に設えてあり、突き刺した獲物の体内で折れて残り、時間をかけて獲物の命を削って行くのだ。
トリスは怒りで膨らんだ殺意と、狂気に裏打ちされた笑みを隠そうともせずに異形に歩み寄り、丸く柔らかで人の皮膚に被われている腹部を突き刺した。赤黒い血が零れる。異形はどの生き物とも違う苦痛の叫びを上げてからトリスを見つめる。そして人には理解できない位の早口と小声で、トリスに何か訴えかけている。その人の頭部に残った右目からは涙がこぼれ落ち、額には脂汗が浮かんでいた。
「はぁ?意味分かんないねぇ!痛い?怖い?ねぇ?喋ってよ!叫んでよっ!!」
トリスは怒鳴り声を上げて野弧刀を捻りながら抜き取った。ぱきぱきと異形の体内で折れる逆毛の感触が心地よかった。トリスは間近で異形の苦しむ顔を見ながら無雑作に異形の腹部を刺し切りつけて、抉った。
内臓がぼたぼたと落ちてトリスは血まみれになった。異形は苦痛で膝を着き白目を剥いて吐血していた。アシを含めた兎狩達は異形を取り囲みトリスと同じ笑みを浮かべていた。前屈みになった異形の頭部はトリスと同じ高さになった。異形は素早くトリスに噛みつこうとしたが、ワイヤーが強く張られていて、その嘴は僅かにトリスに届かない。
「うは。ウケル。何?まだ諦めてないの?無理よ。死ぬの。オマエは。」
トリスは異形の眼に突き刺さった槍穂を掴んだ。そのまま引き抜こうとするが、鋭い返しが付いている槍穂は簡単には抜けず、異形に耐えがたい苦痛を与えた。
トリスは泣きながら早口で何かを呟く異形を見て満足だった。ゾクゾクした。異形の言葉は判らなかったが、トリスは理解していた。異形は命乞いをしているのだ。或いは、早く殺してくれと懇願している。勿論、トリスはそのどちらも叶えてやるつもりはない。トリスは笑う。
ぅうははははははははっ!
気狂いの哄笑が地下街の屋上に響いた。アシ達も同じように笑った。トリスは笑いながら槍補を揺すり続けて、遂に異形の頭部を崩しながら引き抜くことに成功した。大量の血と脳が飛び散った。
それでも生命力の強い異形は死なず、早口で小声で何かを懇願し続けた。トリスはにたりと笑って異形の頭部にむしゃぶりついた。暖かい血と脳みその臭みに彼女は恍惚となる。トリスは異形の頭蓋骨に小さな頭を突っ込んで、噛みついて引きちぎり飲み込んで啜った。
笑いながら異形の頭部を喰らうトリスから湯気が上がる。血が飛び散り、彼女の哄笑と異形の悲鳴が重なり気狂いのハーモニーが地下街の天蓋に響く。脳髄の大部分を失って漸く、異形は白目を剥いて痙攣して何も言わなくなった。異形はその命を終えたのだ。
兎狩達は動かなくなった異形に次々と覆い被さり、笑いながら、白い歯を立てた。赤い血が飛び散る。湯気が上がる。深みのある甘い悪臭が周囲を覆った。死が近くなりすぎたこのニホンは、何もかもが狂っていた。