18 アタシはアタシ。
ツキは眼を開いた。目の前が暖かな光に覆われている。その光は何故か、あの時の斜陽を思い起こさせた。
(――ツキ?声は出さないでください。意識が戻ったのですね。)
めーたんがツキの頭蓋に直接話しかけていた。ツキは体中が麻痺したようにピクリとも動かせない。目の前の光以外には、何の感覚も無い。突然、アパート屋上での出来事を思い出してツキはパニックを起こしそうになる。
(殺される――。)
めーたんはツキの動揺を感じ取り、なだめる。
(ツキ!心配しないで。彼女は――あの兎狩は死にました。下層から現れた本当の兎狩に殺されたのです。あの状況では狂った兎狩が一般人を嬲っている様にしか見えませんでしたからね。それで、貴方は応急処置を受けて隔壁の内側で治療を受けるために運ばれているのです。)
少しだけめーたんは何処まで話すべきか思案したが、全てを伝えないとツキは今後の行動を間違えてしまうと判断した。
――それでは自分は黒縁眼鏡に成り下がってしまう。
だから彼は全てを話した。
(――但し、兎狩が貴方を救うことにしたのはアルビノである貴方をオモチャにして、嬲る為です。このままだと、治療は受けられますが、その先に明るい未来はありません。ベルソマールが受けた仕打ちを貴方も受けることになります。それは彼女が望むものではありません。)
ツキは心底、ぞっとなった。本当に狂っているのだ。異形もヒトも。そして。
(――まぁ、自分も同じか。どうしようも無いね。ほんと。)
先程、彼女は屋上で異形を皆殺しにした。イーロンの皆を殺した報いを受けるべきと思ったからだ。でも、それでよかったのだろうか?本当に?ヒトが居なければ異形は平和に暮らすのでは無いだろうか?滅ぶべきはヒトでは無いだろうか?虐殺に快楽を感じていなかっただろうか?ツキの苦悩を余所にめーたんは話の先を急ぐ。時間が無いのだ。
(今、私は疑似太陽光を発光しています。それでツキは活性化して意識を取り戻したのです。貴方なら全身を光に晒せば、傷も癒えるでしょう。ですが、バッテリーを大きく消耗するので全身を照らしてあげることは出来ませんし、長くも続きません。僅かばかりの回復を手助けすることで限界です。貴方はボディバッグに入れられて兎狩の護送車で移動中です。ルートは私も知らない秘密の通路です。地下街中に張り巡らされている彼ら専用の通路だと思われます。ツキ。貴方は決断しなくてはならないのです。このまま兎狩と供に行動を供にして治療を受けて慰み者になるのか、ここ脱出して一人で生きていくのか。先程、八十階層以上は放棄すると兎狩達が言っていました。つまり、異形として生きていくのか、ヒトとして隔壁の内側で生きていくのか?の選択も行うことになるのです。ツキ。もうしばらくで隔壁に到着するはずです。考える時間は五分もないです。貴方の人生を決める必要が――。)
「――もう決まってる。」
ツキは言葉を発した。いい加減に閉じられていたジッパーを下げて、ボディーバッグから出た。
「アタシはアタシとして生きるの。それ以外には意味が無いもん。」
ボディーバッグの上で裸同然の格好で立ち上がったツキはしかし、直ぐに腹部から大量の血が溢れて両足の間の床を濡らした。貧血でツキは目が眩む。倒れ込む前に兎狩が彼女の腕を掴む。ジッパーを下ろす音で荷台の異常に気付き、彼女が立ち上がった時には既に彼女の眼前にいたのだ。兎狩は訓練された優秀な兵隊だった。
「おおう。なんだこいつ?こんなんで良く立ち上がれたなぁ。いや、これウラルさんがテイクアウトの指示出すのもわかるな。すげぇいいオモチャじゃん。お前さ、無茶しないでくれる?死なれたらウラルさんに俺が殺され――。」
そこでその兎狩りの首が折れ曲がり、ねじ切れて落ちた。大量の血が飛び散った。ツキと一緒に捕獲された猿の異形――カバの異形から電源を貰って、脊髄から伸びる照明を輝かせていた異形――がボディーバッグから飛び出して兎狩の首に噛みついたのだ。猿の脊髄から伸びていたバルーン状の照明は破壊されていたが、彼の背中と掌には直接埋め込まれた光源があり、それは煌々と輝き、彼に強大な活力を与えていた。ツキには仕組みが判らなかったが、何かバッテリーの様なものも埋め込まれていて、カバ無しでもある程度、光を発することが出来るのだろう。ツキはバランスを崩して血まみれの荷台に倒れ込んだ。猿の異形はツキには目もくれず、運転席に飛び込んだ。異形の発する光と銃声が交差すると、一瞬で車内が静まりかえった。車の走行音だけが静かに響いている。ツキが状況を確認するために身体を起こしたところで車が通路壁面に接触した。衝撃に耐えて、何とか踏みとどまったツキは、腹を押さえながら運転席に移動する。
「車、止めなきゃ!」
ツキは焦りながらも冷静に状況を整理する。車は時速四十キロメートルほどで、幅二十メートルほどの通路――四角いトンネルに見える――を走行中だった。左側の壁面を接触して通路のセンター側に流れたが、振れ戻して左壁面にするすると近づいている。車内では、兎狩と猿が相打ちとなった様で、供に倒れ込んでいた。ツキは未だ光の消えない猿を抱え込んで、自身の身体に押し当てた。猿の発する疑似太陽光がツキに力を与えて、傷が修復していく。発光出来る猿が死んでいることから、疑似太陽光で、得られる傷の修復度合いは個体差があり、修復力を超えるダメージを受けてしまえばそこまでなのだと、ツキは気付いた。考えながらも、ツキは猿を抱えたままハンドルに握った。壁まで後五十センチも無い。
「よっしゃ!間に合ったぁ!」
心でガッツポーズをしながらツキはハンドルを右に――兎狩のブーツがツキの胸の間を蹴り上げた。ツキは車の天井に激突して、車は左壁面に接触、横転した。