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15.世界は湯気に覆われて。


 地下街ニシキは血の狂乱に包まれていた。地下街ニシキの第九区画の十棟全ての中庭に太いチューブ状の発光器が投擲されていて、地下街ニシキは明るく照らし出されていた。そのフィラメントを持つ発光装置である、長大なチューブは屋上のカバ発電機から供給される電力で強い光を発していた。異形達の殺戮は鮮やかな血だまりを作り溢れさせて、階下に粘つく液体を落としていた。発光装置がもたらす暖かな光は、その全てを明るく、明白に浮かび上がらせている。本来であれば夜の時間の中では極端に身体活動が低下する異形は兎狩に――兎がヒトに狩られる時のように――容易く処分される筈だった。しかし、今夜の異形は違った。日中の陽光下と変わらない活動レベルを維持し、天敵であるはずの兎狩を仕留めていく。


 (はぁっ!はぁっ!はぁっ!!)


 アシは、血まみれで中庭に面した大通りの隅にある巨大な配管の側に伏せていた。黒光りする蟲がそそくさと彼の頬を撫でて通り過ぎる。アシはオイルと仲間の血が混じった汚物溜まりに顔を付けて息を殺していた。仲間の殆ど全員が死んでしまって漸く彼は

状況を理解した。


 (俺たちの赤色を遮るスライムレッドインターセプターの逆だ。異形を不活性化状態イナクトにするには陽光に含まれる特定の波長の光を遮ればいい。今、起こっているのはそれの逆、なんだ。LEDにはない古典的な照明器具が発する光に陽光と同じ波長が含まれているんだ――。ああ、何故気付かなかった?今までは光量が足りていないだけだったんだ!ああ!いや、で?どうする?どう切り抜ける――。)


 アシに答えはなかった。勿論、屋上の発動機を破壊すれば全ての発光が止まり、異形はのろまで間抜けな不活性化状態イナクトに変わる。だが、それは不可能だった。十名のチームで屋上に直接乗り込んだアシの兎狩は一体のイソギンチャクの異形に壊滅されられた。アシは仲間と――誰かが生き残っているとするのなら――はぐれて、今は第何階層にいるのかすら判らない状況だった。アシは周囲の気配を探る。吐き気を催す細かな蟲以外にはなにも気配が無かった。アシは即断して立ち上がる。彼はもう一度屋上を目指すつもりだった。この九十八棟だけでも、暑苦しい光を放つチューブを破壊したかった。何も守るものを持たないアシはただ、ヒトの生活圏と異形の活動範囲の境界になることだけが望みだった。自身の命など惜しくはなかった。例えどれだけの苦痛を捧げるとしても、恐怖はなかった。ただ、自分が負けてヒトの生活がさらに追いやられて、昏い昏い地の底に落ちていくことだけが恐ろしかった。それを止めたかった。アシは既に右腕が破壊されており、内蔵型のアンカーガンが使えるのは左腕だけだった。でも、不満はない。いずれにしてもやるだけだから。最後まで挑み、戦い続けるだけだから。アシは階段に向かい走ろうとして、考えを変えた。一瞬の閃きがあったのだ。


 (――いや、どうせ階段は異形や狂った街人で溢れている。進む道は階段には無い。)


 アシは覚悟を決めて、中庭に向けて走り出す。中庭に投擲されている発光機を目指した。まずは発光体自体を破壊できないか確認して、駄目なら光のチューブをそのままよじ登るつもりだった。当然、身を隠す場所もないチューブの上で異形に見つかれば直ぐに襲われるだろう。


 (その時は、一旦、落下して隔壁まで待避だ。ウラルさん達に助けを求めるしか無い。)


 腹が据わり、瞳にギラリとした覇気を灯したアシは全力で走り出したが、背後に逆らいがたい魅力を持った気配を感じて――。


 (!!異形か――。)


 振り返りながらアシはアンカーガンが内蔵された左腕を背後に現れた気配に向ける。その視線の先には血の瞳を持つ――ツキがいた。普段なら、熱を持つ光からめーたんがツキの瞳を守るためにサングラスになる筈だが、この時のめーたんは透明を保っていた。ツキの瞳の奥の奥まで、古い光が差し込んでいた。彼女の瞳は石榴石のように輝いていた。


 「……ツキ。」


 アシは動きを止めてツキにそう呼びかけた。血にまみれた下着姿のツキはアシの声に反応しなかった。アシは左腕を下げない。中庭からは――体温のような――熱感を持った柔らかな光が差し込んでいる。血にまみれて、しかし、白いツキのことをそれでも美しく照らし出していた。


 「――ツキ。俺はこれからこの光を消す。少なくとも九十八棟の光は消す。可能なら第九区画のそのほかの棟も。ツキ。キミはどうする。俺に力を貸してくれる?どこかに隠れる?それとも――。」


 ツキは荒い呼吸を繰り返すだけで何も言わない。アシは続ける。


 「俺、忘れてないよ。ツキとツキのお母さんが来て、俺の母ちゃんと父ちゃんが死んだこと。恨んでる。でも、それはもう、どうにもならない。だからそれでどうこうしようなんて考えていない。でもね。それだけじゃない。わかるよね。俺はずっとキミについて考えていた。俺の家族を殺した君たちの事を。俺が大好きなツキのことを。正直、今、キミを殺したいと思っている。やっぱりだって。」


 アシのその言葉はツキの心に深く刺さり染みこんだ。ツキは固くなってしまった声帯を動かそうとするがうまくいかない。囁くような声しか出なかった。焦りがツキを早口にさせる。瞬きが多くなる。ツキはアシに助けを求めようとして手を差しのばした。直後、異形が二人の間に割って入った。上層階からコンクリの床をぶち抜いて異形が落ちてきた。竈馬の異形だ。黄色と黒の不気味な縞模様を持つその昆虫の異形は、しかしヒトの顔を持っており、高い知性を感じさせた。それはアシに向かって突進する。アシは迷うことなく左腕のアンカーガンを打った。それは竈馬の異形を掠めて、背後にいたツキの右目を貫いた。血と脳漿が吹き出して、体重の軽いツキは遙か背後に吹き飛ばされた。次瞬、鋭い棘の付いた竈馬の異形の腕が打ち下ろされて、アシの頭部は潰された。飛び出した眼球でアシは自分の腹に異形が食らいつくのを見た。異形はアシの腹部に顔を埋めて熱い内臓と血を啜った。アシは不思議と痛みを感じることは無かった。世界は彼の腹から湧き上がる湯気に覆われていった。



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