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13/22

13.だめだこりゃ。


 その日、イーロンの開店から暫くした時に上層階で悲鳴が起こった。直ぐに兎狩と自警団が罵り合いながら、異形の処理に向かう。


 「自警団が兎狩と同時に出て行くなんて初めて見たよ!ツキ!モニターを切り替えておくれ!」


 「はぁい!めーたんー!聞いたぁ?よろしくー!」


 ツキは眼鏡のめーたんに指示して、店内のモニターを全て非常用のチャンネルに切り替えた。モニターは、無数に配置されている監視カメラの映像を映し出した。それは全てを地下街住民に伝えてくれる。緊急時の状況は個別のウェアラブル端末――イーロンの客の殆どはそれを保有していない――にも配信されるし、各種の商業施設にも監視カメラのライブ中継でその様子が映し出される。ただ、イーロンは小さすぎて自動配信はされないので、店側のフォローが必要だった。これまでもそのような、異形の侵入を伝える非常事態の映像は配信されたことがあったが、今回の配信は破格の危機的状況を伝えてきており、店内は騒然となる。第九区画の全ての螺旋階段……地上に繋がる階段だ……から異形が乗り込んできた。屋上には見たこともない異形で溢れていた。


 「か、かぁ……カバと機械?の異形……かな?」


 どさくさに紛れて腰に縋り付いてくるオヤジを蹴りながら、ツキはモニタを食い入るように見つめた。オヤジ達が慌てて落としてしまったギョーザとラーメンで床でカオスだ。めーたんが気を利かせて、画像を鮮明化処理する。画像が明瞭になり、更に文字で補足説明がなされる。


 「おお。マジカ!発電機とカバが合体してるの!?」


 ツキは馬鹿みたいな感想を吐き出したが、それは異様な光景だった。体長四メートルのカバの背に化石燃料で稼働する発電機が四台めり込んでいた。話だけ聞くと笑いそうになるその状況はしかし、見るものに絶望を与えた。それは生体組織と融合して稼働するエンジンだった。発電機はガソリンを飲み込んで爆煙を上げながら電力を供給していた。カバは煙を吐きながら吠える。カバの異形の背からは太いケーブルが伸びており、猿の異形に続いていた。猿の異形の脊髄は露出しており、そこにカバのケーブルが接続されている。彼らは不満そうな顔で苦痛に耐えている。彼らの尾の先には大きなバルーン状のライトが繋がっていて、垂直に突き出された尾は、周囲を明るく暖かく照らしている。ツキはその映像を見て、何かが引っかかった。直ぐにそれはアシが研究の成果を見せてくれたあの場面に繋がる。


 ……なんだろう?同じ違和感だ。アシは異形を不活化するゲルを開発したと喜んでいた。でもそれは、そうなのだろうか?その真実は何を証明しているのだろうか?ああ。


 「ああ。違う。問題はソコじゃないんだ。つまり――。」


 つまり――光を遮れば不活化するということは、光があれば不活化しないということなのだ。ツキは思い起こす、地下街ニシキに侵入してくる異形はいつも旧式のライトを持っていなかっただろうか?ああ、そうだ。彼らは彼らに必要な光があるのだ。ヒトが呼吸を必要としているように――思い巡らすツキが見つめるモニターの中でカバの異形は黒煙を上げて吠える。周囲の猿と照明の異形が叫びながら走り回り、地下街に侵入した全ての異形に必要な光を届ける。屋上は、馬鹿みたいな照度で、何もかもが明るく映し出されていた。煌々と輝く古めかしい電球の光の中、悪夢でも見たことのない、絶望を体現する戦闘向けの異形が数十体、屋上から、地下街ニシキの居住区に侵入していく。対する兎狩は五十名程が配置されていたが、既に対応が後手に回り、下階に進もうとする異形を背後から追う形で戦闘が開始されていた。イーロンのモニターには、ミミズの異形が映し出されていた。その異形は、人の口がミミズの口に置き換わっており、両腕の先には無数のミミズが生えている。ミミズの異形は背後から兎狩に襲われる。


 「こりゃおっかねぇなぁ。でも、兎狩どもも大勢居るし、まぁ、いい酒のつまみだねぇ。」


 当初、驚いて酒とギョーザを落として溢したオヤジ客は直ぐに落ち着きを取り戻して、注文し直す。


 「ツキちゃーん。焼き二と玉蜀黍焼酎コーン、ロックで頼むよ。」


 脂ぎった胴体をクリーンな蜘蛛型の義足の上にのせているその中年男性は、酔っ払って明るく笑っていた。が、注文の間にミミズの異形が全てのアンカーガンを躱して、兎狩達をチューブ状の口に吸い込んで咀嚼してミンチにする様を見せつけられて、もう一度、箸を取り落とし、ギョーザと酒を倒して溢した。


 「いやコレ、昼間と変わんないじゃん。」


 ツキも愚痴を溢す。異形は目で追えない程の速度で移動して、兎狩りに襲いかかっている。異形の活動水準は日中の陽光下と何ら変わらなかった。つまりそれは、ツキの仮説を裏付けていた。もしこれが真実であれば五十名の兎狩では太刀打ちできない。日中であれば、一体の異形に対して、二十人程度の兎狩が必要だ。今、屋上から地下街に侵入しようとしている異形は、この九十八棟だけでも数十体はいた。


 「ニヤンさん!これ駄目だよ!店閉めて避難――!」


 ツキの願いは届かず、混乱し始めるイーロン店内に衝突音とその衝撃が届いた。一瞬遅れてオレンジ色の暖かな光りが店内を覆い尽くす。中庭に発光する太いチューブが垂れ下がっていた。店内のモニターは兎狩と交戦する大柄で戦闘力に長けた異形とは別に螺旋階段周辺に小柄な異形が侵入している様を映し出していた。その異形――多くはヒトの姿から大きく逸脱しておらず、冷静に輝く目と繊細な手指を備えていた――達は、巨大な大砲を螺旋階段から引き込んで、各棟それぞれの中庭に向けて発射した。重いアンカーが先に付けられたそれは太いチューブ状のケーブルを従えていて、中庭の各層に設けられた強化樹脂の天蓋を突き破って下層に伸びていった。それは、イーロンがある八十階層まで届いた。大きすぎる大蛇の様なそれは揺れて周囲のアパート外壁を打ち据えて、畏怖を誘う轟音を響かせた。長大なそのチューブは、屋上からぶら下がり大きく揺れている。イーロン店内は轟音と振動に襲われた。


 「ツキ!あんた!シェルターに避難しな!あんたらも同じだよ!特別に匿ってやるからさっさとこっちきな!」


 ニヤンはその体型通りの豪快さで叫び、混乱して自主性を失った客達を率いて、この混乱がもたらす何かから守るべき人達を隔離しようとした。それは指導者の行いだった。勇気あるリーダーの立ち振る舞いだ。ニヤンのその声に導かれて人々は厨房の奥にあるシェルターに向かおうとした。シェルターは鋼鉄の隔壁を持つ、並大抵の異形では突き破れない安全な隠れ家だ。脂ぎったオヤジ達はそれでも行儀良く――滑稽にも――自分の飲み物と食べ物を持って立ち上がり列を守って奥に進む。


 「ニヤン。すまんねぇ。助かるよ。今度、お礼に――。」


 「良いから早くすんだよ!クソが!!」


 どこか現実を理解し切れていないオヤジ共と違い、ニヤンは事の重大さを把握していた。日中の異形共のスピードを考えると、事態は一刻を争う。


 「ああ、でも、もう一杯だけ玉蜀黍焼酎コーンをもらうかな。」


 血迷っているオヤジを心底苛立ちながらもニヤンは客を店の奥に押し込んでいく。その間にも強力な閃光が地下街ニシキを覆っていく。第三陣、第四陣と第九区画のアパートは屋上から光り輝くチューブが投擲されて、地下街には隈無く暖かな光りが届けられた。それは爆発に等しかった。LEDとは異なり、熱を持ったその光はしかし、ヒトビトを焼いて焦がすほどは強くなく、ただ、彼らを暖めた。地下で湿って冷え切った彼らにはありがたいくらいの暖かさだった。その光は地下街ニシキの第九地区の中心区画の隅々まで届いた。それは地下街ニシキでは体験することない強力な光だった。イーロンがある八十階層が余すところなく、完全に光に覆われるのと同時に、屋上から二体の異形が飛び込んできた。イーロンの隣りの焼き肉屋に飛び込んできたその異形はコンクリの壁を突き破ってイーロン店内に侵入した。それは、ヒトカマキリの異形だった。ニヤンは叫ぶ。


 「早く行けってんだよ!!おまえら死にてぇのかってんの!!」


 ヒトカマキリの異形はツキとニヤンの脇を素通りして、シェルターに逃げ込もうとする常連客を背後から切断し、引きちぎり、踏み潰して咀嚼した。一瞬で店内は血に染まる。ヒトではない歓喜の絶叫が響いた。血の甘い香りが廃虚になった店内に充満する。全ては暖かな光の中、一瞬で行われた絶望だった。ハラスメントだらけのろくでもない客達だったが、それでもツキの大切な日常だったし、それぞれに精一杯生きていた。大なり小なり守るべきものを抱えて、貧困と死に囲まれながらも、生きる人生を持っていたのだ。蜘蛛型の下半身を持つオヤジも痩せたハゲオヤジも切断され引きちぎられて泣きながら、恐怖の中で死んでいった。恐らく、彼らが大切に思う誰かは彼らの死体を発見出来ないし、死体は誰にも弔われないだろう。苦痛に満ちた人生の終わりは唐突で、これまでと同じく苦痛に満ちていた。店内は血と臓物で溢れる。中庭から差し込む時代遅れのフィラメントの光がこの地獄をさらけ出した時、古い光がツキの全身を覆った時、ツキはこれまでに感じたことの無いような強く重く速度を持った感情を感じた。体中に熱気が満ちて溢れた。ツキは異形に向かって踏み出す。彼女の痩せた足は信じられないような活力に満ちて、床にめり込んだ。ツキは腹の底から湧き上がる激情に任せて床を踏み砕きながら進む。シェルターに向かうヒトを惨殺して貪るヒトカマキリの異形はツキのその気迫に気づいて虐殺から顔を上げて振り返る。カマキリの複眼が――見た目は変わらないのだが――見開かれる。


 ぎいいいっ!


 その異形は叫ぶとも笑うとも判断できない音を発した。ツキは全く怯まずにそれに対峙する。赤い瞳が光る。


 「ツキ!!」


 カマキリの異形と対峙するツキをニヤンが静止する。


 「ツキ!あんた何してんだい!!はやく走って行ってシェルターの扉を閉めるんだよ!早く!ツキ!!」


 その声にカマキリの異形は視線をずらして、ニヤンに狙いを定める。


 「ニヤンさん!止めて!あたしが何とかするから――。」


 ニヤンを守るためにツキは、ニヤンを制止しながら異形の興味を引こうとしたが、ニヤンの方が早かった。ニヤンは中華包丁をカマキリの異形に向かって投げた。異形の固い体表は中華包丁を簡単に弾いたが、その行為が異形の興味を引いた。異形はニヤンの顔に喰らいついた。一瞬だった。ツキは異形を止めるどころか、反応することも出来なかった。驚き何の対処も出来ないツキとは対照的に、ニヤンは悲鳴の一つもあげずにそのまま、カマキリ異形に抱きついた。シェルターの入り口で客を誘導していた義足義手のローリュウも迷わず行動を起こした。ニヤンの様子にショックを受けて対応できずに居るツキを引き摺り倒した。そのまま分厚い鋼鉄の扉を閉めに掛かる。ツキを扉で押し込んで彼女たちを助けるつもりだった。店のレシピは全てツキに渡していたし、こんな世の中だ。ローリュウに迷いや怯みは無かった。でも、その顔は泣いている。


 「俺はニヤンのことを愛している!だからツキちゃんは 引っ込んでいてくれ!彼女の望みを叶えてぇんだ!」


 ニヤンの血と脳漿と臓物が飛び散るその空間で夫のローリュウは愛を叫んだ。でも、現実はカライ。ニヤンの首を引きちぎりながら、カマキリ異形はローリュウとツキをなぎ払った。壁に打ち付けられる二人を無視して、シェルターに頭を突っ込んで中に逃げ込んでいたオヤジ達を切り裂いて、内臓を貪った。瑞々しい咀嚼音が中華料理屋に響いた。悲鳴一つあげられないツキとは対照的にローリュウは突進して、その扉を鷲掴み、全力で閉ざした。腰の辺りで巨大な鉄扉に挟まれた異形は身動きが取れず一瞬のためらいを見せて、その隙に店内で生き残っていた皆が中華包丁で切りつけてその異形を倒す――等という奇跡は起こらなかった。ローリュウが全力で閉ざした扉はしかし、容易に異形に跳ね返されて、彼は扉と壁の間に挟まって潰されて死んだ。扉と壁の間、元はローリュウであった筈のその物体は、血と意味不明な臓物ミンチへと変じた。吹き出したローリュウの血飛沫とは対照的に、異形はゆっくりと振り返った。


 「――だめだこりゃ。」


 ツキが場違いな感想を漏らして、それっきり、ツキの中で時間が止まった。全てが静止して、何も進まなくなった。

 吹き上がったローリュウの血飛沫も、下顎より上を失ったニヤンが気狂いのステップを踏むのも、シェルター内部のオヤジの悲鳴も、全て静止していた。中庭方向から差し込んでくる強力な光に全ては明白に浮かび上がっていた。何も隠されることなく顕わになっていた。その静寂と静止の世界でツキは遠くから狂気の悲鳴が近づいてくるのを感じていた。近づいてくる貨物列車や大きな地震のように、それは感知できる実体を持った振動と波だった。それがツキの中を走り抜けて、叫びとなって喉を口蓋を突き抜けて行った。叫ぶツキにローリュウの血飛沫がまばらな雨の様に降り注いだ。暖かな血飛沫は、ツキを包んで、そして、ローリュウの意識をツキの意識に叩き付けてきた。


 (ツキちゃん!いいんだ。逃げろ。異形の到達できないような下層を目指すんだよ――。)


 そして、ローリュウの血飛沫は止んだ。ローリュウの気配も、魂も消えた。その瞬間、ツキの内臓の奥の奥から激情が溢れて、本当の叫び声になった。それは八十階層を揺らした。カマキリの異形はツキの雄叫びを聞いて満足そうに――今度は間違いなく――笑い、イーロンから飛び去った。異形は中庭を挟んで反対側のイタリアンに飛び込み、殺戮に興じた。地下街ニシキで、悲鳴と血飛沫が上がる。上がった。上がり続けた。


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