12.マイルール。
「ええっと、例えば――。」
ツキは促されて話し始める。
「ウィスキーは角しか飲まない。毎日、ダブルで一杯だけ飲む。十二日で一瓶のペース。例えば、朝のお粥は毎回一合食べちゃう。トッピングはニンニクチップとゴハンデスヨと香草――基本ネギだけど、ウィキョウが買えたらウィキョウがいいな――だけ。お米は十キロで買うから、六十六日で無くなる様に食べていく。うん。量ってる。例えば、イーロンへの道順が決まっていて、部屋を出て右に曲がる→突き当たりの大階段を九十五階まで降りる(ここ、女優気分)→花屋さんの前を通る(ただで花を見る)→中庭に面した階段で八十階迄降りる(きょろきょろする)→商店街を抜ける(ヒヤカシ)→左折→右折で到着。例えば、雨の日は傘をささない。カッパを着て屋根の無い中庭に面したオープンエリアを濡れながら歩く。例えば部屋はモノトーンだけど、服は白と黒は着ない。靴下も左右合わせない。お昼ご飯はイーロンでお客さんと食べる、とか――。」
「えっ、ツキちゃんマイルールだらけじゃん。」
下半身が蜘蛛型の義足になっているそのオヤジはぽかんとした顔をした。イーロンはピークを過ぎて少し落ち着いた空気感だ。ばっちりメイクのツキはまかないのムースーロー丼を頬張りながら行儀悪く、レンゲで人様のことを指す。
「えっ、自分から聞いといて引くって酷くないか?」
「うーん。だって、飽きちゃわない?俺だったら飽きるなぁ。毎日お粥とか無理。」
「うーん。そりゃ、飽きたら変えるけど。でも飽きないんだよねぇ。お粥なんて飽きそうなんだけど毎日、ちゃんと新しく美味しいって感じだし、雨に濡れるのも楽しくて飽きてないもん。飽きるよりもイツモノコレマッテマシター!って感じになっちゃうんだよね。ならない?」
「なる。確かに。いや、ここだけの話――俺、時々、イーロンに飽きたら、八十三階の八角龍に行くんだけど、新鮮味はあるんだけど結局なんか違うなぁって感じで、イーロンに戻るんだよねぇ。そういうことか?」
「あ。ウラギリモノだ。ちょっとー!ニヤンさーん!この人よりによってバージャオロンに浮気してるよ-!」
「ちょ、ツキちゃん!人聞きの悪い言い方止めてよ。俺、ここが一番だから!」
蜘蛛型オヤジが蜘蛛の脚をガシャガシャさせながら、恐る恐る厨房の方を見やるとニヤンが満面の笑みでこちらを見てる。ニヤンがどういうつもりで微笑んでいるのか表情からは読み取れないが、腕を組み仁王立ちするその姿は魔女かスモウレスラーにしか見えない。蜘蛛型オヤジは居心地悪そうに脚をがしゃつかせて、落ち着かない。ツキはクスクス笑いだ。ニヤンは満面の笑みを崩さずに明朗な声で話し掛けてきた。
「――まぁまぁ、いいじゃないのツキ。来てくれるだけでも嬉しいじゃ無いか。お店選びなんて一期一会。たまには皆にお礼しないといけないよねぇ。そうだねぇ……二十年ものの黄酒!一杯ずつ位しか無いけど皆で飲もうよ。どうだい?」
そう言うとニヤンは蜘蛛型オヤジにウィンクをして、奥から人数分のグラスと黄酒を持ってきた。奥のテーブルの客から順に黄酒を注いで回った。皆思いもしないプレゼントに笑顔になり、店内はいつにも増して大騒ぎだ。ニヤンは最後に蜘蛛型オヤジとツキのテーブルに来てそのまま着席した。
「残りはあんたが飲んどきな。いつもありがとね。」
そう言うとニヤンは黄酒の瓶をどん、と豪快にテーブルに置いた。蜘蛛型オヤジは何処かばつが悪そうにしながらも、好意に甘えることにした。その方が場もまとまるだろう。軽く咳払いして、喉を整えてから低めの声で蜘蛛型オヤジは愛想を話す。
「悪いね、ニヤンさん。いつも餃子とシナチクしか食べないのにさ。今度、キープしている俺のボトルでお返しするよ。二十年ものの黄酒だから、流石に皆には振る舞えないけど――。え?」
蜘蛛型オヤジは言いながら自身の台詞にはっとなり、ボトルの首に掛かったプレートに気付く。ニヤンはにやにやだ。
「あっ!これ、俺のボトルじゃん!えっ?うそ!うそ!?えっ?だってこれ、一ヶ月分の給料……。」
「傲る気なかったのかい?それじゃぁ、アタシがウィンクした時、断らなきゃ駄目じゃぁ無いか。粋な男は無言で傲っちゃうからねぇ……ぶ。ぶふ。ぶぶぶぶははははっ!」
ニヤンは我慢できずに爆笑した。ツキも笑う。困り顔のローリュウ以外は全員笑顔だ。みんな、グラスを高く掲げて蜘蛛オヤジに笑顔でお礼をする。下らないけど、幸せな瞬間だった。蜘蛛型オヤジは諦めたのか残りの黄酒を瓶ごと煽った。深呼吸して辛いことは全部忘れる。店内のテンションは高く高く上がる。ツキのランチの雑談はもう少し続く。
「――って、マイルールの話に戻るけど、ツキちゃんは何で俺たちとまかない食べることにしてるの?おっさんの相手ばかりじゃ疲れちゃわない?」
「だって、アタシ、イーロンが好きだもん。疲れたりしないし、飽きたりもしないよ。蜘蛛オジもそうでしょ?アタシ、いつも想ってるんだよね。昨日と同じ明日が来ればいいなって。」
いつになく子供っぽい口調で話す、ツキの真っ直ぐな瞳をのぞき込んでしまった――ツキが呼ぶところの――蜘蛛オジは、また明日もイーロンに来ようかな、と思った。成功だ成果だゴールだと社会はうるさいが、そうでは無い。ヒトはヒトとして自分の居場所を探しているだけなんだ。成長しなくても良い、同じ毎日の繰り返しでも良い。そうだろ?だって、お天道様だって毎日同じ道を辿る。蜘蛛オジは空になった黄酒のボトルの底を未練がましくのぞき込んでからため息交じりに呟いた。
「――まぁね。飽きないね。お天道様も毎日同じ道を通るもんな。」
でも、そのお天道様は地下街には存在しない。希望や暖かな正しさなど、とっくに失われているのだ。でも、だからこそ――と蜘蛛オジは想った。無限に続く幸せなんて求めていない。今、刹那の積み重ねなんだ。蜘蛛オジは、思い切って宣言した。
「よし!来月、給料入ったらボトル入れ直そう。」
その台詞を聞いて、漸く遅ればせながらローリュウが微笑んだ。ニヤンはストレートに感謝の意を告げる。
「まいどっ!」