7 これは現実、ありえない
イヴェール・アイオライトとエスタス・レッドベリルの出会いは衝撃的なものだった。読者はそれはそれは吃驚しただろう。何せ、本編を読んでいるだけじゃイヴェールはただの悪女な訳だし。
私は、物語の冒頭を思い出しながら自分と夏目の出会いみたいだと鼻で笑った。
ただ、夏目は出会った当初のエスタスよりも酷く、胸がきゅんきゅんするような出会い方ではなかった。家が燃えているって言うのに、勝手に人の承諾も得ず腕を掴んで家に連れてきて…それから一緒に住めだの愛してるだの…そして、キスを。
思い出すと恥ずかしくなるような記憶に私は頬が熱くなった。しかし一瞬で冷め吐き気がこみ上げてくる。
好きでもない男に、無理矢理キスされて…顔がいいから全て許されるなんて思っているのかあの男はと、怒りがふつふつとわき上がってきた。
明日で夏目と出会って一週間が経つ。この一週間毎日欠かさず愛の言葉を囁いてくるのだが、相変わらずの押しつけで自分が好きなのだから、私も好きになるだろう見たいなのが見え見えで腹が立つ。
「今日はホテルにでも泊ろうかな…」
「ホテルか?随分積極的だな」
「へ?」
突然後ろから声をかけられ顔を上げた瞬間、私は固まった。そこには今一番会いたくない人物が私の顔を覗いていたのだ。
「なんで、ここにいるの…?」
「近くを通ったらお前がいたからな。一緒に帰ろうと思って」
そう言って、夏目はニヤニヤと笑い私の向かいの椅子に腰をかけた。逃げようにも逃げられないことを確信した私は、彼に分かるよう大きなため息をつく。
「残念だけど、私はまだ仕事があるの。私は貴方と違って仕事をしているし、期限だってあるの。放っておいてよ」
勿論嘘である。仕事の打ち合わせはさっき終わったばかりで、原稿の締め切りは余裕で間に合う。適当に誤魔化し夏目に帰ってもらおうという作戦だ。
しかし、夏目は立ち上がらなかった。それどころか私の事をじっと見つめて。
「ああ、もう鬱陶しいのよ!ほんと邪魔!これじゃあ執筆作業出来ないじゃ無い!」
そう言い放つと、夏目は目を丸くした後嬉しそうに微笑んだ。
何故、怒鳴られて此の男は笑っているのだろうか。私は、呆れてそれ以上ものも言えず俯いた。
彼は、大学院生で卒業後は家業を継ぐだろうし、暇じゃないはずだ。しかし、彼はこんな平日の昼間から楽そうに歩いている。きっと、彼は親や周りの人間は彼を甘やかされて生きてきたのだろう。容姿端麗で優秀で何でも出来て…
私とは大違い。
そう、自分と彼とを比較しているとガタッ…と机が大きく揺れた。顔を上げると、怒ったような表情の夏目がいた。
「…い、おいッ!」
「何よ、いきなり大きな声出して」
「…俺の話を聞いていたのか?」
「聞いてないわ。そもそも私は貴方の話を聞きたくもないけどね」
私がそういうと、夏目の眉間のシワが深くなるのが分かった。そして、聞いてもないのに話を始めた。
「さっき一緒にいた男は誰だ」
さっき一緒にいた男?と私は首を傾げる。
夏目は、とぼけるなと言わんばかりに私を睨みつけた。まさか、何か勘違いしているのではないかと彼を疑う。
「ああ、橘さんの事?」
「そうだ。お前があんなに気安く話すなんて珍しいじゃないか。それに随分仲良さげだったし…」
私は、その言葉で彼が何を誤解していたか理解した。確かに、あの時は少し距離が近かったかもしれないが、別に付き合っているとかそう言うのではない。そもそも、私は誰のことが好きだとか、前提に恋も愛もしないと言っているのに、此の男は。
「私の担当編集者よ。橘さんは。まあ、貴方と話すより楽しいのは事実だし、気楽に話せる唯一の相手でもあるしね」
私は、淡々と事実だけを答える。すると、夏目の機嫌はどんどん悪くなっていくのが分かる。
仕事で、担当編集者と話しているだけで何故そうもあーだのこーだの言われないといけないのだろうか。恋人でもあるまいし。そう思いながら私は、目の前の男を見る。
夏目は、私の答えを聞くと納得いかないという顔をしていたが、ハンッと鼻を鳴らし話を変えた。全く、ころころ表情が変わって掴みにくい。
「この間親父から縁談の話をされた。相手は大企業のご令嬢だそうだ」
「へぇ、良かったじゃない」
興味なさげに返事をする。どうせ、お見合い結婚でもするのだろう。しかし、夏目は私の反応に不満なようで更に不愉快そうな顔になる。
「それで?何処の大企業のご令嬢なのよ」
とりあえず、彼の話は聞き流すことにした。ただ、無視すると機嫌を損ねるので、相槌を打つことにする。
しかし、なんでそんな話をするのだろうか。私を好きといいながらモテ自慢をする此の男の心理が分からない。不愉快極まりない。
「お前も知ってるだろ、一条商事の社長の一人娘だよ」
「ああ…あの」
一条商事とは、この国では有名な会社で、食品から電化製品まで幅広く扱っている。
そのご令嬢は夏目と同じく容姿端麗で、他の企業や会社からも結婚を申し込まれるほどの絶世の美女と噂されている。名前は確か一条春音、だったか。
名の通り春ように温かく優しい女性らしいから、夏目とはさぞお似合いだろう。
だったら何だ。そんな絶世の美女との縁談が来て喜んでいるのか。ああ、そうか…だから私とはもう。
私にははじめから関係無いことなのに、如何してこうも胸がざわつくのだろうか。夏目と私は生きている世界が違うのに…身分が……身分?
そこまで考え、私はハッとする。私は今何を思った?私は夏目の事を……? いや、違う。私は夏目をそういう対象として見ていない。そう自分に言い聞かせて落ち着かせる。
身分だなんて…日本は平等な国だし、確かに貧富の差はあるだろうけど身分社会ではない。ただ不平等というものがあるだけ。
「…それで、話は終わり?よかったわね、そんな絶世の美女との縁談が決まって」
私は、皮肉を込めて言った。
どうせ、私は用済みなんでしょ?気まぐれで、貴方の恋というおままごとに付合わされただけで…もう飽きたんでしょう。だったら早く言えばいいのに、遠回しにして。
「……、しないのかよ」
「今度は何!?まだ、何か言いたいの?」
私は、イラつきながら言う。すると、 夏目は声を荒げていった。
「嫉妬しないのかよ!」
「はあ?」