4 信頼できる担当編集者
「はあ…」
「連城先生顔色が優れませんけど、如何しましたか?」
昼下がりのカフェのテラス席で、私は自分の担当編集者である橘秋世と打ち合わせをしていた。
彼は、私がデビューしてからずっと担当してくれている編集者で私が頼りにしている男でもあった。
物静かで、何事にも冷静沈着に対応しそれでいて仕事熱心。彼と話すのは楽しく、心が安らぐ時間だった。長いまつげから覗く孔雀石の瞳には強い意思が宿っていた。仕事に対しての熱意だろうか、それとも彼の中にある芯の通った強さとでも言うのだろうか。
「…ちょっと寝不足で」
「そうなんですね。この間連城先生の住んでいたアパートが燃えたと聞いて…そういえば、何処に引っ越しをなさったんですか?」
「…う」
聞かれたくない質問をされてしまい、私は咳払いをした。かの有名な財閥の御曹司の家に居候…という名の強制同居をされているなんて口が裂けても言えない。言ってしまえば、きっと橘さんの事だからとても心配して、大事になってしまう。
「まあ、色々あってね…」
適当にはぐらかすことにした。それが一番いい方法だった。
橘さんは、何か引っかかる様子だったがそれ以上詮索してこなかった。
橘さんは誰かさんと違って、しっかり私の事を考えて空気を読んでくれる。そこが橘さんのいいところで、私が彼に信頼を寄せている一つの理由でもある。
私は、店員から紅茶を受け取ってカップの縁に口を付けた。そして、ふぅーっと息を吹きかけると、湯気が立ち上る。
「この間の番外編売れ行き絶好調ですね。確か、上下巻にわけると連城先生言ってましたけど」
「ええ、下巻の原稿はもう少しで出来るから早めに送るわね」
私がそういうと、橘さんはにこりと笑った。橘さんは、私の仕事のペースを把握してくれていて、無理なスケジュールを組んでくるような事はしない。そのおかげで、こうして余裕を持って執筆できるのだ。結婚するならこういう人がいい…候補に真っ先に橘さんの名前を挙げるぐらい彼は私にとって必要な人なのだ。
私は、少しだけ頬を緩めて微笑んだ。すると、橘さんの顔が真っ赤になった。
「橘さんどうかしたの?」
「い、いえ…そういえば、今回の前作も含めてですが『暴君なかれを落とす方法』と『それでも暴君を愛しますか?』の二作はこれまでの作品と違う感じがしますね」
「そう?自分では分からないのだけど」
これまで沢山書いてきた為、そんなこといちいち覚えていない。しかし、私の活躍をずっと支え見てくれていた橘さんからしたらそうなのだろう。と、彼の意見を聞くことにした。橘さんは顎に手を当てて、う~んと考える仕草をする。
「すごく、リアル…だと思いました。他の作品と比べて、とても感情移入が出来ます」
「まあ、恋愛小説だしね…読者の共感を煽るのも大切なことだもの」
橘さんの言葉に、私は納得する。確かに、今までの作品と比べたらリアリティがあるかもしれない。私は、ティーカップに口を付けて紅茶を飲むと、橘さんは私を見て言った。
そして顔から笑顔が消えると橘さんは、真剣な表情で話を続けた。
「連城先生の作品はどれも言葉選びが繊細で、胸を締め付けられるのが多いですし、勿論そういう意図で作っているのも分かります。ですが、それを言いたいのではなく…この番外編の主人公のイヴェールがあまりにリアルというか、生きているように思えて」
「…それでも、所詮はフィクションよ」
橘さんの言葉を遮るようにして、私はそう言うと彼は悲しげに目を伏せた。
橘さんらしくない。彼はいつも現実をしっかり見て、フィクションの中にリアリティを持たせ、それでも現実とフィクションの線引きをするような人なのに。一体どうしたというのだろうか…
「でも、確かにコレまで書いてきた作品と比べて、作品の主人公と比べると彼女に感情移入して書いているのかも知れない」
橘さんは、眉間にシワを寄せる。その様子だと、私の書いた作品に何か思うところがあったようだ。まあ、私自身としては特に何も変わったことはしていないと思うのだが。
すると、橘さんはため息をつく。苦い笑みを浮べた。
「貴方は相変わらずなんですね。そういう所尊敬しますし、格好いいと思いますよ。僕は」
「そう…ありがとう」
私は、素っ気なく返事をした。別に褒められたって嬉しくないし、それに今更だと思ったからだ。
私は、恋愛小説家としてそれなりに売れている。それは、流行に乗っているから、橘さんやファンが支えてきてくれたから。それに私は自分の作品が好きだし、自信を持っている。
しかし、それはあくまでも作品の話であって、私の事ではない。だから、私の事についてどうこう言われたところで何と返事をすればイイか分からない。私は、紅茶を飲んで喉を潤すと橘さんを見た。空気を悪くしてしまったと思ったのか、橘さんは申し訳なさそうな表情で私を見ていた。そうして、話題を変えようと考えたようで、橘さんは慌てて口を開いた。
「イヴェールが救われる物語とかは、書いたりしないんですか?」
「え?」
「だって、彼女には幸せになっていないじゃないですか」
「………」
私は、黙ったまま橘さんを見る。橘さんは、私の様子を伺うようにして私を見ている。
私は、少し考えてから答えた。私は、恋愛小説を書く上で登場人物には幸せな結末を迎えて欲しいと思っているし、そうなるようシナリオを作り、主人公達を幸せにしてきた。その方が読者が喜ぶから。確かに、バッドエンドもメリーバッドエンドも好む人はいるが、やはりハッピーエンドで終わらせた方が後味がいい。
しかし、今回の場合は本編の番外編であり、本編でイヴェール・アイオライトは既に死んでいるのだ。イヴェールの視点で本編を語る物語それが今回の番外編である。
どのみち、イヴェールは下巻で死ぬ。もう変わらない未来、シナリオ。
それなのにどうして、幸せになって欲しいなど…たかがフィクションじゃないか。
(フィクション…そうよ、フィクション…)
そう何度も心の中で言い聞かせるが、今回に限ってどうも感情的になってしまう。イヴェール・アイオライトは私が作り出した悪役に仕立て上げられた哀れな女性なのに…如何してこうも…
「私は物語をかえるつもりはありません。イヴェール・アイオライトは私が作った物語の登場人物です。感情移入して下さるのは嬉しいですけど、感情に振り回されて私は小説を書きません。読者の心を掴む、それが売り上げに繋がるので」
「そう…ですよね…」
橘さんは、肩を落とした。
橘さんらしくない…けれど、それだけ今回の物語がいいという事なのだろう。橘さんはいつもはやんわりと褒めてくれるが、あくまで褒めるだけで自分の感想は言ってこなかった。勿論、ここがいいとかこの展開はこうした方がいいなどのアドバイスはくれるが、個人的な本の感想をくれたのはこれが始めてだった。
てっきり橘さんは、本編の主人公プレメベーラ・スフェーンのほうがタイプかと思っていたけど。真逆、イヴェールの方に共感…同情してくれるなんて思わなかった。まあ、確かに過保護なほど心配性な橘さんからすれば、愛されなくなって自暴自棄になったイヴェールに同情するかもしれない。あの、女性に興味がない(語弊がありそうだが)橘さんを魅了するほどイヴェールには魅力があるということだ。
それだけで、自信に繋がる。それに、なんだか心強いと思った。
「でも、橘さんから初めて感想を認めて貰えて嬉しいわ。また、時々でいいからこうやって話したい…かな?」
「はい、僕なんかで良ければいつでも」
「ありがとう」
橘さんは、優しく微笑んだ。
それからもうしばらく打ち合わせをして、橘さんは次の仕事があるといって席を立った。
「さて、私はもう少しのんびりしてから帰ろうかな…」
私はうんと背伸びをし、空を仰いだ。白い雲が悠々と漂う青空には、飛行機雲が一直線に伸びていた。私はそれをぼんやりと見つめながら、イヴェール・アイオライトの事について考える。