3 「愛してる」は嘘の定番
「それに、愛してるって言っただろ。お前を愛してるから、隣にいて欲しいって思ってる」
その言葉に私の身体は過剰に反応した。
易々愛を口にする此の男が許せなかった。握っていた拳はがたがたと揺れ、私は怒りを抑えるので必死だった。
愛してる?
そんなもの口では幾らでも言えるのよ。
愛していると言いながら、私を平気で捨てた母親の顔が浮かんだ。
『冬華の事を愛してるわ。だから、冬華も私の事勿論愛してくれるわよね』
押しつけの愛なんて、そんなの愛じゃない。
「そんな理由で私をここに連れてきたんですか?私達は初対面なのに、愛してるなんて言われても意味が分かりません」
私がそう言い放つと、夏目は少し悲しげな表情を浮かべて私を見つめていた。
「なんでさっきから他人行儀なんだよ」
「だって、私達親しくないですから。それに、貴方と私は住む世界が違うんです。金持ちのお坊ちゃまには分からないでしょうけど」
私は苦労して生きてきた。
今でこそ本が売れて一人で生きていけるほどのお金は貯まったが、それでも昔の節約癖は抜けずこんな高級マンションに連れてこられて頭がパニック状態になっていた。
キラキラとした照明に、シミ一つない壁、都内を一望できるガラス戸。その全てが私にとって簡単に手に入らない贅沢品だったのだ。
それを、此の男は知らないだろう。苦労して生きてきた私に、贅沢を強要しようとしているのだ。
「別にお金にも住むところにも困ってません。貴方に手を差し伸べて貰わなくても、一人で生きていけます。そんなに私が惨めで弱い人間に見えるの?」
「そういうことを言ってるんじゃない。俺は、お前と一緒にいたいって言ってるだろ」
「…だから、それが意味分からないのよ!」
私は思わず声を荒げてしまった。しかし、夏目は全く動じていない様子で、私をじっと見つめている。
そして、彼はゆっくりと私の方に歩み寄ってきた。
「っ……」
「俺の言葉を信じられないなら、信じさせてやる」
そう言うと、夏目は私の顎を掴み強引にキスをした。私は抵抗しようとしたが、腰を強く抱かれ身動きが取れなかった。
そして、彼の唇が離れた隙を突き私は彼の胸板を思いっきりおした。
「最ッ低」
「これで少しは、理解してくれただろ?」
「何をよ。何を理解すれば良いっていうの!?ファーストキスだったのに…」
そう言うと、夏目は嬉しそうな顔をした。私はその顔を見て、さらに苛立ちを覚えた。
「フッ…そうか、それは良かったな。ファーストキスの相手が俺で」
「…ッ、言ってる意味が分からない。最低、最低…最ッ低」
私が何を言っても夏目は笑うばかりで、私の言葉は彼に届いていなかった。
「嫌い」
私はそう吐き捨てる。
私は、この男が嫌いだ。
愛や恋などくだらないと思っている私の気持ちを理解しようとしない。
私の事を好きだと言う割には、私の事を考えてくれないし、自分の思い通りにしようとしてくるところが嫌だ。
嫌いだ、大嫌いだ。
今日初めて会ったのだが、彼の評価はマイナス以上だ。ここまで酷い自分勝手な男と出会ったことはない。
こういう男に限って、愛とか恋とかほざいて飽きたら捨てるんだろう。知っている。そういう男を私は近くで見てきた…見てきた?のだ、から。
「嫌い。私は貴方のことが嫌い。初対面で、これほど不愉快な思いになったのは初めてだわ」
「俺はお前と一緒にいられて幸せだけどな」
やはり話が通じない。
私は、ソファーから立ち上がり玄関に向かった。
「どこに行く気だよ」
「ここにいたくないから出て行く。それだけよ。離して」
私がそう言うと、夏目は私の腕を掴んだ。
「そんな事許すわけないだろ」
「何でよ。私は貴方の所有物でも何でもない。貴方の許可なんて必要ない!貴方の顔なんか見たくもない」
「じゃあ…」
夏目は急に落ち着いたトーンで私に話しかけてきた。
「一ヶ月、一ヶ月だ。一ヶ月だけ俺のそばに、ここにいてくれ」
「なんで?私にメリットないでしょ?」
「あるさ…だってお前は、俺の嫁になれるんだからな」
「頭のねじでも飛んでるの?」
彼は、一ヶ月ここにいろと言ってきた。メリットは?と聞くと、俺の嫁になれるから…だなんて。
自分勝手にもほどがある。どれだけ夢を見ているのだろうか。そういう態度が許されるのは、フィクションの中だけなのよ。
「ほんと、頭がお花畑な御曹司さんね……一ヶ月経てば出て行っていいって事ね?」
「ああ、そうだ…だが、その一ヶ月で俺はお前を惚れ直させてみせる」
「…はあ……」
呆れてため息しか出てこなかった。こんな奴と同居するのかと思うだけで気が滅入る。
「なら、私からも提案させて」
と、私は彼の口に人差し指を当てていった。
「一ヶ月以内に私が貴方に惚れなかった場合…今後一切私に関わらないで欲しい」
「それだけか?」
「ええ、それだけよ」
「分かった。約束しよう…だが、そんな未来は訪れない」
夏目は自信ありげに言った。
バカね…私の事何も知らないからそんなこと言えるのよ。
「私ね、愛とか恋とかくだらないって思ってるの。恋愛小説は山ほど書いてきた…どんなシチュエーションで恋に落ちるのか、どきどきするのか…でもね、フィクションと現実は違うの」
私は誰も愛さない。
愛なんてくだらない。だから、私は貴方に恋心を抱くことはない。
「私は絶対、貴方を好きになんてならない」