表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/44

12 これでようやく終わり



「何で……僕じゃないんですか」




 ぽつりと零れたその言葉は、橘さんの本音であった。 

 自分に覆い被さっている男の顔は、逆光でよく見えない。ただ、その瞳が暗く濁り、こちらに向けられていることだけは分かった。


 その瞳が、私に突き刺すような視線を向ける。その鋭さに、私は思わず目を逸らした。


 橘さんと出会ってから、彼は一編集者として私と向き合ってくれた。恋愛感情なんて持っていないと思っていた。作家である私を支えてくれたのも事実だ。


 だが、彼の中にはどす黒い感情が渦巻きそれを私の前ですら隠し通し、押し殺してきたのだ。

 彼は、自分の感情を隠すのが得意であったから。




「……秋世さん離してください。こんな事しても私は貴方を好きになんてならない」

「僕がどれだけ貴方を好きか、愛してるか知らないくせに」

「押しつけないで!それを私に押しつけたところで、私が貴方を好きになると思わないで」




 私がそう叫ぶと、秋世さんは肩をすぼめ悲しげに笑った。


 その顔を見て、胸が痛んだ。違う、本当はこんなこと言いたくなかった。私は、彼と作家と編集者という関係でいたい。そうでなくても、友人でもいい……そう思っていたのに。彼は違った。

 彼が私に愛を望み押しつけるなら、私は彼を拒絶しなければならない。


 だって、私は秋世さんの事をそういう対象として見れないから。それに、もしこの場で受け入れたら、きっともう戻れなくなる。


 それは、嫌だった。だから拒絶した。

 でも、それは間違っていたのかもしれない。




「僕は、貴女が好きだ」

「…………」

「初めて会ったときから、貴方に救われたあの日から……今は、貴方に出会い貴方の手伝いが出来るそれだけで幸せです。でも……もう、そんな幸せだけじゃ足りないんです」




 秋世さんは苦しげに顔を歪ませ、私を強く抱きしめた。




 ―――――――苦しい。



 彼に触れられると、心の奥底にある感情が揺さぶられる。それは、決して良い感情ではない。

 これは、恐怖だ。

 今まで、感じたことのない感情に、身体が震える。

 そして、それに気づいた秋世さんはフッと満足げに笑う。




「震えてるんですか?可愛いですね」

「……離して」




 秋世さんは、私の耳元で囁く。その声が妙に艶っぽくて、背筋がぞくりと粟立つ。

 私は、どうにかしてこの状況から逃れようと身じろぎする。しかし、その動きを封じるように彼は腕の力を強めた。




「……ッ!」

「冬華さん……僕はもう待てないです。これ以上貴方に冷たくされるのも、意識されないのも……もううんざりなんです。僕を見て、僕を愛してください……」




 泣きそうな声で言う秋世さんを見て、私は何か間違えたのかと思考を巡らせた。



 エスタスだけでなく、イェシェィンまで愛に飢えていたのかと。

 愛を知らないエスタスと、愛を求めたイェシェィン……私の、イヴェールの周りは本当に厄介な男ばかりだ。

 彼女は魔性の女なのかと思うほど。前世の私だと言うが、絶対に違う。


 そんな事ばかり頭に浮かび、私はどうしようもなかった。





「……なつ、め」




 私は無意識のうちに彼の名前を呼んでいた。


 秋世さんのものになんてなりたくない。そう思ったときに、彼の顔が浮かんだのだ。

 だが、そんな私の様子を見て秋世さんは乾いた笑みをこぼした。




「夏目?……ああ、彼ならここには来ませんよ。今日は大学のサークルで飲み会があると言っていましたからね」

「っ……」




 私はその言葉を聞いて泣きそうになった。何故こんな目に遭わないといけないのか。




「泣かないでください。可愛い顔が台無しですよ」




 そう言って橘さんは私の頬を撫でた。それが気持ち悪くて、私は身体を強張らせた。




「僕だけを見て」

「…嫌だ。助けて…夏目っ」




 そう言った瞬間、部屋の扉が蹴破られるように開いた。

 そこには息を荒げ怒りの形相をした夏目が立っていた。





「冬華っ」




 部屋に入るなり、夏目は私を襲っていた橘さんを殴り飛ばした。




「…ッ」




 殴られ床に転がった橘さんは夏目を睨んだ。




「如何してここに…?」




 鍵はかけたはずだと、橘さんは血が滴る口元を抑えた。

 それは簡単なことだ。私が昼間春音さんに渡したのは、橘さんの家の合い鍵だったからだ。

 そして、だめ押しに夏目に会いたいと連絡を入れた。その結果がこれだ。




「……お前ッ」

「っ…たた……貴方はいつもそうですね。暴力で解決しようとして。ほんと、反吐が出ます」




 壁に頭をぶつけたのか、頭を抑えながら橘さんは夏目を睨み付けた。

 しかし、そんな睨みなど夏目に筈がなく、夏目は、着ていた服を私に被せると私を守るように前に立った。床に倒れていた橘さんを見下ろしもう1発殴ろう拳を握ったが、私はそれを制した。

 夏目は気が済まないという様な顔で私を見たが、私は首を横に振った。




「橘さん…私は貴方に感謝してます」




 私は、橘さんに歩み寄り彼の顔を真っ直ぐと見た。

 彼の孔雀石の瞳は狂気で渦巻き濁っていた。見ていられなくなり私は目を細める。




「冬華さん……」

「…私は、貴方を愛していませんし、愛せません。ごめんなさい」




 私はそう告げて、橘さんから離れた。

 すると、彼は狂ったように笑い出し私と夏目を見た。夏目は私を抱きしめ、橘さんを睨み付けた。




「…そうですか…それでも僕は貴方を愛しています。これからもずっと……貴方だけを愛してる。冬華さん」




 そう言うと橘さんは私の方へ手を伸ばした。私に触れる前に夏目がその手を叩き落とした。



「俺が、冬華を幸せにする。だから、もう二度と俺たちの前に姿を見せるな」




 夏目はそう言って、橘さんに釘を刺すと彼は頭を垂れ、項垂れた。

 私はそんな彼を見つめていたが、これ以上ここにいても仕方がないと思い、夏目の腕を掴んだ。



 服は着直し、そうして橘さんを置いてそのまま玄関に向かい、靴を履いた。

 外に出ると、先ほど降っていた雨はやんでおり満天の星空が私達を出迎えた。




(ああ、ようやく終わったんだ……)




 イヴェール・アイオライトを取り巻いていた前世からの事件は、こうして幕を下ろしたのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ