5 誤解を解きたくて
「ごめんなさい…せっかく連れてきて貰ったのに」
「いえ……まさか、彼がいるとは思ってませんでした」
私たちは足早に水族館を出て、近くのカフェに入った。
夏目のことを少しでも忘れ、気を紛らわせるためにきたというのに真逆の結果になってしまった。
橘さんは紅茶を頼んでくれたが、飲む気にもなれず私は俯いた。
確かにあそこに夏目と春音さんがいた。見間違いなんかじゃなかった。
私が夏目を見間違うはずない。あんなに目立つ金髪と彼の纏うオーラ…久しぶりに夏目を見て心臓が飛び跳ねた。声をかけようかとも思った。しかし、彼の隣には春音さんがいて楽しそうに歩いている姿を見て私は怖くなったのだ。
あれから夏目は如何しているんだろうか。まだ私の事好きでいてくれているのだろうか…私じゃなくてもイヴェールでも…そう思っていたが、彼の心はすっかり変わってしまっていたらしい。
よりによって春音さんと…
私は震える拳をぎゅっと握りしめながら唇を噛んだ。
「冬華さんはまだあの男のこと好きなんですか…?」
「……」
私は答えられなかった。
好きじゃないと言えば嘘になる。でも、もう忘れようと努力してきたから今更だ。
いいや、好き。好きだけどあんな所見てしまったらもう…頭の中で思考を巡らせ、黙り込んでいると橘さんは深いため息をつく。
その様子は呆れているという感じだった。
「……すぐに他の女性に乗り換えるような男がそんなに大切ですか?」
橘さんの言葉に私はハッと顔を上げた。橘さんにしては強い言葉で、一瞬だけ身震いしてしまった。
彼でもそんな言葉を発することがあるんだと、驚いていると、橘さんは咳払いをしていつもの笑顔に戻った。
「貴方を傷つけるような人なんですよ、彼は。僕は冬華さんが傷つくところを見ていると苦しいです」
そう言って、紅茶を一口飲んだ。
「……そうですね。秋世さん」
橘さんの言う通りかもしれない。
今の私は橘さんから見ても傷ついているように見えるだろう。実際傷ついているわけだし。
結局、イヴェールとおなじ末路を辿るのかと、私は内心がたがたと震えていた。また捨てられたのかと。
愛なんて幻で、初めから信用ないものなのね。
「……少しお散歩してもいいかしら?頭を冷やしたいの」
私は立ち上がって、財布からお金を取り出して机の上に置いた。
「…はい。分かりました。気をつけてくださいね」
橘さんは私の行動の意図を理解してくれたようで、快く送り出してくれる。
私は橘さんに礼を言い、席を離れた。
外に出るなり、冷たい風が吹き付けて思わず身を縮こませる。
先ほどまでは温かかったのにと、着てきた薄着の服を恨んだ。そうして、胸元で輝くレッドベリルのネックレスを見て夏目の顔が浮かぶ。
私が歩く度に揺れる赤い石。まるで夏目の瞳のようだ。
(本当にくだらない)
夏目を思い出すだけでこんなにも苦しくなる自分が嫌になった。
頭を冷やすといって出てきたが、頭が冷えるどころか心が冷たく冷え切ってしまった。夏目のことばかり頭に浮かんでどうしようもない。私は自分の頬を思いっきり叩いて、無理やり前に進んだ。
この気持ちは一時的なものよ。大丈夫。きっとそのうち忘れるわ。私は自分に言い聞かせるように呟いた。
「あの、冬華さん!」
私が歩き出すと、突然後ろから声をかけられた。
振返るとそこにいたのは、思いも寄らぬ人物だった。
「冬華さん、冬華さんですよね!」
「え、ええ…って、春音さん!?如何してここに?」
私に声をかけたのは、まさかの春音さんだった。
今日、彼女は夏目と一緒にデートしていたはずなのに。何故? 私がいる事に驚いている様子だったが、春音さんは嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔はまさに花が咲いているように美しく、思わず見惚れてしまいそうになるほどだった。
「彼とデートしてたんじゃ……」
「え、夏目様とですか?そんなわけないじゃないですか」
と、春音さんは面白い冗談ですねなんて笑った。
状況が理解できない。
しかし、春音さんは嘘をつけるようなタイプではない。だから、デートではないのだろう。けれど、私の見間違いでなければ。
「もしかして、冬華さんも水族館に居たんですか?」
春音さんの質問で私は確信した。
やはり、あの時見た女性は春音さんだったのだ。どうして彼女が此処にいるのかは分からないけど……まあ、それは後で聞けばいいか。
「立ち話でも何ですから座れる場所に移動しませんか?ちょうど、喫茶店がありますので」
「そうですね。行きましょうか」
一瞬だけ、秋世さんのいるカフェを選んだらどうしようかと思ったが、春音さんが連れてきたのは一人で入るのは少し気が引ける高級感ある喫茶店だった。
向かい合う形で椅子に座って紅茶を注文する。
「冬華さんとお茶出来るだなんて嬉しいです!」
そういって、大量のケーキを頼む春音さん。
今は食べる気分にもなれず運ばれてきた豪華なケーキを見て、げんなりとした表情を浮かべる。
「あれ?冬華さん食べないんですか?」
「お腹すいてないから…」
そうなんですね。と行って春音さんはケーキを頬張った。リスみたいに口いっぱいにケーキをつめて、幸せそうな春音さんを見ていると、なんだか和む。
春音さんに夏目を取られるなんてヤケになっていた自分が恥ずかしい。いや、この場合春音さんみたいな癒やしタイプは夏目に案外効くのかも知れない。
そんな風に春音さんを見ていると、彼女の黄色の瞳と目が合い春音さんはケーキを食べる手を止めた。そうして真剣な顔で私を見る。
「私ずっと冬華さんに謝りたいと思っていたんです」
 




