7 ◆
イヴェールは春のフェスティバル以降、エスタスと順調に距離を縮めていた。
あれから、イヴェールも色々考え悩み、奴隷の自分に優しく愛を与えてくれるエスタスのことを心から信じるようになってきた。自分は愛されているという自覚が自惚れにも変わって来た。もう過去の自分じゃない。愛されない自分じゃないと…そんなある日のことだった。
皇宮の中で見たことの無い女性をエスタスが連れて歩いているのを見てしまったのだ。
その女性は綺麗なピンク色の髪を揺らし、春の花を纏っているようでとても美しかった。
エスタスの隣にいる彼女は幸せそうで、まるで恋人同士のようにイヴェールの目には映った。エスタスがこれまで自分にだけ向けてくれていたと思っていた笑顔を、あんな易々と他の女性にも…
「っ……」
イヴェールは、自分の中に黒い感情が生まれるのを感じた。その感情は初めてのもので、イヴェールはその二人に声をかけることなくその場を去った。
それから、二人でいるところを頻繁に皇宮内で見かけるようになった。
エスタスの表情は柔らかく、楽しげだった。あの女性のことを大切に思っているのだろう。そして、その女性が笑う度に……イヴェールの心にヒビが入るような感覚を覚えた。
皇宮内では味方も喋れる人もいなかったイヴェールは、使用人達の話に聞き耳を立て彼女がエスタスの婚約者の公爵令嬢プレメベーラ・スフェーンだと知った。
彼女を見かけるようになってから、イヴェールはエスタスに避けられるようになり孤立していった。どうにか、エスタスを繋ぎ止めようと彼の瞳と同じ色のブローチを渡したが、それは突き返されてしまった。彼からの最後の贈り物は、イヴェールと同じ瞳のネックレスだった。
しかし、エスタスはプレメベーラに自分と同じ瞳のネックレスを贈り、彼女からのブローチを受け取っていた。
「…殿下、殿下はもう私の事す…好きじゃ、ないんですか?」
そして、いても立ってもいられなくなったイヴェールは直接エスタスに聞いたのだ。
しかし、エスタスは何も答えなかった。ただ無言で、冷たい瞳でイヴェールを見てくるだけだった。
「どうして何も言ってくれないんですか?私は、私はもう必要ないですか?貴方にとって、私はもう用済みですか?」
「……」
「殿下、ここにいらしたんですね」
イヴェールはその声に過剰に反応し、びくりと肩を震わせた。
振り返るとそこにはペレメベーラの姿があり、彼女はエスタスに駆け寄ってきた。彼女が隣を通り過ぎる時きつい花の匂いがし、イヴェールは顔をしかめた。
「殿下、そちらの方は?」
「……彼女は」
エスタスは、ばつが悪そうに言い淀んだ。そんな彼の事なんてお構いなしに、プレメベーラは「貴方のお名前は?」と優しい声色で聞いてきた。
エスタスが、自分について何も彼女に話していない事を知り、イヴェールは心がズキリと痛んだ。自分の事は隠したいのだと。
「私は…」
「彼女は元奴隷だ」
そう口を開いたのはエスタスだった。彼は、はっきりとそう言った。
エスタスの言葉を聞いた瞬間、イヴェールの顔は固まりプレメベーラも驚いた様子で彼を見つめた。
「殿下…っ」
イヴェールは震える声でエスタスの名前を呼んだが、エスタスはこちらを一ミリたりとも見ずに、真っ直ぐに前を向いていた。まるで、そこに誰もいないかのように。
エスタスの態度に、イヴェールは胸が苦しくなった。
「もう私のこと…好きじゃないんですか…」
もう一度イヴェールはその言葉を口にした。プレメベーラもエスタスを見る。
もう奴隷じゃないと、あの頃の自分じゃないと思っていたのに。エスタスから見て自分はまだ元奴隷というレッテルを貼られたままだと。
彼は嘲るように笑い、プレメベーラを抱き寄せた。
「お前はもう、俺の事好きじゃないんだろ?」
「な、何を仰いますか!私は、私は殿下を……」
黙れ。とエスタスはイヴェールの言葉を遮った。
エスタスのその冷たい瞳を見て、イヴェールの身体がカタカタと震え出す。
エスタスのことを愛している。だからこそ、違う女を連れてあるいている彼に…彼の隣で笑うプレメベーラに嫉妬したというのに。
イヴェールはこぼれそうな涙をぐっと堪えた。泣いたところで変わらないだろう…慰めてくれるわけもない。
「そんなわけないです。私は、私は殿下のことっ……」
「もういい」
エスタスはイヴェールの言葉をまたもや遮った。そうして、エスタスはプレメベーラを連れ消えてしまった。
「っ……」
イヴェールはそれ以上何も言わず、その場に立ち尽くした。
何故彼が急に冷たい態度を取るようになったのか、イヴェールは分からずにいた。




