記憶 ◆
『もう私のこと……好きじゃないんですか……』
震える声で、目の前にいる金髪の男に縋り付く。しかし、男は冷ややかな目で彼女を見下ろし、振り払うと何も言わず背を向け歩き出した。
自分とあの男では身分が違う。
皇太子と元奴隷。本来叶うことのない恋。
しかし、あの日……、奴隷商人達から逃げ当てもなく路上に倒れ死を待つだけだったあの寒い日に、皇太子は自分に手を差し伸べてくれた。それはただの気まぐれであった。だけど、単純で優しさに飢えていた彼女は皇太子に恋をしてしまった。
王宮に連れてこられた彼女は、作法とマナーを学び少しでも自分を磨き、皇太子の隣にいても恥ずかしくない女であろうとした。
皇太子は、暴君であった。
けれども、皇太子は噂とは違い奴隷だった彼女を愛した。それはそれは溺愛した。しかし、その愛情も徐々に冷めていったのか、皇太子は違う女性を連れてあるくようになった。それは婚約者候補だった公爵令嬢だった。
彼女は嫉妬した。でも、皇太子を信じていた。まだ、自分を愛していると。
しかし、彼女は現実を突きつけられる。
皇太子は、彼女の前で堂々と令嬢と口づけを交わし酷い言葉を浴びせてきた。
奴隷の身分だった彼女は、皇太子の愛情がなければここに存在する理由がなくなってしまう。
そして、最悪なことに彼女の妊娠が発覚する。皇太子は気づいていないようで、彼女もまたそれをひた隠しにしていた。その間も、皇太子は彼女からどんどんと離れていき、やがて彼女に言ったのだ。
『お前のことはもう愛していない。何処へでも行ってしまえ』
と。その言葉で彼女は完全に壊れてしまった。
彼女は絶望に打ちひしがれ来る日も来る日も泣き、そして最後に毒を飲み自らの命を絶った。毒の回りは遅く、長い間苦しみに悶えた。けれど、その苦しみは皇太子に捨てられた悲しみよりも軽かった。
愛されないなら、自分に存在価値はないと…もう、恋なんて、誰かを愛したりしない。そう、彼女は皇太子や周りの人を呪いながら死んでいったのだ。
それでも、心の何処かで愛されたいと……願っていた。
彼女の名は、イヴェール・アイオライトといった――――。