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本当と本と

「やあぁぁっ!!」


 斬りかかるエシェロの翼がはためき、振り下ろす剣筋が光の粒を放つ。

 が、切っ先はフローラが振るう大剣の峰にどっしりと受け止められ簡単に動かなくなる。


「どうした、軽くないか? ダイエットでもしたか?」

「し、してませんっ!」


 エシェロは一歩下がると、再び剣を振り上げ――、

 まばたきの間にその身がフローラの背後へと回っていた。


「する必要……ありませんからっ……!」


 その電撃的な動きを背中で感じ取ったフローラの勘はまさに森に棲む動物的だった。

 跳ねて回避すると、すかさず巨大な剣の一太刀を返す。


 攻撃を回避したのはエシェロも同じだった。

 しかし……俺の目には、エシェロは劣勢と見えた。


 一撃の重さが違いすぎる。それに間合いもフローラの方が倍以上長い。だというのに剣を振る速度はほとんど互角。

 確かに言う通り、フローラの方が強いキャラと『設定』されている。そう思わざるを得なかった。


「俺にも何かできることをやらないと……!」


 このままエシェロが追い詰められるのを黙って見てなんかいられない。

 だけど魔法も使えない、近づけない俺に何ができる? 散らばる瓦礫でも投げつけるか? いや、エシェロの邪魔になる可能性を考えると余計に干渉はできない。


 ならばせめて口で気を逸らせないものか?


「お前がオヤジを嫌ってたのは分かった。確かにお前のとこの設定は俺から見てもやりすぎだ」

「ふんっ、知った風な口を!」

「でも、だからってこっちの世界で無関係な人まで巻き込むような真似をするのは〝ドS〟ってレベルを超えてるだろ! 設定くらい守ったらどうだ!」


 上下左右と連続する剣閃をかわしつつ、随分と余裕の表情を見せるフローラ。


「設定ではアタシの世界に作者はいないはずなのだがな!」


 くっ……言い合いでも劣勢とは……。

 歯を噛む俺に一瞥し、フローラはエシェロを蹴りつけ、


「――はあぁっ!!」


 斬り上げる黒刃がエシェロの翼を断ち切った。エシェロは霧のように消えていく翼を庇いながら大きく吹き飛ぶ。


「……だがな、守っている設定もあるぞ。『森の魔女は乱暴者で怒りっぽい』……その通り、アタシは短気だ。そのうえ、簡単には忘れない。

 まだ収まらんのだ、怒りがな」


 全てを睨みつけるフローラから間合いを取るエシェロを支えた。


「大丈夫か、背中の羽が……!」

「へ、平気ですっ、体の一部ではありません、まだ……はあっ、いけます……っ!」


 体だけは無傷に近いが、消耗が激しいのは見るなり分かる。握り込んだ剣の輝きも鈍くなりつつあるようだった。


「フローラ、お前の気持ちももっともだ。俺たちの世界にとってみれば、そういう作品、と思って楽しめるもんでも、その中で生きてるお前らにとってはそれじゃ済まない。それは分かる。けど、もうオヤジもいない今、こんなに怒り続けたって――」

「違うッッ!!」


 フローラの絶叫がびりびりと鼓膜を痺れさせる。


「アタシは――アタシが怒っているのはあのイカれた世界を生んだことにじゃない!」


 狂ったように振り回す大剣が床、壁に次々に深い傷痕を刻む。

 俺はその殺気に慄きながらも、疑問を覚えずにはいられなかった。……なら一体、何があいつの憤怒を支えているのか?


 その時、フローラは靴底で砂埃を巻き上げた。

 刃をかざし駆け出す一瞬のうち、エシェロが「デオ様っ!」と叫んで飛び出す。


 ガキィッ!!

 激しく斬り結ぶ音がこだまする。


「一言……たった一言、『オマエの作品はイカれてる』と言いたかっただけなのだ……!」


 鋭さを増す斬撃と対照に、声は振り絞るように掠れていく。


「ジジイは執筆のためにアタシを喚んでいた、まだ自我のない、模糊たる『フローラ』との対話で物語を書き進めた。オマエもそうだろう、エシェロッ!」

「く……っ、は、はい……。お父様が書き終えるまで、わ、私たちは単なるキャラクターでしかありませんから……っ!」


 繰り返し振り下ろされる黒い刃がエシェロの得物から光を削ぎ落していく。


「アタシが『アタシ』を自覚したのは、本が出版されてしばらく経ってからのことだ。その後も、しばらくは夢遊病のようだった……。エシェロ、オマエと会った茶会の時もな」

「……っ!」


 絶えず攻め続けるフローラの勢いにエシェロの剣は封殺されていた。必死の防御ながら彼女の足は徐々に後退していく。


「そして物語の代わり映えのなさに気づいた……だがっ! 外に出ることは叶わなかった! ジジイの〝命令〟が、アタシに本を開かせなかったのだ!」


 オヤジの命令――著作権者として、フローラの行動を制限したのか。元々の作者なら、成り行きで権利を継いでいる俺よりずっと上手く制御できたのだろう。


「一度でいい、まともに話をして文句を言う機会さえあればよかったのだ! それが何だ、アタシを生み出すだけしておいて、その後は退屈な本の中に幽閉して、やっと出られるようになったと思ったらもうあの世だと!? ――いい加減にしろ、キサマのセリフではないアタシの言葉を聞け、それでよかったのにッ!!

 そんなことすら許さないのならば、こちらにも考えがあるというものだクソジジイめがッ!!」


 ……そう、か……。

 フローラは――父親と話がしたかったのか。ただのキャラクターではない、目を醒ました自分として……。


 確かにオヤジが悪かったのだろう。きっと彼女のためにやってやれることはあった。

 だが――俺はオヤジを責められない。


 バギャァッ、と音を立ててエシェロの直剣が砕け散る。それでもなお手を止めようとしないフローラは頭上高くに剣を振り上げた。


「ジジイの名を殺し、キサマら愛する子供も後を追わせてやる! それで我が怒り、鎮まることを願えッ!」

「エシェロッ!!」


 ダメだ、ダメだっ、斬らせてたまるか!

 オヤジが俺に遺したもの、何一つ傷つけさせはしない!!


「エシェロ、聞けぇっ!」


 俺はそう叫んだ。――『空の誘い』を二人の頭上高くへと投げ飛ばしながら。



「戻れ!!」


 瞬間、エシェロの体は全て光の粒となった。

 剣風に舞う粒子がフローラの上を越えていく本の中へ吸い込まれる。その時、間髪入れずにまた叫ぶ。


「出ろ、エシェロッ!!」


 本が輝きを放つ。

 光の粒子が再び、彼女を再構成していく。


 本が落下したフローラの背後へと。


「なん――っ、だと!?」


 剣を振り下ろす最中のフローラは、文字通り光の速さで移動したエシェロへギロリと目を向ける。

 それが限界だった。


「お、お覚悟ください……っ!」


 フローラの背中に飛びつき羽交い絞めにするエシェロの四肢から輝く鎖が伸びる。


「が、ぁっ……! クソッ、キサマら、よくも……ォッ!!」


 念動術を振るおうともがく手指全てが鎖の魔法に封じ込められる。

 黒い大剣から魔力が抜け落ち、元の枯れ木の箒へと戻っていく。


 膝をつき、磔にされたフローラは絶えず悪罵を吐き続けた。


「あ……アタシを、このフローラ様を舐めるなよ……!! キサマらのことは許さん――アタシをどこに閉じ込めようと、きっとキサマらを追いに行くぞ……!」

「ふ、フローラさん……暴れると食い込みます……!」

「そうだ、世界の境界を越える魔法……! それを編み出してやるッ。平行世界に出てエシェロ、キサマを殺し、上位世界で息子、キサマも徹底的に痛めつける! それがいい、そうだ、そうすれば地獄のカミュワのところにも行ってもう一度殺しなおせるではないか、さすがはアタシだぁっ、イヒヒヒヒッ!!」


 半狂乱のフローラの血走った眼を見て――俺は、やるせない気持ちを抑え得なかった。

 はじめは虚像だったとはいえ、今や彼女もひとつの人格。それをこうまでさせたのなら……確かにオヤジは罪深い。

 だからこそ俺は、カミュワの息子として伝えなければ。事実を。


「フローラ、今からお前を本の中に戻す」

「どうとでもするがいい! キサマらを殺す魔法の研究に場所など関係ないのでなぁ!」

「……でもその前に、聞いてほしい話がある」


 俺は取り出した『魔女様以下略』をフローラの目の前に置き、そこにしゃがみ込んだ。


「父さんは目をってたんだよ」

「…………あ?」


 ぽかんとするフローラ。その背でエシェロが唇をきゅっと噛んだ。


「病気だと分かってから失明するまでほとんど時間はなかった。他の部位なら自分の魔法でなんとかできることもあったかもしれないけど……お生憎様、その術を組むための目がもうなかった」

「な……何を言っている? ジジイが盲だと? ふざけるな、そんなことアタシは――」

「ご、五年前……だ、そうです……っ」


 エシェロの言葉に俺は頷く。


 そうだ。我が父、大魔法士にして書聖カミュワは、この五年、何も見えない暗闇の世界で生きていた。

 全盲になってすぐ、母さんが介護のために一緒に住むようになって。俺だけは仕事があるもので、父さんの養生先だった例の屋敷とは離れた町にいた。


「父さんはお前を閉じ込めたんじゃない。……自分で書いた本のタイトルすら読めなかったから、お前のいる本を探し出せなかった。出してやれなかったんだ」

「…………き、キサマ、このアタシに対し謀ろうとは……ヒヒ、いい度胸をしている」

「フローラさん……! み、みんななんです……っ!」


 エシェロが涙目になりながら発した。


「この五年間……お父様は、私たちの誰も、一度たりとも召喚なさいませんでした……! き、きっと……奥様との時間を、だ、大事になさって……」

「ヒ、ヒヒッ……。ホンキで言っているのか……?」

「あ、あ、当たり前じゃないですかぁっ、うぇぇぇっ……!」


 フローラだけではない、全てのヒロインが親と別れの挨拶を交わす機会を得られなかった。……俺もそうなってしまったが。


 だが中でもフローラがツイていなかったのは否めない。

『快・虐・淫・獄 ~魔女様のおしおきとごほうび~』なんていうかなりアウトな作品が、ほとんど遺作に近くなって、そのせいでフローラは普通の会話すらできず終いだったのだから。


「お、お父様は何も悪くありません……! フローラさんは、ご、誤解してらっしゃいます……!」

「そん……な……っ。なら……だとしたら……ジジイは、アタシをお祓い箱にしたのでは……ない、のか……?」

「多分な。……まあ、母さんとイチャついてるときに出て来られたら、そりゃあ命令してでも帰らせたかもしれねぇけど?」


 フローラの手足から力が抜ける。天を衝かんばかりだった髪がだらりと垂れ落ち、うなだれる。


「……好きにしろ。もう……いい。それが真実だろうと嘘だろうと……もう、森の魔女の怒りは終わりだ」

「ああ、分かった。これからここにある本にお前を収録しなおす」

「…………」


 俺は数ある父の名のひとつ『ジャングル・ブラック』の名前をフローラの頭にかざした。


「なあ、フローラ……俺は昔、父さんに言ったことがあるんだよ」




『お父さん、帰ってきてもいっつも作文書いてる……』

『おお作文か、デオにはそう見えるかね』

『違うの?』

『まるで違うとも。これは作文ではなく……』




「これは小説と言ってね。たとえ私が死のうとも私のことを語り継いでくれる、孝行な子供たちなんだよ……って。

 お前の本にカミュワの名前はなかった。けど、父さんが絶対に持ってた『ジャングル・ブラック』としての一面は、お前に語り継いでほしかったんだと思う。……エシェロみたいな子だけじゃない、お前も親孝行な娘として生まれてきたんだ。俺は、そう思うよ」


 ぽん、とフローラの頭をブラックの名が撫でた。

 その瞬間、エシェロのそれと同じ眩い光が辺りを包んだ。


「うう……くっ、うぅぅぅ…………っ」


 フローラの目から流れ落ちる雫が、頬を汚す砂埃を洗い落とす。


「うううぅぅぅぅぅ、えぇぇぇぇぇぇぇぇ………………』


 泣きじゃくる声はやがて、本文とあとがきの間の空白を埋める文字になっていった。



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