商いの街へ
「エシェロ、着いたぞ。出て来られるか?」
街に入ると、人気のない路地に行って呼びかけた。
『は……はいぃ……、だいじょうぶれす……』
こちらに背中を向けてぐったりしていたエシェロのセリフが浮かび、次いで挿絵が消えると同時に本から光の群れが溢れ、俺の目の前で立体になる。
「本当に大丈夫か? モノクロからカラーになって顔青くなってるぞ?」
「いやぁなんというか……お、思ったより……長旅でしたね……」
まあそれなりにかかったが、そこまで疲弊するほどじゃない。これはもう彼女の天空人としての体質によるところとしか。
「……戻れ。まだしばらく休んどいた方がいいよ」
肩をすくめつつ告げると、またその体が光になって本に収まっていく。
『す、スミマセン、デオ様……。お役に立てず……うぇっ』
「魔女の所在なら本があれば探せる。気にしなくていいから」
描き換わった挿絵の中でエシェロは、死んだ目をして床に突っ伏していた。……いくらキャラクターと言っても、こんな状況の女の子を連れ回すのはいろいろまずかろうというもの……。
「はぁ、しばらく俺だけか。ちょっと苦手なんだけどな、知らない街を一人で歩くのって……」
新聞社のお膝元だけあって、なかなか都会めいた街だった。オヤジの別邸みたいな大きな建物もそこら中にあるし、往来、商店の数も多い。
ここで郵便運びなんかやってたら休む暇もないんだろうなぁ……。とか、的外れなことを思いながら、心細さを握り込んで歩き出す。
まあいざとなれば〝命令〟すればエシェロは出てきてくれるので、心配があるわけじゃない。
というのも、魔法の暴走状態だったエシェロを『空の誘い』に収録したことで――本の角で彼女の頭を叩いたアレのことだ――俺は本と彼女の『著作権者』になっていた。
作者は登場人物を支配する権利を持つ、と言うと仰々しいが、考えれば当たり前のことだ。元々その権利はオヤジにあったが、収録をきっかけにエシェロのそれが俺に移った。
俺が「出ろ」と命じれば彼女が『嫌です』と言ったとしても、勝手に体が実体化する。逆も然り。それがキャラと権者の関係、なのだという。
俺としては、あえて命令をかけるのも面倒だし勝手にウロチョロしてくれて結構だが……ただ。
命令による出入りのときは、ページを突き破って這い出てくるグロいヤツが発生しないのだ。全部光の粒の方になってくれる。そこだけは明確に俺に利するところだった。
――が、ことフローラに関してはそうも言ってられねぇ……!
これ以上余計なリークをする前に元の世界にブチ込んで口を塞ぐ……それがこの旅の狙いということだった。
俺は『魔女略』の切れ端を取り出し、路地を吹く隙間風になびかせた。
「南から北に飛んだな……。よし、別の方角からも試そう」
少し離れたところでもう一度試せば、二線が交わる場所――フローラの居場所が割り出せる。
まだここにいればいいが……。
外周を通り街の東側で再び紙片を飛ばした。
「……! 東から西、交差するのは……街の中央部だな!」
逃がしてたまるものか、ここで一気に居場所を突き止める!
商人然、ビジネスマン然とした人々でごった返す大通りを抜けて紙切れの導きに従う。その間も、やはりと言うかオヤジの名が載った新聞を見かけた。
『情報提供者の女性によると、カミュワ氏の直筆原稿は他にも多数現存すると見られる。発見されれば裏名義のさらなる特定に繋がるだろう』
情報を小出しにしやがって……七十五日の噂で終わらせるものか、という悪意を感じる。
しかも都合が悪いのは、原稿は白紙にならず残っているらしいことだ。それさえなけりゃ、フローラがなんと自称しようが妄言だったのに……!
これ以上恥を晒してなるものか。勇んだ俺はやがてビルディング通りの脇に立つ、コンクリート仕立ての大きな建物に辿り着いた。
「新聞社……本はここを指してる。おあつらえ向きだな」
建物に入ろうとしたとき、懐の『空の誘い』が少し震えたようだった。
開くと、エシェロが外に出たそうにこちらを覗き込んでいる。
『わ、私もお供させてください~!』
周りに怪しまれないよう、俺は植え込みの裏に入った。
「気分は……だいぶよさそうだな」
『もう元気元気ですっ!』
「よし、出てきてくれ」
そう命じると、顔の前でぐっと手を握った挿絵のままのエシェロが飛び出す。
「フローラさんは魔女さんですから、デオ様おひとりでは危ないこともあるかもしれませんし……。こ、ここからは私も!」
「えっ」
ちょ、ちょっと待って……。今、俺はこれまで想像していなかった可能性を突きつけられている。
「その――フローラは魔女のキャラ、だよな?」
「左様ですね! 深い森の中に棲む、よ、邪な魔女、と言われております……!」
「だよな。いや、それは分かってんだけどさ……。あれ、もしかして……外の世界でも魔法使える……みたいな、感じ?」
「…………?」
エシェロはきょとんという顔をして小首を傾げると、自分の手を開いた。
ボッ。その手のひらの上に突如炎が立ち上った。
「えっと……こ、このように……」
…………。
それは先に言ってくれよぉぉぉぉっ……!!
「どっどうすんだよ捕まえに行ってもし揉め事になったら⁉ 相手は邪な森の魔女、こちとら郵便屋さんだぞ、勝ち目ないじゃねぇか!!」
これが大魔法士カミュワならともかく、魔法の勉強なんかこれっぽっちもしてない俺じゃ、逃げられるどころか一方的にボコられるに決まってる!
「だ、大丈夫です! デオ様のお名前と『快・虐・淫・獄 ~魔女様のおしおきとごほうび~』があれば、フローラさんといえど制御できますから――」
「フルでタイトルを読むな! ……ってか、それって本で頭叩くやつする前提だろ!? 向こうだって封印されたら今の自由がなくなるのは先刻承知だ、簡単に近づけるかよ!」
「はいっそれは! …………そ、そうなのですけれど」
相手はカミュワに悪意を持った魔法使い……俺が近づいて無事で済むとは思えない……。
い、命が惜しい……ここに来てッ! だが父の悪評は何としてでも止めるべきだ。
それに奴の足元まで近づいておきながらおめおめ逃げ帰るのも、プライドが許さないのだ。
葛藤に目を泳がせていると、エシェロが幼げな顔を不敵に笑ませて言った。
「ふっふっふ……ですからデオ様、そのために私がお供させていただいているじゃないですか……!」
「――そうか、なるほど!」
彼女は手の上に炎を出す魔法を使ってみせた。
すなわち、彼女も魔法使いキャラということ! フローラにも対抗しうる存在だ!
「天上の国は地上の国に比べ魔法も機械も発達してるんです……! ま、まだ修行中の身ではありますが、いざとなれば、このエシェロがデオ様をお守りいたしますので……!!」
胸をどんと叩くエシェロ。なんて頼もしいんだ……。
この子と組んだ二対一なら、もし揉めたとしてもフローラを再収容できる――そんな気がしてきた。
「分かった……エシェロ、一緒に来てくれ……!」
「は、はいっもちろんですとも……!」
建物に向かい、共に見上げる俺たちの間には、命令や主従でない――絆のようなものがあった。俺はそう思ったのだった。