ベストセラーヒロイン
父さんが死んだ。
特筆すべき点はない、想像に難くない普通の死に方だった――とのことだ。まだ父のところへ向かう途中だった俺は、そのことを人づてに聞いたのだった。
顔を見に行くともう棺桶に入っていたのだが、安心なのはその表情が、老人らしい穏やかなものだったことだ。
「すごい人だったのにねぇ……」
「残念だわ、本当に」
葬儀の時に聞いたそんな弔いの言葉で、俺は父が名のある人物だったということを実感した。
大魔法使いにして大作家カミュワ――。それが俺の父だった。
参列にやってきた人の中には弟子だというローブ姿の人や、ファンだという多くの本を持った人もいて。しかもわざわざ国外から、箒に乗ってとか早馬を借りてとか言うものだから感心してしまった。
さて、そんな男の一人息子である俺、デオ・カミュワだが……魔法も文筆も毛ほども嗜まない人間だった。
どこそこで講義だの学会だのと言って、あまり家には帰らず別宅を飛び回る生活をしていた父。たまに帰ってきても時間があればいつも筆を執っていた父。そういう姿を見ていると思うのは、
「魔法と小説は仕事にしたくねぇな」
ということだった。そういうわけで仕事は郵便運び。父とは違って、そこそこの給料でゆったりした生活を満喫する日々を過ごしていた。
葬儀が終わって三日ほど経った。
俺はまだ父さんの別宅のひとつにいた。遺品整理のためだった。
と言っても仕事が楽しみだった人間の家なんてその道具がほとんど。半分は魔法研究のための器材で、残りが本と筆と原稿だ。
魔法関係のものは、そっちの仕事をしている親戚に譲ってしまって、今のカミュワ邸には小説家としての父の遺品しかない。
「さて……どうしたもんかなぁ」
二階建ての立派な屋敷にはあちこちに本棚があって、物語や詩や学術書がいっぱいに詰まっている。これを整理しろと言われても、とても持ち帰れるような量じゃないし、持って帰るほどの興味もないし……。
幸い、この家は息子である俺に相続されたようなので今すぐこなす必要もないわけだが、一度自宅に帰るとまた街をまたいでここに来るのも面倒で。なんとかあらかたの行く末だけでも決めてしまいたかった。
そう思っていると、ふと訪問者があった。
「この度は誠にお悔やみを申し上げます……。私は学生時代、シンシトア魔法院でカミュワ教授に大変お世話になりまして。遅ればせながら、手を合わせに参った次第です」
魔法使いに特有の背の高い帽子をかぶった男性はそんな風に言った。
「ぜひぜひ、どうぞ。父も喜びますよ」
そうして彼を墓に案内した後、屋敷で世間話なんかしていると。
「ああこの小説……懐かしいなあ」
本棚にあった一冊を手に取って彼は言う。
「先生、講義中に時間が余ると、決まって小説の話をするんです。この前出したのはあんまり売れてない、とかあの作品は実はそんなに納得いってない、とか……」
それはちょっと意外だ。俺や母さんの前ではどの小説にも自信を持っているような話をすることが多かったけど……。まあ、家族には言えずとも教え子には話せるようなこともあったのだろう。
「よかったらその本、持って帰りませんか?」
「えっ――そんな、いいんですか?」
「俺にとっては特に思い入れもないものですし……あなたにとっての方が価値がありそうじゃないですか」
思いつきでそう提案すると、彼は喜んで、感謝を述べながら屋敷を去っていった。
「いやぁ~、なんかいいことした気分だな!」
彼が去ったあと、俺は静かになった家の中でひとり、にんまりしながら言った。こんなにいい気分になったうえ、整理すべき本が一冊減ったのだ、これ以上のことはない。
……これはなかなかいい処分のしかたを思いついたかもしれないぞ。
俺は自分を誉めながら、それからまた何日かを弔問客の対応に充てていった。
ある日の午前、俺は空きが見えてきた本棚を一見して頷く。
「よしよし、結構持って帰ってもらえたな。この分ならもうすぐ、棚のひとつふたつは処分できるようになりそうだ」
いつまでもガワだけ立派な屋敷に一人で滞在するのは嫌だし、さっさと終わらせて、気楽な我が家に戻らないとな――と、
コン、コン、コンッ。
控えめな音が玄関の方から聴こえた。また誰かが墓に参りに来たに違いない……さあ歓迎してやらないと!
ドアを開けると、そこには若い女がいた。俺よりは少々年下なのだろうかという風で、白いワンピースのようなドレスのような、見慣れない恰好をしている。
こんな子が老父と知り合いだったのか? それとも、小説のファンというタチだろうか?
彼女は恭しく頭を下げて。
「お、お初にお目にかかります……デオ・カミュワ様、でいらっしゃいますよね……?」
「え、ああ……そうですけど」
俺の名前を知ってるのか、どこで聞いたんだ?
「あなたは?」
「私、エシェロと申しまして……」
エシェロ……。うーん、なんだか聞いたことがあるような名前な気がする。
しかし会ったことはないだろう。
そう思うのは、顔を上げた彼女が奇妙なほどに整った目鼻立ちをしていたせいだ。どこか外国人風なその綺麗な顔は、二度見て思い出さないということはなさそうだった。
ともあれ、俺としてはこの女の子を言いくるめて一冊でも多く本を持って帰ってもらいたいところ。
「このたびはお父様のこと、本当に残念で……そのぅ」
「墓参りですよね。だったらぜひ、すぐそこの教会にありますから」
「は、はい! 後ほど必ず……! で、ですけど、ますデオ様にお話ししなくちゃならないことと言うか、お願いというか……と、とっても大事なご用事がありまして……っ!」
「俺に?」
妙だと思ったがぶんぶんと頭を縦に振る彼女の表情はいたって真剣だった。そうなると話を聞かないわけにもいかず、まずは家の中に通すことにした。
部屋に行くと、エシェロはまず肩にかけた小さなバッグの中から本を一冊取り出した。
「これ……なんですけれど」
そのタイトルは『空の誘い』。本を読まない俺でもさすがに知っている小説だった。
「ああ、父さんの本の中でもかなり有名なやつですよね」
そう言うとエシェロの目がキラリンと光った。
「はい、はい! そうなんです、有名なんですよ~!」
「確か売り上げもかなりあったとか?」
「数あるお父様の作品の中で堂々の一位ですよっ! おかげさまでたっくさん読んでいただいてまして……!」
「……おかげさま?」
「はいっ、それもこれも読者のみなさんのおかげです!」
……なんか変な子だな。
その言い方は作者側がするものだろ? そしてそういう言い草ができる唯一の人間はもう土の下だ。
まあいいか……ファンの数が増えれば比例して変な人も増える。『空の誘い』のファンだというならそれにかこつけて似た系統の本を進呈するか。
「どんな話でしたっけ。確か、空の上にある国とそこに住む天空人の話……だっけ?」
「うっかり地上に落ちてしまった天空人と、地上の男性との交流――っていうか、恋愛……のお話で……。は、恥ずかしいですね改めて口にすると……!」
………………。
「そういえば、地底人の話と海底人の話もあったよね」
「『金より出でし』と『マリン』ですね!」
「あ~多分それ。それは読んだ?」
「いえ、よくお話はお父様から伺っていたんですが、なかなか機会に恵まれず……」
「だったら持って帰って読みなよ、どっちもここにあるからさ」
「い、いただけるのですか……!? ほ、ほんとに?」
「もちろん」
と俺は優しく微笑む。元よりそれが目的なんだよな、これが。
席を立って後ろの本棚にそれらのタイトルを探した。
すぐに見つかった。取り出してみると、それなりに古い本にも関わらず革の表紙はまだ随分綺麗だ。あの父が一冊一冊手入れをしていたとは考えにくいし、もしかすると本を保護するような魔法をまとめてかけていたのかもしれない。
「よしあったあった……これだよな」
「あ……それですね、間違いなく」
「というわけでこれ、どうぞ」
二冊を重ねて差し出すと、彼女は嬉しそうに目を見開いて、それからペラペラと何ページかめくっていた。
……のだが。その手が進むたび、明るく華やかだった表情に曇りが差して。
「ど、どうかした? 顔色悪いけど」
「いえ……そのぅ……譲っていただけるというのはとっても嬉しいんですけど……」
「けど?」
「それはまだデオ様に持っていていただいた方がよろしいかと……思いまして……」
どういう意味だ? 何か気に入らなかったのか? まさか別の本と取り違えたりなんてしてないし――。
訝った俺は本を手に取り、中身を見てみて、
それからひどく混乱した。
「え……? はっ?」
『金より出でし』を放り出して『マリン』を取る。そっちを読んでみてさらにわけが分からなくなる。
「ちょ、ちょっと借りるぞ!」
そう言って答えを待たずに、エシェロが持ってきた『空の誘い』を開いた。
『空の誘い カミュワ著
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や……やっぱり、これもだ……。
全部の本が、白紙になっている。
字が薄れたとか掠れたとかいう話じゃない! 印刷された文字が、その印刷自体がなかったかのように全ページ真っ白になっている!
「ど……どうなってんだ……これ……?」
困り切った俺は、答えを知るはずもなかろう彼女にそう訊ねてしまう。
けれど彼女のリアクションは予想と違って。
「す、スミマセン! 私、またうっかりして……そっちのことからお話ししないと分かりませんよね」
色の薄い髪をバサバサと掻いたあと、彼女はこの上なく申し訳なさそうな顔をして言う。
「じ、実は…………お父様がお書きになったお話たちが……み、みんな逃げてしまいまして……」
「……は?」
「外の世界に出てしまった登場人物を……つ、連れ戻していただきたいんです……っ!」
「…………は??」
その瞬間、ふと思い出した。
エシェロという名前――それは『空の誘い』に登場するうっかりで地上に落ちた天空人、すなわちヒロインの名前だった。