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決戦の時〈2〉


 フェイナのアドバイスを受けながら、僕は最終調整に入った。

 訓練の強度を落として体調を整えながら、脳内で戦いをシミュレートする。

 頭の中にいるカエイは一方的に僕をバラバラに斬り刻んでくるばかり。

 勝ちの目があるような気はしない。


「……やっぱり無謀だな」

「クオウさん。あまり思い詰めると、勝てるものも勝てなくなるのです」

「それはそうだけど」


 昨日、リルと二人で冒険者ギルドに行ってステータスを計り直してきた。

 僕は相変わらず全てのステータスがGのままだった。

 一方のリルは既に魔力と防御力がCにまで達している。

 ……魔女の血筋。生まれの差。そんな言葉が出てくるけれど、口には出さない。


「少し走ってきたらどうですか? 体を動かして、邪念を振り払うのです」

「そうだね」


 僕は地下工房を後にして、近所を軽くランニングした。

 船着き場や倉庫を横目に、川沿いの細道を登っていく。

 小さな水路の上にかかった小橋を通りかかったとき、誰かに声を掛けられた。


「よう」


 ガラの悪い男が欄干にもたれかかっている。

 彼の服は汗でじっとりと湿っていた。きっとトレーニングの後だ。


「バリス。じゃあね」

「そりゃちょいと酷くねえかァ?」

「思い当たる節があるかどうか、自分の心に聞いてみれば」

「……まあな」


 彼は素直に手を胸に当てた。


「〈ミストチェイサー〉は解散したぞ、クオウ。まだニュースになってねえだろがよ」

「……」


 分かっていたことだ。僕が青春を賭けたクランは、この世から消え去った。

 仮に後世、冒険者の年表が作られたとしたら、そこに僕たちの名前はない。

 ありふれた終わりだ。


「これから、お前はどうするわけ」

「俺? さあなァ。無職だし貯金もねえし。ざまあねえ」

「だと思った」

「〈サンダーシュトローク〉の試験を受けに行ったんだがよ、お前ぐらいの年にもなってまだ”原石”やってるような奴はうちに要らねえ、なんて言われちまったよ」

「その通りだね」

「……ああ。まったくその通りだなァ……就職口がねえわけじゃねえけどよォ……」


 川の水面を見下ろしながら、バリスは呟いた。


「ところで。カエイの姿は見た?」

「いや。解散を告げる手紙はちらっと見たけどよ、筆跡が違かったなァ」

「……そうか」


 勝てるかどうか、という以上の問題がある。

 僕はカエイが生きているかどうか知らない。

 決闘の日時や仔細を知らせるような手紙も来ていない。


 仮に、もうカエイが死んでいたとして……。

 それでも、今の僕ならきっと受け入れて前に進める。

 直接対決の勝ち逃げぐらい許してやったっていい。

 これから僕は、あいつより……〈ミストチェイサー〉より上に行ってやるんだ。

 老人になった頃にでも、どこか無縁の共同墓地の墓石にでも酒をひっかけて「僕のほうがお前より上だと証明してやったぞ」とでも弔いの言葉をかけてやればいい。

 それで一勝一敗だ。


「死んだのかもね」

「かもなァ」


 ちょっとだけ距離を置いて、僕も欄干にもたれかかった。


 ……その瞬間、目前の川を超高速で横切る影があった。

 それは近くの橋の下で水飛沫を上げながら飛び上がり、一隻の小舟に着地する。

 僕たちのいる方向以外からは死角になるような、目立たない場所だ。


「なんかやってる……」


 水中から飛び上がった人影は、美しい半透明のドレス姿に見えた。

 けれどよくよく目を凝らすと、それはクラゲの傘にも似た半透明の膜だ。

 自らの頭から足までを覆い隠しているが、奥にある人型の四肢がうっすらと浮かび上がっている。

 おそらく水中に棲む人外の種族だろう。

 〈暗黒海〉の方から迷宮都市に出てくる水中文明の種族は珍しくない。

 確か、水中だと製鉄なんかの工業が難しいとかで、迷宮都市が珍しく迷宮の絡まない品目を輸出している相手でもあったはずだ。

 詳しいことは知らない。ブレーザーあたりならもう少し知識があるだろうけど。


「……今、なんかコッソリ渡したような」

「渡したなァ……こそこそきなくせえや」


 水中を根城にする人外は、何かをやりとりした直後、何事もなかったかのように上流へ泳いでいった。

 一方、小舟のほうは下流に向かって進みだす。

 船上に立っている人間が、僕に向かって手を振った。


「盗み見とは趣味が悪いぞ、クオウ君!」


 うわピルスキーだ。


「……じゃあなァ。俺は何も見なかったからよ」


 きなくさい雰囲気を感じ取って、バリスが逃げた。


「話があるのだ! 降りてきたまえ!」


 ピルスキーは近くの船着き場へ続く階段を指差している。

 念の為に戦闘の覚悟をしながら、彼の元へ向かった。


「僕は何も見てませんけど」


 船着き場に上がってきた彼へ、とりあえず建前を言っておく。


「なに、ただの定期的な手紙の受け渡しだ。大したものではないとも。それよりクオウ君、前に私が調達する材料の品質を探るようなリストを出してきただろう」

「……ああ」


 フェイナのやつ、そういう意図だったのか。


「はたして私は彼女のお眼鏡に適ったのかどうか、気になっていてね」

「品質は良いと言ってましたよ。必要になったらまた頼む、と」

「うむ、そうか。安心したよ。物の価値が分かる相手と取引ができて光栄だ、と伝えてくれたまえ」

「そうしておきます」

「それと……実は、君の興味がありそうなことを小耳に挟んだのだが」


 おっと。こっちが本題だろうな。


「この映像を見てくれたまえ」


 ピルスキーは指の間に挟まるほど極小サイズの水晶を空にかざした。

 透かされた陽光が、ぼやけた映像記録となって船着き場に落ちる。


『短期決戦を……不利……武器がある!』


 ざりざりとしたノイズ混じりの音声が、同時に流れていた。


『俺達には夢がある!』


 不気味な唱和が始まった。

 カルト宗教のような、参加者を洗脳するための儀式だ。


「この映像は……?」

「私の知り合いから預かったものだ」


 映像を撮っている人物は、左側から二番目の列後方にいるようだった。

 少しだけ撮影者が動き、列の隙間から前方を映す。

 そこにいる人物には見覚えがあった。アルギロス・ゲインズだ。

 彼は熱に浮かされたように振る舞いながらも、瞳の奥に冷たい理性を残していた。

 こいつは分かっていてやっている。自分が信じきっているよりも悪質だ。


「この瞬間に映っている人物なのだが」


 ピルスキーが映像を止めた。扉のそばに人影がある。

 死んだ魚のような目をした女だった。

 ……少なくとも、僕の知っているカエイではない。

 何かの影響下にある。魔法か薬物か洗脳か。


「ピルスキー」


 僕は詰め寄った。


「これはどういう取引だ」

「取引などではないとも。私が個人的にやっている善意の情報提供だ」


 ピルスキーはまったく信用のできないたぐいの笑みを浮かべていた。


「ここまでは、だがね。ここから先は取引の話だ」

「話せ」

「ゲインズ商会を潰したがっている人々がいる。だが、まさか迷宮都市内部でいきなり戦争をやるわけにはいかない」

「……だろうね」

「法律の問題ではない。十分な金と権力があれば、それは捻じ曲がる。だが、風評の問題なのだ。単に金目当てでゲインズ商会を潰したと思われてしまえば、看板に傷がつく」


 冒険者として強くなればなるほど、迷宮の中だけで話は終わらなくなる。

 こういう話に関わることになる。知っていたことだ。

 けれど嫌悪感があった。


「物語が必要なのだ。正義の味方が、やむなく悪のゲインズ商会を潰す物語が」

「物語、ね」


 皮肉だな。

 僕にとって、冒険者は物語の英雄だ。

 それは誰かの金や権力の下につく駒じゃない。


「今更な話だろう? 君の追放はそれなりに有名な話だ。君とカエイの過去も、昔はそれなりに有名だった。大衆受けがするよう編纂された形ではあるが」

「……」

「〈ミストチェイサー〉の設立前後、よく大衆紙にお涙頂戴物語が流れていたな。無実の罪で村八分にされた二人が、身を寄せ合って狩りで金を溜め、迷宮都市に来て夢だった冒険者になった、というような」

「何が言いたい」

「君は一度、〈ミストチェイサー〉への融資を引き出すために自らの魂を売った。自らの物語を売り、それをスポンサーへの売り文句にした。当時の君は”ブランドイメージ”だとか”PR戦略”なんて言葉は知らなかったろうが、君は生まれついての戦術家だ……それぐらいの戦術は、言われるまでもなく思いついたのだろう」

「……そうでもして初期資金を捻出しないと、冒険者として成り上がるのは無理だ」


 僕たちが迷宮都市に来た十年前、既に”冒険者バブル”は終わっている。

 とっくに五海商会のような大勢力が牛耳る時代だった。

 初心者二人が強い冒険者になろうと思えば、手段を選ぶ余裕はない……。

 例えそれが僕の嫌悪する手段だったとしても、必要なら選ぶしかなかった。


「それは今も同じことではないかね」

「今の僕は金と経験があるし、優秀な仲間もいる」

「吹けば飛ぶようなものだ。それなりの勢力なら、君たちが潜る迷宮に毎回刺客を送り続けて潰すことなど造作もない。君も分かっているはずだろう」


 その通りだ。

 大勢力どころか、それなりの規模の勢力ですら、僕たちでは対抗などできない。

 何回も迷宮内で殺され続け、装備と金を失い続けて破綻する。


「君とカエイの物語を買い取りたがっている勢力がいる。見返りに数百億の融資の用意もある。君は”英雄”になれるだろう。単身でゲインズ商会に挑み、すんでのところで善意の第三者に救援を受け、最愛の人を壊した悪者への復讐を成し遂げる……」

「そんなものは英雄じゃない」

「だとしても、真の英雄になる足がかりとしては十分だ。違うかね」


 その通りだ。


「僕ならクオウなんていう駒は使い捨てるね。最愛の人を失ったことに耐えきれず自殺。そんな筋書きで十分に処分できる。どうしてポーターに数百億も投げる必要がある?」

「君には投資に見合う可能性がある。ステータスなど飾りだ。例えステータスがオールSSSの冒険者が相手でも、十分な資金を得た君が指揮すれば勝てると思うがね」

「過大評価だ」

「君こそ自分を過小評価しているのだ」


 上の小道を通行人が通りがかった。

 ピルスキーが薄暗い船着き場のさらに薄暗い一角へ移る。

 僕も同じく、陰に入った。


「クオウ君。私は君のことをよく知っている。冒険者という夢に病的な執着を抱いていることをよく知っている。頭がキレることも、手段を選ばないことも。努力を絶やしたことがないことも」


 ピルスキーにしては珍しく、声に浮ついたような調子がなかった。


「君は表舞台に立つべきだ。お荷物などと罵声を浴びせられるべき対象でも、追放されるべき対象でもないのだ。私は、君には英雄の資格があると思っている」

「それはどうも」

「私は本気だぞ、クオウ君。迷宮都市は……たとえどれだけ時代が変わろうと、根本的に英雄のための街なのだ。君ならば、五海商会だろうが何であろうが、逆に食い殺してのし上がるだけの力があるはずだと信じている」

「……ピルスキー。夢と欲望の違いは何だと思う?」


 僕は訪ねた。彼は少しだけ考え込んで、答えた。


「違いはない。同じものだ」

「僕は……」


 はっきりとした言葉にはならなかった。

 けれど、ずっともやもやとしている考えがある。


「……僕は、どんな手を使ってでも成り上がりたい。でも同時に、今の仲間とまっとうに迷宮に潜り続けて、じわじわと強くなっていきたい思いもあるんだ。きっと、そっちのほうが僕の夢なんだと思う」


 それを貫く力は、僕にはない。だからときどきリルが羨ましくなる。

 彼女は真っすぐで、自分のやりたいことがよく分かっている。それを貫く強さもある。

 彼女が追っているのは、きっと欲望ではなくて夢だ。

 マイザも。鍛冶さえ出来れば幸福な女だ。彼女の人生は槌と共にある。

 ブレーザーも。裏表のない善意の人だ。

 ……フェイナでさえ、彼女はきっと求めるものをよく分かっている。

 あんなんでも、根本的には他人を助けたいやつなんだろう。


 みんな芯のあるやつらだ。

 ……僕だって、普段は妥協とか合理的な選択肢の話ばっかりしてるけど、本当は。


「だからピルスキー、僕はこの取引を受けることはできない。金と引き換えに大勢力の傘下に入って、政争で成り上がるような道は、僕の選びたいものじゃないから」


 こういう生き方をしたいんだ。

 僕はまだ冒険者に、英雄になるっていう夢にしがみついてる馬鹿者だから。


「そうか」


 断られたにも関わらず、何故か彼は微笑んでいた。


「残念だが……それも成長だろう。鋭さと引き換えに、人間としての円熟を得たようだ」


 ピルスキーは立ち去ろうとした。


「待ちなよ」


 その背中を呼び止める。


「僕は、取引を受けることはできない、って言ったんだ」

「……ふむ?」

「金なんか要らない」


 僕は言った。


「カエイを無理やり操ってるような奴らを……従業員を洗脳して薬物売って人間も売ってるようなクソ犯罪者野郎どもをぶっ殺すのに、金なんか要らない」


 僕はまくしたてた。

 体の中に渦巻いていた怒りに火がついて、口から炎となって飛び出してくる。


「僕はただ、金で操られる駒に成り下がりたくないだけだ。ゲインズ商会をぶっ潰すのに協力できるっていうんなら、僕の物語ぐらいタダでくれてやる。構うもんか! どんな事情があろうが知ったことか! カエイに手を出したことを地獄で後悔させてやる! 何が”僕たちには夢がある”だ! 汚れきった屑どもがそんな言葉を使うな!」


 僕は叫んだ。


「ピルスキー! フージェンのクソ野郎に伝えろ! 金なんか要らない、僕は絶対にお前らの傘下になんて入らない! けど、最低最悪のクソ野郎をぶっ潰すのには喜んで協力する、ってね!」

「伝えておくとしよう。もう少し穏当な表現で、だが」


 ピルスキーは、珍しく裏のない笑みを浮かべて、そう答えた。



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