熱砂の活劇〈エピローグ〉
帰り際に夜空を見上げたが、星はまったく見えなかった。
迷宮都市の眩い夜景を帰っていくうちに、だんだんと疲労がのしかかってくる。
命懸けの迷宮攻略だ。疲れないわけがない。
「俺さ」
うつむいたブレーザーが、僕に言った。
「足引っ張ってないか?」
「そんなことはない。ブレーザーが居なきゃ、僕たちは全滅してたよ」
「そっか」
会話する元気もあまり残っていなかった。
中心街から川沿いの工業地帯へ、とぼとぼ帰る。
「にしても、気絶……」
「気にしなくていい。そもそも迷宮に潜る要員じゃないんだし」
彼は立ち止まった。
「そうだよな。……やっぱ俺、工房じゃなくて家に帰るわ」
「遠いんじゃなかった?」
「いいだろ別に。一人にさせてくれよ」
違う方向へ歩いていく彼の背中に、安物のクロスボウがある。
味方の背中に当たるか外れるかばっかりの役に立っていない武器だ。
……探知だけで十分以上に助かってるけど、本人は納得がいかないらしい。
「なんだってんだよアイツ」
「冒険者になりたいのかも」
「はあ? いやもう冒険者だろ」
ふらふらした足取りのマイザが、怪訝な顔を浮かべる。
「そういう意味じゃなくてさ。けっこう思い入れがあるんじゃない? 冒険者雑誌のライターやってるぐらいなんだし」
「あー」
会話は途切れた。
しばらくして、僕たちは地下工房にたどり着いた。
まだ元気の残っているリルが、金庫じみた金属扉を回して開く。
「おかえりー」
フェイナがソファに寝っ転がって、だらしなく葉巻を吸っている。
彼女の瞳は、人生の何もかもに興味を失ってしまったかのような冷たい色合いを帯びている。
おそらく精神へのダメージが強いタイプの〈幻痛〉だろう。
〈幻痛〉の形は人それぞれだ。
「大丈夫なのか?」
「心配してくれてるの? うへへ」
いつもの微妙に気持ち悪い笑い方が戻ってきた。
「じゃキスしてよ」
「は?」
「前に約束したじゃん」
心配して損した。
「そんなこと言ってられるなら平気そうだね。僕はもう寝るから……」
「まってよー」
「約束? ……クオウさん? 正気ですか?」
リルが真顔で言った。ごもっとも。
「いや、前に君が出てった時にさ……キスしてくれたら話すとか言われたから、その場のノリでやってやるわって啖呵切っちゃったんだよね」
「わ……わたしとの会話の裏に、そんなバカな報酬があったのですか」
「ねー」
「何?」
「キスじゃなくてもいいから……膝枕とか……ちょっとだけでいいから、隣に……」
「膝枕? まあ、それぐらいなら別にいいけど」
「はあ……二人でご勝手にどうぞ。わたしは寝るので」
呆れたようにリルが首を振り、ベッドのある倉庫に消えていった。
「お前ら、あたしの工房で変なことすんなよ」
「するわけないでしょ」
「ならいいけどよ」
不要な釘を刺したあと、マイザが自分の部屋に引っ込んだ。
「しないの?」
「しない」
「えー……あてっ」
フェイナは辛そうに体を起こして、僕の座る場所を空けた。
「そうまでして膝枕してほしいわけ?」
「わるいか」
「別にいいけど……」
僕の膝にフェイナが頭を乗せた。
……なんか、まばたきすらせずにこっちをガン見してくる。
「うへ」
「何?」
「うへー」
彼女が手を伸ばし、僕の胸元に触ってきた。
「それセクハラでしょ」
「ちがうもん」
「いや……え、なんなの?」
「暖かいから」
「はあ」
……本当に弱ってるんだろうか。
普段とはだいぶ様子が違う。
実年齢不詳の怪しい魔女だろうが、〈幻痛〉は辛いらしい。
「なでて」
「……いいけど」
「んー」
こうして見ていると、何だかリルよりも幼いような雰囲気すらあった。
いや……こうも弱りきったら、誰だって幼くなるものなんだろう。
「いいな」
「何が」
「そばに誰かがいるのは」
「……そうだね」
フェイナは目を閉じた。
リビングに置かれた時計の針が、かちりと真上で重なる。
もうそんな時間か。
「ありがと」
「え?」
「あたしが魔女だって知ってるのに、追い出さないでくれて」
「追い出すような理由はないと思うけど」
「でも、追い出されてばっかりだったよ」
彼女は弱々しく笑った。
「……魔女狩りか」
僕も排斥される側だった。気持ちはわかる。
……そういえば、〈クラスブースター〉で変な夢見たときにフェイナが”追われる気持ちはわかる”みたいなことを言ってたっけ。
「この話はやだ」
彼女は言って、僕のシャツに顔をうずめた。
「自分で言いだしたんでしょ」
「やーだー」
「ああ、はいはい……」
まったく。
弱ってようが何だろうが、こいつの相手は疲れるな。
あれだけ大変な迷宮攻略をやった後だってのに……さすがに体力が……。
……ふと気づけば、リビングの明かりが点いていた。
地上の小窓から太陽光が届いている。朝だ。
足が痺れてるな、と思って下を見てみたら、まだフェイナがいた。
ばっちり開いた両目が僕の顔をガン見している。
「立っていいかな」
「だめ」
「トイレ行きたいんだけど」
「漏らしていいよ」
「だいぶ気持ち悪いこと言うよね……いつものことか」
仕方がないので、彼女の頭を無理やり浮かせた。
フェイナが痛みにうめく。今日の夜まではこの調子だろう。
「……ご飯食べてるのですけど」
テーブルで見た目の悪いパスタを食べているリルが、真顔でこっちを見ている。
「おはよう」
「はい。おはようございます、クオウさん。お疲れさまなのです。そいつの様子は見ておくので、ベッドでぐっすり眠ってください」
「いや、それが、意外とよく眠れてるんだよね」
「……良かったですね」
彼女はジト目で言って、パスタを詰め込みはじめた。
僕たちはそのあと、特に何をするでもなくだらだらして疲れを取った。
軽く疲労回復用のトレーニングメニューだけはこなしたけれど。
最近はずっと無理してばかりだったから、いい加減に休養が必要だ。
日が暮れるころにはフェイナが回復してきて、一気に工房がうるさくなった。
病み上がりのくせに、もうトランプやらボードゲームやら何やらで遊ぼう遊ぼうとしつこく繰り返してくる。
「いいけど、遊びでも勝負は勝負だから。僕は本気出すからね」
「おおっ!? じゃあ賭けよう! ねっ、負けた人が恥ずかしい話をしなきゃダメとかどう!?」
「そんなもん賭けさせんなよ! お金でいいだろ!」
最弱候補のマイザが粘ったので、金を賭けることになった。
別に大した額じゃない。一回数百イェン程度の小銭だ。
運頼みのゲームからガチ勝負まで色々とやった結果。
フェイナがプラス五千イェン、僕がプラス四千百イェン、リルとマイザが仲良くマイナス四千五百イェンという結果になった。
「……強いな」
賭け勝負で負けるなんて、かなり久々のことだ。
フェイナのやつ、絶対に奇襲好きだと思ってたのに動き方が真逆だった。
まさか期待値計算で最適解をはじき出して堅実に戦うタイプだとは。
最初に心理戦を挑もうとして失敗したのが尾を引いたな……。
「うっへっへ。中々やるじゃないかねダーリンくん。だがね、あたしに勝とうなんて百年はやいぜー! うへへはーっ!」
むむむ……。
「何なんだよお前ら! なんで二人ともあたしの行動を全部読み切ってんだよ!」
「る、ルールが分かったころにはゲームが変わってしまうのです……」
「またやろう。次は勝つ」
「うっへへへ、もう一回ぐらいで勝てると思ったら大間違いだぞー!」
「そっちこそ、これが最後の勝ちになるって覚悟しときなよ」
僕たちは半分ジョークで、もう半分は本気で火花を散らした。
「っていうかダーリン、前に”遊んでる暇はない”みたいなこと言ってなかった?」
「あ、ああ。ほら、あの時はまだ余裕がなかったからさ」
あの頃はまだ、いざとなったら他人を切り捨て一人で戦う覚悟をしていた。
今はもう違う。
「僕はもう一人で戦ってるわけじゃない。みんなが協力してくれてるから」
追放されてからの短い時間で、僕の世界は広くなった。
今なら、仮にカエイとの勝負に負けたとしても敗北を噛み締めて次に進める。
もしリルたちと出会っていなかったら、とても同じことは言えなかった。
……負けたら廃人になってたかも、なんて。そこまでは行かないにしても。
「そっか。でも〈クラスブースター〉は使うんだ?」
「え? 当然でしょ」
「うへへ。良かった。ダーリンの頭が治っちゃったかと思った」
「他人を病気みたいに……おかしいのはお前なのです」
「まあね!」
「絶対に誇るべきではないのです」
「にしても」
マイザがふいに呟いた。
「ブレーザーのやつ、来なかったけどよ。あいつ大丈夫なのか?」
……その瞬間、玄関の金属扉が開いた。
片手に新聞を掴んだブレーザーが息を切らしている。
「クオウ!」
彼が叫んだ。
「〈ミストチェイサー〉の合同作戦が全滅したぞ!」
……! 新聞を受け取ってすぐさま広げる。
確かに、全滅して成果なく終了したことが書かれていた。
「いよいよか」
緩んでいた部屋の空気が張り詰める。
カエイが戻ってくる。決闘の日程はまだ決まっていないが、遠くないはずだ。
「ダーリン。今までよりトレーニングの強度を落とそう。微調整用のメニューを組むね」
「分かった」
「〈原始の魔剣〉の製造準備もあらかた終わってる。決闘までには間に合わせるぜ」
「ありがとう。ちなみに、どういう剣になるかって分かる?」
「まったく分からん。だが、今度こそは全力を注ぎ込んでやる」
「期待してる」
「おう」
「クオウさん。わたしに出来ることがあれば、何でも言ってほしいのです」
「もちろん。君を相手にいまさら遠慮しないよ」
「俺は……ひとまず自分の戦闘力は諦めて、カエイの周辺事情の調査に集中するわ」
「分かった。けど、調べる相手が相手だ。死なない程度にね」
「言われるまでもねえって。結局、俺は記者が本業だからな」
さあ。
いよいよ本番だ。
待ってろよ、カエイ。
今からお前に、僕の実力を証明しに行ってやる。




