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過去と過去〈22〉


「リル!」


 前に出ろ、と指示するよりも早く、彼女も駆け出している。

 馬車からの距離が離れて、傷を負わせたことと相まって守る必要が薄くなった。

 ここから一気に形勢を決める。


「アッハハ! やるものですわね! いいですわよ、クッソいいですわよ……!」


 地を転がる回転の勢いで立ち上がった彼女が、短剣を胸元から引き抜く。

 心臓の鼓動に合わせて血が噴き出すほどの重傷だ。

 それでも痛みを感じている様子はない。


「クオウさん!」


 リルがキラりと光る何かを投げてよこす。

 それは〈風撃の指輪〉だ。

 ……一度通った狙いが、二度目も通るとは思えない。

 なら、僕の居合に使うほうが良い。冷静な判断だ。


「楽しみはまだまだこれからですわ!」


 ザーラが地を蹴り、低い姿勢で滑る。投げナイフを左手で逆手に握ったままだ。

 ……扱えるのか? まずい。

 二刀流が相手では、剣の一本だけで戦う僕では防ぎきるのは難しい。


 走る勢いを緩め、リルの背後に入る。

 僕が正面からやりあうより、二人がぶつかった直後にザーラの側面を狙うべきだ。

 ……要するに、〈ミストチェイサー〉でのカエイの立ち回りをやればいい。

 前衛が安定させた戦線の側背面を狙い、一撃離脱での攻撃を繰り返す。


「リル、防御に精神を集中させてくれ。剣は使わないぐらいの気持ちでいい」

「はい!」


 人間の強敵を相手にして、まともな二対一をやるのはこれが初めてだ。

 ……細かい指示を出す時間的余裕はない。


「クオウさんに攻撃は任せるのです!」


 それでも大丈夫だ。今のリルは、間違いなく信頼できる仲間だから。


「さあア! いくわよォ!」


 回転しながらの曲刀攻撃が、リルの盾に弾かれる。

 さっきと比べてわずかに速度が遅い。痛みがなくとも傷のダメージはある。


 その間にリルの背後から側面へ。移動する僕をザーラが横目で追う。

 殺気。


「……!」


 咄嗟にブレーキをかけた僕の目前を、投げナイフが掠めて飛んでいく。

 速度が早すぎて見切るどころではない……紙一重だ。


 けれど、これで僕を牽制する手段はなくなった。

 ザーラはリルに嵐のような連撃を繰り出している。僕は完全にフリーだ。

 ……〈レッド〉の思考力低下のおかげだろう。目前しか目に入っていない。

 横へ横へと回り続け、ついに僕はザーラの視界の外側に出た。

 この最中にもリルの細かい傷は増え続けている。お互いにまったく余裕はない。


 僕は〈アイテムボックス〉を開き、輝く緑色のポーションを握る。

 これは防御力のバフポーションだ。

 リルが瓶の色を見たことを確認して、投擲する。

 直後に僕は駆け出し、一気に距離を詰めた。


 バリン、とガラスの破裂する音。

 同時にリルが大きく踏み込む。その胴体に曲刀が命中するが、鎧で止まった。

 盾でザーラが殴打され、大きく姿勢を崩す。


 僕もまた剣を振りかぶり、そこへ追撃を狙う。

 ……ザーラが大きく跳んだ。


「〈大盾(ワイドガード)〉!」


 〈晶壁歩法〉による反撃を、リルが防ぐ。

 ザーラは空中の壁を何回も飛び渡り、魔法の盾が消えてから僕に狙いを変える。


「それは甘いのですよ!」


 だが、分かりきった攻撃だ。リルが僕の前に割り込み、盾を掲げる。

 ザーラはわざと剣を空振りし、回転のままに盾を蹴りリルを乗り越えようとした。

 背後からの斬撃を狙っている。

 咄嗟にアイテムボックスを開き、敏捷性デバフポーションを投じる。

 直撃した。動きが目に見えて鈍る。


「ぐうウ! 鬱陶しいですわねェ!」


 ザーラが新たに壁を作って飛び退り、効果が切れるまで距離を取ろうとした。

 再び敏捷性デバフポーションを投げる。ザーラが壁を蹴って避ける。

 更に投げる。当たらない。


「在庫は大丈夫なのですか!?」


 弾は少なくなってきたが、まだ大丈夫だ。

 返事のかわりに、更に投げる。


「……あアっ!?」


 ザーラが壁を蹴りそこねた。

 ポーションに直撃したあと、つんのめったように空中で回転して墜落する。

 ……これも〈レッド〉のせいか。自覚していないダメージが大きすぎるんだ。

 彼女がすぐさま立ち上がる。その顔は血だらけだ。

 それでもまだ戦闘意欲が衰えていない。


「まだか……!?」


 馬車の方をちらりと見る。

 このままだと、薬が出来るより先にザーラが死んでしまう。


「……どうするのですか、クオウさん! 守りに徹して時間稼ぎする手も……!」

「いや……駄目だ! 攻めるしかない!」


 時間が経てば僕のポーションは弾切れになる。バフ・デバフがなければ厳しい。


「……最悪、殺してもいいって考えるんだ!」

「え、いや、それは……!?」

「フェイナが居る! 彼女の医療技術を信じろ!」

「……」


 リルが一瞬、苦い顔になった。


「……仕方ないのです! フェイナを信じてやるとするのですよ!」

「ウッフフ、随分と雑談がお好きなのね! それとも舐め腐ってるのかしら!」


 血の航跡を引きながら、ザーラが空へ跳んだ。

 壁を蹴り、僕へまっすぐに突っ込んでくる。

 敏捷性低下の効果が出ていても、なお〈レッド〉を使う前より速い。


「もう見たのですよ! 〈大盾(ワイドガード)〉!」


 リルが壁を作る。ザーラがにやりと笑みを作って、更に壁を蹴った。

 軌道を変えて狙う先は……リルの盾。

 咄嗟に防御力バフポーションを落とす。


大盾(ワイドガード)の弱点はァ! 聞いた覚えがあるのですわァ!」


 全体重の乗った曲刀の一撃が、盾を殴り飛ばす。

 リルがわずかに後ずさった瞬間、展開されていた魔法の盾が消失した。

 ……〈大盾(ワイドガード)〉は、盾がブレてしまうと効果が消える。


「ハッハァ! 馬鹿の一つ覚えはそっちですわねェ!」


 ザーラが笑みを深める。連続で壁を蹴り、回転しながら曲刀を僕へ振り下ろす。

 速い……!


「もらったァ! これで終わりですわッ!」

「……!」


 アドレナリンが脳を高速回転させる。時の流れが淀む。

 〈アイテムボックス〉を開く。無銘の剣を握る。

 間に合わない。バフが必要だけれど、ポーションを落とす時間はない。

 脳裏に閃くものがあった。

 握った剣をわずかに動かし、棚に並べたバフポーションをまとめて割る。


 攻撃力バフ。防御力バフ。敏捷性バフ。

 加えて普段使わない知覚力と魔力のバフ。

 〈ステータス〉の主要五項目全てをバフした状態で、ザーラを睨む。

 以前、迷宮内で放った全速力の居合は軽々と迎撃された。

 けれど、今なら。繰り返し練習した居合なら……いや。

 それでもまだ、足りない。


「はあああああっ!」


 ザーラが叫びと共に繰り出す剣は、体の限界を無視した最高速だ。

 全身を軋ませ、剣先から衝撃波を生み出している超絶の一撃。

 かろうじて目で追える。時間はない。決断しろ。

 使うか? ……使え!


 アイテムボックスの中にある、真鍮の注射針を掴む。

 〈クラスブースター〉だ。

 フェイナはあの後、副作用を減らすべく試行錯誤していた。

 そうして生み出された最新型の薬剤が、この注射針には充填されている。

 試したことは一度もない。改善されたかどうかも不明だ。


「……頼むぞ、フェイナ……!」


 注射器を突き立てる。どくり、と大きく心臓が脈打った。

 アドレナリンの麻酔効果でも隠しきれない痛みが血管に乗って体へ広がる。

 構わない。体の奥底から魔力を絞り出す。頭が割れそうだ。知ったことか。

 ザーラに殺されるより、ザーラを止めてから頭が割れて死ぬほうがマシだ。


「……!?」


 魔力がとめどなく溢れてくる。体の”何か”が壊れてしまったような悪寒がした。

 それでも、溢れる魔力は本物だ。これなら!


 右手に魔力を注ぎ続ける。……何十秒も注ぎ続けているように感じられる。

 けれどこれは錯覚だ。時間の感覚が更に加速している。

 ザーラが振るう剣には、もう残像すらない。


 注いだ魔力でもって、〈風撃の指輪〉を発動する。

 今までにないほどの強さで指輪から打ち出された圧縮空気が〈アイテムボックス〉の中で跳ね返り、裂け目から噴出して蜃気楼のように景色を揺るがす。

 その圧力で〈アイテムボックス〉内のポーション瓶が一斉に割れた。


「ぐっ!」


 頭に走る鋭い痛み。ちぎれ飛びそうな腕。暗くなる視界。

 噴出する大量のガラス破片と液体をはるか背後に置き去り、剣が奔る。

 未知の領域だ。けれど、コントロール出来る。

 魔力だけじゃない。力が湧き出してくる。

 ……ああ。ああ、ああ、これは! この力は! 〈ステータス〉による補正!

 フェイナが言っていた、〈クラスブースター〉のステータス増加効果だ!


(……ここまでやって! 僕はようやく、対等に戦える力を得た!)


 歪められた時が反動で揺り戻されるかのように、時間の流れが急加速する。

 二つの剣が描く軌跡が触れ合い、甲高い破砕音を荒野の遥か彼方まで響かせた。

 ザーラが遠くに着地する。その胴体に、深い傷跡が刻まれている。


 とすっ、と荒野に欠片が突き刺さる。

 それは真っ二つになったザーラの曲刀だ。


 思わず自分の腕を見る。

 僕の居合は彼女の剣を叩き折り、なお止まらず胴体を切り裂くほどの威力だった。

 ……そして、体が燃えるように痛みはじめた。

 気づけば、僕は地面に倒れていた。


「あ、あああッ……!」

「クオウさん!? ……あっ!」


 同じように、ザーラも地面に倒れていた。

 全身から流れる血が乾いた大地に吸い込まれていく。

 彼女が震えながら上半身を起こし、吐血した。


「ゴボッ! ……フフフ、フフフフ……!」


 折れた曲刀を投げ捨てて、幽鬼のごとくに立ち上がる。

 霞む視界の奥で、ザーラが戦闘姿勢を取っているのが見えた。


「アッハハハ……! まだまだ……!」


 僕はなんとか痛みをこらえ、膝立ちで立ち上がった。

 それができる程度には副作用が軽くなっている。

 ……湧き出していた力が急速に消失していく。

 効果時間が前より短い。そうか、効果が短くなれば副作用も……。


「ザーラ! もう辞めるのです!」

「ハハ、嫌よ……嫌……嘘だもの……全部嘘だもの!」


 血を吐きながら叫ぶ彼女の形相は、既にこの世のものとは思えない。

 丸ごと飲み干した〈レッド〉は、自らの負った重傷を忘れさせるのに十分な分量だ。


「だって……わたくしのお母様は……」


 ザーラが糸の切れたように倒れ込み、なにかの発作を起こして跳ねた。

 それほどの状態から、なおも彼女は立ち上がる。

 足を引きずり、ふらつきながら僕たちを殺そうとしている。


「ザーラ! ……わたしの異父姉(いふし)! わたしの声を聞くのです!」

「聞きたくない……! わたくしには、お母様しか……!」


 ザーラが再び血を吐いた。

 〈レッド〉の解毒薬はまだか。……まだなのか!?

 なんとか応急手当を……いや、あの様子では無理だ、どうにか落ち着かせないと!


「僕が居るだろ!」


 腹の底から叫ぶ。ほとんど無意識だった。全身が痛む。


「今まで、どれほど孤独だったか知らないけれど! 今は僕が居るじゃないか!」


 それでも、今度ははっきりと意識して、僕は叫んだ。


「あ……」


 ザーラのまとう異様な空気が、一瞬だけ薄れた。


「また君のところに遊びに行くから! もう一度コーヒーの話でもしよう!」


 顔を塗りつぶしている真っ赤な血の上に、一筋だけ透明な涙が流れた。

 その戦意が消えていく。

 ザーラが思い出したかのように自らの傷を抑えた。


「だから……戦うのを辞めてくれ! 傷の手当をさせてくれ、ザーラ!」

「……ありが……とう……わたくし……」


 彼女は口をぱくぱくと開き、痙攣しながら再び崩れ落ちる。

 既に半死半生だ。一刻の猶予もない。

 僕は彼女へと駆け寄ろうとした。

 そのはずが、気づけばまた地面に倒れていた。

 ……熱い。まだ魔力が溢れてくる。

 何かが焦げる臭いがした。腕に複雑な魔力回路が浮かび上がっている。

 うっすら煙が立ち上っていた。まるで回路が焼き切れてしまったかのように。


「ちょ、ちょっと! クオウさん!」

「……僕はいいから……ザーラを先に見るんだ、リル……」


 奇跡的に割れなかった回復薬と、止血用の布を渡す。

 痙攣するザーラへの応急処置にリルは悪戦苦闘しはじめた。

 最低限の処置を終えたころにはすっかり血にまみれて凄惨な状態だ。


「フェイナさん! まだなのですか!」

「……終わった! 今行くね!」


 馬車をすぐ隣に停めて、フェイナが飛び降りてくる。

 彼女は錬金用のビーカーから直で解毒薬を飲ませた。

 その瞬間、目に見えてザーラの痙攣が収まっていく。

 ……魔法薬は一瞬で効く代物が多い。知っていても驚くべき効果だった。


「傷は……内臓にダメージはあるけど……よし、外科手術せずに魔法薬で行ける範囲! ブレーザー、人工血液のやつ持ってきて!」

「お、おう!? どれだ!?」

「全部、一式! さっき言ったでしょもー!」


 フェイナが手際よく各種の魔法薬を投与し、真鍮タンクから伸びる針を腕に突き刺す。

 これは……輸血ってやつだろうか?


「魔力! 魔力足りてない! ほらブレーザー早く魔力のやつ!」

「分かってるって! んなこと言われてもお前のバッグ汚えんだもん!」

「はーやーくー!」


 処置が進むにつれて、真っ白だった顔色に赤みが戻っていく。


「よし魔力で無理やり体動かす状態にはした! ダーリンの状況は……」


 フェイナが僕に駆け寄ってきた。


「……これなら死なない、ザーラ優先! 胸の外傷塞ぐよ! 結界のやつ!」


 一瞬で見切り、ザーラの方に戻る。


「どれだよ!?」

「あーもー! どけこらー!」


 フェイナが見たことのない剣幕で怒鳴りながら馬車に飛び込む。

 中でブレーザーが脇に吹っ飛ばされているのが見えた。

 ……隅っこの邪魔にならない位置でマイザが固まっている。


「お前ら二人もボケっとしてんな邪魔だぞー! どけー!」


 慌てて横に飛び退る。

 残像の残るような速度でフェイナが医療処置を進めていった。

 ザーラの顔色がみるみる良くなっていく。


「すごいな……」


 残された僕たちは黙って見守ることしかできない。

 普段のふざけっぷりからは想像もつかないほどの効率的な動き方だ。


「冒険者のくせにへったくそだな応急処置がよー! ちゃんと勉強してんのかあー!? 止血ってのは浮気した男の首を絞め落とすぐらいの力でやんだよ!」

「え、あ、はい……ごめんなさい……」


 リルが気迫に押されている……あのリルが……。


「……よっし! 終わり! フェイナちゃん天才! っふー!」


 こいつの血液には〈レッド〉でも流れてんじゃないかってぐらいのテンションで彼女が叫び、馬車の中から毛布を持ってきてザーラに投げた。


「変に動かして傷開くと駄目だから、ここで寝かしとけー! こんだけ魔法薬突っ込んで豪華な治療すりゃ死後三十年のスケルトンでも肉付きのいいぽっちゃり美女になって復活するわ! うへへはー!」


 フェイナは変な笑い声を上げながら、続いて僕の治療に移った。


「うおおおお触り放題だげへへへーっ!」


 手早く外傷の手当てを施していく。

 ……妙にべたべた触ってくるのは、これって治療行為なのか……?


「傷だけじゃなくて……熱っぽいし、なんか焼けた気がするんだけど……」

「そういうものだもん! 副作用の度合いは……ま、後でいいや! ちかれた!」


 フェイナが馬車の中に戻る。そ、そういうもので済む話なの?


「ふいー仕事したー! 寝る、起こすな! 徹夜明けのフェイナちゃんを起こすと怖いぞ!」


 馬車の中でぶっ倒れて寝息を立てはじめた。

 ……嵐が去った。


「なんか……すごかったな」

「……人となりから変わっていたのです」


 すごすぎて色々な感傷が吹き飛んでしまった。

 ……気づけば、痛みがだいぶ引いている。

 かなり痛いけれど、冒険者ならこれぐらいみんな耐えられるだろう。


「これなら、〈クラスブースター〉は実戦投入できるか……?」


 けれど、右腕で何かが焼けたような感覚は不安だ。

 〈アイテムボックス〉を開けようとしてみる。

 特におかしいところはない。浮かび上がっていた魔力回路も消えている。

 大丈夫、なのか?


「お、終わったのか? なあ、あたしもう動いてもいいのか?」


 マイザが恐る恐る馬車から降りてきて、静かにザーラの寝顔を覗き込んだ。

 ……フェイナに邪魔だから隅でおとなしくしてろって言われたんだろうな……。


「こりゃ、さっきまで死にそうだった人間の顔にゃ見えねえなあ」

「そうだね」


 あれだけの殺し合いが嘘だったみたいに、すやすやと静かに寝息をたてている。

 ……ああ。彼女を殺さずに終われたんだ。


「良かった……」


 リルがザーラのそばに座る。


「……姉さん。わたしもあなたも、お互いのことを誤解していたけれど……」


 そして、眠る彼女の手を取った。


「きっと、まだ遅くないのですよね。やり直しに遅すぎることなんて、ないのですよね」


 その横顔を見たときに、全力を尽くした甲斐はあったな、と僕は思った。



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