過去と過去〈21〉
ザーラの猛攻を、リルが凌ぐ。
的確に堅実に、事前に組み立てた作戦の通りに。
細かい傷を積み重ねながらも、リルはまだ健在だ。
「ああ、もう……何だっていうのよ……!」
ザーラがリルを睨みつける。
「どうしてこんな戦い方をするの!? どうしてあなたが! 暗殺教団の生き残りが! こんな、必死な努力のにじみ出たような……高貴な戦い方をするのよ!?」
「わたしは暗殺者じゃない」
リルが再び言った。
ザーラが何も言わずに彼女の姿を見つめている。
全身から血を流しながら、なお凛と立つ少女の姿を。
「……そうなのかもしれないわね」
ザーラが苦々しく言った。
もう彼女にとって、リルは見知らぬ”邪悪な敵”ではない。
戦いを通じてその心に触れてしまった。
「そして……わたしが暗殺者じゃないのと同じように。あなたも、わたしの思っていたような”帝国の駒”ではなかったのです……」
……戦いというものを突き詰めたとき、そこにあるのは対話だ。
自分のことだけ考えては負ける。相手のことをも考える必要がある。
「あなたの戦い方には、脆さを感じるのですよ。切実で、寂しげな……」
そうやって、相手の狙いをかわしながら自分の狙いを通そうとするんだ。
そのことだけに全てを捧げている瞬間、自分と敵との心は限りなく近づく。
戦いは真実を暴く場だ。嘘すらも思考の癖や狙いを表す一種の真実になる。
そこは口だけの誤魔化しも社会の都合も常識も、全ての嘘が取り払われた場だ。
「殺すことでしか決着しないと思っていたのです。けれど、違うようなのです」
今なら説得できるかもしれない。
この戦いを、殺し合いではなく一種の儀式として終わらせるように。
……でも、僕では駄目だ。遠すぎる。当事者のリルでなければ。
「でも……でも、あなたはわたくしのお母様の仇……!」
「本当に、それを信じているのですか」
「何を言い出すの!? わたくしのお母様は暗殺教団に殺されたのですわ!」
「違和感を感じたことはないのですか。あの人が他人を見る目線に」
「っ」
危うい。リルにとってもザーラにとっても、その話は地雷原だ。
いたるところに怒りの吹き出しかねない急所が溢れている。
……そして、僕は見ていることしかできない。
二人の過去と過去は、あの二人にしか分からない形で交錯しているから。
「わたくしは! それでもわたくしは、愛されていたのですわ!」
「本当に?」
「嘘だとでも言うのですか! わたくしが母と二人で過ごした時間が!」
空気が張り詰めている。一歩間違えれば血みどろの殺し合いだ。
「わたしは……あまり外を歩いたことはないのです。けれど、教団の皆から宮廷の噂は聞いていた。あなたには母を除いて一人も味方が居なかったと」
「……だから何だと言うのよ!」
「いくらあなたの母が派閥に属さない問題児だったとはいえ、同年代の友達が一人も居ないのは不自然なのです。そこに利益を見出す人間がいるはずなのです。あなたに同年代の友人を近づかせて操ろうとする人間が」
「うるさいですわ……!」
ザーラが声を絞り出した。
「ザーラ。あなたは意図的に孤立させられていたのですよ。近づく人間は排除されていた。操るために。あなたの母に、何か”頼み事”を吹き込まれたことは?」
「うるさいっ……!」
「自分が……駒として扱われていたことに、自覚は?」
「うるさい……やめなさいよ……!」
ザーラが肩で息をしている。
今までの戦闘よりもはるかにダメージが深い。
……つたない説得だ。リルはザーラを傷つけすぎている。
けれど……そこには、説得のための嘘やごまかしはない。
ザーラが傷つくのは、心に古傷があるからだ。真実だから。
「わたしはてっきり、あなたが承知しているものだと思っていたのです。全て承知の上で、帝国のために全てを捧げているものだと」
「帝国なんて……帝国なんて大嫌いなのですわ! わたくしはただ……!」
「でも……あなたはわたしと違う。わたしには仲間が大勢いた。あなたは一人だった。他人に何かを捧げられたことのない人間が、自分の何かを捧げようと思うことはない……そんなことにも気づけなかった。わたしは未熟なのです」
「わたくしはただ! ……お母様の……仇!」
今にも爆発しかねないザーラが、リルを睨みつけている。
「あなたの母は、おそらく、死んでいないのです」
「え」
「シャラマ・サルタナ。その名を名乗る以前には、ソルシア・ニーエンハイム。アロテヤ・アレサンドリア。パドマーヴァティ。クローネ。ダイアナ。同一人物らしき女の肖像画が、大量にあるそうなのですよ」
「い、意味の分からない話なのですわ……!」
「迷宮都市が出来るよりも前から、魔法の力を扱う人間はいるのです。……わたしたちの母は、たびたび歴史上に汚点を残してきた。そういう存在なのですよ」
ザーラが固まった。
「嘘ですわ。そんなクソみたいな大ボラ」
「本当なのです」
「……僕の仲間が、いま証拠を探してるところだ。きっと見つかると思う」
皆に事情を相談してみたら、すぐにやるべきことは判明した。
もしリルの母親が本当に魔女で、大国を弄びたがるような人間なら、必ず痕跡が残る。
それを探せば、きっとまだ生きているだろうと推測できるはずだ。
「お、来た」
遠くで馬車が土煙を巻き上げている。
間違いなくブレーザーたちだ。
「……嘘ですわ!」
ザーラがうずくまる。
その懐から、鮮血のように赤い液体の入った小瓶が転がった。
あれは……〈レッド〉だ。
理性を失うかわりに、一切の恐怖心や痛みを吹き飛ばして力のリミッターを外す薬。
「その薬は! 駄目なのです!」
リルが叫ぶ。
「それが教団内に秘されていたのは、ちゃんと理由があるのですよ! 危険なのです!」
「……よく言うわね! これを広めたのは暗殺教団なのではなくて!?」
〈レッド〉は元々、リルの居た暗殺教団が扱っていた薬なのか?
そこから何らかの形でレシピが漏れて、迷宮都市に普及した……?
「ザーラ。やめるのです。誰が薬のレシピを盗んで売り飛ばしたか、あなたも……」
「……黙るのですわ! わたくしのお母様が、そんなことをするわけが……っ!」
彼女が赤い小瓶を開き、中身を飲み干した。
「ないのですわっ……!」
リルが歯噛みする。……そして、リルの方も同じ色の小瓶を取り出した。
瓶のデザインは違うが、中身は間違いなく〈レッド〉だ。
「……わたしも秘薬を使うか……いや」
リルは小瓶を戻し、僕の方を見た。
「……クオウさん。その……力をお借りしたいのです」
「本当に、それでいいわけ?」
「はい。彼女を殺すしかないと思っていたのは、わたしの勘違いでした」
リルの顔に差していた影が、わずかに薄くなっている。
殺すべき”敵”と決着をつける必要は、もはやなくなったのだろう。
敵など居なかった。人間がいるだけだ。
「そうか。分かった。なら、殺さずに終わらせよう」
リルがそう結論付けたなら、僕が言うことは何もない。力を貸そう。
けれど、〈レッド〉を服用して凶暴になっている相手を殺さずに止めるのは難しい。
何か手は……。
「みんなー! 来たよー! これ間に合った感じかなーっ!?」
フェイナが馬車の手綱を操り、僕たちのそばで止まった。
中から資料の束を抱えたブレーザーが降りてくる。
「間に合わなかった。戻って」
「そ、そうか。くそっ、俺がもっと頑張ってりゃ……!」
「ふふふ……分かってみればなんということもないのですわ……」
うずくまっていたザーラが、ゆっくりと立ち上がる。
「グルになってわたくしを騙そうとしていたのでしょう……きっと、そこにいるのは全員が暗殺教団の生き残りなのでしょう……うふふ……真実はシンプルなのですわ……」
人間離れして異様に拡大した瞳が、こちらを向いた。
猛烈な殺気が、荒野を渡る風と混ざり合って広がっている。
「全員殺す……殺して帰れば、きっと皇帝もわたくしに価値を見出す……」
僕たちを見ているようでもあり、同時にはるか遠くを見ているようでもあった。
彼女の体が小刻みに震えている。
その様子を見たフェイナが、僕に言った。
「あの娘、何を使ったの」
「〈レッド〉だよ」
「分量は」
「小瓶を丸ごと」
「へ……?」
彼女が絶句した。
「一回分の量は、あの小瓶の十分の一以下なのに……」
「解毒剤は持っているのです」
リルが小瓶を取り出し、側面から小さな容器を取り出した。
「貸して」
フェイナが素早く中身を検分する。
「うふふ……こそこそ話が好きですわね……何を話しても無駄ですわよ……」
ザーラが落ちていた彼女の曲刀を拾い上げる。
もう時間がない。
「駄目だ。この薬もう腐ってる」
「え!? ずっと懐に入れてたのですよ!?」
「……卵じゃないんだから人肌で温めないで? って言ってる場合じゃない!」
フェイナがその場でうろうろしはじめた。
「どうしよ……いや、これを元に新しく解毒薬は作れないことはないか……!」
ハッと顔を上げた彼女が、馬車の荷台に飛び込む。
「二人とも! 薬が完成するまでなんとか粘って! あとブレーザー、手伝え!」
「お、おう!」
資料を抱えてボケッとしていたブレーザーも、慌てて馬車に戻った。
一気に状況が変わったけれど、やるべきことは単純だ。
「リル。馬車を背負うように陣取って。必要なら〈大盾〉で馬車を守って欲しい」
「はい」
「僕が前に出る」
「は……はい?」
馬車を守る必要がある。その適任はリルだ。
だから、僕がやるしかない。
「後ろから僕を援護してくれ。僕が渡したアレを使って。タイミングは教えた通りに」
「……! 分かったのです!」
右手を前に突き出して、〈アイテムボックス〉を開く。
中にはフェイナが作った各種の投げて使うポーションがある。
どれも効果時間を五秒で揃えた、僕にとって扱いやすい仕様だ。
まっとうに投擲して当てるのは無理だろうけど、自分にバフをかけるには十分。
僕は敏捷性のバフポーションを取り出し、左手に持った。
水色の液体が、爆弾じみた円形のガラス容器の中に満ちている。
「ああ、不思議な気分ですわ……夢を見ているよう……愉快でたまらない……」
ザーラが曲刀を構える。その先端は小刻みに震えている。
「友人との殺し合いというものは、こんなにも楽しいものだったのね……!」
「……薬が効いてるだけだよ」
僕は右手を胴体の横で引き絞る。
〈レッド〉を服用したザーラの速度は未知数だ。見誤れば死ぬ。
そしてまた、ザーラの方も急所への一撃で即死する可能性がある。
僕たちは両方とも防御力に欠けている。
……それが分かっていても、殺さずに済ませるような戦い方をする余裕はない。
完全に殺す気でやるべきだ。
完璧に読み切って殺す。その意気でないと、死ぬのは僕たちの方だ。
「つれないわね……っ!」
ザーラが地面を蹴る。
元から目で追うことすら難しかった速度から、更にギアが一段上。
……カエイの本気よりは遅い。大丈夫だ。
「もっと楽しみましょう!」
二歩目。更に加速してくる。
僕を通り抜けてリルと馬車を狙う気か? それとも〈晶壁歩法〉?
「アッハハハ!」
……どちらでもない!
彼女は正気を失っている! 全力全開の一撃をただ叩き込みに来ているだけだ!
「間に合えッ……!」
ポーションを地面に落とす。円形の瓶が割れ、仕込まれたメカニズムが液体を周囲に撒き散らし、範囲内に居た僕へと強力なバフを掛ける。
ザーラが曲刀を振るよりもはるかに早く、間合いの外とすら思える距離で剣を掴む。
彼女の癖はもう分かった。一撃目はいつも右上から左下へ回転力を乗せた袈裟斬りだ。
それを防ぐためには、下からの切り上げ……!
「ハハハハ、ハアーッ!」
僕が剣を振ってからずっと後に、ザーラが動く。
バチン、とムチのような音がした。
それは剣の先端が音速を超えて生じた衝撃波の音だ。
異常な速度の曲刀が、比較して静止しているようにすら見える僕の剣とぶつかる。
「っ!」
全力を込めて押し返す。重い……迷宮のときより、はるかに一撃が重い!
体ごと後ろへ滑ってしまうほどの、限界を越えた一撃だ。
それでも……僕だって、ずっとリルの馬鹿力を相手に鍛えてきたんだ!
「負けるかっ……!」
更に力を込め、何とかザーラの勢いを止める。
一息つく間はない……この次に来るのは逆回転からの側面狙いだ。
速度差がありすぎる、まともに剣を振っていては間に合わない……!
僕は握った美しい無銘の剣を手放し、手だけを次撃の予想位置に持っていく。
そこで〈アイテムボックス〉を開き、〈マギ・インバーター〉を抜いた。
剣の先端が〈アイテムボックス〉から抜けるよりも早く、ザーラの曲刀が魔剣を叩く。
衝撃で〈マギ・インバーター〉が〈アイテムボックス〉内で暴れる。
何かのポーションが割れて炸裂した。
〈アイテムボックス〉へ通じる空間の裂け目から、輝く液体が飛び出してくる。
火花と飛沫がぶわりと広がった。
液体の色は水色だ。敏捷性向上ポーション。
「ウフッ!」
ザーラが色を読み取って笑みを浮かべる。
両者ともに敏捷性が向上した場合、有利なのはザーラだ。
更に速度が上昇してしまえば、いよいよ追えなくなる。
彼女の剣は〈マギ・インバーター〉をあえて押し込まず、回転の勢いを殺さず一回転しての二撃目へ持ち込もうとした。
……その動きが、わずかに鈍い。
〈マギ・インバーター〉は、斬ったもののバフ・デバフ効果を反転させる。
このポーションは両者の敏捷性を低下させている……!
予想外の効果が、ザーラの動きを乱す。
一瞬にも満たない間隙。〈マギ・インバーター〉を抜ききって、斬りつける。
剣先は空を切った。緊急脱出のためにザーラは高く跳んでいる。
そして、蹴るための小さな〈晶壁〉が生成されつつある。
……リルに狙うよう伝えてあるのは、ここだ! 二回目に高く跳んだ瞬間!
ドンッ、と圧縮空気の打ち出される音がした。
それは殺し合いに備えてリルに持たせてあった〈風撃の指輪〉だ。
後ろから生み出された風がザーラを吹き飛ばす。
姿勢と位置が乱れたせいで、〈晶壁〉は蹴れない。
今だけは空中で無防備な状態だ! 加えて、まだ敏捷性が低下している!
「はあっ!」
僕は全力で〈マギ・インバーター〉を投擲した。
これが唯一のチャンスだ。二度目は作れるか分からない。
……だが。
ザーラが空中で吹き飛ばされながらも身をひねり、斬撃を繰り出す。
〈マギ・インバーター〉は弾き飛ばされた。
くそっ! 誘導は上手くいった、チャンスも作れた、それでも……いや!
「まだ……あるのですよ!」
飛来した短剣が、斬撃直後の無防備なザーラへ突き刺さった。
投げナイフ。リルが隠していた特技。
僕が勇気を持ってリルの過去に向かい合わなければ、本人が言わなかったもの。
それが、彼女に持たせた〈風撃の指輪〉と合わせての切り札だ……!
血しぶきが空に舞う。当たったのは左胸だ。
壁を蹴ることもできずに、ザーラが墜落して地面に転がる。
この瞬間になって、ようやく初撃のときに手放した無銘の剣が地面に落ちた。
それほど瞬間的な攻防だった。
……まだ終わっていない。
剣を掴み、ザーラめがけて走り出す。




