過去と過去〈20〉
翌日。まだ夜の空が暗く、星々が輝いている時間。
不自然なほどに平たいアリル大荒野に、僕たちは居た。
暗闇ばかりが広がる、生命の芽吹かぬ荒涼の地平だ。
流された血は瞬く間に乾いた土へ吸い込まれ、肉はハゲタカに食い尽くされ、残った骨は乾いた風が削り取るだろう。決闘の後には何も、生きた証すら残らない。
リルもザーラも、こんな場所で命を落とすべきじゃない。
……しかし。リルもザーラも、僕より能力が圧倒的に強い。
いざというときに止めに入るのは難しいだろう。少なくとも、殺さないよう二人を押さえつけるような芸当は絶対にできない。
それでも、僕には武器がある。
まず、徹夜でフェイナが調合した各種のポーションが。
投げる用にしろ飲む用にしろ、ピルスキーから買う安物よりずっと効果が高い。
それに、マイザの打った例のオリハルコン芯材の剣、そして修理が終わった魔剣〈マギ・インバーター〉もある。
それらの武器を扱うための訓練も、僕は積んでいる。欠けている装備もあるけれど。
そして何より。僕たちは相談して、二人を説得するための方法も考えた。
リルの言ってることが本当なら、絶対に物証が出てくるはず。
それを持ってくることさえ間に合えば、きっと殺し合いは止められる。
ブレーザーの調査能力なら間に合ったっておかしくない……!
東の空が深い青色へ変わっていく。
ブレーザーたちが来る様子はない。
やがて大地と空の境が金色に浮かび上がり、ついに朝日が顔を出した。
遠くにひとつ人影があった。
僕はそれがブレーザーのものであってほしいと祈った。
しかし、彼女が被るフードつきの外套を見間違えることなどできない。
強い風が、埃を巻き上げながら通り過ぎていく。
フードがめくれあがり、ザーラ・サルタナオウルの鋭い表情を明かした。
はためく外套を投げ捨てる。豪華なドレスが荒野へ広がる。
彼女は風に吹かれてふわりと回り、一礼した。
伸びやかで優雅な、研ぎ澄まされたバランス感覚の現れた所作だ。
「ごきげんよう。帝国の敵を征伐に参りましたわ」
「敵? わたしたちを一方的に虐殺しておいて、よくも!」
「悪行を重ねておいて、よくも被害者面が出来るものですわね」
「その悪行は、帝国の求めたものなのです! お父様は帝国に忠実だった!」
「帝国に忠実な男が、皇帝の正妻を攫って妊娠させるとでも? 片腹痛いですわ」
「嘘なのです! わたしたちの母は邪悪な人間なのです! 気付かないのですか!?」
「お前こそ嘘をつかないで欲しいものですわ、ラーレ。邪悪な人間が、わたくしを抱いて読み聞かせをしてくれるわけがないもの! 惑わそうとしても無駄ですわよ!」
「……ええ。無駄だと、よく分かったのです」
リルが頷いて、剣と盾を構えた。
「……弱い」
ザーラが呟いた。
「いや。弱く見えるだけ。騙されないのですわ……常套手段ですもの」
曲刀をくるりと回し、彼女がしなやかな構えを作る。
その様は一流の踊り子を思わせた。無駄な力が一切入っていない、美しい構えだ。
……実力通りなら、殺されるのはリルの方だ。
リルもフェイナのポーションで多少はステータスが底上げされているけれど……。
ステータス以前に、根本的な訓練の量が違う。
ステータス自体も、おそらくザーラの方が上だ。
金のある貴族が迷宮ギルドから技術者を招聘して〈クラス〉を刻ませ、その上で訓練を積んでクラスを馴染ませることで身体能力を上げるのは珍しいことではない。
迷宮内に比べれば成長は遅いが、ステータスは外でも上がる。
ザーラは幼少期から訓練を積んでいるのだろうから、リルより強くて不思議はない。
けど、一発勝負は実力だけで決まるものではないんだ。
十分な策を用意すれば、逆転はできる。
「リル」
ここに至っては、殺し合いを止めることは不可能だ。
ブレーザーたちは間に合わなかった。
ならば、せめて。
「しばらく技能無しで凌げ。この戦いの鍵は”壁”だ……勝て!」
「はい」
僕はわずかに距離を取った。
二人が向かい合い、完全に静止する。
一陣の風が吹く。先に動いたのはリルだ。
ざっ、と乾いた大地を踏みしめ、二歩目へ移る……その瞬間、ザーラは既に距離を詰め切っていた。
恐ろしいまでの速度が乗った曲刀の突きが盾をすり抜ける。
リルが咄嗟に反応し、その刃を首元の防御で受けた。
ぎゃりぎゃりと火花が散り、刃が滑る。
ザーラは猛烈な速度のままに横を抜け、大きな地面のひび割れに足を掛けた。
さながら壁を蹴るごとく、体を斜めにしながら横方向に割れ目を蹴って跳び上がる。
空中で一回転、二回転……わずかなタメの後、三回転目の斬撃がリルを襲う。
曲刀と盾。鍛冶師の作り上げた作品と作品が激突し、一歩も引かずに勢いを相殺する。
一瞬、ザーラの速度が失われた。
リルが盾の上から剣を突き入れようとする。良い狙いだ……けれど。
わざと盾に弾き飛ばされるようにして、ザーラがその逆を突く。
反対方向へ回転しながらの一撃が、リルの胴体を薙いだ。
狙いは脇の下だ。人体の弱点の一つ。だがダメージはない。
リルのまとう防具が受け止めている。
「チッ」
舌打ちしたザーラが距離を取る。
一瞬の攻防だった。もはや素人では目で追うことも出来ないような領域だ。
目がついていく冒険者なら、誰でもザーラが優勢だったと分かるだろう。
実力の差はある。けれど、よく凌いだ。いいぞ。耐えるんだ。
焦って突進したら、その瞬間に君は負ける。
頼むから……怒りに身を任せないでくれよ。
君がどれぐらい怒っているかは知っているけれど。
それを戦いに持ち込んだ瞬間、君は負ける。
思っていても、もう口には出せない。
戦いの最中にアドバイスをするのはさすがに無粋がすぎる。
……リルを殺させる気はない。けれど、リルが敗北するのを止める気もない。
過去にケリを付けるための決着が、彼女には必要だ。
たとえそれが敗北という形であっても、決着までは……僕は手を出せない。
「装備だけはクッソ良いものを使っているのですわね」
「……また、みんなに助けてもらっているのです。まったく頭が上がらないのですよ」
「何を……! 暗殺者のくせにお利口なこと言ってるんじゃありませんわよっ!」
「わたしは暗殺者じゃない!」
「口でならどうだって言えるのですわ!」
ザーラが動く。電撃的な速度で土を蹴り、リルに一回転しながら斬りかかる。
単純な攻撃だ。リルは盾と反撃を準備している。
……そこで急激に回転速度が上昇した。間合いの遠くで、刃が空を切る。
その攻撃は、勢いをつけるための助走でしかない。
ザーラがしなやかに跳んだ。体の軸が九十度傾いている。
横回転がそのまま垂直方向の回転へ。天高くから地上の底へ、曲刀が落ちる。
その一撃を兜が受け止めた。まっすぐに力が伝わっている。
あれでは……兜は無事だとしても、頭が無事では済まない……!
「くうっ!」
よろめくリルを、追撃の剣舞が切り刻む。
それはまさに舞踏という名が相応しい、極限まで洗練された振り付けだ。
攻撃と攻撃の境目すらない、変幻自在の一人劇場。
リルはひたすら一方的に攻撃されているだけだ。
ふらふらと覚束ない足取りで、今に倒れてもおかしくない。
それでもリルの目は死んでいない。
盾から出ている目元ははっきりと前方を見つめている。
声援を送りたくなるのを、僕は必死に堪えた。
僕はまだ立会人だ。
「このっ……亀みたいに籠もってないでっ……本性を見せるのですわっ……!」
連撃を続けるザーラの動きが荒っぽくなっている。
隙は増えたが、その分だけ威力も高い。リルの防具に焦げ跡すら刻まれている。
「いい加減にっ……!」
ザーラの回転が止まった。リルに背中を見せながら、大きく曲刀を振りかぶる。
チャンス……に見える。けれど違う。
回転しながら戦うということは、敵へ背中を見せながら戦うということだ。
ならば、背中を見せた状態からのカウンター技がある。
リルがピクりと反応しかけて、止まる。
誘いは不発だ。致命的な罠を、準備が防いだ。しかし攻防は入れ替わらない。
嵐のような連撃が襲いかかり、リルを少しづつ削り取っていく。
致命傷を防いではいるが、蓄積される細かい傷は増える一方。
装備が血で染まりつつある。一瞬でも気を抜けばトドメの一撃が入る状況だ。
今にも決着の着きそうなライン上で、リルがひたすらに踏みとどまる。
ザーラが小さな隙をちらちらと見せて誘うのを無視して、徹底的に防御を固めている。
守勢一方だが機会を伺うリルと対照的に、決定打を出せないザーラは苛立っていた。
隙のない攻防一体の踊るような立ち回りが鳴りを潜め、強引な力押しに変わっていく。
「しつこい……ですわっ!」
盾ごと吹き飛ばしてやろうとばかりに、ザーラが大きく武器を振りかぶる。
そして、やや姿勢を崩しながらの大振りな一撃を繰り出した。
誘いではない。苛立ちが生み出した、初めての隙だ。
よく耐えた……!
「〈大盾〉!」
彼女の持つ盾が魔力の光を放ち、輝く半透明の壁を展開する。
あれは〈ナイト〉の技能の一つ。
盾から更に”魔法の盾”を展開し、周囲の味方をも守れるほどの盾を作り出すものだ。
……リルは技能を〈挑発〉から〈大盾〉に刻み変えている。
一対一の勝負に〈挑発〉は不向きだ。そこで僕たちが選んだものが〈大盾〉だった。
「ぐっ!」
ザーラの曲刀が、展開された魔法の盾に吹き飛ばされる。
姿勢を崩しながらの強引な一撃が予想外の方法で弾き返され、胴体が大きく空いた。
状況がリルの有利に傾いた。
けれど、まだ予断を許さない状況だ。
リルは自分の技能を明かしてしまった。分かっていれば対策できる。
一方、ザーラはまだ技能を伏せている。
ここで決め切らなければ、リルは厳しい。
「はあっ!」
リルの放った斬撃が、がら空きの胴体を薙ぐ。
血の筋が一直線に走った。
……浅い。身を引かれた。それでも、ようやく一撃が入った。
距離を取ろうとする後ろへ跳んだザーラを、リルがすぐさま追う。
逃さない。苦し紛れの反撃を盾が弾いた。
なんとか距離を取ろうとする試みを、盾で圧力をかけて徹底的に潰している。
猟犬のように食いつき離れない。仕留めきる気だ。
「このっ……離れなさいよっ……!」
盾の一点をザーラが繰り返し斬りつける。
焦げ跡が深く刻まれ、火花が盛大に散った。
盾の破壊を狙ってるのか。咄嗟にしては良い作戦だな。
並の盾なら壊れるだろう。けれど、それはマイザの作った盾だ。
あいつの作った作品が、そう簡単に壊れるものか。
「あっ……!」
後ろを見ずに後ずさっていたザーラが、乾燥した大地のひび割れに足を引っ掛けた。
どれほど優れた戦士だとしても、自分の真後ろを見ることはできない。
「……そこなのです!」
リルが突きを放つ。
決まった……ように見えた。
しかしザーラは、寸前で空中へ高く跳んでいる。
普通、戦闘中に高く跳ぶのは悪手だ。
跳んでしまえば軌道に修正が効かない。落下点で斬れば終わりだ。
しかし、ザーラは……迷宮内で僕と戦ったとき、壁や天井を跳ね回っていた。
そんなこと、その場でいきなり出来るような芸当じゃない。それが意味することは?
普段から練習しているってことだ。跳んだ後に壁を蹴るような、そういう行動を。
「壁」
リルが呟いた。
そうだ。この戦いは壁が鍵だ。
「〈晶壁〉!」
ザーラが技能を展開する。
急速に冷やされた水が凍っていくように、空間が結晶化して壁を作った。
ザーラが空中で身をひねり、壁を蹴って鋭く跳ぶ。
彼女の残像が描く軌跡はまるで稲妻だ。
いくつもの壁を蹴り鋭角に軌道を変えて、リルの側面へ彼女が迫る。
それは超絶の速度による奇襲だった。
空中に跳んだ彼女が、気づけば横にいる。まるで消えたように感じるだろう。
とうてい人間が反応できる領域の攻撃ではない。
「〈大盾〉!」
だが、リルは未来を予知したかのように技能を展開していた。
「なっ……!!」
展開された魔法の盾にザーラが突っ込んだ。
衝撃で曲刀が手から離れて吹き飛んでいく。
落下点でリルが剣を構えた。
……ザーラが猫のように身をひねり、〈大盾〉を蹴る。
大きく放物線を描き、遠くへと着地した。
「……何よ!? わたくしの〈晶壁歩法〉を初見で防ぐの!? ありえないのですわ!?」
〈晶壁歩法〉。名前がついているあたり、やはりザーラの〈必殺技〉か。
何度も練習し、まっとうに反応することが不可能な点まで研ぎ澄ました切り札。
局面が煮詰まるまで隠し持つべき”必ず殺す技”だ。
〈晶壁歩法〉で意表を突けば、相当に強い冒険者でも一発で殺しきれるだろう。
「ありえるのです。いま実演してみせた通りに」
「何だって言うのよ! 弱いくせに! まるで分かってたみたいな……!」
焦燥したザーラの視線が、僕に向く。
「……まさか! あの迷宮内! 一瞬の攻防で、そこまで!?」
「その通り」
彼女のやっていた壁や天井を跳ね回る戦い方は狭いところでしか不可能だ。
けれど、彼女の戦い方は”狭いところで戦うことに特化した戦法”ではない。
むしろ逆。回転できる広いスペースを前提にした剣術だ。
ということは、普段から技能を使って跳ね回っている可能性がある。
空中に足場を作れる技能にも種類があるが、彼女の動き方からして”足元に足場を作る”というより”壁を蹴る”ものだろうと推測はできた。
技能〈晶壁〉はそこから絞り込んだ候補の一つだ。
これは〈共通技能〉であり、性能がやや低いかわりどの〈クラス〉でも技能として刻み込むことができる。
何をしてくるか分かっていれば、対策を考えることができる。
壁を蹴ってくる以上、相手から見て壁を生成した側と反対から攻めてくることになる。
軌道は読める。あとは攻撃の方向へあらかじめ防御を向けておけばいい。
リルには「相手が高く跳んだら壁で軌道を変えてくると思え」、「左右どちらに壁を生成するかよく見ろ」、「壁の延長線上を越えるように動きながら、攻撃してくる方向へ〈大盾〉を展開しろ」という指示を伝え、イメージトレーニングを繰り返させた。
そうやって事前に動きを決めておかなければ、〈必殺技〉は対処できない。
けれど、分かっていれば……努力と研究で打ち破ることができる。




