過去と過去〈18〉
「あ。クオウさん」
月明かりに照らされた完全武装のリルが僕らを出迎えた。
特に事態がこじれた気配はないので、説得は成功したらしい。
よかった。ここでリルとフェイナが更に喧嘩してたら話がこじれるどころじゃない。
彼女の装備は見覚えのない、ピカピカに輝く新品だ。
兜も被っている。つば付きの帽子に耳あてがついたようなデザインだ。
胴体は革鎧に加え、無数の金属片を結びつけたような作りの金属鎧を重ねて着ている。
煤だらけのマイザが鎧を調整しているあたり、出来たての新装備らしい。
「ラメラーアーマーか」
「短期間でまともな全身鎧を作るのは、いくらあたしでも無理ってもんだからな! そこで部品を使いまわして時短すりゃ、数日で作れねえこともねえってわけだぜ!」
自らの作品を前にして、彼女は誇らしげだ。
鎧は詳しくないけれど、リルが一回り強く見えるほどの風格がある。
短時間でこれほどの防具を作れるなんて……。
「しかも! 急所を狙ってくる素早い敵に対応するために! 人体の急所は全部ばっちりガード済みだぜ! 精密な金属部品を組み合わせて、関節可動域もバッチリだ!」
身体の内側や手首・足首などの弱点は、すべて金属でガードされている。
首だけは革のスカーフと金属板を組み合わせたようなデザインだけれど、防御力は十分に高そうだ。
前に戦った感じからして、相手の〈ステータス〉は敏捷性に寄っていた。
金属ごと叩き斬るほどの力はないはず。かなり優位に戦えるだろう。
こういう事前の準備と対策があれば、格上相手でも勝てる可能性は十分にある。
「あたしに出来ることはやったぜ! 事情は知らんけど、あとはお前次第だ!」
「はい。感謝しているのです。わたしの身の丈に合わないぐらいの装備ですから」
金属片を結ぶ紐の調整を終えて、マイザがリルの肩を叩いた。
リルが今までの盾よりも一回り大きな大盾を構え、木剣を握る。
「クオウさん。模擬戦をお願いするのです」
「……ああ。構わないよ」
アイテムボックスの中から真剣を取り出し、代わりに木剣を入れる。
できればリルに殺し合いをさせたくはない。
だが、背景には重い事情がありそうだ。簡単には和解できないだろう。
説得の試みとは別に、鍛えられるだけ鍛えておいて損はない。
最悪の場合でも、殺される側でなく殺す側に回れるように。
「いきます!」
リルは盾で身体の大半を隠し、まっすぐに突進してくる。
動き方は変わっていない。ひたすら前に出てくる読みやすい戦い方だ。
装備が良くても関係なく楽に受け流せた。盾のない側から足を引っ掛けて転ばせる。
「……も、もう一本!」
それからも似たような結果が続いた。
……無策で突進する傾向は最初からあったけれど、それが悪化している。
もっと戦術的なセンスがあるはずなのに。
「まだ……もう一回!」
真新しい鎧を泥で汚した彼女が、地面に膝をつけながら言う。
「リル。いくらなんでも焦りすぎだ」
「わ……分かっているのですよ! でも……!」
「でも?」
「わたしがもっと強くならないと……守るどころか、クオウさんや他の皆まで……!」
頃合いだろうか。僕はブレーザーに目配せをした。
彼がマイザになにか耳打ちをして、二人が地下工房に戻っていく。
さあ。ブレーザーに諭された通り、ド直球で切り込んでいくとしよう。
「リル。ザーラ・サルタナオウルと君は母親が同じなのか?」
「え……!」
彼女がハッと顔を上げた。
「何故……それを? まさか、あの女に何か吹き込まれたのですか?」
「いや。ザーラは単に僕と楽しくお喋りしただけ。事情があることは仄めかしていたけれど、その中身には触れなかったよ」
「お喋り? 仲を深めた上で利用する気なのですね」
リルがふつふつと沸き立っている。
奥底に煮えたぎるマグマのような怒りの熱量が、地表へと吹き上がっている。
「テュラク帝国のやり口は汚い」
それでもなお平静さを保っているのは、鋼の精神力ゆえか。
……しかし、その防御もマグマに負けて決壊した。
爆発的な噴火を思わせるほど大声を張り上げ、彼女が悲鳴のように叫ぶ。
「あいつらは、武装解除して降伏しなければ人質を殺すという脅しをかけたあげくに、無防備な砦を取り囲んで魔法で全てを焼き尽くした! 灼熱の中にゴーレムの兵隊まで送り込んでまで一人残らず皆殺しにした! ……わたしが隠し通路から脱出できたのは、一族のみんながその身を挺してわたしを炎から守ったからで! わたし一人のために、みんな……」
彼女はいきなり、慌てたように口を塞いだ。
浮かび上がった憤怒を内側へと戻そうと、頭を左右に振って怒りを拒絶している。
〈ニヤームの虐殺〉か。
その過去がリルに刻んだ痛みがどれほどか、僕には想像することもできない。
だけど、怯んでは駄目だ。
「……過去は過去に置いてくると誓ったのです。あの暗殺教団の全員が、自分たちが時代遅れの存在だと知っていたのですから。長きに渡って受け継がれた変装の術も薬草学も、迷宮都市のもたらす魔法の装備や薬に歯が立たなかった。我々が滅び去るのは歴史の必然だ……とお父様は言っていたのです」
不思議なほどにリルは落ち着き払っている。
「わたしは暗殺の技を知らない。お父様はそれについて何も語らなかった。教団の皆も、わたしに暗殺のことを語らなかった。わたしをいずれ世間に出すつもりだったから」
彼女は地面に座り、隣の工場敷地を囲っている壁にもたれかかった。
その隣に、僕も座った。
「そのわりにはみんな常識がズレていて、世間で通用する知識なんて教えてもらえなかったのですけどね。わたし、さっきフェイナに教えてもらうまで”ダーツ”ってナイフ投げて的に当てる遊びだと思ってたのですよ。箱入り娘もいいところ、なのです」
ふふっ、とリルが小さく笑った。
その笑い方だけを見れば、重い過去について話しているようには感じられない。
……強いな。
「いずれわたしが外の世界に出たら、こんな場所のことは何もかも忘れて、幸せになれ、と言われていたのです。過去は捨てろと。そういう約束を皆と交わしたのです。だから、こんなことは言いたくなかった……言ったって誰も幸せにならない」
「そんなことはないと思う。少なくとも僕の場合は、あの変な夢だか幻だかの中でフェイナに慰めてもらって、少しは楽になったんだ。リルも……分からないけど、もしかすると君だって楽になるかもしれない」
「自分の抱える荷物を他人に持たせれば、それは自分は楽になるでしょうけど」
「でも、リル。君自身は他人の荷物を抱えたがるタイプじゃない?」
「……それは、まあ」
守られてばっかりだったから、他人を守る側に回りたい。
リルはそんなことを言っていたはずだ。
口だけじゃない。自分の命を危険に晒してでも、実際に守ろうとしている。
「仲間なんだ。リルが僕や他のみんなを一方的に守ろうとするんじゃなくて、お互いに庇いあえばいいじゃないか。違う?」
「……似たようなことを、あの魔女にも言われたのですよ」
「魔女って。いや、確かに誰のことか分かるけど」
「ええ。あれは魔女なのですから。人間ではないのですよ。気づいていないのですか?」
「えっ」
た、ただのイカれた人間だと思ってた。
そもそも”魔女”って実在も怪しい噂話の存在なのかと……。
「わたしの母も同じ。魔女なのです。迷宮都市が出来るよりも前から魔法を扱っていた、人外の血を引く古き種族。長き時を生きる退屈しきった半神。楽しみといえば、他人を弄ぶことぐらい……」
「半神? さすがに大げさな表現なんじゃ」
「人間が魔法を使えなかった時代には、まさに半神だったのですよ。フェイナはまだ魔女としては若い部類に感じますけど……わたしの母は年季の入った魔女だったのです」
リルが静かな、しかし鋭い敵意を発した。思わず鳥肌が立つほどの殺気だ。
「あれはテュラク帝国の皇帝を誘惑し、次いで隣国の王をたぶらかし、戦争を巻き起こそうとした……けれど、どちらも英名な君主だったので試みは失敗したのです。仕方がないものだから、皇帝が疎ましく思っていた暗殺教団の首魁をたぶらかして暇を潰した」
皇帝と魔女の間に生まれた子がザーラ・サルタナオウルか。
そして、暗殺教団の首魁との間に生まれた子が……。
「わたしを産んでしばらくしてから、あれは皇帝の元に戻った。……そして、争いの火種を作ったことすら忘れた。あの魔女にとっては小さすぎる企みで、飽きたのでしょう。やがてわたしが大きくなったころ、隠し子の証拠を皇帝が見つけ……あれは火種の存在を思い出して……わたしのお父様に無理やりさらわれて子供を産まされたのだ、とうそぶいた」
リルが大きく息を吐いた。一緒に殺気をも吐き出して、彼女がまた平常の顔に戻る。
激怒した皇帝が、〈ニヤームの虐殺〉を引き起こしたというわけか。
「フェイナを仲間に入れるのは反対でした。今なら理由も分かるでしょう」
「ああ。よく分かった。でも、今はどうなんだ?」
「……我慢してもいいかな、とは思っているのですよ」
一線を踏み越えたらわたし自ら叩き出してやりますけどね、とリルが刺々しく言った。
「フェイナのことなんてどうでもいいのです。問題はテュラク帝国なのですよ」
「うん?」
「あの国は巨大なのです。逃げられる道理はない。わたし一人の問題で留まるとも思えない……現に、もうクオウさんにはテュラク帝国の触手が伸びているのですから」
「ザーラのこと? 彼女が国ぐるみで支援されてるような様子はなかった。むしろ、国から見捨てられてるような雰囲気を感じたよ」
「そういう見せかけを作って、クオウさんを取り込もうとしているのですよ。あいつらのやり口は汚いのです。わたしの話を聞いていたのですか?」
「聞いてたよ。でも、彼女以外に実働部隊が居るとは思えないんだ。もしも国ぐるみの大規模捜索だったら、とっくにリルは襲われてる」
「それは……」
「あとさ、リル、バレド・ウィーターっていう名前の情報屋に何かを聞かなかった?」
彼女の顔が分かりやすく驚きに満ちた。
「どうしてそんなことまで! わたしのことをストーキングでもしていたのですか!?」
「いや。ブレーザーが流れてる噂を調査して出処を突き止めたんだ。きみは役に立たないとか言ってたけれど、あいつもだいぶ凄いやつだよ」
「え……そうだったのですか……」
”暗殺者が姫様を探している”という噂。
最初はリルの方が姫様なのかと思っていた。リルが貴族の娘と言われても驚かない。
けれど、ザーラ・サルタナオウルの存在や暗殺教団の情報を踏まえて考えると、それは逆転する。リルの方が暗殺者で、ザーラが姫様だ。
……僕たちと戦ったフードの”暗殺者”もといザーラの戦闘スタイルが、暗殺者のものじゃない、と言われた時に気づくべきだったかもしれない。
思い返してみれば、リルには確かに暗殺者と結びつきそうな点がある。
例えば生死観だとか……あと、投げナイフの投擲だ。
サイクロプス相手の大詰めでリルがとっさにナイフを投擲したとき、そのフォームが素人ではなかった上に、一発で足首に命中させていた。
ポーションの”投擲”の専門家として言わせてもらえば、投げナイフは難易度が高い。
命中した瞬間に刃先が突き刺さる角度でなければ意味がないのだから。
偶然とは思えない。投げ込んだ経験があるのだ。
もっと早くに気づくべきだった。
「きみが情報屋へ聞きに行ったのは、ザーラ・サルタナオウルについての情報だろう?」
聞きに行った相手がよく酔っ払って情報を漏らす〈最高の情報屋〉だったから、”暗殺者が姫様を探してる”っていう方の噂が漏れた、と。
最悪の情報屋だよなあ。そんなんだから素人を相手に情報商売してるんだろうけど。
「ザーラがやっていた聞き込みに気づいたんだよね。きっと噂を聞いたんだろう」
フードの人影が、紫がかった髪色でリルぐらいの身長の娘を探している、という噂。
このいかにも暗殺者っぽい人物の正体が、フードを被ったザーラだ。
リルはそれに気づいていたし、たぶん邸宅の場所もどこかで知ったのだろう。
ザーラ宅の近くで僕とばったり出くわしたときは、下調べの最中だったに違いない。
「そんな形で噂が立つような探し方をしてるのは、人脈も金もなくて国のバックアップを受けてない証拠だよ。もっとスマートな探し方がある。例えば、優秀な情報屋を使うとか……迷宮ギルドの要注意人物名簿を入手するとか」
「え? 要注意人物? わたしが?」
「最近は登録のとき嘘発見器みたいなやつ使うんだって。偽名はバレる」
「そ、そうだったのですか……」
リルの反応からして、やっぱり偽名を使ってたようだ。
そうだと思った。本名は使わないだろう。
「……ええ。わたしの本名はラーレ・サルタナオウルなのです。ラーレ、というのは花の名前で……花言葉は”真実の愛”。あの魔女の名付けです。まったく笑えるのですよ」
真実の愛。……さすがに怒りがこみ上げる。
ただ揉め事を起こす火種だけのために作った子供にそんな名付けをするのか。
争いを巻き起こして楽しむ邪悪な魔女。たしかに間違いなく邪悪だ。
「それに。遠路はるばる迷宮都市まで逃げてきたというのに、あれの血を引く人間が殺しにかかってくるのですから。まして、わたしの命を助けてくれた恩人……わたしに戦い方を教えてくれている師匠にまで……手を出したというのですから」
ふふっ、とリルが笑った。
暗い笑みだった。今までに見たことのない奥底の素顔が、わずかに見えている。
「笑えるのです。親ばかりか娘まで。わたしの人生を滅茶苦茶にしようとしてくる」
「でも、ザーラが僕に手を出したとは限らない。本当に偶然かもしれないし」
偶然なわけがない。強引すぎる。僕をどうにか友人にするためのプランだろう。
……だとするなら、あまりにも下手すぎるのが気にかかるけれど……。
「いいのですよ。気休めは。わたしは覚悟しているのですから。楽な人生を送るために、迷宮都市に来たわけではないのですよ……苦難を乗り越えるためにこそ。自らの力で、大変なことを成し遂げるためにこそ。わたしは迷宮都市に来たのですから」
リルは腰から真剣を抜いた。これもまた打たれたばかりの剣だ。
一目見るだけで熟練の職人が打ったと分かるような美しい曲線を描いている。
マイザの剣。材料の差を除けば、僕の使っている剣と同じぐらいの業物だ。
月明かりが剣身に映し出すリルの顔は、やはり不思議なくらいに凪いでいた。
見覚えがあった。
それは幻の中で見た、子供のときの僕と似ていた。
一線を踏み越えて、辛いことすら感じられなくなったような。
「リル。いいんだ。そこまで無理しなくてもいい」
僕はリルの小さな身体を抱きしめた。
鎧の硬い感触だ。構わない。少しでも暖かさが伝わってくれればいい。
「ごめん。気づくのが遅すぎた。ずっと早くに、君の苦しみに気づくべきだった」
まだ子供じゃないか。なにが”鋼の精神”だ。
そこまで精神の強い人間なんているものか。
子供の時の僕と同じだ。追い詰められて無理をしているだけだ。
いや……きっと、僕よりも傷は深いんだろう。
「クオウさん?」
「君までそういう道を歩く必要はない。僕に任せて。きっと和解の道があるはずだ」
彼女が身じろぎする。両腕の中にある身体は、鎧に覆われてなおか弱く感じられた。
「そんなこと……言わないでほしいのです」
一筋だけ垂れた涙を、震える指先が拭った。
彼女は弱々しく僕を突き飛ばす。
「戦わなければ。わたしは戦わなければいけないのです。クオウさんなら……分かってくれますよね。何かの形で決着をつけなければ、わたしの心にはもやもやがずっと残ってしまうのです。そんなのは……辛すぎるのです」
「ああ」
僕は頷いた。
「分かる」
分かるわけがない。僕らは似ていても、違う。
似てるから分かるなんてのは傲慢だ。
それでも、分かる、と言うんだ。
そうして、自分にできる形で他人の重荷を少しでも背負ってやるんだ。
それが仲間っていうものだ。皆がそれを教えてくれた。
「……良かった……」
「リル。どうしても殺し合いに挑むなら、せめて僕に立会人を任せてくれないか」
……たとえ嫌われようと、そのあと一生口を聞いてもらえなくなろうと。
リルが負けそうになったら、僕は介入する。絶対に殺させない。
これで彼女が死んでしまったら、あまりにも救いがないじゃないか。
リルにとっても。……僕にとっても。
「はい。構わないのですよ。その代わり、わたしもクオウさんの決闘に立ち会わせてもらうのです」
リルが泣きながら笑った。
「わたしたちは仲間なのですから。違いますか?」
「ああ……まったくその通りだよ」
僕らはずっと、壁にもたれかかったまま座り込んでいた。
何をするでもなく、まったく無言のまま。
これで良かったんだろうか?
〈ミストチェイサー〉の距離を置いた仕事っぽい付き合い方とはまるで違う。
それに、カエイと僕の間にあった関係とも違う。
僕とリルはそれぞれの事情を抱えた他人で、けれど仲間だ。
仲間。今までは薄っぺらだったその言葉に、重みが乗ったような気がする。
リルだけじゃない。
ブレーザーもフェイナもマイザも、今なら重みを伴った言葉で仲間と呼べる。
誰が欠けても、このパーティは成立しないだろう。
……僕の決闘は、ひとまず脇に置くとしよう。
最悪、僕は負けたっていいんだ。何だかそういうふうに思えた。
明日からはひとまず、リルのために全力を尽くす。




