過去と過去〈14〉
どこに行っても、リルの姿は見当たらなかった。
前に泊まっていた宿も、迷宮ギルドにも、転移門の周辺にも。
彼女を助けた後に行った小さな喫茶店にも。
彼女が行きそうな場所で聞き込みをしたが、姿を見た人間は一人もいない。
痕跡ひとつ残さず世界から消えてしまったかのようだ。
太陽が傾き、空が茜色に染まる。
乱雑に積み重ねられた迷宮都市の建物群が生み出す長い影で、あたりは暗い。
壁から吊られた魔力灯の青白い光が、夕焼けと対照的な色に道を染めている。
行き交う人々を眺め、リルの姿を探した。
たくさんの人間と少ない亜人や魔人、たまに混ざる完全な人外の種族。
少女はそのどこにも紛れていない。
ぐう、と雑踏の物音にも負けないぐらいに腹が鳴った。
さすがに腹が減った。どこかの屋台で、動くための栄養を補給しよう。
……と歩きはじめた直後、僕は通行人にぶつかった。
「ああっ!?」
ジャンクフードが地面に落ちた。ケチャップの跡が、白と赤の服にべったり残る。
「な、な、なんてことをしてくれたんですの!? わたくしのドチャクチャ高い服にケチャップの跡が! あなたみたいなメチャ庶民にはご存じないかもしれませんけどね、クッソお高い服なのですわよ! なんてことを! メッチャ許せませんわ!」
なんだこいつ。
……フリルだらけの装飾過多な、けど確かに高そうなドレスだ。
ケチャップの染みを抜くのも一苦労だろうな。
「ごめん。考え事をしてた」
「弁償ものですわよ!? ……でも、貧乏人にお金を請求するほど落ちぶれてはいませんから! 手もみ洗い代行で手を打ってやらないこともありませんわ!?」
黒髪で縦ロールの若い女が、口角から泡を飛ばして叫んでいる。
見た目だけならお嬢様だ。
「……えっと、それは申し訳ないんだけど……メイドにやらせたほうがいいんじゃ」
「ななななにを!? もちろんメイドぐらいおりますわよ! 数千人ぐらい! このわたくしがメイドも雇えない貧乏貴族みたいなお下劣発言はやめてくださるかしら!?」
う、うん……。迷宮都市の名産は変人だものな……。
こんなヤツに関わってる時間ないんだけど今。
「このわたくしをテュラク帝国の皇女たるザーラ・サルタナオウルと知ってのファッキン狼藉なのかしら!?」
「えっ!? 流石に皇籍の詐称はまずいんじゃ……」
「さささ詐称!? もう我慢なりませんわ! 連行!」
ガシッと腕を捕まれる。お嬢様然とした見た目と裏腹に、かなりの力だ。
そのまま相当な速度で人混みを走っていく。
僕の走る速度では追いつけなくなって、無理やり引きずられてるような形になった。
「ちょ、ちょっと! 手が! 手が折れるって!」
「ああっと、少し急ぎすぎましたわね! 怪我はないかしら!?」
「そこに気が向くんならもっと他の方向でも遠慮を見せて欲しいよ!?」
かなり無茶な速度で街の西側から魔石柱の周囲を大きく囲む環状の道路へ。
左へ曲がり、ぐるっと回って北東の区画へ。
北東……といえば、各国の大使館や貴族の住宅や迷宮ギルドの行政部門、それに大銀行の本店だとか大商会の本部や証券取引所なんかのある政治と経済の区画だ。
……ま、まさか……本当にマジで帝国の皇女だったりしないよな?
アレ? 僕さっきすごい致命的な失敗をやらかしたのか?
「い、今さ! 僕ちょっと大変な事情があって! 人を探してて!」
「なら後でわたくし自らクッソ全力でお手伝いしてやりますわよ!」
「いや別に手伝ってもらう必要はないんだけど……!」
「遠慮しなくてもいいんですのよ!?」
「君はもう少し遠慮してくれ!」
巨大で威厳のある建物の間を、引きずられて通り抜ける。
曲がり角でぶん回されながら、何とか怪我だけは防ごうと必死に耐えた。
「着きましたわよ!」
「ハアッ、ハア……い、息切れ一つしてないのかよ……」
息を整えて、中庭から邸宅を見上げる。
二階建ての巨大な建物だ。
ぎゅうぎゅう詰めの迷宮都市内でこれだけのサイズを専有できるのは、大金持ちか大貴族ぐらいのものだから……。マジか。え、僕、殺されない? 大丈夫?
「ボケッとしてんじゃありませんわ! ひとまずコーヒーの一杯でもいかが!?」
「いや、僕としてはそのドレスを洗うだけ洗って帰りたいなあと……」
無駄に巨大なエントランスの扉を開いたザーラが、僕を呼んでいる。
中に入ってみると、はっきり違和感があった。
人の気配がまったくない。それに、どこも埃に覆われている。
振り返ってみると、中庭のあちこちにも雑草が生い茂っているのが見えた。
「ド汚くて悪かったですわね!」
「いや何も言ってないけど」
「ならいいのですわ!」
豪華なくせに汚い邸宅を通り抜けて、裏庭にある小さなスペースへ。
「うわ」
目隠し用の壁で覆われた洗濯用の空間に、高級なドレスが積み重なっている。
異様な光景だ。
彼女はケチャップのついたドレスを脱ぎ、その上に重ねた。
その下に着ている服だけでもだいぶ厚着だ。
「何が”うわ”ですの!? 平民というのはこう、服を洗濯するのでしょう!? わたくしは……クソ古い公邸に放置されてたドレスを一回着ただけで捨てるのはどうかと思える予算感覚に優れた令嬢なのですわ!」
一回着たら捨てる系の貴族文化か。
確かにこれ、洗ったら装飾がダメになりそうなドレスだけど……。
「メイド雇ったら?」
「予算がありませんのよ! 本国には腐るほどメイドがうじゃうじゃしていたというのに! ”食後のバナナの皮を剥く係”とか! 一日一分で仕事終了ってナメてますわ!」
なのに、こっちでメイド一人雇う予算も無いってどういうことだよ……。
……こいつアレか? 邪魔だから追放されてきたとか、そういうアレなのか?
「メイド雇えるぐらいのお金なら貸せるよ」
「えっ!? そ、そういう話をされると困りますわ!」
「困るって?」
「その……めっちゃ短期滞在なのですわ! 仕事にケリをつけたらすぐ戻る気なのですわ! それに、目立つなっていう命令もありますのよ!」
「平民にぶつかって怒鳴って連行しといて今更目立つもなにも」
「それはいいんですの!」
ほんとかよ……。
「だいたい、わたくしお金を持ってないわけじゃありませんのよ!? ちゃんと迷宮に潜って自ら稼ぎましたもの!」
「ならメイド雇えばいいんじゃ」
「そういうファッキンクソ命令なのですわ! ド理解いただけるかしら!?」
「う、うん、ド理解した……」
「とにかく洗濯するのよ! それでわたくしへの侮辱も洗い流してさしあげますわ!」
仕方ないな……。軽く周囲を見回す。
金属タライと洗濯板、という昔ながらの洗濯道具があるだけだ。
そんなはずはない。この邸宅が出来たのは迷宮がそれなりに盛り上がった後のはず。
ドレスを持ち上げてみると、下に魔法の洗剤が入った容器があった。
そうそう、これこれ。貴族の邸宅なら絶対にあると思ったよ。
輝く洗剤をタライに入れて水で薄め、ケチャップ汚れのあるドレスを浸す。
一瞬のうちに汚れが浮かび上がり、新品同様の状態に戻った。
しかもドレスに染み込んだ洗濯水が一瞬のうちに下へ落ちて乾いていく。
何でも、すでに失われた古代の魔法帝国時代の魔法技術による洗剤……だそうで。
市街地タイプの迷宮なんかからけっこう拾えるらしい。
「え!? もう終わりですの!? クソ早すぎますわよ!?」
「まさに魔法だよねえ」
彼女が洗ったばかりのドレスに袖を通し、わずかに顔をほころばせた。
せっかくだから残りのドレスも同じように洗ってやる。
これでよし。さあ、リルの捜索に戻るとしよう。
「手順は分かったろうし、これで洗濯の問題はなくなったね。じゃあ、僕は帰るよ」
「お、お待ちなさいな! ほら、せっかくだし、お菓子でもどうかしら!?」
「……?」
まだ引き止めるのか? 用事は終わったはずなのに。
「悪いけど、今は忙しいんだ」
さっき案内された道を逆に辿って、邸宅の中から玄関へと向かう。
「待つのですわッ!」
叫び声がこだまする。
振り返ると、広いエントランスホールにぽつんと彼女が立っていた。
「まだ何か?」
「は……は……」
「?」
「話し相手がめっちゃ欲しいのだわッ! わたくしの話を聞いてっ!」
赤面し、袖を握りしめて視線を逸らしながら、彼女が言った。
ど、どうする……? リルを探さなきゃいけないけれど……。
こいつを放っておくのも気が引けるような……。
「ここまで言わせたのだから返事ぐらいしたらいかが!? もういいですわ! 連行!」
「あっ、ちょっ、分かったから引きずるのはやめろ!」
……そういうわけで、僕は応接間らしき場所に無理やり連れて行かれた。




