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過去と過去〈11〉


「準備はいい?」


 フェイナが長い注射針の先端を指で弾く。

 ガラスの中に見える赤黒い液体はあからさまに毒々しい。


「大抵の場合、薬剤への反応は初回が一番激しくなる。多少の耐性が出来るまでは、とにかく意識をしっかり保つことだけ考えてねー!」

「ぞっとしない……」


 彼女はちらちらと横の薬品棚へ視線を向けている。

 投与場所にフェイナの工房を選んだのは、緊急時の対処がしやすいからか。

 恐怖を抑え込み、腕をまくる。やるしかない。

 僕がカエイぐらいの一流冒険者と戦うなんて、まっとうな手段だけじゃ無理なんだ。


「そっちじゃない。シャツを胸まで上げて」

「え? こう?」


 言われた通りに胸を露出させる。


「うわー筋肉質じゃん!」

「……そりゃ、鍛えてるし。まさか見たかっただけって言わないよね」

「そうだよ!」

「お前さあ……!」


 ぐさり、と何かの刺さる感触があった。

 心臓の位置に深々と注射針が刺さっている。


「ごめんねー。下手に緊張されるより、不意打ちが一番かなってー。てへっ」

「……マジでいつか復讐してやるからな……ぐっ!」


 薬剤が体に入った瞬間、僕は地獄に叩き込まれた。

 マグマだ。灼熱のマグマが心臓を燃やし、血管を灼きながら体に巡っていく。

 僕の皮膚の内側が焼けただれる。

 痛みに身が竦んだ。身じろぎのたびに痛覚が爆発する。


「うう……うああああっ!」

「暴れない」


 抑えられない。動くと痛みが来るのが分かっていても。

 体が勝手に苦痛から逃れようとして暴れ出す。あらゆる刺激が増幅して神経を刺す。

 視界がぼやけ明滅し、鼻から硫黄と鉄の臭いがしたかと思えば、耳が遠くからの悲鳴を聞く。

 一瞬、自分がどこに居るのか分からなくなった。

 不定形の化け物が僕を囲んでいる。

 巨大な口が開く。舌から無数の蕾が生えている。

 その蕾が一斉に血管を吐き出した。脈打つ血管が僕に取り付く。

 脈動のたびに苦痛が送り込まれてくる。血管の数は増え続ける。

 皮膚を突き破って茨が現れる。

 遠くから聞こえてくる悲鳴が重なり合う。

 その一つ一つは歪んだ僕自身の悲鳴だ。嫌だ。こんな死に方は嫌だ。

 違う。幻覚と幻聴だ! これは幻だ。

 〈幻痛〉でも似たような経験をした! 知っている。僕は原理を知っている。

 これは魔法的な刺激を脳が処理しきれずに変なものを見せているだけだ。

 怖くなんかない。こんな景色は嘘だ。意識を保て。

 耐えろ。耐えるんだ。僕はずっと耐えてきた。この程度の幻が何だ。

 自らの胃酸で胃が焼けるほどの空腹がもたらす痛みを忘れたか。

 厳冬のあばら小屋で、動くことすらできずに死を待つ気分を忘れたか。

 それでも僕は耐えたじゃないか。

 ただ英雄的な冒険者になるという夢だけを力にして、耐えたじゃないか。

 その夢がまったくの幻であると分かっても……僕は、まだ……。


「……反応が……に……敏な体質……」


 遠くから女の声が聞こえてくる。目前にある化け物を針が撃ち抜いた。

 僕に取り付いた無数の血管が萎み、体から外れていく。

 悪夢的な光景が遠ざかる。

 苦痛と共に、僕の意識までが薄まって無に溶けこんでいくような気がした。

 視界が暗闇のトンネルに入る。はるかな遠方に白い雪の輝きが見えた。

 悪夢だ。僕が〈幻痛〉のたびに見てきた景色だ。

 ……薄れていく意識と裏腹に、視界へと映る悪夢はむしろ鮮明さを増した。



- - -



「甘えるな。やるしかねえよ」

「やだ」


 僕は言った。そして同時に、首を振る幼い僕自身の姿を見た。

 まだ背が高く見えた頃のカエイが、僕の首根っこを掴む。

 あばら小屋の隙間から、雪を孕んだ風が入る。冷気が身を切る。


「殺したくない」

「あの大人たちは、オレたちの食糧を奪っていったんだぞ!」 

「やだ……だって……」


 僕の憧れた英雄は、人間を殺して食糧を奪ったりしない。

 声にはならない。その元気もないからだ。

 幼い僕が助けを求めて視線を彷徨わせる。

 その様子を僕は横から見ている。なのに、彼の空腹が伝わってくる。

 ……過去だ。幻だ……分かっているのに、僕の意識が過去へ溶けていく。


「クオウ! 言ってただろ……冒険者になりたいって! 英雄になりたいって! この冬を生き残らなきゃ、その夢は叶わないだろ! オレたちの未来のためだ!」

「……いやだ!」

「ああもう、なんだよ! なんでだよ! オレは……お前のために頑張ってるんだぞ! なのに、何でお前が諦めるんだよ……」


 幼いカエイは赤いナイフを腹立たしげに振り回す。

 そこからは殺した人間の血と、これから殺す人間の血が流れている。

 一度や二度刺した程度で人間は倒れなかった。何回もだ。

 たくさん。全身の力を使って。


「……もういい。選べ。オレと一緒にやつらを殺しに行くか……」


 カエイは僕にナイフを突きつける。幻視した血は消えている。


「あるいは、お前が死んでオレに……く、食われ……く、食ってやる! 来ないなら、殺して……お、お前を殺すぐらい……簡単なんだぞ……!」


 握ったナイフはひどく震えていて、雪にすら刺さりそうにない。


「それでいいよ」

「……ああああ! どうしてだよ! くそっ! だめだ!」


 彼女はナイフの矛先を逆に向ける。


「クオウが来ないなら……なら、冬を越す食糧は……オレが! オレが死んで、お前に……! やるぞ! 本当に……!」


 自らの胸にナイフを突き立てようとして、先端が滑り、木床に落ちる。

 それでも、わずかに血が付いていた。その血を見て僕はカエイが本気だと分かった。

 英雄になりたがっていた僕よりも、彼女ははるかに生まれついて英雄的だった。

 自分の身を誰かに捧げる勇気のある、そういう人間だった。


「わかった……! わかったから……やめて!」


 僕はナイフを拾い上げた。

 運動したわけでもないのに、僕たちは二人とも肩で息をしていて。

 頬を伝う涙が、ナイフから滴る血と混ざった。


 気づいた時には死体があった。

 原型を留めない腹部。まだ突き刺す。

 怖かった。今にも起き上がってきて、僕たちを投げ飛ばしてしまいそうだった。


「だめだ」


 食料庫から食べ物を集めてきたカエイが、僕の右手を止める。


「……動物も人間も同じように解体できるだろ……ほら……肉が」

「あ……ああ」

「分かるけどさ……分かるよ……オレもおんなじような事したもんな」


(……! 戻……!)


 遠くで誰かの声がした。


「とりあえず、ソリに乗せてさ……帰ろう」

「……うん」


 二人で力を合わせても、重いものは重い。

 荷物用のソリに引っ張り上げるだけでも一苦労だ。


 僕らは小屋に戻り、一通りの処理をしてから逃げる準備をした。

 ここに僕らが住んでることはみんなが知っている。留まるわけにはいかない。

 食料をズタ袋に詰め込み、袋を閉じる。


「……いいのか?」


 カエイがぼろぼろの本を拾いあげる。

 夢幻迷宮奇譚。英雄アレックス物語。迷宮無職の下剋上。

 どれも、迷宮都市で繰り広げられる英雄たちの物語だ。


「いい。身軽なほうが逃げやすい」

「……いや。だめだ。お前はこれを持っていけ」

「どうして?」

「夢なんだろ」


 カエイは言った。


「捨てるなよ。オレたちは、その夢のために生き残るんだ」

「……でも、本は重いよ」

「いいから持ってけ! そこにお前の夢があるんだろ!」

「僕の、夢」


 何度も何度も読み返したぼろぼろの本を、まとめて抱える。


「うん」


 そうだ。僕は迷宮都市に行って、英雄になるんだ。


「それでいい。行くぞ!」


 僕たちは小屋を後にした。

 普段の狩りで見つけた隠れ場所に向けて、進む。

 痕跡を残さないように……自らの足跡を辿って戻ったり、樹や岩を渡ったり……そういう偽装を施しながら。

 僕は獲物の痕跡を辿るのが得意だった。隠すのも同じように得意だ。

 こういうふうに頭を使って戦うのが得意だ。

 冒険者になったら、僕はきっと弓使いになるんだ。

 それから……すごい勢いで成り上がって、本に出てくるみたいな英雄になるんだ。


 洞窟にたどり着いた僕らは、寝床も準備せずに地面へ倒れ込んだ。

 ものすごく、経験したことがないほど、疲れていた。


「ざまあみろ、だ……オレたちを蹴り出したこと、いまごろ後悔してるかもな」

「そうかな」

「そうだ。一矢報いてやった。満足だ……十分だ」

「困るよ。まだ村から出てもないのに」

「……あはは。生きて外を見てみたいもんだよな」


 重い体を引きずって、なんとか焚き火を起こす。

 火がないと、防寒具があっても凍死しかねない。


「あったかい」

「ああ……」


 炎に両手をかざす。

 乾いた血がこびりついていた。こすっても落ちない。

 困ったな。これじゃしばらく狩りに出られない。風下からでもバレそうだ。

 いくら”食糧”があるとはいえ、まだまだ蓄えなきゃいけないのに……。


 いきなり抑えていた不安が溢れ出して、胸がいっぱいになった。

 焚き火がパチパチはじけて、床に積もった雪が溶けていく。

 できた小さな水たまりをのぞくと、向こう側から僕が見返してきた。

 不思議なくらいに無表情だった。

 まるで、つらいことを感じなくなる一線があるみたいに。

 大きすぎる音を聞いた耳と同じなんだ。

 破れてしまうんだ。


「なあ。オレたちどうなっちゃうんだろ」

「大丈夫だよ」


 僕は言った。

 大丈夫なんかじゃないけど、大丈夫だと言うんだ。

 そうやっていないと、僕たちは足を滑らせて、どこまでも落ちていってしまうから。


(……ー! 駄目だ! 幻から戻ってこない! リルちゃん、ダーリンの幻痛がどういう症状か聞いたことある!? トラウマ抱えてる兆候とかは!?)

(えっと……いえ……)

(何にしろ麻酔の選択を間違えたあたしのミスだ……! 強引に起こす!)


 パチン、と指を鳴らすような音がした。

 変な女の子が立っている。僕たちよりも大きい。


「なんだ!?」

「敵!?」


 僕たちは狩猟用の弓矢を構えた。


「安心して。あたしは味方だから」


 彼女は静かに腕を動かし、焚き火を指差した。


「焚き火の音って、安心できると思わない? 炎の近くにいると、何もかも怖いものを払ってくれるような気がするよね」

「……」


 パチッ、と焚き火がはぜて火の粉が飛んだ。

 彼女はそこへ腰を降ろし、両手を炎に当てている。


「あたしもあるよ。色んな人に狙われて、洞窟で寝泊まりしたこと」

「……?」

「魔女狩り。聞いたことあるよね? 適当な人間を魔女認定して殺してた時代のこと」


 からり、と焚き火の木が崩れて乾いた音を立てる。


「あたしも大変だったよ。どこにいっても何故か魔女認定されてね……。だから、きみの気持ちは分かると思う。すべてを敵に回して震えてる気持ち」


 彼女は僕の手を包んだ。


「少年。おまじないを教えてあげる」

「おまじない?」

「困ったときは、自分のいちばん信頼しているものを想像するんだよ。何でもいい。これだけは絶対に信頼できるっていうものを」


 僕は〈アイテムボックス〉を開いた。

 中を探しても、何一つとして物がない。


「中を探したってしょうがない。目の前にもうあるんだから」


 〈アイテムボックス〉。空間の裂け目が虚空に浮かぶ。


「〈アイテムボックス〉なんて呼び方だけど、それは空間を操る大変な魔術だよ。刻んだ〈クラス〉の力があっても、きちんと使いこなすのは難しい」

「いや……僕よりもポーターの才能がある人間は沢山いる」

「だとしても、今の領域に至ったのは努力の結果だから。もっと誇っていいと思うな」


 そうだろうか?

 そうかもしれない。


「しかし……子供に言い聞かせるような口調だね」

「だって、さっきまで子供だったじゃん」

「お前の薬が変なキマりかたしたせいだと思うんだけど。反省して」

「はーい。反省してまーす」

「お前さあ……」


 焚き火の横に幼い僕がうずくまっているのを、横から眺める。

 気づけばすっかり視点が高い。

 ……大丈夫だ。僕は大丈夫。

 悪夢を見るのは初めてじゃない。

 過去を振り切れたとは言い切れないけれど……そんなことは無理だけど。

 それでも決着を付けようとしてる最中なんだ。


 僕はカエイを見た。当時は頼れる姉のような存在だった。

 けれど今こうして見れば、ただの幼い子どもだ。

 大変だっただろう。


 ……僕を追放したことを責めようとは思わない。

 大人の世界で深い情が踏みにじられるなんて珍しくもない。

 互いに成長して、周囲の事情も内面も変化したんだ。仕方のないことだ。

 それでも、はいそうですか、と流せるほど、僕は優しくないぞ。

 しつこさには自信がある。決闘でボコボコにして証明してやるんだ。

 僕にはまだ可能性があるってことを。強くなれるってことを。

 ……いつまでも、お前の影に隠れた無力な男じゃないってことを。


「あ、そうだ! 催眠術やっていい? ね? だんだんあたしを好きになーる?」

「ちょっと殴っていい?」


 夢ならいいだろ。フェイナの肩に殴りかかる。

 ……右手を前に突き出した格好で、僕はソファから上半身を起こしていた。


「くそ……殴れなかった……」

「男女二人が夢の世界で肉弾戦なんて、やだ、ダーリンったら過激……」


 放った手のひらがフェイナの顔にクリーンヒットした。

 スカッとした。


「おふっ」

「ざまあみろ、なのです」


 僕のそばに控えたリルが冷たい視線を向けている。


「……ま、ありがとうね、フェイナ。僕からの”お礼”ってことで」

「し、しっかり受け取ったよ……両方とも、ね」


 顔をしかめながら、彼女は親指を上げた。


「さて。何時間経った? 〈クラスブースター〉はまた明日として、訓練を再開したい」

「ま、まだ動く……? まだお昼時だから、昼飯のあとで再開できるけど……」

「また明日? 明日にまた薬を試す気なのですか? あまり正気の判断では」

「やるしかないんだ。実力の不足分を少しでも補わないと」


 ふらつきながら立ち上がる。血が巡り、体が動くようになってきた。


「続けよう」


 何故だろう。かえって身体が軽くなったような気さえする。

 

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