過去と過去〈7〉
まず目に入ってきたものは、遠くまで一直線に連なる虹色のアーチだった。
半円状に切り取られた空間の外側は薄暗く、日が暮れたばかりの空に似て青い。
見上げれば、かすかに明るい海面が揺れている。
僕たちのすぐそばをカラフルな魚群が泳いでいった。たしかに海底だ。
「……敵の姿はありませんね」
「そうみたいだね」
ここから見える限り、アーチの作るトンネルの中には何もいない。
あと可能性があるとすれば、海中から何かが飛び出してくることだろうか?
アイテムボックスから剣を取り、”壁面”へ突き立ててみる。
柔らかな膜を突き破る感触。
引き抜いた剣の先端は濡れていたが、海水が壁から漏れてくる様子はない。
仕組みを考えても無駄だろう。とにかくそういう迷宮なんだ。
「そういうものだ、としか言えないこの感じ……迷宮っぽい迷宮だなあ」
「とにかく進むのです。クオウさん、後ろに」
盾を構えたリルが警戒しながら進んでいく。
海底らしく足元には柔らかな砂が堆積していたが、歩くのに支障はない。
危険度F……というか、もう一段階下がって最低ランクのGなのでは?
「これ、通路は本当に宝に繋がっているのですか?」
「たぶん……」
何もなさすぎて、だんだんと警戒が緩んできた。
ふいにリルが立ち止まって、海の中を見つめる。
珊瑚礁の隙間にウツボか何かが隠れ、じっとこちらを伺っていた。
……魔物じゃないかと警戒したが、特に襲ってくる様子はない。
「クオウさんは、海を泳いだことってあるのですか?」
しばらく歩いたころ、リルが尋ねてきた。
「あんまり」
「……なんだか、泳いで遊ぶ人には見えないですしね。わたしも海に行ったことは一回もないのです。いや、迷宮都市に来るとき船には乗ったのですけど……」
関係ない話をしていても、最低限の警戒は切らしていない。
それらしくなってきている。最初のコケまくってた頃とは大違いだ。
僕が冒険者になった直後なんか、数ヶ月経ってもひどいもんだったのになあ。
この成長速度の差がたぶん才能の差なんだろう。
ま、今更だな。
「その船便、冒険者資格の受験とパッケージになってて。迷宮都市に付くまでの間にみっちり講座が入ってて、着く間際に船上で試験まで済ませる鬼スケジュールで……海なんか見てる余裕がなかったのです……楽しみだったのに」
「へえ? ギルドも面白いこと考えるもんだね」
それで常識知らずなくせに冒険者試験は合格できたんだな。
で、ウキウキで街に降りたとたん悪人に狙われて売り飛ばされかけた、と。
「……わたし。冒険者になってからの短い時間で、それまでのずっとを合わせたよりも色々なものを見てるような気がするのです」
指先を海へ突き出し、わずかな泡の航跡を引きながら、リルが言った。
小魚が寄ってきて、その指先を一突きした。
彼女がわずかに頬を緩める。
「その……ありがとうございました」
「別れの挨拶みたいに聞こえる」
「え? あ、いや、そういうつもりは無いのですけど」
「強いのか。君を狙ってるやつは」
彼女は首を傾げた。よく知らないらしい。
「少なくとも、幼いころから剣を叩き込まれているのは確かなのです。わたしよりは強いと見て間違いはないかと」
「なるほど」
「ヤータルガナ流、と言ってピンと来ますか?」
「いや……単語の響きからすると、砂漠の方かな……?」
「ええと、テュラク帝国の南は砂漠なので、当たらずとも遠からずなのですが……わたしの国には旋剣祈祷という儀式があるのです。ぐるぐる回る剣舞で世界の移り変わりや天体の運行を表現して神様に捧げるものなのですが、これを実戦に応用した人が居まして」
「それがヤータルガナさん、とか?」
「はい。そういう剣を極めた相手なのです」
回転ベースの剣術なのか?
槍なんかで得物を回すやつはよくあるけど、自分が回るのは珍しいな。
隙だらけに思えるけど……どうにかして実戦的な剣術に仕上げたんだろうな。
「回ったり跳んだり派手な戦い方をする剣術なの?」
「はい」
「なら、リルの戦い方は相性がいいんじゃないかな。防御を固めた上で、タイミングを見て捨て身で回転の内側に飛び込めばいい。リスキーだけど……リルは怖がらないだろ」
「回転の内側へ飛び込む。なるほど」
「むしろきみの場合、チャンスでもないのに飛び込んで死ぬほうが心配だ」
リルは死ぬことに対する恐怖がなさすぎる。
死んでも死なない迷宮に潜る冒険者としてはこの上なく最高の性質だけれど。
「きみが死んだら、僕はものすごく悲しむだろう。そのことを覚えておいてほしい」
「分かっているのです」
伝わったんだか伝わってないんだかわからない、あっさりとした返事だ。
「ん? 海の向こうに何か見えませんか」
すぐに話題を変えられた。
本当に伝わったんだろうな?
「あれ……この通路と同じ虹色のアーチなのです! 他にも同じ通路が!」
「なんだって?」
目を凝らすと、確かに海底を這う虹の列がある。
その通路との間隔は、進むにつれてだんだんと狭まっていく。
……嫌な予感がする。反対側へ駆け寄って見てみれば、やはりそちらにも通路が。
「この迷宮、先の一点で合流する作りになってる……!」
「なんだか恣意を感じるのです。製作者が人間同士を戦わせたがってるような」
「確かに」
僕たちは警戒のレベルを引き上げた。
薄暗い海の向こうに巨大なドームの影が見えてくる。
自然豊富な珊瑚礁の真っ只中に白色の半球が鎮座する光景はなかなかに異様だ。
「ま、好都合だね。僕らはちょうど人間との戦闘経験を積みたいところだし」
もう一度だけ〈アイテムボックス〉からの居合を素振りする。
どのぐらい通用するだろうか。実戦で試したい。
「今回は小細工なしでいこう。手当たり次第に攻撃して腕を試す。……僕は自分のやりたいことに集中するから、リルも一人で戦ってくれ」
「望むところなのです」
ドームの入り口は金属の扉で塞がれていて、中の様子は伺えない。
近づくと扉はひとりでに開いた。
十メートルもない短い通路の向こうにもう一枚の金属扉がある。
中に足を踏み入れた瞬間、背後の扉は閉じた。
頭上で魔法陣が輝いて通路の中を魔力で満たす。
「罠か!?」
とっさにアイテムボックスを開き解毒薬を掴む。が、むしろ逆だ。
爽やかな感覚と共に、何となく体の疲れが取れていく。
「……回復して戦いに備えろって? 親切な迷宮だね」
「クオウさん、あれ何語なのかわかります?」
リルが壁のプレートを指差した。
魔法陣のように入り組んだ文字で何かが書かれている。
「たぶん古代語だ。よく見るよ。読めないけど」
前方の扉が開く。
同時に毒々しい煙を吹く魔石が投げ込まれてきた。扉の前で待ち伏せられたか。
口を手で塞ぎながら魔石を蹴り飛ばす。
「返すよ!」
「チッ! 出口を狙え!」
声は聞こえたが、中から敵の姿は見えない。
扉の左右で待ち構えているんだろう。
……ドームの内部はかなり広く、数組のパーティが戦っているのが見える。
本当なら、部屋の中で耐えて状況の変化を待つべきだろうけど……。
今回は腕試しが目的だ。ちょっと無茶をしてみよう。
助走をつけて全力疾走で飛び出す。
待ち伏せしている冒険者が攻撃してくるだろう瞬間に合わせ、僕は思い切り跳んだ。
空中で身を縮めて回転する僕のそばを矢が掠めていく。
回る視界の中で、ものすごい速度で矢をつがえる射手の姿が見えた。
着地するよりも早く飛んできた二本目を、〈アイテムボックス〉を開いて防ぐ。
……中で矢がポーションの瓶に当たって割れた音がした。仕方ない。
着地と同時にすばやく状況を確認する。
出口の左右に張った射手が二人。片方は遅れて飛び出したリルが対処している。
リルに向かう重装備の盾持ちが一人。僕に向かってくる重装備のサーベル使いが一人。
それと、遠くで杖を構えた魔法使いが二人。気づくのが遅れた。
「〈遅滞〉!」
「〈魔矢〉!」
白色に輝く光線を避けようとするが、敏捷性にデバフを受けてわずかに遅れる。
間に合わずに肩を焼かれた。妨害と攻撃の二人組か。単純だが効果的だな。
速度向上ポーションを足元に落とし、効果を打ち消す。
背後から風を切る音がした。半身になってかわした横を矢が通っていく。
「ふんっ!」
息つく暇もない。サーベルの男がまっすぐ斬りかかってくる。
速い。重装備とは思えない人外の速度だ。
だが油断が見えた。僕が武器を持っていないと思って、甘い攻撃を繰り出している。
ここだ。
「……なに?」
金属鎧ごと胴体を真っ二つに切断された男が、困惑した表情を浮かべた。
片手の居合にも関わらず、並の金属などものともしない。あいかわらず良い剣だ。
「ポ、ポーターが……? あ……リ、リター……」
〈リターン〉の詠唱は間に合わず、男は消えて装備だけがその場に落ちた。
ふとアイデアが湧いた。
サーベルを足で跳ね上げ掴み、これもアイテムボックスへ放り込む。
「〈ポーター〉と前衛職のダブルクラスだ! 気をつけろ!」
誰かが叫んだ。間違いだ。けれど訂正してやる義理もない。
「〈絡網〉!」
妨害役の杖が輝き、魔力の光が地面を走る。
横っ飛びしてかわそうとしたが、光は僕を追いかけてきた。
地面から輝く網が咲き、足元に絡みつく。
「〈魔矢〉!」
屈んで光線の下へ潜りつつ、アイテムボックスから剣を抜き網を切断する。
そこで再び絡網〉の魔法が飛んできた。厄介な。
再び捕まれば、流石に回避はできないだろう。僕は剣に魔力を注いだ。
魔剣にこそならなかったが、これは魔力を通す高級素材で作られている。
「よっ、と!」
地面から網が咲くより早く、僕は光を斬った。
魔力と魔力が干渉し、魔法が乱され消える。
妨害役の魔法使いが眉をひそめた。
「あれはかなわん。逃げるぞ」
「〈炎壁〉!」
僕たちの間で炎が燃え盛り、視界を遮る。
向こう側で〈リターン〉の青い光が見えた。逃げられたか。
まあ、別に殺すのが目的じゃない。勝ちは勝ちだ。
振り返ると、射手の装備が二セット地面に落ちているのが見えた。
この短時間でリルが二人とも殺したのか。
道理でこっちに矢が飛んでこないわけだ。
「降参したらどうなのですか!」
「何を! そっちが降参しろ! ふんんん!」
「ぐぬぬぬぬ!」
……リルと最後の一人が盾と盾をぶつけて押し合っている。
はるかに体格に勝る相手を前にして一歩も引かない。
どころか筋肉質な男を押し返している。ゴリラか?
せっかくなので、手出しせずに見守ることにした。
リルが一歩、また一歩と前に出ていき、男の姿勢がだんだん崩れていく。
ついにリルが押し切って、男が背中から地面に転がった。
滅茶苦茶だ。〈ナイト〉のクラスがあるったって、相手もたぶん〈ナイト〉だろうに。
「いてて……いや、参った! 最近の子供ってのは恐ろしいな、ホント! なあ、〈迷宮学園〉じゃ何を教えてんだ? 俺も入りたいぐらいだぜ」
盾と武器を投げ捨てて、彼は土を払いながら立ち上がった。
「学園? いえ、わたしはクオウさんから教わってるだけですよ」
「クオウ?」
冒険者が僕を見る。
「へえ? お荷物だって聞いてたけど……意外と、教育役としては一流だったりするのか? にしたって、二人相手に六人がねえ。あーあ」
彼は苦笑いを浮かべた。
「万年Eランクの敵う相手じゃねえや。で、身代金はどうするよ?」
「装備回収と引き換えに三十万イェンでどうだろう。あと、このサーベルは僕が貰う」
「……ま、そんなもんだろうな。あ、証書ねえや。持ってるか?」
「あるよ。ポーターだし」
リルが不思議そうな顔をしていたので、彼女に軽く説明する。
迷宮内で相手が降参した場合、身代金を受け取って帰してやるのがマナーだ。
この身代金は、たいてい帰還後にギルドを通しての取引をする。
で、揉め事を避けるために魔法的な保証つきの証書で”身代金の取引がありました”という合意書を作っておくわけだ。
他のパーティを降参させて身代金で稼ぐスタイルは実入りが良い。
これを専門に狙う冒険者パーティも珍しくない。
まっとうに宝や魔石他のドロップを狙う同業者から嫌われる稼ぎ方だけど。
魔力を込めたり署名したり、そうやって証書を作っている最中も警戒は欠かせない。
むしろ戦闘後、このタイミングが一番危険だ。
巨大なドームの中で戦闘を繰り広げているパーティは他にもいる。
……というか、色々な方向の扉から新しいパーティが次々と入ってくるものだから、段々と規模の大きな乱戦になりはじめている。
「じゃ、お先に。なあクオウさん、機会があったら俺にもなんか教えてくれよ」
「最近は忙しいんだ。数百万ぐらい払ってくれるなら考えるけど」
「無茶言うなよー」
集めてきた仲間の装備とを抱えた男が〈リターン〉の魔法で消えていった。
だいぶ緩いやつだったな。
「しかしさ。このドームは広いけど、この迷宮に転移した全パーティが収まるほど出入り口の数はないよね。ここが終着点とは思えないんだけど……」
「全員倒せば道が開いたりしませんか?」
「……試す価値はあるね」
乱戦めがけて走りだす。




