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過去と過去〈5〉


 〈花溜まり〉の最奥に、二筋目の血痕が作られていく。

 乾いている方がアルギロス・ゲインズの死んだ部下のもの。

 鮮やかな方が、僕の腕から垂れる鮮血だ。

 致命傷ではない。動脈と静脈がまとめて切られたが、骨に傷はない。治る範囲だ。


 僕の技はまったく通用しなかった。

 ありったけのポーションを使って補正を掛けても、居合の剣筋を見ることさえギリギリだった。

 一朝一夕で真似の出来るものではない。

 技を授けても意味がない、というのは本当だった。


 僕はとぼとぼ帰りながら、一瞬の攻防を脳内で繰り返し再生する。

 スプラッシュ・ポーションを投げてバフとデバフを準備し、踏み込む。

 手中で青白く輝く剣を斜めに振りかぶり、間合いちょうどで振り下ろす。

 同時に老人が動く。放たれた鋭い殺気が、僕の身体が真っ二つに切り裂くような錯覚をもたらす。ばちっ、と電気の音がする。

 次の瞬間、老人は剣を振り切っていて、僕の左腕から鮮血が吹き出している。


 そこで止めて、戻す。老人の動き出す瞬間をよく思い出す。

 滑らかに急加速する刃の速度は、明らかに尋常のものではない。

 まるで鞘が剣を加速させているかのような居合だ。

 けれど……そんなはずはない。居合が通常の斬撃より速くなる理屈はない。

 ”鞘の内側に刃を走らせて加速させる”という居合の原理はフィクションだ。

 そんな斬り方をすれば一瞬で鞘がダメになる。

 なのに、鞘から刀が抜き放たれる瞬間たしかに老人の刀は加速している。

 まるで迷宮もの小説に出てくるフィクションの居合術だ。


「待てよ……」


 そういえば。アルギロス・ゲインズの部下を居合で殺したとき。

 老人の片手には湯呑があった。

 そのとき膝で鞘を抑えていたはずだけど、さっきの両手を使った抜刀と速度が変わっていない。ちょっと変だ。

 たしか、居合では剣を抜くと同時に”鞘を引く”はず。

 固定されていれば遅くなる。何かの仕掛けがないかぎり。


「ああ、そうか」


 電気だ。ばちっ、という音がした。

 前になにかの雑誌で電磁気学についての解説記事を読んだとき、”電気を使って弾丸を打ち出す”仕組みの可能性について書かれていた覚えがある。

 コイルガン、だったか。きっとそういう原理で刀を加速しているんだろう。

 それで加速している以上、鞘を手で操っても膝で抑えても加速効果は出る。

 分かってしまえば何の変哲もない小細工だ。

 子供だまし、とすら呼べるほど単純で、けれど実戦的な……。


「……僕も使える」


 いや。


「もっと良い戦法を使える」


 〈アイテムボックス〉の中に仕掛けを仕込めばいい。

 電気でも、電気じゃなくてもいい。剣を加速させられる何かを。

 その仕掛けを使って剣を抜き、振り切って剣を〈アイテムボックス〉に戻す。

 同時に次の剣を抜き、同じように繰り返す。

 これで、無限に”鞘による加速”を利用した居合を繰り出すことができる。

 正確に納刀する必要はあるけれど、上手くやれれば僕の攻撃は数段速くなるはず。


 腕を斬られた甲斐はあったな。掴めた。


「そこのニイサン、クスリ要る?」


 考え事をしていると、怪しげな男が話しかけてきた。売人だろう。


「いや。僕はクリーンだから」

「クスリって医薬品ヨ。そんな血ダラダラしてたら心配よネ。襲われるかも」

「……包帯は?」

「もちろんあるヨ。それだけ?」

「回復ポーションはもう飲んだから」

「そっか、安心だヨ。ちょい待っててネ」


 彼は近くのボロ屋に走っていき、包帯を抱えて飛び出してくる。

 価格も良心的だし、買ったら僕の腕に包帯を巻きはじめた。意外といいヤツだった。


「あのセンセ、おっそろしいよネ」

「え?」

「センセに殺されかけたんでしょ? あのヒト血なまぐさいヨ」

「まあ……」

「ここらで揉め事起こすと、みんなあのヒトに殺されるネ。守られてるの分かるケド、でも違う人がいいヨ……あんたもあんま近づかないほうがいいヨ」


 彼は見るからに”センセ”のことを怖がっている。

 無理もない。僕も、おっかないからあまり近づきたくないと思っていた。

 あの柔らかな物腰の奥には、磨き抜かれた殺人者としての顔が隠れている。

 ……そういう人間だから、〈開都十哲〉だっていうのに街の裏側でひっそりと暮らしているんだろう。

 なんだか……寂しいな。けれど、僕が青春を迷宮に捧げたように、きっと先生の強さも人生を犠牲にして作られたものだ。


「僕もけっこう、あの先生に近い側かもしれないよ」

「……確かに。ニイサンもちょっと怖いネ」


 売人はわざとらしく震えてみせた。


「ま、生き方なんて選べないよネ……分かるヨ」

「まったくだよ」


 もし僕が普通に幸せな人生を送っていたら、きっと迷宮に執着なんかしなかった。

 そうじゃないから、僕はこんな街を歩いている。

 売人の彼も、きっと他の生き方を選ぶ余地なんてなかったんだろう。


「はい終わりネ。せっかくだし〈シェイク〉どう? 上物ヨ、副作用ないヨ」

「少しでも戦いに悪影響が出るかもしれないことはやりたくないんだ。悪いね」

「なら〈レッド〉買うヨ。興奮して化け物みたいに強くなるヨ」


 〈レッド〉か。

 知ってはいる。わりと最近に広まった、赤色の液体タイプのヤバい麻薬だ。

 理性を失うかわりに、一切の恐怖心や痛みを吹き飛ばして力のリミッターを外す。

 違法だが、流通量が多い。最近は特に。

 何なら大通りの店で売ってることすらある。誰でも手に入るような薬だ。

 特に〈バーサーカー〉のクラスに愛用者が多い。


「辞めておくよ」


 手に入りやすい割に、ヤバさは高い。

 依存性が高く、そのうち人格そのものが〈レッド〉服用時のそれに近づいてしまう。

 それらしき冒険者と戦う頻度も高い。

 怒りに我を失った血まみれの冒険者に襲われるのは相当に怖い体験だ。

 ……昔の友人がこれに依存して人格が崩壊していく様を見たこともある。

 まあ、今のパーティならこういう薬と関わる心配はないだろうけど……。


「そ。ま、元気でネ。来てくれたらいつでも売るヨ、お友達価格」

「はは……買わないって。またね」



- - -



 〈落花通り〉を抜け、迷宮都市西側の大通りまで戻ってきた僕は、食事を摂りに酒場へ向かった。

 自分で思っていたより遅い時間になっていて、大通りの飯屋が閉まっていたせいだ。

 分かってれば〈落花通り〉で食事したんだけど。


 適当な店のスイングドアをくぐり、店内を見回す。

 ほとんど満席だ。


「いらっしゃいませー。こちらまでどうぞー」


 と言われるがままに案内されたテーブル席は、すでに先客が三人も居た。


「えっと……カウンターが空くまで待っても……」

「ごゆっくりー」


 取り残された。

 ……仕方がないから席につく。

 幸いにして、相席の連中は僕に絡んでこなかった。

 手早く済みそうな注文を出し、僕は〈アイテムボックス〉の隅から雑誌を取り出した。

 〈玄人の眼〉六月号。まだ五月なのにな。


 かなり専門的な業界紙だから、目次から専門用語が並んでいる。

 ”ウィークサイドとストロングサイドから見るパーティ内リソース分配”だとか。

 ”意思決定ループのサイズと速度、あるいは小規模パーティの優位性”だとか。

 ”訓練による複雑系の解体:戦術的なピリオダイゼーションと第三世代の新潮流”だとか。

 ……正直、中身もタイトルと同じぐらいよく分からない。

 何か一つでも役に立つ知識があればいいか、程度の調子で流し読みしている。


 いきなりドッと笑い声が聞こえてきて、僕の集中がそちらに向いた。

 相席の連中が何かしらのバカ話をしている。


「ばっかお前、こんな街にお姫様が居るかよ!」

「いやホントだって! なんか、どっかの暗殺者がお姫様を探してるって噂なんだよ!」

「暗殺者が噂になるわけねーじゃん! バッカだなー!」

「マジだって、噂になってるって! それにオレ見たんだよ、フードの怪しいヤツが街中で聞き込みしてるとこ! なんかさ、紫っぽい眼と髪の少女を探してて……」


 冒険者らしき男が立ち上がり、手で”背丈はこれぐらいだって”と示す。

 10代前半にしてもやや低め。

 ……だいたいリルと同じぐらいだ。彼女の髪と瞳には、やや紫が混ざっている。


「ちょっと聞かせてもらっていいかな」


 僕は雑誌を置き、彼に尋ねた。


「”暗殺者がどこかのお姫様を探している”っていう噂で間違いないの?」

「え? ああ、そうだよ。妙に殺気立っててフードでさ」

「そうか。ありがとう」


 リルの出自は貴族階級の可能性があると思っていた。

 子供とは思えない生死観と硬い意思。

 そのわりに純朴で世間を知らず、なのに”房中術”とかいう単語が出る。

 「自分は助けられてばっかりだから他人を助けたい」という動機を持つぐらい、他人から様々な手助けを得られた立場を持っている。

 総合的に考えて、何らかのトラブルを抱えた貴族の子供、という線が濃い。


「参ったな……暗殺者か」


 ただでさえ忙しいのに、極めて厄介なトラブルまで上乗せされそうな気配だ。



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