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過去と過去〈4〉


 落花通りの奥深く、何の変哲もない小屋。

 そこへ近づこうとした僕を、ドアの前に立った二人の男が睨んできた。

 こんなやつらが見張りに立っているのを見たことはない。

 その剣呑な雰囲気からして、”先生”の味方には思えなかった。


 物陰に戻り、〈アイテムボックス〉から取り出した鉤爪つきのロープで壁を登る。

 屋上を伝って、開いた窓ごしに中を見た。

 悠然と茶をすする老人を、柄の悪いやつらが取り囲んでいる。


 その中に一人だけ、高級なスーツを纏った空気の違う男がいた。

 夢溢れる青年。今を羽ばたく実業家。そんな言葉が似合うような男だ。

 ひと目見て夢追い人だと分かるほどに瞳は輝き、表情は明るい。

 だが……隠しきれない狂気が、その笑顔には滲んでいた。


「分からないかな、爺さん。拒もうが、嫌でも僕たちに席を譲ることになるんだ。時代は変わる。あらゆる花はいずれ枯れる」

「ふふ。この街で長く生きているうちに、君のような男を飽きるほど見てきたものだよ」

「……なんて非効率的な会話だ」

「自惚れというのは怖いものよな、ゲインズくん。きみが無理やり併合した組織も、みなわしに金を収めておったよ。少額だがの。そこに理由があるとは思わないのかね」


 ゲインズ? ……まさか、こいつがゲインズ商会のリーダーか!?

 思わぬところに立ち会ってしまった。


「〈開都十哲〉が絶対的な権力を持っていた時代なら、当然のこと。今とは違う」


 ……〈開都十哲〉?

 この迷宮都市を作り上げた”エルフの反逆者”が連れていた、初期の英雄たちだ。

 今でも街の運営に関わってるはずだけど、最近はあまり表に出てこなくなった……。

 ……まさか。


「わしは昔っから、権力なんぞに興味は無かったがね」

「だとしても、あんたが〈開都十哲〉の一員として上納金と引き換えに保護を提供していた”元締めの元締め”だった事実は変わらないはずだよね。違うかな、爺さん」


 あの”先生”の正体は、〈開都十哲〉の一人か!

 声が出そうになるのを抑えた。バクバクと心臓が加速する。

 只者じゃないのは知っていたけれど、そんな大物だとは……!


「あるいは心を打たれたのかもしれんな。金はみーんな街に回して、わしは粗末な小屋に住んどるぐらいだからの。多少の敬意を収めて当然と思わんか?」

「敬意? 違う。敬意なんてものは存在しない。取引された金銭だけが真実だ」


 ゲインズは言い切った。


「僕があなたの席に座れば、この街はより良くなる。古の慣習に覆われた非効率の闇は消え去り、さらなる成長と繁栄が約束される。それに比べて、あなたがこの街にもたらしているものは何だ? 古臭いマフィアに花街の蜜を吸わせているだけじゃないか」

「それでいいのじゃよ。いまこの街を統治する迷宮ギルドは、隅々にまで目を行き届かせるほど巨大ではないし、そこまで巨大になるべきでもない……わずかな腐敗と引き換えに裏社会の統治を安定させられるなら万々歳じゃ。いずれ一掃する必要があるとしても、今ではない……今は、そんなことより対処すべき大きな問題があるのだからの」

「ただの妥協だ。そんなに現状維持が好きか」

「好きだとも。それで皆が平和に暮らせるのだからね」


 老人は静かに茶をすすった。


「過去の亡霊め。亡霊なら亡霊らしく、墓場にいればいいものを……」

「ふふ。墓場か。この〈花溜まり〉が”娼婦の墓場”とも呼ばれていることを、きみなら知っているだろう。わしはもう墓場に埋まった身じゃよ」


 湯呑を机に置き、窓の外へと視線を向けてくる。

 慌てて僕は姿を隠した。


「くだらない話だ」

「そうかね、これはくだらないかね。なら現実の話をするとしよう。きみのところの組織は、大量に薬物を捌いて荒稼ぎしているそうだが」

「〈レッド〉か? 何が悪い? あれを服用すれば冒険者の力は増す。僕たちも冒険者も、街全体にとっても稼ぎは増える。全体に利益がある」

「利益、か。きみは金の話ばかりじゃの」

「そうだとも。おかげで、僕たちはここまで来れた」


 ゲインズは誇らしげだ。そこには悪意がない。純粋に、自分が善玉だと信じている。

 ……こいつは好きになれない。

 

「カジノ・ドリームズ。あれの権益を抑えたのは大きかったのう?」


 老人が話題を変えた。

 あのカジノはゲインズ商会のものだ。そういう噂は聞いていた。

 洗練された搾取の手際には、たしかにこいつの仕業だと納得できる雰囲気がある。

 稼ぐ才能は本物だ。人間性は欠片もなさそうだけれど。


「自惚れる理由はわからんでもない。無尽蔵なカネで金欠クランの頬を叩けば、いくらでも手駒が増えるんじゃから。そうして作った間接的な傘下は六千と五百二十名」


 人員を正確に言い当てられて、ゲインズが顔をしかめた。


「数を増やせば確かに稼ぎは増すが、しかし数ばかり増やせば良いものではない。きみもそれが分かっているから、強豪クランに触手を伸ばしているのじゃろう?」

「だったら何だと言うんだ?」

「〈ミストチェイサー〉の合同作戦(レイド)に幾ら出したんだね、ゲインズくん。ずいぶん契約を吹っかけられたんじゃろう? そこまでして一人の強い〈ローグ〉を抱えようとするのだから、きみも強力な人材の力は分かっているはずだがの」


 そういうことなのか?

 カエイをゲインズ商会の戦力として抱えるために、ゲインズ商会が〈ミストチェイサー〉に手を出したと?

 ……確かに、クラン自体はCランクだけれど、個人の戦闘力で言えばもっと上だ。

 金を出して手中に収める価値はある。


 それに〈ミストチェイサー〉は万年金欠クランだ。

 ……まして……僕が死んで赤竜討伐に失敗したときなんか、三十五億の損失を出した。

 本当なら赤字で潰れてもおかしくない。あの時か?

 あのタイミングでゲインズ商会が〈ミストチェイサー〉に金を貸して、何らかの契約を結んだのか?


「だとしても、一人に出来ることなどたかが知れている」


 アルギロス・ゲインズが手を上げて、指を鳴らした。

 彼の部下が一斉に武器を構える。


「待ちくたびれたぜ! さっきから偉そうにしやがって!」


 一人が先走り、勝手に”先生”へと襲いかかった。


「ほう」


 ばちっ、と電気の流れる音がした。白刃が煌めく。

 「死ねえっ!」と叫びながら武器を振りかぶった男が、心臓を境に両断される。

 切られたことにさえ気づけぬまま彼は絶命した。

 老人の右手には、まだ茶の一滴すらこぼれていない湯呑がある。

 人知を超えた速度の居合が、片手だけで繰り出されている。

 ……僕は目にしたものが信じられず、頭の中で老人の動きを再生しようとした。

 けれど、見えていなかった。何も。気づいた時にはもう全てが終わっている。


 〈開都十哲〉は人類で最初に迷宮へと潜った冒険者だ。

 ゆえに全員が並外れた強者でもある。

 知ってはいても、その技を目前で見ると衝撃が走った。


「やめておきなさい」


 老人は静かに言って、膝で抑えた鞘へと刃を収めた。

 それだけで十分以上の圧力があった。


「わしも戦争を始めたくはない。数千人を斬るのは少しばかり骨が折れるからの」

「……ふむ。使えない愚か者を始末するついでに、強さのほどを確かめることができた」


 殺された部下を冷たく見下しながら、アルギロスは「効率的だ」と言った。


「強がるものじゃの」

「強がったところで何になる? 単なる事実だよ。ラクート、どうだ?」


 後方から、黒い服の大男が現れる。

 何もかもに心底うんざりしたような厭世的な表情だ。

 しかし顔と裏腹に、首から下は隙一つない臨戦態勢を取っている。

 ……明らかに強い。ゲインズの懐刀、みたいなポジションだろうか。


「やはり五分だ」

「そうか。分かった。なら、今日はこれで引き下がるとしようか。成果は十分だ」


 ゲインズが再び指を鳴らす。部下たちが一斉に武器を収めた。


「交渉決裂じゃの。ま、構わんよ。無理に上納金を払えとは言わん。ただのう」


 ”先生”もまた、両手を茶飲みに戻す。


「きみたちはわしらの庇護下から外れることになる。誰がアルギロス・ゲインズを殺そうと、迷宮都市の誰も追求はしないじゃろう。罪にもならぬ」

「庇護? あなたの庇護など受けた覚えはないね」

「どうじゃろうなあ。ま、わしは”過去の亡霊”らしく影から見守るとしようかの」

「……見れるうちに見ておけ。すぐ、僕たちがあんたを冥界に叩き込んでやる」

「おお、吠えるものじゃ。若人はこうでなくてはな。ふふっ、楽しみじゃのう!」


 アルギロス・ゲインズは姿を消した。

 部下の一人が抱えた死体から、血液がぼとぼと垂れて跡を作っている。


「さて、クオウくん。分かっているじゃろうが、みだりに広める話ではないよ」


 当然のごとく僕に気づいていた”先生”が言った。


「ええ」


 改めて玄関から中に入り、向かいに座る。

 只者ではない爺さんだとは思っていたけれど……〈開都十哲〉だと分かって相対すると、なお一段と強く見えた。

 紛れもなく世界でトップクラスの実力だろう。


「いや、こうも客人が多いと退屈せんわい。して、用件は?」

「……ゲインズ商会と〈ミストチェイサー〉の関係について聞くつもりだったんですが」


 一応、ピルスキーから預かった土産物は机の上に置いておく。


「期せずして知ってしまったようじゃの」

「ええ。それと、薬九堂のピルスキーから”まだか”という伝言を預かってます」

「伝言のう。たまには自分で顔を出せ、と言ってやってくれんか。やつめ、古物堂店主ごっこをやる暇はあるくせ肝心な仕事はちっともやらんのだ。まったく適当なやつでいかんよ」

「そうですね」


 ピルスキーはたしかに信頼できない男だ。

 僕の注文を忘れたりポーションの効果を間違えて渡してきたり、期限の切れた半額券を渡してきたり……。

 そのくせ口だけは回るし、妙に女を連れてたりもするし。何がいいんだか。顔か。


「しかし、土産を受け取って対価が無いのではのう……なにか聞きたいことはあるかね」


 何を聞くべきか。迷宮都市が出来たころの様子だとか有名人の人となりだとか、気になることは多いけれど、そんなことを聞いたってしょうがない。

 事情もなんとなく察しがついた。

 いま必要なのは戦う手段だ。


「居合の技を教えてくれませんか」


 魔剣を使い分けて戦う上で、抜き打ちの居合ができれば役に立つはずだ。


「ほう?」


 老人の瞳がぎらりと輝く。


「……ならん。わしの技を授けたところで意味がない」

「というと……?」

「わしの劣化品を作っても意味がないのだ。この街に必要なのはコピーに長けた秀才ではない……クオウくんも感じているじゃろう、迷宮都市が足元から揺らいでいることを」

「そ、そうですかね……?」

「だがね」


 老人が、傍らの刀を腰に吊って立ち上がった。


「一回ぐらいなら、戦うことは出来る。その中から何かを盗むのはきみの自由じゃ」

「……!」

「だが、わしは手加減が苦手でね……」


 避けろよ。老人はそう言い残し、表に出ていった。


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