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過去と過去〈3〉


「そろそろ来るだろうと思っていた」


 〈薬九堂〉に足を踏み入れたとたん、怪しげな店主が言った。

 高い窓から差し込む光が、幾筋かのスポットライトとして埃を照らし出している。


「カエイと決闘の約束を取り付けたそうだな。相変わらずクオウくんは身の程知らずだ」


 ピルスキーはくつくつ楽しげに笑った。


「そういうのが好きなんでしょうに」

「うむ、然り。みなが身の程を知った社会など、埃に埋もれて沈むだけだ。呼吸のための風穴がなくてはな」

「社会を語る前に自分の店の埃を払ったらどうですか」


 僕は空の棚を指でなぞった。指先が灰色に染まる。


「どうせ棚を使った商売などせんのだ。さて、何が入用かな」

「このリストを」


 フェイナから受け取った紙を渡す。

 ピルスキーが険しい顔になった。


「ヘリクスマギオオグサ? 何だこれは。麻薬の材料が混ざっているぞ」

「……他の材料はどんな感じですか」

「わからん。滅茶苦茶だ。ただ、副作用が強いことだけは共通している」


 彼はリストを机に置いた。


「寿命を捧げてカエイとの決闘に勝つ気と見える。ろくでもない薬師と組んだか」

「調達は?」

「街中の薬屋に、こんなものを調達できるコネがあると思うのか?」

「でも、出来るんですよね?」

「可能だが、楽な仕事ではない。きみは私を何だと思っているんだ」

「便利屋」


 当たらずしも遠からずだが……と呟いて、彼はリストを懐に仕舞う。


「別件を抱えていてな、すぐには無理だが……近いうちには準備するぞ」

「分かりました。それともう一つ」

「うむ?」

「〈ミストチェイサー〉とゲインズ商会の関係について調べたいんですが」

「だから、きみは私を何だと……。そこの動向なら、例の先生に聞くべきだ」


 ”先生”か。花街の奥深くに潜む、得体の知れぬ老人。

 知恵を蓄えた賢者ながら、同時に危険な香りを放っている人間だ。


「いま手持ちの資金に余裕がないので、あの人の要求するレベルの土産物は……」

「そこまで使い込んだのか!? まったくきみはバカだな!」


 彼はうきうきと楽しげな調子で言った。


「仕方がない……土産物は私が用意する。そのかわり伝言を頼まれてくれ」

「伝言ですか」

「ああ。私が”まだか”と言っていた、とな」

「わかりました」


 あの先生を僕に紹介したのはこいつだ。

 この二人が繋がっているのは今更な話だが、”まだか”、ね。

 いったい何を待っているんだか……。


「ちょっと待っていたまえ」


 ピルスキーは〈アイテムボックス〉を開いた。

 数秒かけてじわじわと空間の裂け目を広げ、中にスタスタ消えていく。

 ……ちょっとその中を覗いてみた。

 まるで倉庫のような広い空間に、手の届かないほど高い棚が延々と並んでいる。


「相変わらずとんでもない……」


 Aランクのクランと超高額契約を結ぶようなトップクラスの〈ポーター〉でも、ここまでの容積を誇る人間はそういないはず。

 それほどの強者でありながら、無名だ。

 迷宮都市の闇には、どれだけ彼と似たような存在が潜んでいるのだろう?


「待たせたな。これを持っていきたまえ」


 高そうな布に包まれた土産物を受け取る。


「どうも。伝言は確実に伝えますよ」



- - -



 〈落花通り〉に足を踏み入れたとき、東の空は赤く染まりはじめていた。

 バラバラな様式で積み重なった高層の建築物と、そこから伸びる無数の空中回廊が長い影を地上に落とす。


「うおっ」


 頭上から熱い灰が落ちてきて、僕はあやうく火傷しかけた。

 空中回廊の手すりにもたれかかって葉巻をふかす金持ちが入り口を見下している。

 つられて僕は通りの入口を振り返った。


 チカッ、チカッ、とひとりでに道端の照明が青白い光を灯していく。

 あちらこちらで戸やシャッターを開く音がして、客引きが道に現れる。

 さっきまで空いていた道が、まるで水門の堰を切ったように人で溢れだす。

 夜が来る。迷宮都市第二の心臓、〈落花通り〉が脈打ち始める。


「さあ、今日は東国の雑技団がやってくるぞ! こんなショーを見ながら食事なんて贅沢な機会、見逃すわけにはいかないぜ! どうだい、あんた、安くしとくよ!」

「そこのにーさん! 肉なんか飽きたって顔してるね! そんなあなたにオススメ、養殖コカトリスの肉! 毒ないよ! イイ牧場の珍しーい肉だよ、生きたまま直送!」

「魚のことなら魚に聞けー! 〈マーメイド料理店〉ー! 今日もピッチピチ営業中!」


 一斉に客の呼び込みが始まった。

 まだ入り口だから、どこも比較的にまっとうな商売だ。


「カジノ・ドリームズへ向かうお客様はこの角を右折です! 本日はポイント二倍日! 二倍日となっております! たくさん遊べば、スイートに一泊だって夢じゃない!」


 大勢の人々がそこで右折していく。

 カジノ・ドリームズはリゾート施設を併設する大型のカジノで、迷宮都市の魔法技術を駆使して作られた世界初の大型商業施設でもある。

 右に折れていく道の先にある、ライトアップされたお城っぽい建物がそれだ。

 出来たばかりだが、既にかなりの観光名所だ。


 ……あのカジノは相当にやり口が洗練されている。

 例えば”ポイント”というのは、要するにカジノで損した額だ。

 損すれば損するほどポイントが貯まり、無料で豪華な食事を食べれたり、一泊できたり、という仕掛けになっている。

 そうすることで大損した客に良い思いをさせて、また来させる、というわけだ。

 この街では昔っから賭博が盛んだけれど、あのカジノほど洗練された形で客を搾るやつらはいない。


「オラ声が小さいぞ! 転移門の故障で暇してる連中が多いんだ! かきいれ時なんだから気合入れろい!」


 上で葉巻を吸っていた金持ちが、客引きたちにハッパをかけた。

 ここらの地主か、あるいはケツ持ちか。何にせよ他人に働かせて稼げる身分だろう。


 奥深くに進んでいくと、だんだん空気が変わっていく。

 店の看板は猥雑さを増し、照明はギラギラと極彩色に輝いている。

 

「お兄さんどう! エロい娘の酒場よ! きわどい服だよ!」

「疲れてなーい? わたしたちが癒やしてあげる、うふふっ」

「オニーさん手でしてかない!? 無視!? じゃ足、足はどう!?」

「地下闘技場は試合中だぜー、まだ間に合うぞー! チケットも賭け札もまだまだ販売中だー!」


 客引きの露出度は高くなり、触って用心棒にぶちのめされる酔っぱらいもちらほら。

 裏の路地では喧嘩が起こっているらしく、野次馬たちが走っていった。


「なー、この街に暗殺者が居るって噂、聞いた?」

「あー、少女暗殺者を探してるとかいう? 居るかよそんなん、嘘っぱちだろ。それよりアレ聞いた? なんかさ、お荷物ポーターがまだ一人で冒険者やってるとかいう……」


 交わされる会話もどことなく怪しげだ。

 そんな喧騒に負けないほど、ここに陣取る店の装飾は派手に自らを飾り立てる。

 僕の右手に、裸の女が並ぶ待合室を転写の石版で看板に大写しにしている店がある。

 その隣にある店なんか、魔法で作られた妖精を無数に飛ばしている。

 その一匹へ視線を向けた。美しい曲線の光跡を残しながら雑多な街並みの上空を楽しげに舞っていた妖精が、魔力を使い切って虚空に消える。


 どういう魔法を使っているのか知らないが、カネが掛かるのは間違いないだろう。

 客の目を引くための派手な仕掛けは、それだけで十分に見世物だ。

 金もないのに暇つぶしで道を練り歩く人間は珍しくない。


「見物してるとハラが空いてくるでしょ! 見物といやあ屋台のジャンク飯! 揚げソーセージを揚げパンで挟んで二倍旨いよーめっちゃ旨いよー!」

「せっかく落花通りに来たってえのに、遊ばず帰るんじゃあ損も損! カネがない? ローンで安心! パッと遊んで、後のことは後で考えよう!」


 そこを狙った商売も花開いている。

 見物客向けの少額屋台……そして少額の金貸し屋台。

 無害な商売と危険な商売が隣り合い警戒心を奪う。

 この街は人を喰う。

 獲物を絡め取り吸い尽くそうとする者たちが、建物の中にも外にも根を張っている。


「あの、お金、借りたいんですが……」


 僕の目前で、田舎から出てきた風の新米冒険者が今まさに金を借りようとしていた。


「やめときなよ」

「え?」

「あんだこの野郎、誰の許可得て商売ジャマしてやがんだ」

「別に……ただの独り言だよ」


 そのまま通り過ぎる。

 背後から、新米冒険者の「やっぱやめときます」という声が聞こえた。

 それでいい。


「てめえ! 待てや!」


 金貸しが声を荒げて追ってくる。

 ……殴り合いは避けたい。こういう手合はたいてい前衛の〈クラス〉を刻んでいる。

 殺し合いならまだしも、殴り合いの喧嘩はパワー勝負だ。僕に勝ち目はない。


「悪いけど、今から”先生”に会いに行くところなんだ。退いてくれ」

「ああ!? 先生って何の……まさか……」


 金貸しの顔から血の気が引いて、頭を下げて帰っていった。

 ほとんど誰も先生の正体を知らないが、怒らせてはいけないことは知っているのだ。


 迷宮だけでなく世界中からカネが流れ込む風俗街を通り過ぎ、深淵へと足を進める。

 光は萎びて、客引きも屋台も消え、かわりに道端へホームレスが増えてくる。


「〈シェイク〉あるヨ、上物ヨ」

「ヒヒヒ……呪いはいらんかね……」

「ね……一発千イェン……千イェンだから……」


 ここは世界の吹き溜まりだ。

 落ちた花の行き着くところ。地に落ちた花の再び枝に帰ること能わず。

 表のスラムですら生きていけない人々、致命的な疎外を抱えた人々もまた流れ着く。

 〈花溜まり〉とも呼ばれる深奥だ。

 先生はこの奥に陣取っている。


「千イェン……ね、お願い……」

「悪いね」


 すがる中年女の手を外し、狭い道をゆく。

 ……前は昼間だったとはいえ、やはりここにリルを連れてきたのは間違いだったな。


「あんた……ピンク色の象を見なかったか」

「いや」

「チッ、雑魚か……」


 何かしらの中毒者がふらふら消えていった。

 ……ここに住む人々のことが、なぜだか僕は他人に思えない。

 もし僕が冒険者という夢を失っていたなら、その末路はここへ繋がっていた気がするから。



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