幕間:夢幻の迷宮
〈夢幻迷宮〉が発見されたのは、迷宮都市が作られてから十年ほど後のことだ。
すぐに攻略されるだろう、と思われていたこの迷宮は、しかし異質だった。
進めば進むほど急激に危険度が上がっていく性質を持っていたのだ。
誰でも勝てるような魔物しか出ないと思って油断していると、そのうち危険な魔物に襲われて即死する。
また、他の迷宮に比べると”現実らしい”地形を持っているのも特筆点だ。
さて、当時の冒険者たちは現代の冒険者に比べてはるかに弱かった。
まだ武器も防具も貧弱で、魔力を持つアイテムを持った者はほとんどいない時代だ。
逆説的に装備は安く、この頃は迷宮内で死ぬことへのペナルティが軽い。
ゆえにこの迷宮は腕試し用の迷宮として定着し、冒険者たちは「死ぬ前にどこまで行けるか」ということを競いはじめた。
そんな腕試し用の迷宮から、ある英雄が希少品を発掘する。
転写の巻物・石版や転写水晶を始めとする遠隔通信用の設備一式と、その使い方や動作原理を解説するマニュアルだ。
重要なのはマニュアルの方だった。
例えば「魔力を含んだ綺麗な石版」というだけの珍品扱いだった転写石版は、マニュアルに記されている「任意の石版との同期を設定する」機能や「書かれた物を魔力インクと組み合わせて印刷する」機能で一気に扱いが変わった。
活版印刷よりも遥かに低コストで、しかも図柄や転写水晶を使った”写真”ですら大量に生産できる高性能ぶり。
おまけに、魔力さえあればタイムラグのないリアルタイム通信にも転用可能ときた。
このタイミングで迷宮都市は一足飛びに発展した。
遠距離のリアルタイム通信がもたらす情報の優位は圧倒的だ。
世界中の商会や銀行をはじめとする勢力がこぞって迷宮都市に本拠地を移す。
そして迷宮からさらなる希少品を発掘するために英雄たちへ投資する。
すると大資金を得た英雄たちは魔法の武具で身を固め、今までは発見されていても難易度が高すぎて挑めなかった迷宮に挑み、より価値の高い物品を迷宮から獲得する。
その噂を聞きつけた人々が一攫千金を求めて世界中から迷宮都市に訪れた。
彼らが向かう先はもちろん、マニュアルの発見されたという迷宮だ。
その迷宮は特殊で、未踏破で、しかも最初は難易度が低く入りやすい。
〈夢幻迷宮〉という名が付いたのはこの頃だ。
何が夢幻なのか? それはもちろん、新人冒険者がこの迷宮に抱く過大な期待だ。
人々の求める一攫千金は夢幻に過ぎず、進めば進むほど上がり続ける難易度に心を折られてみな挫折していった。
商会や銀行の資金は〈夢幻迷宮〉を離れ、もっと儲かる迷宮へ向かいはじめる。
しかし……それでもなお、夢幻迷宮への挑戦者は途絶えなかった。
最新の装備を固めた英雄たちが深部を目指し、わずかに到達点を更新し、死ぬ。
死んでなお、より強い装備を集め、挑み、限界を更新し、そして敗れる。
挑んで何かを得るためでなく、ただ挑むためだけに英雄たちは夢幻迷宮へ向かった。
その生き様は写真・映像を記録する”転写水晶”に収められ、転写石版による印刷で大衆に物語として広く行き渡った。
クオウやカエイのような第二世代の冒険者は、みなそういう物語に影響を受けている。
夢幻迷宮の踏破は、冒険者ならば誰もが一度は夢見る究極の目標だ。
その夢幻に挑まんとする新たな挑戦者が、今まさに次々と転移門をくぐっていく。
千人と少々の冒険者で行われる合同作戦は、しかし無謀な試みだ。
名だたる英雄たちですら、この迷宮に挑んでは敗北してきたのだから。
カエイの率いるこの合同作戦は、最初から失敗が決まっているようなものだ。
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夢幻迷宮の中には、いくつかのベースキャンプが常設されている。
比較的安全な場所を選び、この迷宮へ挑む人々へ寝床や物資を提供しているのだ。
ベースキャンプからベースキャンプへと、千人ばかりの冒険者たちが連なって進んでゆく。
魔物を撃退しながら歩き、大量に雇われた〈ポーター〉たちの運ぶ物資を配りつつ、ひたすら奥へ。
最初に起きた本格的な戦闘は、〈サイクロプス〉の集団が相手だった。
寄せ集め冒険者の中でも使えない者たちが混乱を引き起こし、見かねたカエイが巨人たちを鎧ごと一撃の下に斬り伏せていく。
「この程度の魔物に苦戦するやつが合同作戦に来るなよ……ったく」
そうして一週間後、冒険者たちは〈ライニア軽水湖ベースキャンプ〉へたどり着いた。
常設されているベースキャンプはここが最後だ。あとはテント頼りの野宿になる。
「物資の消費速度は計算通りだ。切り詰めずともニ週間分。ただし、ここから先は魔物の強さが跳ね上がる。ポーターと冒険者の死傷者次第だ。誤差が多い」
雇われ指揮官のアルワーリアが、照明に照らされた天幕の中でカエイへ報告する。
物資の管理や進軍ルートの選定を含め、この”軍隊”を回しているのは彼だ。
その仕事ぶりは卓越していた。
「事前の計画通り、軽水湖の底を突っ切るルートが良いだろう。水中呼吸ポーションは潤沢にある。〈燃える森〉や〈棘の草原〉よりはマシだ」
事前の準備を元に、最低限の被害で済むルートを選び続けている。
彼がいなければ、とっくにこの部隊は半壊していたはずだ。
しかし彼一人のおかげで、まだ無傷に近い状態で進軍を続けられている。
「明日は鮫と一緒に水底をお散歩ってか。水中戦闘の専門家は居るはずだよな?」
「何人かいる半水棲の亜人族を中心に警戒部隊を編成してある。だが全周に警戒線を引くには不足だ。漏れた魔物と戦う必要は出るだろう」
「ああ。任せる」
今はまだ〈ミストチェイサー〉の本隊や使える冒険者を消耗させる段階ではない。
アルワーリアは使い捨てられる冒険者から、ギリギリ被害が出ないラインを狙って戦闘部隊を編成していく。
翌日、合同作戦部隊はポーターから水中呼吸ポーションを配給し、固まって水底へと進軍した。
この湖の水はどういうわけか人体より軽い。
備えなしに落ちれば、浮かべないまま水底で溺れ死ぬ悲惨な末路を迎えることになる。
だが、備えさえあれば比較的安全なルートとしても機能する。
もちろん水中で魔物と戦うのは困難だ。
この日の戦闘では予想外に大量の魔物が現れ、その火消しにカエイ本人が駆けつける羽目になった。
物凄い速度で水中を泳ぐ魚類の魔物や、触手を自在に伸ばすタコともイカともしれない異形の怪物の数々を、カエイは霧を裂く魔剣〈ミストチェイサー〉で両断していく。
寄せ集めの冒険者が苦戦する魔物を軽くあしらえる程度には実力の差があった。
湖の底を渡りきり、対岸へ部隊がテントを設営したころ、時刻は既に夜だった。
しかし日光は変わらず降り注いでいる。この迷宮は昼夜のサイクルがない。
「集計が終わった。今日の犠牲者は七十一人。これで参加者の合計が千人を下回った」
「あの程度の雑魚に負ける連中なんか、数の内に入らねえさ」
「それと、本日の収支だが。消耗品の費用合計が約八七〇〇万イェン、魔石やドロップアイテムの稼ぎは推定で千万イェン程度だ。まあ、こんなものだろう」
「水中呼吸ポーションが数千瓶だからな……」
簡単な会議を終えて、眠ったあとに再び大部隊が迷宮を進む。
瘴気に覆われた沼地を抜け、四方八方からマグマの吹き出す火山地帯を通り。
まさに地獄の行軍だ。それでも、被害は最低限に抑えられている。
……かつて夢幻迷宮に挑んできたパーティは、たとえ英雄の率いるものであろうとも、このあたりで力尽きることが多かった。
しかしカエイの合同作戦はここまで軽い被害だけで到達している。
時代の差だ。数十年前に引退した冒険者たちが身を持って掴んだノウハウは世に広まり、今では初心者でもパーティのバランスや技能選択について知っている。
底のレベルが上がれば全体のレベルも上がる。
突出した英雄が少ない今の時代は、同時に平均的なレベルが高い証でもあるのだ。
だが、そうして”育成”された冒険者は、一からのし上がった人々に精神力で負けるもの。
軽水湖を出て一週間もすると、参加している冒険者たちはみな疲労困憊の有様になった。
魔物に殺されるまでもなく、勝手に脱走して〈リターン〉で帰る冒険者も出てくる。
……これがバレた冒険者の名前はすぐに広まり、評判はガタ落ちするだろう。
なにせ注目度が高い。この合同作戦にはけっこうな数の記者が帯同しているし、転写水晶での映像記録を作っているスタッフも居る。
規模を考えれば取材がつくのは当然だが。
数多くの脱落者を出しながら、なお部隊は奥へと進む。
見た者を幻覚で惑わす虹や、足を踏み入れたものを捕食する生きた土。
自然環境すら敵に回るほどの極限環境を、先人たちの情報を元にくぐり抜けていく。
……まだ、先は長い。
だが、アルワーリアの準備している物資はあと一週間分だ。
既知の最奥地点にたどり着くのも一週間後。
そのあたりが限界だ、と彼は計算している。そしておそらく、彼は正しい。




