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飛躍の時〈6〉


「あの……竜人って、珍しい種族なのですよね?」


 ウルヴィーク教授がお茶を入れている間に、リルが小さな声で僕に聞いてきた。


「ああ。あまり人間と関わりたがる種族じゃない。確か、魔法を使えない種族は動物だから食っていいし、魔法を使える種族だとしても竜の子孫たる我らが一番偉いから食っていい、みたいな……そういう、他種族を見下してる奴らだったはずだよ」

「ウルヴィーク教授、ものすごくいい人なのですね……」

「多分ね。でなきゃ人間に混ざって研究なんかやらないよ」


 しばらくして、お茶の入った盆を片手にウルヴィーク教授が戻ってきた。

 一口すすった瞬間、春風のように爽やかな甘味が口へ広がった。


「良いお茶ですね」

「だろう。これを淹れるのが、少ない取り柄の一つなんだ」

「またまたご謙遜を」

「本当だよ。わたしは落ちこぼれの身でね……」


 お茶を飲みながら、彼は魔力濃度データの刻まれた紙を眺めている。

 分厚い鱗に覆われたその顔に、パッと笑顔が浮かんだ。


「あった! よし! やはり不自然な魔力濃度分布と迷宮化現象の相関はある!」


 早口でぶつぶつ呟いたあと、彼は僕たちの存在を思い出してこっちを向いた。


「ええとだね……これは研究中のことだから、本来は部外者に話せないのだが……」

「あ、いえ。話せない内容なら結構です。僕たちはこのへんで……」

「既に聞いてしまったろう。それに、わたしが話したいのだ。聞いてくれないか」

「は、はあ……」


 大丈夫なのかよそれ。


「この一点を見てくれ。真円形に魔力が高まっている部分があるだろう?」

「確かに。妙に輪郭がハッキリしてますね」

「これはだね……過去に、この地点が迷宮と化した痕跡なのだ!」

「え? 迷宮と化した……?」

「うむ。一般に、迷宮はかつて古代文明が滅びたとき異空間に散逸したマジックアイテムが生成したものとされている。だが、どうやら迷宮の起源は一つではないのだ。稀ではあるが、現実世界の一点が迷宮化して異空間に引きずり込まれることがある」


 もしかして、僕はとんでもない事を聞いてしまったんじゃないか?

 似たような噂が流れたことはあるけれど……。


「その痕跡は不自然な円形の魔力分布として現れる。調査している限りでは、迷宮化するポイントは高い魔力濃度にあるようだ」

「だとするなら、迷宮都市の内側が迷宮化して消えてないとおかしいのでは?」

「そう、その通りだ。おそらく迷宮都市はこの世界でトップクラスに魔力濃度の高い場所だろう。にも関わらず、迷宮化現象が起きていないのは何故か? 残念だが、この謎についてお手上げ状態だ。おそらく街を作ったときエルフが何かしたのだろう」


 僕はちらりとリルの様子を確かめた。

 ……寝ている。

 戦闘後で疲れてるとはいえ、興味ない話はホントに聞かない奴だよなあ……。

 ただ、今回に限っては寝てたほうがいいかもしれない。

 迷宮にまつわる情報はあらゆる勢力が喉から手が出るほど欲しがっている。

 知るだけでも危険な情報だ。


「だが、都市から離れた場所で迷宮化現象の起きた痕跡はある。それらの痕跡から、どれぐらい空間の魔力濃度が濃くなれば迷宮化現象の危険性が出てくるか推定したところ」


 ウルヴィーク教授は研究室の本の山をかき分けて黒板に向かい、「1,000,000y/m3」という数字を書いた。


「一立方メートル(※1)あたり魔力が百万イェンを越えてくると、迷宮化の危険が出てくる。極めてラフな推定だけれど」

「百万? ……それなりのマジックアイテムでも、魔力が数百万イェンほど籠もっているのは珍しくないですよね」

「うむ。しかし、広範囲をそれほどの魔力で満たすのは難しい。拡散してしまうから。人為的に迷宮化現象を起こす条件としては……」

「ウルヴィーク教授。それを僕に話して、本当に大丈夫ですか」


 僕が尋ねると、教授は身を縮めた。


「ああ……すまないね。どうにも話したがりな性分で。昔から、竜人らしく口を閉じて威厳を出せ、などと怒られてばかりだったよ。故郷が迷宮化して消える前の話だ」

「それは……気の毒な話ですね」


 迷宮化現象を知った理由も、研究する理由も理解できた。

 竜人は人間と違い、元から魔法を使える種族だ。住処の魔力濃度も高かったのだろう。


「ああ。だが、この迷宮化現象を研究して世間に発表するまで、私は故郷が消えた理由すら誰にも話せなかった。横槍の入る可能性もあるし、もしかすると知っているだけでも危険かもしれないからね……迷宮産業は、楯突くには巨大すぎる」


 ウルヴィーク教授の鱗に覆われた強靭な身体が、寂しそうに丸まっていた。


「……すまない。迷宮化現象、という単語を聞かれてしまったついでに、わたしが話したいことを一方的に話してしまった。迷惑をかけたね」

「いえ、面白い話でしたよ。秘密を漏らさないことは約束します。口は堅い方ですから」

「そうか。その、図々しいことを承知で頼みたいのだが……そのうち、君たちに指名依頼を出しても大丈夫だろうか?」

「冒険者としての仕事の範疇に収まるなら、いつでも歓迎します」

「うむ。ありがとう」


 ウルヴィーク教授が差し出した手は、鉄のように硬く冷たく重かった。


「君のおかげで、少しだけ肩の荷が降りたよ」

「……ええ」


 降りた分の荷が、僕の肩に乗った気がする。

 ……なんだか……〈ミストチェイサー〉に居たときより多くのものが、僕の肩に乗りはじめている気がした。

 まだ未熟なリルにしても、僕が金を出して無理やり現役復帰させたマイザにしても。

 リーダーというのは、きっとそういうものなんだろう。

 皆の代わりに重荷を背負って、なお先頭を歩かなければならない。


「今日のところは、これで帰らさせてもらいます。疲労もひどくて、今すぐ眠りたいぐらいなので。……ほらリル、起きなよ」

「ふぇ? あ……ね、寝てないのです!」

「嘘つけ」

「ふふ。疲れているんだろう。しょうがないことだ」

「こいつ、疲れてない時でも興味ないと寝るんですよね……」

「おや。それはよくないな。学んで自分の世界を広げることは大事だよ、リルくん」

「冒険者になってからもお勉強しろって説教されるなんてぇ……」

「勉強しない冒険者は伸びないぞ、リル。……では、また」

「うん。何かあったなら、いつでも来なさい」


 僕たちは教授の研究室を後にした。

 ……ドアの外に、軽薄そうな男がメモ帳を携えて立っている。

 彼はちょうど何かを書き終えて、僕の目を見た。


「ブレーザー……」

「やあー? 奇遇だね」


 彼はメモ帳を掲げた。

 ……クソ。聞かれていた。まずい。

 これを雑誌に書かれては、僕もウルヴィーク教授も危険だ。


「クオウさん。正式に取材を申し込みたい。どうかな?」

「……チッ」

「いやあ、何も脅そうってわけじゃないんだ。取材に応じてくれるんなら、担当部分は捨ててもいい」

「あの……ブレーザーさんは、わたしたちを脅してるのですか?」

「脅してるなんて人聞きの悪いなあ。俺はただ、取材したくてクオウさんを追っかけてたらさ、交渉材料に使えそうなものを耳にしちゃったもんで……」

「聞け、ブレーザー。この街で新人記者が一人消えたところで誰も気にはしない。死体を消滅させる手段も豊富にある。もしお前が僕を脅しているのなら」

「だから脅してないって! ひどいな!」

「二人とも。いったん落ち着くのです」


 リルが僕たちの間に入った。


「ブレーザーさん。脅していないというのなら、そのメモを今すぐわたしに渡してください。預かります」

「リル。無駄だ。記者の類なんてみんな悪人だ」


 意外なことに、ブレーザーはおとなしくメモをリルに渡した。


「他のネタもあるからさあ、丸ごと捨てるのはやめてくれよホント」

「はい。どこか静かに話せる場所へ行きましょう」

「どうしてそいつの肩を持つんだ、リル」

「クオウさん。冷静になるのです」

「冷静に計算したって、そこまで利益はない。新人ライターだろ。おまけに新聞記者じゃなくて雑誌ライターだ。冒険者で言うなら新人ポーターみたいなもんで、掃いて捨てるほどいる奴らだ」

「うっせ! 俺だって、なりたくてマイナー雑誌の新人なったわけじゃねーし! ホントはもっと専門的な〈玄人の眼〉のアナリストとか、新聞の冒険者記事担当とかやりたいって! 成り上がるためにもネタがいるっていうかさ! 取材させてくれればそれでいいんだよ!」


 僕はブレーザーの瞳を睨んだ。

 ……最悪なことに、彼の顔は夢を追いかける若人そのものだった。

 単に軽薄なだけの男なら、今すぐメモ帳を焼いて追い返せたものを。


「仕方がない。僕がメモ帳を見て、さっきの話の書いてあるページだけは破らせてもらう。一言でも喋ったなら……分かるな。それが条件だ」

「よっしゃ、ディール! それでいいよ!」


 リルが僕にメモ帳を渡す。

 中をぱらぱらと見た。

 先輩記者のアドバイスや冒険者関連のメモが乱雑に書き殴られている。

 後半はまだ何も書かれていない空白のページだ。


「……ん?」


 何回も見直す。

 僕がさっきウルヴィーク教授と話していた内容について、メモの一つすら存在しない。


「書いてないよ。俺。別に、悪口とかゴシップとか暴露記事で稼ぎたいわけじゃないもんね。〈週刊ナウ〉とかに情報売って稼ぐようなやつ、やりたくないから」


 念の為にもう一度確かめたが、やはりない。

 透明なインクで書いた可能性を睨んで、空白のページに凹みがないか確かめても、やはり何もなかった。


「ほら、言ったじゃん? いたずらに噂を書き立てるんじゃなくて、真実が知りたいんだって。どうよ、クオウさん?」

「やっぱりいい人そうなのですよ、クオウさん。わたしの勘は当たるのです」


 こんな交渉のやり方をしてくるやつのどこがいい人なんだ……?


「……信じるしかないか」


 ブレーザーにメモ帳を投げつけ、彼の握手を無視して帰る。


「ただし、取材は明日から。今日は疲れてる」

「あ。えっと。ブレーザーさん、彼に代わって非礼をお詫び……」

「しなくていい! 帰るよ、リル!」

「ちょ、ちょっと待った! 明日、どこで取材すりゃいいわけ!?」

「僕らの泊まってる宿で!」

「どこだよっ!?」

「記者なら自分で調べろ!」


※1:メートル

ケゼルヴィア帝国科学アカデミーが制定した人工的な距離単位。

北極から赤道までの子午線の距離、という世界中どこでも普遍のものを基準として、その1000万分の1を1メートルとした。


(要するにただのメートル)

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