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飛躍の時〈プロローグ〉

- 三人称視点 -


 迷宮都市には様々な学校がある。

 基礎的な読み書きから高度な知識を学べる場まで一通り揃っているのはもちろん、特定の職業を育成するための施設も無数にあった。

 最も有名なのは、迷宮ギルドが直接運営する冒険者育成学校の〈迷宮学園〉だろう。

 在学中から様々なクランから勧誘を受けていたスノウ・ソーラティアのように、学園出身の若く有望な冒険者は多い。


 そしてもう一つ、迷宮ギルドの運営している有名な学園が存在する。

 〈ノースゲート魔法学園〉。名前の通り魔法の専門家を育成するための場だ。


 その魔法学園にて。

 大きな窓を備えたモダンな校舎の、がらんと人通りのない通路。

 授業中にも関わらず、その通路を我が物顔で歩くピンク髪の生徒がいた。


「ああ、人混みの生暖かさとは無縁のひんやりとした空気! これが遅刻の醍醐味!」


 とても遅刻しているとは思えない優雅な足取りで、彼女はくるりと両手を広げて回る。


「澄んでるわあー……」


 深呼吸して微笑みを浮かべた彼女が、教室の扉に手をかける。

 扉の上に〈魔法薬学教室A〉というサインがあった。


「おはよっ」


 まったく悪びれた様子なく、彼女が授業中の教室に堂々と入室する。

 嗜虐的な笑みを浮かべた教師の瞳が、その姿を追った。


「フェイナくん。おはよう」

「今日は怒らないんだねっ。何かいいことあった?」

「ああ。今日は〈平静の霊薬〉を提出する日だ。未提出者は自動的に落第だぞ」

「……えっと、聞き覚えが……」

「前回の授業の最後に言ったのだがな。ずっと寝ていた君の手落ちだ」

「期限は授業の最後まで?」

「そうだ。だが、霊薬に含有される魔力が”三万イェン”未満の値ならば失格とする。時間をかけて材料を仕込まなければ、絶対に達成できない魔力の量だ」


 教師が嗜虐的な笑みを深めた。


「さて、どうする?」

「うーん。ちょいとがんばろっかな」

「ああ。頑張ることをお勧めする。無駄だろうが」


 それでも慌てた様子すらなく、フェイナは机の上に器具を並べていく。


「大丈夫、フェイナ? 良ければちょっと材料分けてあげよっか?」

「何なら俺のフラスコも使う? 同時にやれば時間がなくてもいけるでしょ」

「……君たち! 課題は他人の手出し厳禁だ! フェイナと一緒に落第したくなければ、おとなしく自分の薬を仕上げなさい!」


 生徒たちがやむなく自分の作業に戻っていく。

 しかし、まだ全員の注目がフェイナに集まっていた。


「平静の霊薬ねー。精神異常を弾くポーションかあ。キマらないやつよりキマるやつのほうが好きなんだけどなー」


 机の上に錬金術じみた実験器具を並べ終えた彼女は大きな鍋に魔力の籠もった水を注ぎ、火にかけてから教室後方の棚へ向かう。

 実験に必要な魔法素材がそこに収まっているのだ。

 彼女のゆっくりした足取りを、皆が固唾を飲んで見守っている。

 生徒たちはフェイナが落第せずに済むよう、教師は今度こそ落第してくれるよう、それぞれ祈りの籠もった視線だ。


「えいっ」


 いくつかの素材を選び、箱ごと持ち上げて運んでくる。

 教室がざわめいた。


「どばーっ!」


 ……そして無造作に鍋へ突っ込んだ。


「ば、馬鹿者っ!」


 全員が慌てて机の裏に隠れる。

 ただでさえ扱いが困難な魔法素材を大量にぶち込めば、爆発するのが当然の結果だ。


 しかし何も起こらなかった。


「よ……良かった。爆発的反応は起こらなかったか。運のいいやつめ。二度とやるなよ」

「ばーっ!」

「おい! この大馬鹿者ーッ!」


 更に別の素材をどかんと突っ込む。何人か叫びながら教室を出ていった。

 それでも爆発は起きなかった。


「フェイナ! 貴様! 落第するより死ぬ方がマシとでも! 今すぐに止めろ!」

「ばばーっ!」

「ああああああっ!」


 素材を豪快にぶち込みきったフェイナが、魔法の杖を取り出して鍋を撹拌する。

 生徒たちが「おおおおっ」、と好意的などよめきを漏らす。

 彼らはフェイナの無茶に慣れきっていて、また面白い見世物が始まったぞ、程度の気分でいるのだ。

 ……もしも、この場に魔法薬学を極めた専門家がいれば、一瞬で彼女の異常性と学生離れした経験を見抜いただろう。

 こいつが学生やってるのは何かの間違いだ、とまで言うかもしれない。

 しかし、この教室にそんな人間はいない。教師を含めて。

 彼女の異常は生徒たちにとってただの娯楽であり、教師にとってはただの胃痛である。


「馬鹿っ! この馬鹿いい加減にしろーっ! 魔法の杖で混ぜるなーっ! 魔力に反応して今度こそ爆発するぞーっ、横着せずに専用器具を使えーッ!」

「大丈夫! たぶん!」

「たぶんじゃないっ!」

「ねえフェイナー! それ、大丈夫なんだよねー!?」


 友人の一人が、机の陰に隠れながらたずねる。


「たぶん!」

「良かった、大丈夫なんだね! じゃ、私の薬に戻らなきゃ!」

「いやお前! フェイナ自身も大丈夫って言い切れてないぞ!?」

「そーれ、混ざれ混ざれーっ」


 クリームを泡立てるような速度でフェイナが魔法の杖を回す。残像さえ残る速度だ。

 その横で彼女の友人が、小さな瓶を専用の道具でゆっくり回している。

 その速度差は十倍近い。


「も……もう駄目だ! 今日の授業は中止だーっ! みんな逃げろーっ!」


 生徒の半数が、教師と一緒に全力ダッシュしていった。

 けっこうな数の生徒がフェイナの無茶を見届けるために興味本位で残っている。


「まだ提出してないのに!」


 フェイナが魔法の杖で撹拌するのを止めて、鍋を両手でがっしり掴む。

 そして鍋を思いっきり揺らし、中の薬を天井近くまで高く飛ばした。

 一滴もこぼさず鍋で受け止め、それを何度も繰り返す。

 さながら一流料理人のフライパンさばきだ。

 どよめきと歓声と拍手と口笛が薬学教室を満たした。


「ほっ! よっ! はいもう一回! もう十分だけど、おまけでもっかい!」


 曲芸を終えたあと、鍋をがつんと机に起き、いきなり慎重な手付きになってポーション瓶に上澄みをすくっていく。


「完成! 平静の霊薬! ……これ飲む人ー!」

「よっしゃ! 俺が飲んでやる!」


 クラスに一人はいるタイプの、度胸試しで無茶をやっては怪我するバカが挙手した。

 手回しで彼のもとに瓶が届けられる。


「行くぜーっ!」


 バカが笑いながらグイッと飲み干す。

 そのとたん真顔になった。


「静かだ……人生という名の海が、鏡面のように凪いでるぜ……これが悟りの境地……」


 精神異常を弾くどころか妙なことを悟っている。

 異常な効果だ。


「……あれ? なんかもう効果切れたわ。一瞬だけグッと来たんだけど」

「やっぱり?」


 フェイナが後頭部を掻いた。


「あたしの薬って、すごい昔からそうなんだよね」

「あんな作り方してたら、それはそうなるでしょ」

「でも……ああいうやつの方が楽しいよね?」

「楽しいって……」


 教室の外から、怒気を感じさせる足音がドスドス近づいてくる。

 校長を引き連れた教師が力任せにドアを開けた。


「フェイナ! 校長室まで来い!」

「ああ、先生! すごい強いポーション作れたよ、どうこれっ!」

「どうもこうもあるか危険物廃棄処理だそんなもん!」


 教師が怒鳴りつけて、鍋に何かの液体を注いだ。

 中身が泡立ち、中の薬が持っていた魔力が消えていく。


「ああ! いい出来だったのに!」

「どこがいい出来なんだ! お前の薬ときたら、いつも効果が強いかわりに効果時間が短すぎて使い物にならないだろうが!」

「そ……それは……娯楽性を重視しているっていうか……」

「いい加減に愛想が尽きた! 才能があれば全て許されると思っているなら大間違いだ! お前を薬師に育てたところで、誰の役にも立つものか! 行くぞ!」


 生徒たちの野次を背に、フェイナは校長室へ連行された。



- - -



「どなどなどーなー……」

「お客さん。その音痴な歌やめてもらっていいですか」

「子牛をのーせーてー……」

「誰が子牛だと」


 フェイナの目前に座った大男が、剣の柄に手をかけて威嚇した。


「あたしがこーうーしー……」

「……何なんだよこのガキは」

「魔法学園を蹴り出された薬師です。よろしくおねがいします」

「よろしくお願いしねえよ。お前の態度からお願い感を感じねえよまったく。つーか蹴り出されたんなら薬師じゃねえじゃねえか」

「いいツッコミ……! ねー二人でコントやらない!?」

「やらねえよ! 俺は迷宮ギルドの依頼受けてる最中だから! 冒険者だから!」

「絶対面白いって! コンビ名は美女と子牛で!」

「結局俺が子牛なのかよ!?」


 様子を見かねて、馬車の御者が後ろを振り向いた。


「お客さんがた、あまり騒ぐと馬が暴れますので……」

「俺のほうを見て言うなよ……絶対悪いのは俺じゃねえって」

「話が通じそうな方にお願いしています」

「お、おう。そうだな」


 納得して、冒険者は粗末な椅子に座り直した。

 屋根のない安めの馬車だけに、その座席は土埃にまみれている。


「ねー、まだ次の町に着かないの? 〈ステッピングストーンズ〉ってぐらいだし、ポンポン町があるんじゃないの? だいぶ乗ってるのに」

「……お前、迷宮都市から文明圏へ向かう道がなぜステッピングストーンズ(飛び石)って呼ばれてるか、分かってるか?」

「飛び石みたいに転々と町があるから?」

「そうだよ。あとは迷宮都市がどんだけ離れてるか考えりゃ、次の飛び石に向かうだけでも大変なのが分かるだろ」

「前の町で休めばよかった……このままじゃお尻に穴が開いちゃう……」

「突っ込まんからな」

「そっか……。いいんだよ、突っ込む能力がなくても……。突っ込むだけが愛じゃないから……」

「うるせえよ誰が機能不全だ! ……ああくそっ、突っ込みたくないのに!」


 冒険者は深くため息をついた。

 かわいそうに彼はツッコミ気質だった。フェイナの前に立ってはいけない人種だ。


「まだ着かんのか? これ以上このピンク色を殴らずにいられる自信がない」

「幸いなことに、近いですよ。〈ゴブリンズトレイル〉が見えてきました」

「おおっ!」


 フェイナが勢いよく立ち上がり、反動で馬車の板バネがしなって揺れる。


「……なんか光ってる! 町の中に、こう、魔石柱のミニチュア版みたいな!」

「なんだあ? そんなもん無かったろ?」


 冒険者も立ち上がり、その前方を確かめた。


「アレですか? 最近いきなり現れたそうで。相当な値がついて、権利で揉めてるとか」

「値段ねえ。ほんと、迷宮都市って何でもカネの問題にするんだからー」

「……揉め事か。御者さんよ、日没前に次の町まで行けるか?」

「問題ないでしょう」

「よろしく頼む」

「あ、あたしはここで! 楽しかったよ子牛さん!」

「人を勝手に子牛扱いするな!」


 馬車が速度を落としながら町の入口へ近づいていき、フェイナを降ろしてから再加速して遠ざかる。

 一人残されたフェイナはミニ魔石柱へと近づいた。

 酒樽を縦に三つ積んだほどの大きさだ。

 警備に雇われたらしき冒険者が武器を抜いた状態で見物客を威嚇している。


「止まれ!」

「安心してよー丸腰だからー」

「……これは町長の所有物だ! 町長から許可を受けていない者が近づく権利はない!」


 なんだとーッ、と後ろで声が上がった。


「俺の宿の敷地内に出来たんだ、俺のもんだろうがーッ!」


 若いのに頭頂部のハゲた男が叫んでいる。


「黙れ! 町の所有物だ!」


 注意がそちらに向いた瞬間、するりとフェイナが警備を抜ける。

 懐から空になった魔石を取り出し、魔石柱にかつんと押し当てた。

 すると、瞬く間に魔石が青い輝きを取り戻していく。

 魔力が一万イェンほど溜まった計算だ。


「へえ……? 確かに魔石柱と同じで、莫大なエネルギーを蓄えてる……? このへんで魔力線(レイライン)の結節点が……?」

「あ、こら! お前!」

「おっと、ごーめんねー」


 掴みかかってきた警備の冒険者を、べーっと舌を出しながらフェイナがかわす。

 気力を感じないふにゃふにゃとした動きだ。

 しかし、それが猫のようなしなやかさを生み出している。


「ちょっと転んじゃってえー」

「どこがだ!? 魔石に魔力充填してるのがバッチリ見えたが!?」

「ごめんなさーい! 後であたしの右手にしっかり言い聞かせておきまーす! まったくもう君ってば悪い子なんだからー」

「ナメてると本気で斬るぞ! 止まれ!」

「……うわっ!」


 大剣の白刃が遠慮なく振り下ろされる。

 フェイナは転んだようにしか見えない回避動作でそれを避け、最小限の力で立ち上がる。

 だが、行く手は家の壁で塞がっていた。


「おっとと」

「そこまでだ。おとなしく縄につけ。他人の魔力資産を盗んで、タダで済むと思うな」

「ああいう魔石柱が形成されるってことは地下から魔力が供給されてるってことだから、すぐ再充填されるでしょ? 影響が出るほど取ってないけど」

「そういう問題じゃない!」

「しょうがないなあ、もう」


 彼女は懐から小瓶を一つ取り出し、飲み干す。

 それから垂直に跳んだ。

 ……まったく予備動作のないその跳躍で、彼女は家の屋上まで軽々と登った。

 彼女が自ら作った薬の効果だ。


「ここまで追ってくるほど大事じゃないよね! じゃーね!」

「……クソッ!」


 フェイナは屋根をいくつか渡り、その縁に腰掛けて小休憩した。

 傾きはじめた日差しを屋上で受けながら、心地よさそうに瞳を閉じる。


「おーい! あんた! いや、よくやってくれた!」


 わざわざ屋根に登ってまで追ってきた男がいた。

 若ハゲだ。


「なに?」


 昼寝を邪魔されてやや不機嫌なフェイナが答える。


「あの魔石柱! 俺がやってる宿の敷地内に出来たってのに、町長が無理やり奪いやがったんだよ! 町長の犬どもが恥かいてるとこ見て、スカッとしたぜ!」

「いや、別にそんなことのためにやってないし……」

「あんた、良ければウチに泊まっていかないか? 料金はタダで良いから!」

「実はあなたのために恥かかせてやったんですよ! うっすお世話になりまーす!」

「調子いい生き方してんなあおい! そのうち刺されんぞ!」


 というわけでフェイナは魔石柱そばの宿に泊まった。

 タダ飯のおかわりを三回要求して宿の主人の額に青筋が浮かんだりしたものの、それ以外の騒ぎはなかった。


 翌朝。


「おはよー! 朝飯ある?」

「ある。あるが、おかわりはくれてやらんからな! 一人分より食うなら金払え」

「そんな……ずっと極貧生活でろくに食えなかったあたしが、生まれてはじめてご飯をたらふく食べれるようになったのに……」

「なーにが極貧生活だよ柔らかい肉付きしてるくせに」

「セクハラだ! 慰謝料として二人分の朝食を要求する!」

「今すぐこの宿から放り出してやろうかおめえ」


 フェイナの目前に皿を置き、宿の主人が手元の〈冒険者の友〉なる雑誌を読み始める。

 一ページめくった頃にはもう皿が空になっていた。

 捨てられた子猫みたいな瞳で、じーっとフェイナが主人を見つめている。


「そんな目したってやらんからな」

「ちぇっ。挑戦する価値はあった……!」


 主人が再び雑誌を読む。

 後ろのほうに掲載された、新人ライターの”荷物はどちらだったのか?”という記事だ。

 クオウ・ノールなる、かつてこの雑誌でもボコボコに叩かれていたお荷物ポーターに取材した記事らしい。


「へー、冒険者雑誌……」


 いつのまにかカウンターの奥に回っていたフェイナが、脇から雑誌を覗いている。


「せめて一声ぐらい掛けろよ」

「面白い?」

「新人記者のくだらない記事だ。逆張りで雑魚を持ち上げようとしてる。ネタないんだろ」


 読むもん読んだしくれてやる、と主人がフェイナに雑誌を渡す。

 彼女の興味なさげな視線がとりあえず文章を追っていく。

 ……ある一点に差し掛かった瞬間、視線がピタリと止まった。


「効果時間が一瞬のポーション?」


 彼女は記事を読み終えたあと、再び冒頭に戻って読み直す。


「へえ? ポーターが、ポーションと魔剣を使って……?」

「そんなもん他の冒険者に使わせればもっと強いに決まってる。馬鹿馬鹿しい」

「そっか……一瞬のポーションか……戦闘中に一瞬でアイテムボックス開閉できるほどの適正ってことは……へへへ……うへへへ」


 にへらっ、と口元の崩れた笑みを浮かべた彼女が、雑誌のページを破って懐へ。


「運命の人を……見つけたかも!」

「あ、おい! 俺の雑誌だぞ! 破るなよ!」

「くだらない雑誌なんでしょ?」

「お前なあ、いい加減に……」


 その瞬間。

 まったく前触れなしに、目も開けていられないほど眩い光が窓の外を覆った。


「な、なんだ……?」

「……魔石柱!」


 フェイナが影の方向から光源の位置を推測した。


「宿の前の魔石柱だ! 何で光って……」


 ひときわ強い光と共に、周囲の全てが白く塗りつぶされる。

 ……光が収まったとき、〈ゴブリンズトレイル〉そのものが消滅していた。

 後には半円状にえぐられた地面と、腕ほどの大きさになったミニ魔石柱だけが残されている。



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