その一撃に誇りを乗せて〈9〉
「うわっ……」
醜悪な怪物を目の当たりにして、リルが顔をしかめた。
舌じみた無数の触手の根本に、大きな口がぽっかりと開いている。
やすりのように細かく並んだ赤色の牙がうごめき、何かをすり潰すような動作を僕たちに見せつけた。
……あれに食われて死ぬのは想像したくない。
「油を!」
僕たち二人はテンタクルプラントの足元へ油瓶を投擲した。
空中で触手がうなり、どちらも叩き落とされる。
本体が動く様子はない。移動はできない魔物か。
「……もう一回!」
僕は〈アイテムボックス〉から更に油瓶を取り出す。
森林でこういう怪物が出てくるのは想定内だ。残弾は豊富にある。
リルとタイミングをズラして再び投擲。
いくつもの触手が向かってきて、やはりどちらも打ち落された。
「なるほど。それが習性なら」
僕は敏捷性低下のスプラッシュ・ポーションを取り出した。
効果時間は五秒。だが、効果はランクC相当……本来なら一本数百万クラスのレアポーションと同等だ。
ほとんど半分の速度でしか動けなくなる。
それほどの効果を持っていても値段は一本五万イェン。
本来なら廃棄や再生処理に回される、僕以外は効果時間が短すぎて誰も使わないポーションだからだ。
「これでどうだ!」
触手が寄ってきて敏捷性低下ポーションを打ち落とす。
その瞬間に瓶が割れ、触手が目に見えて遅くなった。
続けざまに投擲した油瓶が、のたくる触手の海をすり抜けて本体へ到達する。
「よし……!」
続いて、僕は二本目の敏捷性低下ポーションと赤色の石を取り出す。
これは〈火石〉と呼ばれる、衝撃を与えることで火を吹く石だ。
魔法の火打石みたいなものだ。火勢は強く十分な着火力がある。
ポーションを、次いで〈火石〉を。
……ここで、テンタクルプラントが予想外の行動に出た。
触手がポーションの瓶を空中でキャッチする。
そして投げ返してきた。
「……っ!」
咄嗟に、魔剣〈マギ・インバーター〉で瓶を斬って効果を変換する。
さらに投げ返されてきた〈火石〉を、敏捷性向上効果で避ける。
背後で激しく炎が燃え盛り、薄暗い森を赤く染めた。
速度向上を生かして大きく回り込み、横から火石を投げる。
しかし迎撃された。眼で見ているわけではないようだ。
……投げ返してくる、か。脳味噌すらなさそうな植物のくせに、ずいぶんと頭がいい。
「この迷宮、本当に危険度Fなんだろうか?」
油の当たった場所を守りながら、テンタクルプラントが余りの触手を振り回す。
それが地面を叩くたび、小さな地震のように足元が揺れた。
無数の触手から繰り出される異様な手数を、見切って最低限の動きで捌く。
……僕の身体能力では最低限の動きしかできないからだ。
「つっ!」
剣の間をすり抜けてきた触手が、僕の顔を叩く。血が垂れた。
乱雑に振り回されていた触手が、好機とばかりに一斉に準備動作へ移る。
そして僕の逃げ道を塞ぐように、まずは左右へと触手を振り下ろした。
逃げ道のない小さな空間を全て埋め尽くすようにして、無数の触手が同時に降る。
「げ……」
捌く方法が思いつかない。手持ちの強化ポーションの効果では、あれほど大質量の触手を受け止めることは出来るかどうか。逃げるにも速さが足りない。
活路があるとすれば、前。けれど僕の攻撃力では。
〈ブラックマッチ〉なら? いや……自爆するか、キャッチされて投げ返されるか。
どうする。どうすれば。
「このっ! わたしを無視するなーっ!」
左に横たわった触手を飛び越えて現れたリルが、触手の根本に近づく。
狙いは油のある場所だ。触手の間隙に彼女が身を滑らせにいく。触手が迎撃する。
……そして、人間が吹き飛ばされる重い音が聞こえた。
「リル!」
リルが触手に叩かれ宙を舞い、地面を転がる。
その様子に目が行った僕の胴体へ、重い一撃が入った。
「あぐっ!」
地面を転がり、なんとか立ち上がって構え直す。
鈍い痛みが止まらない。込み上がってくる吐き気に体を折った。
「ゴボッ、ゴボッ……! ぐぅ……まだ!」
僕の口から吐かれたものは、吐瀉物ではなく鮮やかな血だった。
大丈夫。すぐには死なない。痛みさえこらえれば、まだ戦える。
リルの方は? 大丈夫そうだ。握った盾がひしゃげているだけ。
〈テンタクルプラント〉の攻撃が苦し紛れの一撃だったおかげだろう。
「わたしは大丈夫です!」
「よし! 短期戦を狙うよ、長引かせる余裕はない!」
「分かりました! なら、わたしが!」
彼女は決意を瞳に携えて、盾と松明を前方に構えた。
「……いや、僕が行く! リルは後ろで待機してて!」
リルはまだ信頼できない。
練習で迷宮に潜っていたときからして、彼女のミスの頻度は高すぎる。
失敗して死んでひどい〈幻痛〉を抱えるだけだ。僕が行ったほうがいい。
松明を取り出し、火石で点火する。
「なぜ……なのですか」
裏切られたような顔をして、リルが僕を振り返る。
「わたしは……わたしは、守られるために冒険者になったわけではないのです! 危険は承知なのですよ! もう、無力な子供じゃないのですよ!」
「それは……」
「わたしを守ろうとして、過保護になっているだけなのですか。それとも……」
リルは彼女に向かってきた触手をかわし、松明を押し付けた。
テンタクルプラントが奇妙な叫び声を放つ。
「それとも、わたしのことを仲間として信頼してくれていないのですか?」
「……」
そうだ。その通りだ。見抜かれていた。
僕は咄嗟に返事をできず、言葉に詰まる。
戦闘中だ。僕は触手への対応に集中しようと自分に言い聞かせて、それがみっともない逃げだと自覚し、言葉をひねりだした。
「…………そうだね。君はまだ未熟だよ」
「なら」
むしろ、リルが瞳に宿した決意の炎が増した。
「わたしは! 自分の力で、信頼を勝ち取ってみせるのです!」
彼女はテンタクルプラントめがけて真っ直ぐに突撃した。
「ま、待て! 感情に任せて突撃するのはまずい! 冷静になってから……」
「うるさいっ! どう考えたって、これが一番なのです!」
リルが叫ぶ。指揮を無視した独断専行。……けれど、判断そのものは悪くない。
下手に長引かせて対応されるより、今すぐにでも突っ込むほうがマシだ。
……無茶だけれど、僕にも覚えがある。
まだ〈ミストチェイサー〉を作る前、カエイと一緒に一回限りの寄せ集めパーティへ入って迷宮へ潜っていた頃、こういうことを何回もやった。
指示を出している微妙な中堅冒険者の判断より、僕たちが正しいと信じていたから。
はっきりとした自我を持った冒険者なら、他人の指揮より自分の判断を信じるのは珍しいことではない。
そういう意味では、彼女も既に一端の冒険者か。なら。
「……そこまで言うなら、いいさ! やってみろよッ!」
僕はポーションを取り出して、支援の態勢を整えた。
元々これが本職だ。好き勝手に暴れてみせろ、完璧に合わせてやるから。
「はああああああぁッ!」
松明を大上段に掲げたリルが、触手の海へと突撃する。
そこへ攻撃力と敏捷性向上のスプラッシュポーションを投擲。
わずかに軌道を上下にずらし、着弾をリルの交戦と同時に調整する。
……触手がその迎撃に向かってきた。どちらも弾かれる。
だが、そのせいでリルの正面にスペースが開いた。
読みどおりだ。どうせリルと魔物の両方にバフが乗ってしまうから意味はない。
最初から隙を作るのが狙いだ。
「お、おおっ!?」
火の粉を撒き散らしながら、小さな隙間へとリルが飛び込む。
そして、触手の海に姿が覆われて見えなくなった。
……本体の油に着火出来たとして、リルだって無事では済まないはずだ。
相当の決意がなければ出来ないような、命を顧みない勇敢な行動……いや!
死地へ向かった仲間を無事に助け出すのも、後衛の使命だ。
命を顧みない勇敢な行動、なんかにさせてたまるか。
死んでも死なない迷宮とはいえ、死の苦痛は本物なんだ。
「こっちだ、化け物!」
リルと別の方向から油瓶を投擲する。弾かれる。
だがその隙に、上に八十度近い高弾道で敏捷性低下のスプラッシュポーションを。
さらに続けて油瓶と火石を投げた。
……高角度での投擲は久々だ。けれど、僕の感覚は鈍っていないはず。
ポーターとして高ランクの戦いに参加するため、手の皮が擦り切れるまで徹底的に練習して刻み込んだ弾道の感覚は、きっと地獄に落ちたって忘れない。
高い角度で飛んでいく投擲物に注意を向かわせないために、更に方向を変えて投擲を矢継ぎ早に繰り出す。
テンタクルプラントが周囲に纏った触手の海の中から、何かの声が聞こえた。
それは悲鳴かもしれないが、気合の声かもしれない。
僕に出来ることはただ一つ。信じて最適な行動を取れ。
全力で考えるんだ。リルから少しでも注意を逸らすためには……。
僕は力を緩め、ゆるく油瓶を投げた。
触手が迎撃に向かってくる。
そこへめがけて全力で火石を投擲した。
空中で火石が油を撃ち抜いて、盛大な火炎が空へ広がる。
「グイイィィ!?」
動揺を感じさせる奇声を上げて、テンタクルプラントが触手を振り回す。
燃え盛る油の大半は、その本体に到達することなく払われた。
だが……そちらに気を取られて、リルを包んでいた触手が緩む。
隙間から彼女の姿が見えた。
自らに火を付けている。
自分さえ松明にして触手を払いながら、強引に突き進んでいる。
「滅茶苦茶な……!」
けれど、かえって僕の口元には笑みが浮かんだ。
いいじゃないか。冒険者なんて、あれぐらいの大馬鹿がやるものだ。
僕だって、あれと同じぐらい無謀だ。一億五千万イェン以上を投げ捨ててるんだから。
……あれほど覚悟の決まっている人間を相手に、僕はずいぶんと失礼なことをした。
高角度で放物線を描いていた投擲が、テンタクルプラントの頭上に直撃する。
まずは速度低下。本体に直撃したせいか、全ての触手が動きを鈍くする。
続いて油瓶が。最後の火石だけは、集まってきた触手がかろうじて防ぐ。
まるで両手を上げた人間のように隙だらけ、その本体がガラ空きだ。
リルが本体へ松明を投げる。テンタクルプラントが燃え上がる。
これで勝ちだ。
あとは燃え尽きるのを待てばいいだけ。
しかし彼女は剣の柄に手をかけた。更に前へと進んでいく。
そういう人間なんだ。
……下がれば触手に潰される可能性もある。
確かに前方こそが一番の退路だ。
そこまで近づいたのなら、もう燃え尽きるまで待つこともない。
「口だ! 胴体に口がある作りなら、喉奥に核の魔石がある可能性が高い!」
攻撃力向上のスプラッシュポーションを投げながら、僕は叫んだ。
これは諸刃の剣だ。向こう側の攻撃力も上がる。
一瞬でも躊躇してリルが先手を取られれば死ぬ。
だけれど、彼女が遅れを取るとは思えなかった。
確かに、リルは僕の信頼を勝ち取ってみせたんだ。
「……はいっ! 任せるのですっ!」
リルが剣を引き絞る。
その柄とポーションの瓶が触れ合い、破裂した魔法の輝きが彼女の前方を照らす。
「そこを狙え!」
輝きの向かう先こそは、まさに核のある場所だ。
全身からぶつかりに行くような突きの一撃が、正確に核を貫いた。
「ギイイィィァァァッ!?」
断末魔の叫びを響かせて、テンタクルプラントが光と消える。




